166_継暦141年_夏~継暦141年_秋
(速いッ!)
ドワイトが最初に感じたのは速度だった。
セニアの踏み込みもだが、フェリが放った無形剣。
その速度に驚いた。完全に速度に割り振る研鑽を積むものは多くない。多くの場合、魔術や請願、あるいは上等な盾鎧を前にすると威力が不足しがちだからだ。
割り切った鍛錬を積んだと見える無形剣。それにドワイトは驚いた。
それはセニアにとっても同じだったが、
「どいて」
声がどんどんと冷えていくフェリ。
剣を握れば、猟犬であった頃を思い出す。振り、払い、穿ち、放つ。殺し、殺し、殺し尽くす。猟犬に求められる手並みはただ、殺すことだけ。
そこに情はなく。想いもなく。鉄と血だけが支配する。
剣を横薙ぎに振るうと放たれる、速度特化の無形剣。
ドワイトがそれを見切ったように動く。
フェリは振るいきったと同時に手首を返すにして剣を振り上げる。
「なにッ!?」
現れたのは鈍重とも言えるが、破壊力抜群の非物質の、大きな刃だった。
「二種持ち、だと!?」
ドワイトは一瞬、無形剣で相殺できるかを考えるが刃を生み出す時間がない。剣と篭手を盾にするようにしてその一撃を防ぐのが精一杯だった。
「ぐほっ」
激しく空中に打ち上げられる。
フェリが更に追撃をしようと試みるも、セニアが、
「急ぎましょう」
そう言った。
ドワイトは剣を持っていた方の腕がひしゃげている。
もはや無形剣を打つことはできない。
いや──。
どしゃりと地面に落下した彼はうめきながら立ち上がるが、こちらを追いかける力はもう残っていないと判断する。
そうだ。ここでやるべきことは彼を倒すことではない。
使った剣は装飾ばかりに気が取られて品質がおざなりになっていたのか、もう殆ど耐久性を失っている剣を投げ捨てながらフェリも頷き、走り出す。
ヴィルグラムがいる場所の見当がつくわけじゃない。だが、思い浮かぶのは自分たちの愛した冒険者ギルド。そこに彼がいてくれることを祈り、走り出す。
セニアはフェリに並走する。
二つの影が騒乱の都市を駆け抜けた。
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「ぐ、……に、逃がしたか。いや、逃がしてもらった、というべきかもしれんな」
戦いがなかったわけではない。
だが、研鑽に時間を注いだというわけでもない。
「老いた、と思えば老いるのは早かろうな。ここで思うべきは……痛っ……。
未熟。その一言に尽きよう」
水薬を飲み、傷に振りかける。
作戦はまだ続く。倒れている暇はない。
あの少女たちは作戦に大きな影響は与えまい。もしも障害となるのであれば確実に自分の命を奪っていたであろうし、そうでなくとも主城に向かってルルシエット伯爵の援護などに向かうのではないかと考えていたからだ。
「ドワイト様ッ!」
「状況はどうだ」
ドワイトが単騎で息子のためにと走ったため、部下たちの到着が今になってしまう。
部下は自分たちの足を恨むような悔しげな表情であった。
「はい。ルルシエット軍の殆どは東へと集合。都市から離れる動きを見せています」
「その陣容にルルシエット伯爵は?」
「いえ、未だ発見できていません」
「……あのじゃじゃ馬め」
「何か?」
「いや、なんでもない。主城の攻略を急げ。といっても」
「既に守りはありません」
「であろうな。では、制圧の準備を進めよ」
「はッ!!」
兵士たちが行動する。
ドワイトは水薬によっていくらかは癒やされた腕をかばいながら剣を構え、刃を見る。
(行動騎士としての力を発揮していれば、二人を相手にして勝利できたかろうか)
行動騎士が与えられた力の本領を発揮する条件は複数あるが、一般的には二つ。主君の許可があるか、その発動を任されているか。
契約している炉やその持ち主である主君がどこにあろうと使用はできるが、炉そのものに影響があるかどうかはまた別問題。
他領の行動騎士が力を励起した場合のことはドワイトの知識にはないが、少なくともビウモード軍が保持している炉は起動すると、都市にある炉の力が弱まり、日常に影響を与えることから発動は制限されている。つまり、発動権限は付与されたドワイトではなくビウモード伯爵にあった。
(……負けることはあるまい。
だが、このような負け惜しみの考えは……一武芸者としての恥、だな)
剣を振る。
自らの煩悶とした感情を切り捨てるようにして、ドワイトはルルシエット主城を睨むようにして、目的を定め直した。
ルルシエット防衛戦力の打倒、ルルシエット伯爵の捕縛、都市の占領。
つまり、このルルシエット強襲作戦こそが現状における必要なこと。
そこに一個人の欲求がさしはさまっていい余裕はない。
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冒険者ギルドへの道のりはそれほど危険はなかった。
ただ、斥候役のビウモード兵とは遭遇することもあったり、フェリとも顔見知りの行商人を助けたりと、何もなかったわけでもない。
行商人は助けられると、二人には目的もあろうし、足手まといになるのも目に見えているので安全そうな建物に退避すると言う。行商人のことが心配ではないと言えば嘘になるが、この状況での二人は探さねばならない人物もいる。それゆえに元の目的でもある冒険者ギルドへと急ぐのみであった。
ギルド周辺は静かであった。
フェリは自分以外にも冒険者がここに集まっていると想像していた。
目的である少年だけではない。ガドバルやリン、ロームも。ギネセスの死は無念ではあったが、彼を抜いたとしてもルルシエットには優秀な冒険者たちが少なからず存在していた。
誰かしらはそこにいると思っていたのだ。ここで気を吐いてビウモード兵と戦っているのではないかと、そう願っていた。
だが、そこは恐ろしく静かであった。
あるいは、そう感じているだけなのかもしれない。
見えてきたものがフェリにそれを感じさせていた。
冒険者ギルドの入口の前。小さな何か。『それ』に矢が幾本も突き立っていた。
近づく。
フェリと、そしてセニアも『それ』が何かわかっていた。認識も納得もしたくなかっただけなのだ。
「ヴィーくん……?」
そっと側に座る。揺り起こすようにする。反応はない。
少しの間のあとに、うつ伏せになっているそれを仰向けにする。
「いや、……いやだ。私は、彼を守るって……」
『良い冒険者になれよ』
そういって救ってくれた恩人の少年は命を落とした。
良い冒険者とはどうなればいいのかはわからなかったが、人々の頼みを可能な限り果たし続け、己が悪徳であると見たものに転がらぬように心がけた。
そうして冒険を続けるうちにかつて、自分を救ったものと同じように自分の命を顧みず人を──イセリナを助けている少年と出会った。
あの日、自分の未熟さ故に死ぬことを見過ごすしかできなかったときとは違う。
彼女は確固たる意思と経験によって人を守るという力を得ていた。
だからこそ、ギネセスと共に依頼に進んでしまったヴィルグラム少年の援護に向かい、そこで助けることができたと実感できた。ようやく、あの過去の日、オーガスト男爵を討った日から前進できた気がしていた。
だが、それは錯覚だった。
守れなかった。あの日と同じように。少年の命を見過ごしてしまった。
「おい、あそこにいるの冒険者じゃないのか? ヤルバッツィ殿が仕損じたのか? まさかな」
「小柄な死体がある。おそらく弔いにでも来たんじゃないのか?」
「ヤルバッツィ殿が事前に仰っていたとおり、やはりルルシエット冒険者ギルドの結束は固いな。……悪いが命をもらうしかない。彼女らの死体もあればルルシエット冒険者ギルドに与することの危険性が──」
それらの言葉が聞こえるか聞こえないか。
いや、フェリには明確にそれらが聞こえていたのだろう。
『ヤルバッツィ』
その人物が少年を殺したのか。あるいは、それに大きく関わっているのか。
「フェリ……?」
丁重に少年の亡骸を横たえさせると、フェリがゆらりと声の主たちへと向く。
「あなたたちが、ヴィーくんを殺したのですか?」
「ヴィー……?」
その言葉に一人が、
「俺たちではないが、俺たちの仲間がやったことだし、同じ軍属の我々にも罪業はあろう。ヤルバッツィ殿だけに着せるほど薄情でもない。
だが、ここで君たちを逃すほど情に厚くも」
その言葉が完了するかどうか、そこにフェリが疾風のごとく距離を縮める。
大盾の重さなどないかのように、それを振るう。
大きな破裂音が響いた。セニアも含めて、それがフェリの大盾が人間に叩きつけられた音だと気がつくのに一拍遅れた。それほどに非現実的な音と一撃であった。
「ヴィーくんを、殺したのは、ヤルバッツィという人間なんだね」
良い冒険者を目指して戦ってきた。
だが、その見返りは恩人とを重ねてしまう少年の無惨な死。
「もういい。私は、良い冒険者じゃなくて、いい」
ゆらりと盾を構える。
「良い冒険者になっても、それで彼らが報われないなら、もういい」
修羅が一人、生まれつつあった。
今は死以外の何をか求めん。少年の死を悼むのか、己の無力さを恨むのか。どうせその答えなど出ることはない。
得られない答えで立ち止まるのであれば少年に送られた死を往返させる幽鬼と成り果てよ。
過去のフェリと、現在のフェリが叫ぶ。
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それから。
特筆するようなことはあまりない。
少年の遺体を弔いたい気持ちはあったが、次から次に現れるビウモードの兵士によって亡骸と分断されてしまう。
冒険者ギルドから離れてしまう形にはなりながらも見敵必殺の精神で都市内で敵を撃破して巡る。
その中で得た情報からヴィルグラムを殺したのがヤルバッツィであろうことが半ば確定する頃には都市は戦えないくらいに占領された。それでも二人は幾つも場所を変えながらヤルバッツィを探し、ビウモード軍をいたるところで襲撃した。
ビウモード軍と戦うたびに、時間が経ていくうちにフェリの人間性は削ぎ落とされていき、完全な幽鬼へと一歩、また一歩と近づいていった。
セニアはメイドとしてだけでなく、一人の人間としてフェリを支えて、幽鬼に成り果てるのを防いでいる。
そんな折に、二人はイセリナと遭遇したのだった。
「フェリさん。ごめんなさい」
手を触れる。
イセリナとて必死であった。復讐鬼の如くになっているのは間違いなかった。
けれど、同じように心を砕いて復讐を遂行しようとしていた人間が、その果てに行き着きそうになっていた人物が信頼していた仲間であったことに気が付けなかったことに、
イセリナができることは謝罪だけだった。
彼女だけではない。ガドバルやリン、ロームたちも同様だろう。彼らも失った命と奪われた土地のためにと全力を果たそうとしていた。
失われた命の中にフェリもあったのだと、勝手に考えていたのだ。探す努力をしなかったわけではないにしろ、それでも己が故郷とも言えるルルシエットを奪い返すことに専心していたのは事実だ。
だから、彼女ができることは謝罪だけだった。
手を触れているイセリナの手に、弱々しく重ねられるのはフェリの手。
どれほどの時間戦っていたのだろう。傷は多く、治りきっていないものも、もう癒えきらないのではないかというものもあった。
「……イセリナ。ごめんね。……私の心がもっと、強かったら」
彼女も同様だった。
本当に復讐を完遂するならば得た情報をルルシエット軍に渡すべきだった。
だが、彼女は自分の手による破壊と殺戮を心のどこかで求めていた。
はらはらとどちらともなく、涙を流す。
その二人にしてやれることなど、セニアには何があろうか。彼女はそっと二人をその大きな身体で抱き寄せて、今果てることができるだけの涙を流させることだけしかできなかった。
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互いの感情がようやく一段落ついた頃にセニアが問うた。
「これからイセリナ様はどうなさるのですか?」
「トライカへと向かいます。内容については明かせませんが、よければご一緒できませんか。
復讐であれ、納得であれ、そこに至る近道にはなります」
涙を流したフェリは以前とあまり変わらない幽鬼ぶりではあったものの、セニアからすると人間性を少し取り戻したようにも見えた。なにせ、
「そこに道があるなら、一緒に行きたい」
復讐と殺戮以外の感情を発露しているのを出したのは久しぶりだった。
そうして、三人はトライカへと向かうことになる。
フェリも幽鬼じみてはいたとしても、思考力の全てを失っているわけではない。易易とトライカに、つまりはビウモード領へと入った。道中の関所や検問、見回りの騎士や兵士に誰何されることはあったが、イセリナが見せた手形一つで頭を下げて去っていく。
当然だ。彼女が持っているのは伯爵家令嬢にしてトライカ市長の腹心であることを示すものであったからだ。そこからフェリが予想することはイセリナが上手くトライカに潜り込んだのだろうという程度のことであったが、実際にはそれよりも遥かに大きな出来事が胎動していた。
トライカへと到着すると、すぐに三人は市長と面会することとなった。
市長がイセリナそっくりであったことに希薄な精神性であったとしてもフェリは驚いた。セニアに関しても表情こそ動かさないものの、これほどうり二つな他人がいるものかとは思っている。
イセリナが二人は信頼できる人間であるから、囲い込みたいという話題を降る。
実力に関してもそのイセリナの保証ということもあって、メリアティにとっても疑うところはなかった。
「お二人に頼みたいことがあるのです」
「お話だけなら。遂行できるかは」
「わかっています。お二人が歩んできたことを思えば受けられないことがあることは」
会話の中で大切な仲間であれ、恩人であれ、そうしたものを失っている。
イセリナと同じ立場であることは理解しているからこそ、メリアティも慎重になっている。
二人のどちらかがその気になればメリアティの首などあっさりと落ちるだろう。メリアティは武芸者ではないが、彼我の差を読むことができないわけでもない。
「私の目的はビウモードを滅ぼすことです」
ビウモード伯爵家令嬢、メリアティはそれを明言した。
一点の曇りもない顔つきだった。
「……ビウモードを? ルルシエットではなくですか?」
「仮に私がルルシエットの人間を打ち倒してほしいと望んでいるとして、あなたたちには頼まないでしょう」
メリアティが困ったように笑顔を浮かべる。
それに対してセニアは内心で、
(頼まないどころか、そもそも懐深くに呼びつけるようなこともしないでしょう。
ですが、イセリナ様がこの方を信頼しているのであれば──)
そのように考え、シンプルな問にした。
「メリアティ様のお望みは、どこにおありなのでしょうか」
「野心にあるのか、それとも別のところに目的や本心があるのか、ということですか?」
「そうなります。当代の伯爵を打倒して、新たな伯爵になることをお望みなのでしょうか」
セニアは少年王の側に長くいたからこそ、血縁者間での争いは少なからず見てきた。今の時代と違い、王国によって統治と管理がされていた時代であっても主家や本家を打倒してその立場を奪うようなことは珍しいことでもなかった。
それとも、別の理由からそうしなければならないのか。
例えば、主家がトライカから不当な搾取を続けているから枷から逃れたい、なんて理由があるのであれば市長としては野心ではなく正当な理由と行動となる。
彼女は小さな笑顔のままで、あるいはそれは彼女にとっての困ったときに浮かべる表情なのかもしれないが、続けた。
「解放したいのです」
「都市をですか?」
「いいえ。……兄様を」
その理由を細かく問うべきであるかをセニアは少し悩んだ。
求めていた理由が野心や市長としての責務ではないことを知った以上は十分であるとも言えたし、それ以上は個人の感情に踏み込むようなことではないのかと。
「事情はわからないけど、それが私にとっての復讐になるなら、受けるよ」
依頼を受ける以上はバックアップを得られるであろう。
道端で野伏同然にビウモードの関係者を殺す以上に大きく影響を与えることができそうなメリアティの依頼はフェリにとっても望ましいものだった。
あの宿でイセリナと出会えたことが、かすかに彼女に人間性を取り戻させていた。
「では、成立ですね。とはいえ、私自身のことを語る言葉もまだ足りていないようにも思います」
「それは私やセニアの働きを見てから聞かせてもらいたいかな。まだ見ず知らずに過ぎない私たちに対して語れることだって多くはないだろうから」
メリアティが手を差し出す。
なりは少女でも纏う気配は剣呑で、目つきや佇まいも人間よりも大型の肉食獣に近い。
であっても、メリアティは臆さずにそのようにした。それが彼女にできる精一杯の信頼の示し方だったからだ。
フェリもまた、その手を見てから握り返した。
久しぶりに一切の害意のない、しかしさきほどまで知ることのない、完全な他人の手だった。
それは暖かく、かすかに安心感をもたらす。
(このような温かみのある人間ですら、破壊を望まないとならない状況なのか)
破壊と殺戮のただなかにいる少女は、今の自分ができることはそれしかないことを知っている。
だからこそ、血の匂いがしない彼女の望みから、悲痛を感じていた。
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時間は数ヶ月進む。
継暦141年、秋。
フェリとセニアは『トライカ市長直属の騎士』という身分をイセリナに与えられ、ビウモードと、現在ビウモードが結んでいる三領同盟に関わる土地を巡る。
必要があれば暴れ、殺し、機能不全を起こさせる。それが依頼の内容であった。
彼女たちには特別なバックアップが用意され、仕事をこなしたあとの脱出や、そもそものアリバイ作りなどの恩恵を得られるようになる。そうしたことができるだけの『見えざる戦力』が今のトライカには存在していた。
そうして、フェリとセニアは出会った。
仇であるヤルバッツィと、その彼が抱えている少女ディカに。
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