162_継暦141年_秋/01
よっす。
膝枕で死んだオレだぜ。
語弊があるかもしれないが、まあ、細かいことさ。
いい一党を組めた。いい夢を見れた。……さみしくはあるが、悲しんで過去に戻れるわけでもないし、戻ったところで同じことをするだろうしな。
レティ、ディカ、ヤルバの前途を新たな始まりに立ったここから祈っておこう。
その新たな始まりはどんな状態か周りをみたり、思い出してみようか。
まずは場所。
都市内だ。賊の経験的には都市内で目を覚ますことってのはレアな経験なはずなんだが……。
なるほど、見渡せば理解した。随分生活態度がよろしくない方々がほっつき歩いている。
都市でありながら賊の住処だとされてるのかもしれない。都市からしたら不名誉もいいところだろうな。
「見っつけたぜえ~!!」
どうにも見覚えがある景色だ。しかし記憶にはない。ってことはこの周回ではないどこかで強い思い出がある場所なのか。
と、思っていたところで声。
「反乱分子って噂、聞いちゃったんですけどお~?」
「こんなメスガキが反乱分子のおえらいさんとかマジかよ」
「噂だけどなあ。でも俺らは噂を頭からケツまで信じちまう悪い子だから攫っちまうぜえ」
ガタイのいいチンピラか賊かといった手合が何かを囲んでいる。仲良し三人組だ。
彼らの言葉からすれば女の子が適当な言い訳を武器に攫われそうになっている。
一方でオレ自身の記憶からすると賊ではあるが親も仲間も殺されて天涯孤独の存在のようだった。
「ウチはどうなっても構いません、でもこの子は本当に関係ないんです!」
少女が必死に頼み込んでいる。
けど、そういうのってのは賊に取っちゃ火に油というかなんというか。
「どうする?」
「だめだなあ。俺はウェイトレス姿の女が大好きだからよお。反乱メスガキカグナット様よりもそっちが本命なんだよなあ」
「激しく同意するぜえ」
今のオレにツレがいない。頼りになるあいつらが。ヤルバやディカ、レティも。
だが、だからこそでもある。
この命の使い潰し方は自由だ。
であれば、好きにしちまおう。
「おい、兄ちゃんたち」
後ろからそう声をかけながら転がっている酒の空き瓶を掴む。
「なんだ!? 俺たちが今、ウェイトレスの服装について激論を交わそうとしてんだがよお!」
振り返りながら怒声を上げた一人の顔面に空き瓶を叩きつける。
「オレはメイドさんもウェイトレスさんもロングスカート派だが、お前は?
……ま、もう答えられねえか」
投擲の技巧による一撃で頭蓋もそれを支えていた骨も見事に折れる。お相手の鍛え方がパンピーレベルかそれ以下のお陰で助かった。
「こいつダチっ子を殺しやがった! ゆるせねえ!」
「反乱分子とウェイトレスより先にお前の顔面割って楽しんでやるよ!」
残り二人が短剣を抜きながらこちらへと踏み込もうとする。
流石に投擲をする距離ではなくなった。
周りに武器になりそうなものはなにかないかと見渡す。あるものといえば立てかけてあった箒くらいだ。ほぼ無力。だがそれでもないよりはマシだ。殺せずとも彼女たちを逃がす時間と、オレ自身が逃げることができる隙を得られればいい。
箒でマトモに戦えるわけがない、そんなことはわかっている。それでも抵抗の意思は捨てない。その想いがきっかけになったのか繰り返しこの肉体が備えていた力が思い出されていく。
都市の中で目を覚ますよりもレアな経験だと言えるだろう。
──この肉体は魔術の素養がある。
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箒にインクを流す。
詠唱だ。なんでもいい。詠唱を思い出せ!
「《火花を鏃に、……煙を矢羽に、……我が手を弓に》!」
炎が矢のごとくに形成されてチンピラの一人をそれなり勢いで弾き飛ばす。殺し切る威力はないが、それでも魔術という効果そのものに表情は驚きで固定されていた。
小節の内容そのものは短いものの、三小節もある詠唱。
オレの大したことのない知識からしてみてもこの魔術は弱い。だが、チンピラ同士の戦いなら十分だし、そもそも魔術の才能があるといっても所詮は賊。カス魔術でも使えるだけすごい。
なによりインクが形となって効果を発揮するって感覚が何とも楽しい。
「こ、こいつ魔術を……」
「あの代紋、過火波の生き残りじゃねえか!」
「村を焼いて喜ぶ変態どもか、魔術が使えるのも納得でき──」
記憶を深く読めばそういうこともわかったかもしれないが、その暇はなかった。
とりあえずその過火波ってのは名前からすると火の魔術を使う集団だったのだろう。
魔術の行使は楽しいが殺し切るには火力が足りない。
どうしたものかと思っていたところで遠くから
「何事だッ」
と、大声と共に走ってくる気配が複数。
治安は乱れていても警備はいるのか、それともチンピラどもが言うところの『反乱分子』ってのが街の治安を守っているのかまではわからない。
「くそッ!」
「オラッ、死体を食らいやがれ。逃げるぞ! 覚えとけ、過火波!」
チンピラどもは走って逃げていった。
オレもどうやら過火波という厄介者集団の生き残りであるようだし、捕まればタダでは済まないだろう。
「次からは安全に気を払ってくれよ、お嬢さんがた!」
そう言って現場から走って逃げることを選んだ。
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しっかし、治安の悪いこと山の如しだったな。
あの場から逃げた先でも同じようなことがあって、せっかくなので魔術で戦ったりして楽しませてもらいもした。
絡まれていた人物──初老の男性はお礼を述べてくれたが『本当に自分の力を楽しみたかっただけなので気にしないでくれ』と本心を告げる。
ただ、勢いで助けたものの余計なお世話だったかもしれない。
その人物の腰には護身用の剣が提げられていたところから自分の身くらい自分で守れたやも。余計なお世話だと怒られなかったからよしとしよう。
むしろそれどころか彼は言葉だけでは足りないと告げられ、結局、一宿一飯に預かることになった。
かつては冒険者たちがよく泊まっていた宿だったそうだが、今では随分と寂しいことになっている。
「宿はもう廃業してしまったのですが、部屋を物置代わりなんかで貸し出して生計を立てさせていただいています。
まだ空き部屋はありますのでそちらをお使いください」
彼が「お茶をいれますがいかがでしょうか」という提案にオレは乗ることにした。
ここで得られる情報はこの命において、あるいはこの周回において必要になることがあるかもしれない。
「ひどい状況だよな」
「ええ……。かつては商業の要衝とも言われ栄えていた都市ルルシエットとは思えない状態ですよ。
ルルシエット様の治世はよかったと皆言っています」
知識としては理解している。ルルシエットをビウモードって伯爵が急襲して都市を落としたんだよな。
ルルシエットとビウモードの両伯爵は友人関係だったのに何故そんなことを、だとかそういう疑問は湧いてくるがなにぶん周回外の知識は実感がない。
ただ、それでひとごとのようにリアクションするってのは人の心がないよな。
「ビウモード伯爵ってのはそんなによろしくないのか?」
「先日まではそんなことはなかったんですが……彼がこの都市から離れると加速度的に治安は悪くなりましたよ。あとを引き継いだ方がどうにも」
後任が悪かったのか。
でも都市を預ける相手なんだからちゃんとしたのを選びそうなもんだが、お貴族様の考えることはわかんねーな。
「実はおっちゃんを助ける前にも喧嘩の仲裁をしたんだけどさ」
喧嘩の仲裁なんて話ではないが、道すがら人をぶっころしてやりましたよ、なんて言えないもんな。
「治安を乱しているつっても、喧嘩してる奴の風体からも言動からも騎士とか兵士なんてのには見えなかったぜ。ただの賊って感じだったが」
「治安の低下はまさしく彼らが原因なのですよ。我々のような市井の人間には知り得ないことですが、代官様がどこかから連れてきた兵力だそうです」
「あんなチンピラが?」
「はい……。都市の大部分は影響は少なくても、あまり日の当たらない場所での治安は……」
その声音は強い悲しみに染まっていた。
自分たちが愛した街が、何者かの思惑でゴミ箱のように扱われているのに何もできない。その悲哀が言葉にしなくとも伝わってきた。
まったく、やるせない。
結局他人事みたいなことを思っちまったな。実際、他人事ではあるんだけどそれで片付けるほど情が死んでるわけでもないんだ。一応な。
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助けたおっちゃんのご厚意で食事を頂戴し、風呂までいただき、更にベッドのある部屋までお借りできた。
ここは往時は混み合ったであろう三階建ての宿だが、現在で使われているのは一階だけ。オレが借り受けている部屋は一階でも奥の部屋だった。裏口にも近いので緊急時に逃げやすいのもグッドだ。
その辺りは主人がなにかあったときのためにと気を利かせてくれたのだろう。なにせ主人を助ける上でもチンピラをはっ倒しているしな。復讐しにきたって不思議じゃない。
人助けはするもんだなと眠気に誘われるままにまぶたを閉じる。
眠りを破ったのは気配か、感覚か、それとも偶然だったのかもしれない。
強盗だとか襲撃だとかそういうのではない。むしろ静寂を纏わせようとしたものだから気がついたのだろうか。
元は宿屋だったからこそ、人の出入りがあるのかもしれないがドが付くくらいの深夜ともなれば珍しいのではなかろうか。
その気配が何かを知りたくなり、オレはこっそりと部屋を抜け出した。
もしかして昼に戦ったチンピラがお礼参りに来たのかなんかも考えないわけではないが、どちらかというとただの興味。
興味ってのは猫も賊も殺すかもしれないが、そうなったらそのときに考えよう。
扉を開き、こっそりと広間を観察する。
「迷惑をおかけして申し訳ないです、セスターさん」
「何を仰られますか」
主人が対応している人物は見覚えがあった。
昼間に助けた娘だ。ウェイトレスではない方の。怪我なんかはないからチンピラのお礼参りはなかったようだ。
「カグナット様、既に同志は集まりつつあります。それだけではありません。今日は有望な方にも出会えましてな」
「奇遇ですね。ウチも実は同志ではない方に助けられました。彼のような方にも協力していただけたならとは思いますが……」
「外部の方を巻き込むのは気が進まない、というお顔ですな。おっと。私したことが。すぐにお茶の準備を」
「冒険者ギルドの幹部だった方にそんなことまでさせられません。ウチにさせてください」
「それこそ、敬愛する先輩の、その娘さんにさせるわけにもいきませんよ」
和やかな会話にも聞こえるが、主人も昼間の娘も偉い人だったのか。
話の流れ的にどうにもオレは買われているようだが、評価をいただくような人間じゃあないんだけどな。誰だって復活なんて生態を持ってりゃむやみに動くようになるんじゃないかと思うんだけどな。
ここで知らないふりをして二度寝を決めるか?
『やあやあ。助け出したオレだぜ』と出ていくか、どうしたもんかと悩んでいると新たな気配を感じる。
一応、扉は少し開いた状態で身を隠す。裏口がオレの行動と同じくらいに慎重に開かれる。
入り込んできたのは昼間のチンピラだ。ただ、連中二人だけではない。あいつらとは格が一つ二つは違う騎士風の男も一緒だった。
「誰だッ!」
オレが何か行動を起こすより先に主人が侵入者に怒声を浴びせる。
「至当騎士団団長でありルルシエット代官の名代として参上した。ここに反乱分子がいるという情報を献身的な市民である彼らから受けたのでな」
「至当騎士団……か。
ヤルバッツィ殿の名代であればわざわざ裏口から盗人同然に入ってくることもなかったろうな。
やはり新団長どののお人柄が知れるというものよ」
……ヤルバッツィ?
珍しくない名前とは聞いているが、その名前を聞くとどうしても仲間たちのことを思い出しちまう。
もしもここで語られた人物こそが兄だってならディカが探していたぞって教えてやりたいところだが──
「新しい団長殿は都市を満足に治められないどころか、配下は他人の家にこそこそと入り込む盗人を囲わねば騎士団の人員を賄えないほどの人望をお持ちだというわけだ」
「ベサニール様を馬鹿にしたのか?」
「称賛に聞こえたというのならば、腕のいい医者を紹介しよう」
残念ながら主人の口ぶりからそうではないかと思ったが今の騎士団の長は違う人物のようだった。
一方でおっちゃんの方も護身用に持っていたであろう刃物を腰から引き抜いていた。
「待ってください。出頭しますので、セスターさんには手荒な真似はなさらないでください」
「お待ちを。彼らの目的はあなたです。ここでの戦いは避けようがない」
「その老骨の言うとおり。私はお前の首を取りに来たのだ」
穏便に済ませられないだろうから挑発して隙を探っていた、ってところか。やり口が老獪だね。
ただ、お相手もわかっているから冷静に対処したってところか。
あーあ。折角主人から頂戴したベッドでの安眠という報酬に二度寝は含まれていないと考えるほかないな。
部屋の中を見渡す。
投げて効果的なものは見当たらない。
あるものといえば水差しやらコップやら。主人には申し訳ないが水差しを音を殺しながら割って破片にする。投擲するには程よい鋭利さと大きさだ。
部屋の外からは、
「お下がりください」
「もろとも斬り伏せてくれる」
といった会話が聞こえてきた。
こうなれば彼女と主人がドンパチをするよりも早くことを起こす必要がある。
「オッホエ!」
掛け声と共に水差しがチンピラ二人の首筋に吸い込まれ、そのまま倒れる。
更にオレはもう一投をすかさず打ち込むも、流石に騎士は異常事態に気がついて欠片を弾く。
本当なら騎士っぽいのを狙いたかったんだが、お連れのチンピラ二人が壁になっていた以上はこうするしかなかった。
さて、騎士相手にはどうするか……ってのは後で考えりゃいい。
「よう、昼間ぶりだな」
「貴方は」
「おっちゃん、逃げ道の一つや二つあるんだろ?」
オレは娘さん──カグナットとか呼ばれていたか──に挨拶をしてから主人に視線を移す。
逃げ道について、彼は頷いた。
「怒ってるところ申し訳ないんだけどさ、オレはベサニールってのも都市のことも知らないんだが、実際どうなんだ?」
「至当騎士団の団員であるこの私に聞いているのか」
「お二人の話は立ち聞きしたからな。今の団長ってのはアンタみたいなサンピンを動かして喜ぶゲスなんだろ?」
「ゲスではない! あの方は混沌から秩序を、秩序から混沌を突き出す素晴らしきお方だ!」
「何が言いたいかわかんねえな。もう少しバカな賊にもわかりやすく教えてくれよ」
オレは会話をしながらそれとなく顔を動かす。さっさと逃げてくれ、と。
ただ、流石に騎士もこちらに全ツッパするほどアホではないらしい。
主人とカグナットにも、オレにも踏み込める距離を保っている。
「彼は秩序の寵児がゆえに、秩序を破壊する!」
「おお……?」
「感嘆する感性がお前のような男にもあるか」
感嘆じゃなくて困惑なんだけどな。
わかりやすく言ってくれっつってんのにぜーんぜん通じねえんだもん。
騎士はオレを見て、ふと何かに気が付いたようにトーンを変えて言葉を発する。
「その代紋……そうか、過火波のものか。生きたまま人間に火を付ける素晴らしい趣味がある集まりだと聞いているが、そのセンスは判断にも影響するか。よいことだ」
「火をつけるのは何も家屋や田畑だけじゃないぜ」
「ほう?」
「知っているか。人間の燃え方は毛並みがよろしければよろしいほどに綺麗に燃えるんだぜ。騎士の焚き火がどうか、ここで試してやる」
「やってみろ、火狂いッ!」
騎士が踏み込む。
オレは隠し持っていた残り一つの破片を投げる。それは騎士の片目を奪う。脳に損傷も与えたかも知れない。だがそんなことはお構いなしと突っ込んでくる。
残る手段は殴り合いか、もう一つは──
「《火花を鏃に、》」
「過火波ィ! 魔術などこの距離で役に立つかあ!」
室内だからか、多くの騎士が腰に吊っている長剣ではなく、懐から出した短剣を構えて突っ込んでくる。いい判断するね。タダのアホ騎士じゃないってこった。
だが、直線の動きならまだ対処できる。回避をしつつ、
「《煙を矢羽に、》」
詠唱を続けようとしたときだった。
「所詮は賊。マシエイターなどと名乗っても騎士の武術に敵うわけもない」
片手で長剣を抜き払うと同時にオレの喉は断ち割られていた。
様子のおかしい奴だが腕前はオレの予想の更に上ってことかよ。痺れるねえ。
「《ご、ぼ……ぶ……》」
血が切られた場所と口から溢れ、詠唱を正しく発せられる状態ではない。
しかし、腹の内側か、心臓のあたりか、どこかが熱く燃えている感覚があった。
切られたり、突かれたり、割られたり、砕かれたり、燃やされたり、流されたり、焦がされたり、粉にされたり、乾かされたり、ふやかされたり、とにかくありとあらゆる感覚を死を通して体感してきた自信はある。
その全てを覚えているわけではないにしろ、この感覚は受けたことのないものだった。
「《ご、ほ……》」
手は自由に動く。騎士の腰に手を回し、がっしりとホールドする。
「悪あがきだな!」
短剣が背に刺さる。だが、痛みはない。死ぬ直前ってのはそういうもんだ。
だが、やれることってのはまだある。そして、折角の魔術士としての才能。やってみたいってこともある。
インクを操る感覚に全てを費やす。残り少ない意識を保てる時間の全てを懸けて。
詠唱はインクに形を与えるためのものであることは知っている。
だが、形を必要としないのであればどうだろうか。
必要なのは魔術の破壊力、その根源にあるインク。そしてインクが内包する破壊力そのもの。
肉体の記憶がフラッシュバックする。
追憶から浮かび上がるのは一人の男の、強力な魔術とその結果。
火波のマシアスと呼ばれた賊が暴れまわる姿が目に焼き付いて離れなかった記憶。マシアスって奴がどこで何をしているのかも知らない。ただ、この肉体のようにひたすらにその炎の美しさを再現するために必死になった賊たちがいた。
彼らは微かな才能を頼みにして努力の果てに不格好でひ弱な魔術であっても火を呼び出せるようになった。それは火波のマシアスを信奉することで得たものである。
この肉体が持っているのは魔術士としての才能ではない。
火波を再現しようとする妄執こそが才能であった。それ以外の記憶も思いも存在しない空っぽな存在。その空虚をオレは今、インクの爆発と炎で埋めようとしている。
偏執的な思いなら、オレにもある。
「いい加減、離れ──」
吹けば跳ぶような安い命に価値を付与したい。何倍になる必要はない。オレが満足できる程度の納得があればいい。
そのためであれば死んだって構わない。他人からしてみれば、それは偏執的な思いそのものだろうか。
意識が消えようとする瞬間に、インクに火が付いた。オレの偏執が火を付けたのだとしたら、少し嬉しくもある。
詠唱もなく、形も与えられない、しかし破壊あれと命じられたインクはそれに従ってオレの肉体を内側から爆発させるのだろう。規模はそう大きくはないはずだ。きっと主人やカグナットに類は及ばない。
最後の感覚は楽しい、だった。炎を操るではなく、爆発とともに炎そのものに昇華した肉体が願望を成就したことを喜んでいるかのように。
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「いい加減、離れ──」
騎士がそう言いかけた瞬間、小さな爆発が起きる。彼の肉体が爆発した。肉が散らばるではなく、肉だったものは全て炎となり、しかしインク由来のそれは何かを類焼させたりはしなかった。
目的としたのは騎士を燃やすことのみ。
爆発が騎士を飲みこんだ時点でそれは達成されていた。
騎士は爆発に耐えきれず上半身を喪失。
ややあって、残った下半身も倒れる。
「カグナット様、ここから離れましょう。拠点はまだ幾つもあります」
「……でも、彼が」
「弔うのは生き延びてから。そうでなければ彼も浮かばれません」
こくりと頷き、カグナットも立ち上がる。
その人物が何者か、二人は知らなかった。
名前も、どうして命を捨ててまで自分たちを助けたのかも。
ただ、カグナットはその献身に既視感を覚えていた。
いつか自分を助けてくれた少年冒険者と同じ、強い意思力を感じる瞳をしていたことに思い至るのはそう遠くない日であった。
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