165_継暦141年_春~継暦141年_夏
経歴141年、夏。
ジグラムと名乗った賊がトライカで、ドップイネスの配下である『飽食』ブルコとの戦いに入る頃。
都市ルルシエットでビウモード伯爵とルルシエット伯爵が邂逅していた。
それぞれの伯爵の側には供回りや近衛、あるいは強く信頼されている少数の者が配置されている。
例えば、ルルシエット伯爵の側であればイセリナが侍る。
ビウモード伯爵の側にはヤルバッツィがいたが──
「ルル、単騎で離れた騎士がいる。彼は」
「ヤルバッツィでしょ?
あれは気にしなくていいよ」
このようなやり取りをする。
ヤルバッツィがどう動こうとも『この状況では』影響するものは少ない。
イセリナは頷き、ヤルバッツィを追うためにその場を離れる。
行動騎士が単騎で動くことは稀ではない。伯爵の周りにいた人間も「気にしなくていい」という主の言葉は文字通り受け取れば「彼よりもこの状況に注視せよ」以上の意味はない。
だが、行動騎士イセリナは動いた。
周りの兵はすぐさま危険がないだけで、後々の脅威になりうる。であれば抑止するために動いたのだろうと考える。
行動騎士の自由度と権限は周囲に理解されているからこそ。それが一人別働隊を追うだけで十分に奇襲の備えになる。あるいは奇襲部隊とかち合っても殲滅できるほどの力があることが周知されていた証左であった。
ヤルバッツィの後を追うイセリナ。
しかし鍛え上げられた軍馬の乗り手たる騎士と、行動騎士となったもののギルドの受付嬢であったイセリナでは騎乗の練度はまるで異なる。つまりは進む速度がまるで違った。
見る見る間に追う姿は小さくなってしまう。やがてそれは追走が不可能なほどに。
(にわか騎士でしかない私とはやはり技術が違いますね……。
ですが、道中の関所や検問などで時間稼ぎはされるはず)
既にトライカは実質的にビウモード領の一部ではない。
トライカと自身を守るための施策が十重二十重と準備されており、特にメリアティの計画を狂わせかねないヤルバッツィに対しては十分に対策が講じられていた。
少なくとも、トライカで発生しているジグラムとのやり取りが完了するまでの数日間は十分にヤルバッツィを足止めできることだろう。
一度離されてしまえばトライカまでの道が複数ある以上は背を追うこともできない。にわかに降ってきた細雨もまた、追跡の邪魔になった。
ここでベサニールとの遭遇がなかったのは幸運であったか、そうではなかったかはわからない。
ただ、別の出会いもあった。
木陰に隠れるようにする人影がある。行動騎士となったイセリナは、炉による力の流れ込みがなくとも基本的な性能そのものが引き上げられている。
それは聴覚をはじめとした察知能力にも恩恵を与えている。だからこそ、その隠れていたものに気がつくことができた。
敵かどうかの判断をするよりも早く、それが何者かであるかを彼女は判断した。
「フェリ、さん……?」
幽鬼のような顔色、戦場から這い出てきた亡者の如き鎧の汚れ方。
その瞳には正気の薄さを感じさせる。
過日、イセリナが見ていたはつらつな彼女と同一人物だと気が付けたのは受付嬢として多くの冒険者を観察し続けた賜物であろう。
「……イセリナ」
どろりとした瞳を向ける。
彼女の側にはどの場においても概ね似つかわしくないであろう給仕の姿があった。
それは背丈も、それ以外も大きかった。
給仕はかすかな動きを見せる。ほんのかすかではあったが、その動き一つでフェリシティを守り切るためのポジションを取る。それだけでイセリナはその人物から歴戦を感じ取った。
「何があったのですか?」
「……」
何かを言おうとして、フェリは何度か言葉を発しようと口を動かすも紡がれるものはなかった。
そして、ついには口をつぐみ、俯いてしまう。
「代わりに私からお話する、それでも構いませんか?」
給仕が申し出る。
それはイセリナだけではなく、フェリに対しても言っているようだった。
二人はそれに頷くも、その後にイセリナは、
「差し支えなければどこかに入りませんか?
このような場所では気分も盛り上がらないでしょうし」
作り笑顔にならぬようにしながら。
声音も、何もかも平和だったルルシエット冒険者ギルドで共に生きていたあの頃のように。
フェリはそれを見て、少し表情を和らがせかけるが、それも再び曇らせた。
だが、
「イセリナが勧める場所なら、そこに行くよ」
フェリはようやく言葉を発することができた。
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暫く進んだところにある宿。
奇しくもそこはヤルバッツィとルカルシが再会した場所であったが、ここでもすれ違う。
「部屋は空いていますか?」
「ああ。何人で、個室は幾つだい。相部屋もあるが」
「えーっと……」
ちらりとイセリナは二人を見る。
フェリは相変わらず人間らしい反応が薄い。
給仕がかわりに「おまかせします」と告げる。
「では、三人同じ部屋で。他の方との相部屋でないと嬉しいです」
無愛想な主人が値段を提示し、イセリナはそれを支払う。旅程の最中において資産金属を使える場所であることが少ないからこそ、それなりの金額を持ち歩いていたのが功を奏した。
「今夜、翌朝の食事はどうする。夜は煮魚の定食。朝は卵にベーコンに、まあ、一般的なものになる。金額は」
良心的な価格だった。無茶な金額を取る必要がないくらいには旅客が多いのだろう。
それに、魚が供されるということは近くには魚が得られる場所があるなど、立地として恵まれていることを理解する。
「どちらもお願いします。それと、乾いたタオルと温かい飲み物を3つお願いできますか?」
イセリナはいくらかの金を宿泊料とは別に渡す。タオルと飲み物代として考えれば高すぎるといえる金額である。
高額にした理由は心付け込みだからこそ。こういうことをしておけばいざというときに相手から気を回してくれたり、事前に逃げたりしやすい場所に部屋を取ってもらえたりなんかの恩恵を得られることもある。
少なくとも、下手に扱われることは少なくなるだろう。勿論、カモにされる可能性はゼロではないが、全ての場所地域が暴力が支配する時代ではないにしろ、そうした側面のある時代であるからこそ少し知恵が回るなら下手なことをしない。
無法が横行するからこそ、『無法の法』ともいえる不文律があちこちに存在している。
「わかった。部屋の鍵とタオルだ。もっと必要なら言ってくれ。飲み物はあとで持っていく」
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一同が髪や服をタオルで拭い、温かいものを飲んで落ち着く。
とはいってもフェリは大雑把に拭うに留まっていたのでセニアが世話を焼いていたりなど、それなりにイセリナは思うところもあった。
(私の知っているフェリさんとはまるで別人ですね。そういえば、ガドバルが出会った頃の彼女はルルシエットで冒険者をしている頃とは正反対だと仰っていましたか)
であれば、ガドバルが言っていたその『正反対』とは今のような彼女を指すのだろうか。
ともかく、それぞれはフェリを知っているが、イセリナとセニアは初対面であったこともあって自己紹介を済ませる。
「イセリナと申します。以前のルルシエットでギルドの受付担当をしていました。今はルルシエット伯爵のもとで行動騎士をしております」
語るべきことの少ない身のイセリナだ。いや、正しくいうのであれば彼女は作られた身であり、少年に生かされ、ルルシエット伯爵に保護され……と波乱はあった。
しかし、それをあっさり話せるような過去でもなかった。
一方のセニアは名を名乗ってから、少し悩むような顔をする。
「セニアさん。どのような過去があっても驚きません。冒険者さんたちのお相手をしていましたから突飛な過去には慣れているつもりですよ」
柔和なほほえみを浮かべるイセリナ。
その表情を作った笑顔は自然なものになる。失陥から向こう、ギルドに在籍していた頃によく作っていた表情や物腰を出すのは久々だったからだ。
「フェリが知っていることを知っていていただいた方がいいと思いますから、包み隠さず伝えさせていただきます。どうか敵愾心だけは持たれないことを願います」
セニアが語ることを決めたのは、フェリが敵対心を彼女に向けなかったからだ。
無視するであれ、知らない人間に対しての反応をするであれしていれば旅の給仕などと言っていたかもしれない。
だが、フェリの濡れた髪をイセリナが拭いていた、もっと言えば嫌がられることもなく拭けていたことから信頼に足る人物であると判断したのだった。
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「私は亡霊です。いえ、亡霊でした、というべきでしょう」
語り始めたそれはイセリナも知っていることに関わるものだった。
ルルシエット失陥のすぐ前に起こったちょっとした騒ぎ。
都市でも有数の腕利き冒険者、ギネセスが起こした『彷徨い邸』の騒動。
駆け出し冒険者のヴィルグラムが受け、それを知ったフェリシティが遅ればせての援護に向かった。
その後、どうなったかをイセリナは知らなかった。知る間もなくビウモードの強襲や、行動騎士への任命などがあり、都市を取り返すための戦いの日々は突風の如くに過ぎていったからだ。
彷徨い邸で起こったことで、セニアが知る全てを語る。
ギネセスの先祖に囚われ、動かされたセニアを救ったのはヴィルグラムであり、どのような奇跡か彼女は解放された。今の彼女がまっとうな生者か別として。
「セニアさんはいつから生きておいでなのですか?」
「死んでいましたから生きていたかは別として──」
元アンデッドジョークとして笑えばいいのかわからないが、セニアは言葉を続ける。
「カルザハリ王国、その終焉期に。私は最後の王に仕えておりました」
「最後の王と言えば、少年王ヴィルグラムですか?」
「はい、奇しくも私を救ってくださった冒険者の少年と同じく」
フェリも瞳をセニアに向ける。
こうして彼女の生い立ちを聞くことなどなかったことを、復讐鬼と化して何も顧みなかった自分を恥じる。その程度の情動は彼女にも残っていた。
「私は王の側にあって彼の命を守ることこそが全てとして生きていました。ですが、最期の夜に私は彼の側にいることはできませんでした」
「どうして?」
迂闊に人の側を離れる人間ではないことを今はフェリが一番知っている。だからこそ彼女が問うた。
「ギネセス氏の先祖と、その人物を飼っていた人間の謀であることはわかりますが、真相まではわかりません。
王の処刑に対して、反対意見も多く、処刑を生業としている全員がその仕事を拒否したからこそギネセス氏の先祖が実行したと、それは当人から教えられました」
彼女にも自分の過去に思うところがあるのか、曖昧に笑ってから「私の来歴はまた、後日にしましょう」と区切る。
それよりも、あの邸の後に何が起こったかのほうが今は説明するべきだろうと。
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経歴141年、春。
ビウモードによるルルシエット強襲。
その現場まで急いだヴィルグラム、フェリ、セニアの三人はビウモード軍によって分断された。
フェリとセニアは共に行動することはできたものの、ヴィルグラムはそのまま都市内部へと進んでしまったようで、彼を追いかけるまでに幾つかの戦闘もあった。
雑兵や、至当騎士団たち相手に道を阻まれながらも都市内部に遅まきながら入る。
イセリナとヤルバ、そしてヴィルグラムのやり取りがある場所とは別のところ。
「主城を目指せッ! ルルシエット伯爵の身柄を抑えることが完勝の条件だッ!!」
黒髪の男性が檄を飛ばしている。
片手にはよく研がれた、質の良さそうな剣が握られている。
身なりからしてわかる。あの男はこの攻めにおいて重要なポジションを担っている。
肩鎧にはビウモードに所属していることを示すマークが刻まれていた。
「行きがけの駄賃にあの首をいただいておきましょう」
「そうだね」
セニアが踏み込むと同時にどこから取り出したのか、ナイフやフォークといったカトラリーが握られており、それが勢いをつけて放たれる。
《投擲》の技巧である。グラムが有している技巧とまるで同じではあるものの、使い手によって差異はある。
彼女が扱って見せたそれは速度や破壊力こそグラムのそれが上回るが、では下位互換あるのかと言われれば、否。
投げられたカトラリーの機動はまるで自我を持つような、半円を描くようにしてそれぞれが時間差で襲いかかる恐るべき魔技。
「むッ!!」
幾つかは払い落とす。だが、その全てを防ぎ切れるはずもない。
給仕。
それはカルザハリ王国においてはただの世話係を示す言葉ではない。
常に主君の傍にあって、日々の世話以外にも命を守り、時には勇将の如くして戦場に立つことすらある。
セニアはメイドの中でももっとも優秀だとされる存在であり、少年王が幼い頃から側にあった女傑である。
あまりにも長い時間の果てに得た新たな肉体はまだ完全に彼女に馴染んではいない。
それでも指揮者らしい騎士が防げない程度の投擲を行うことは難しくはなかった。
だが、それで終わりなどではない。
「シィィッ」
メイドが息を吐いたと思うと、騎士の眼前から消えた。
いいや。消えたわけではない。
それは超低空超低姿勢からのタックルだった。
彼女の恵まれた体格が一瞬視界から消えるほどのそれは速度を持ってして騎士を掴む。
騎士に反撃や構えのような暇など与えられない。
《投擲》はメイドの嗜みに過ぎない。彼女の本分は──
「はああぁッ!!」
足からすくい上げられ、そのまま上半身を地面に叩きつける。
肉弾爆撃。
全盛期の彼女であれば、生半可な相手であればインパクトした肉体が液状化するほどの一撃である。未だ全盛期に遠いとはいえ、威力は十二分。
「ごっ……はあっ……!?」
相手もやるもので、上手く受け身は取った。あるいは、彼女が苦い表情を浮かべるあたりは全盛期とは程遠い一撃だったか。
だとしても、騎士の鎧は砕けて、持っていた剣は握られていた手から離れ、口からは血が噴射するほどの一撃ではあった。
パワーボムが必殺技にならなかっただけ。つまりは『即死しなかっただけ』だ。
「ベサニール様!!」
部下らしきものたちが遅れて反応する。
投擲からパワーボムまでの間はほんの一瞬に過ぎない。並の人間が知覚できることなど、気がついたときにはベサニールと呼ばれた騎士が地面に叩きつけて血反吐したという結果だけだ。
騎士たちが上司を救わんと動こうとすると同時に、
「ベサニールッ!」
男性の声が響くと同時に何も無い地面から巨大な、半透明の剣が現れる。
セニアもそれに気が付き、ベサニールを捨てながらバックステップで距離を取る。だが、剣はぐん、と大きさと長さを増した。刃が彼女を討つよりも早く大盾を持ったフェリがカバーに入る。
「大丈夫?」
「はい、感謝いたします。今のは無形剣、ですね」
「ええ」
そう返事をしながらフェリは、
(かなり重い一撃だ。無形剣の使い手として見て、かなりの熟練……)
フェリ──フェリシティは『聖堂の猟犬』と呼ばれていた過去がある。
その猟犬の群れの中ですら、彼女は無形剣に対しての才能と実力を有していた。群を抜いてと表現できるほどに。
相性によって獲得のふるいがかけられ、そうして残った才能があるものですら習得できるものはせいぜいが3%程度。
更にそこから実戦でも通用するだけの力に磨けるかという条件まで付く。
だが、彼女はそれらの条件を全てクリアするだけでなく、無形剣を獲得するエリートであっても振るえるのは一種。どれほどの才能があろうとも二種が限界と言われているのを、彼女は五種の無形剣を修めている。無形剣という技術における単体個人の特異点である。
だからこそ、彼女は他者が扱う無形剣についての差異や特徴を理解することができた。
(長年を研鑽に扱った。おそらく戦場で磨かれている。画一的な速度で放たれているものじゃない。一瞬の溜めのような癖があった。溜めの長さで翻弄した経験があるのかも)
「ベサニールを下げろ! ここは私が受け持とう!」
白髪の騎士が倒れている騎士の前に立つ。
ベサニールの側にいた騎士たちが背にされた倒れている彼を連れて下がっていった。
「ドワイト様、強敵です!」
「わかっている。倅を頼む」
「承知しましたッ!!」
初老の男が剣を二人の女に向ける。
「この都市の冒険者か」
「私はそう。彼女は違う。けど、私達はふたりとも大切な仲間を追ってる」
「道中にいた敵対勢力を蹴散らしていた。私の倅は」
「殺すつもりでしたが、予想より頑丈な方でした」
ドワイトは怒りではなく、笑みを浮かべた。
「褒め言葉だな。感謝する」
走って息子へと駆け寄るときに見た一撃。
見た技と、放たれた破壊力でこのメイドが尋常ならざる力量であることはわかっていた。
よって、それほどのものに言わしめたことこそが武人としての誉れであると言えた。
「だが、それはそれとして、あれほどの大怪我の分は返してもらわねばならん。一人の親としてな」
「そうでしょう」
騎士と給仕がじり、じりと構えを取る。
不意打ち気味の無形剣ではない。この状況は抜き打ち勝負。一撃で殺せなければ、待っているのは相手の攻撃による絶死。その間合いだった。
「通してくれるなら戦わなくても済むんだけど、駄目?」
横合いからフェリが言う。
「難しかろうな」
「難しいでしょうね」
立場の違う二者が同時に言う。
状況と条件は違う。
ドワイトからしてみれば、この場でこれほどの実力者を逃がせば強襲による最低限の勝利条件である『都市の奪取』すらできない可能性が出てくる。
一方でセニアは、白兵ではない距離で打ち合いができる無形剣の使い手を背にして走ることはリスクを抱えるどころのことではない。遠巻きな自殺だと考えている。
だからこそ、難しい、そう答えたのだった。
「そっか。でも、私たちも急いでいるんだ。自分の命を簡単に賭けてしまうようなあの子を、私は守りたいから」
近くに転がっていたベサニールの剣の柄に触れる。
……あの日に、首輪付き最後の日に剣を捨てたはずだった。
彼のように誰かを守ることに専心したいからこそ、盾の扱いをこそ自らの道と定めた。
だが、盾では切り開けない道があるのなら。
「どいて、白髪。進む道のためなら、誰だって斬って捨てるから」
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