161_継暦141年_秋
ヤルバッツィは逃げていた。
弟──いや、妹かもしれない少女を連れて。
デイレフェッチが包装と呼んだ、小綺麗な服装は少女趣味と神聖性を備えたようなものであり、貴族令嬢が好んで纏いそうなもの。
正直、そのような格好は目立つことこの上ないが未だぐったりとして気を失っている彼女を離すことも、無理に着替えさせることもできない。
その上、後ろからは追手が一定の距離で追いかけてくる。
(体力には自信があるんだけど、いよいよこれ以上はわからないぞ……どうする。どうすればいい、ヤルバッツィ。考えろ……)
ルカルシの忌道によって体の年齢は巻き戻ったが、記憶がなくとも、経験によって得た技術や感覚は染み付いている。
少女一人を抱えても息も切らさず、一定速度で歩き続けることができているのもそうした染み付いた過去からの恩恵である。
それでも付いてくる連中はこれ以上は引き剥がすこともできない。
(戦うしかないのか)
石材用の槌はある。多少の賊相手であれば粉砕できるだろう。
しかし、追ってきているのが半端者どもでなければどうだ。
訓練された兵士だったなら、騎士だったなら、
そうした連中相手に自分は守り、戦い、勝つことができるのか?
ディカを巻き添えにする覚悟はどうなのだ。失敗したなら、自分のみならず彼女も犠牲になる。
その恐怖はヤルバの戦意を挫こうと牙を剥いている。
せめて誰かが通れば、そしてその人が善良そうであればディカを託せる。自分が足止めをする。そんな選択肢が取れるのにと歯噛みする。
それが祈りとして届いたのか、前方から人影が見えた。
時刻は早朝手前。宵闇に乗じられなかったのは幸運であっても、空というのは夜明け前が一番暗い。
人影を確認できたのは本当に近くまでそれらが近づいてきていたからだった。
「青褪めた顔をしていますね」
ヤルバが声を掛ける前に、相手が言葉を投げかけた。
それは給仕服を纏った女性であった。
背は高く、恵まれているのはそれのみに非ず。全てが大きかった。大きくないものは態度と声量くらいのものである。現状では、だが。
「あ、……その」
「セニア。その子達をお願いします」
セニアと呼ばれた給仕服姿の女性の後ろからもう一人。
それは彼女の気配とは異なるものだった。纏っているのは幽鬼じみたもの。
身綺麗にはしている。軽甲冑を纏った姿から遊歴の騎士であろうかとも予想はできる。
年齢は自分より幾つかは上だろう。
「依頼の達成は求められましたが、その上で人助けをするなとメリアティさんは言っていなかった、そうですよね」
衣服や鎧の身綺麗さとは裏腹に、持っている盾だけは違った。細かいところに小さなキズがあり、分厚いものの凹みもある。相当にハードな使い方をしているが、その凹みはどうにも攻撃を防いでできるようなものにも思えなかった。
ヤルバは彼女を見て、思い出せない記憶の中でこうした人物が盾で戦う姿を想起する。そうした戦い方をするものが世間には存在するのだと伝えているのか。
あるいは、彼女と自分に所以があるのかはわからないが、女性二人がヤルバに反応していない以上はそうではないのか。答えはでなかった。
臆することなく追手たちへと歩く遊歴の女騎士。
追手たちは向かってくる女に足を止めた。
「通り抜けるのか、それとも我らの──」
何かを言いかけた瞬間。
遊歴の女騎士は対話を拒否した。
盾が唸る。男の顔面が顎から上が消える。
半ば液状化したものが彼だったものの後方へと降り注いだ。
「待て! 我らはデイレフェッチ子爵の部下だ!
いずれはビウモード伯爵領と五分に近い同盟をするだろう我らを敵に回すことになるぞ!」
その声は追手たちの中でもそれなりの装備を纏った人物である。
周りは賊同然であっても彼だけは一応、騎士としての体裁を保っている。
追手をまとめ上げる人物であり、万が一ヤルバが他領に逃げ込んだときの折衝役としての仕事をするための人員であり、また所詮賊上がりの手下を纏め上げる責任者でもあった。
「利口な選択肢ではなかろう。いや、その実力があるならば雇いあげてもらうよう子爵閣下に願い出ることもできるぞ」
「ビウモード……」
その言葉に盾を引く。ねばりとした体液が糸を引く。恐ろしげな風景だった。
「ルルシエットの次に何を奪うつもりだ?」
「ビウモードがか? さて、そこまでは私にもわからん。だが、我らデイレフェッチと手を組めば少なくとも近隣の衛星都市は同様にしてやれるだろう。つまり、稼ぎどきになるというわけだ。
お前の姿からして遊歴の騎士とお付きといったところか?
「……都市。同様に、……」
「仕官の機会が得られるかもしれないぞ。我らと共に来る気はないか?」
戦火に巻き込まれたルルシエットの光景は、ヴィルグラムの死体と共に彼女に大いなるトラウマを植え付けていた。
彼女が幽鬼のようになったのも、そこが始まりであった。
そんな彼女にある触れてはならないものにべったりと、がっしりと触れてしまえばどうなるか。
「ヴィー君……は、戻ってこない……違う。戻る。戻さないと……」
「なに?」
口の中で噛み殺されたような小さな声を聞き取ろうとデイレフェッチの騎士。
だが、次の瞬間。
盾が大振りに振られ、近くにいた賊が斜めに寸断される。まるで大剣で切られたかのように。
「はあー……ッ……はぁーッ」
正気が失われていく。
みるみるうちに、その瞳にかすかに残っていた正気が莫大な狂気で塗り替えられ、満たされていく。
「殺せ!」
騎士の判断が早い、とまでは言えないものの決断しないよりはよほどマシである。
その声に追手たちが武器を構え、襲いかかる。
結果など知れている。
盾で切り裂かれ、砕かれ、素手でもがれ、ひしゃげられ、凄惨な死が振りまかれる。
「なんだ?」
血しぶきが最も暗い時間に雨のように降る。
「なんなのだ、お前は……?」
「あの日失った全てだ、私は」
その答えに、やはり正気はない。
盾が振るわれると騎士は他の死体と何ら変わらない肉へと変えられた。
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眼の前で暴れる遊歴の騎士の強さはただごとではなかった。
その姿はヤルバの思考をかき乱す。
喪失した記憶が、身に覚えのない罪の意識を染み出させていた。
「自分は……」
「見る必要のないものですよ、貴方のような少年が」
「……見なければ、ならない気がしているんです。どうしてか、自分も……」
殺されなければならない。
そう言いかけたときに、抱えていたディカが身じろぎをする。
「もう、動け、ます」
よたよたとディカが立ち上がるのと、全てを片付けたフェリが戻ってくるのは殆ど同時だった。
「フェリ。これを」
「……ありがとう」
血を拭えば、狂気は去り、正気がかすかに注がれた。儀式めいた行いだが、セニアにとってヴィルグラム少年なき今、彼女にとっての現世のよすがは彼女に依存していた。
そして、フェリもまた、狂気から正気へ戻るための全てを彼女に担保している。
いびつではあっても、それが彼女たちを正気と現世に繋ぎ止めていた。
その光景は恐ろしくも美しく、儚い。
ヤルバとディカは暫しその光景に目を奪われる。ヤルバにとっては希死念慮にも似た内罰的な感情を溜め込む要素でもあったが。
「あ、あの……ありがとうございました! ヤルバさんもご迷惑をおかけして──」
ディカが出した『ヤルバ』という名前にフェリとセニアは少し反応しかけるも、既に狂気の波は引いていた。
そして正気が導き出した言葉は、
「このような場所に居続けるのも危険でしょう。少し距離はありますが私たちが来た方に宿がありました。そちらまで歩けますか?」
四人はそれぞれに思うところはあるも、フェリとセニアは行きがかり上の少年少女を捨てるようなことはできず、
ヤルバとディカもまた、二人の好意に甘えることがグラムが遺した約束を果たすために最適な状況に、
「安心はできないかもしれませんが、二人がよければ私たちがそこまでお送りしますよ」
そういうことになった。
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◆歩廊(144~161)あったことまとめ
▼144
▶グラムの立場
交易路狙いの賊(露天)
▶解説
マグマを吹き出させる杖が登場した。
残量切れになっていたのをグラムは何故か再充填することができた。
▶死因
杖使用後の反動による破裂。
▶附録:カルカンダリ僻領
ビウモード領の周辺にある土地。
『都市としてはイマイチ』らしい。
主要な産業は傭兵。
▶附録:忘れ蔵
賊からすら買い取りを行う故買屋。
個人ではなくそういう業種(商人)全体を指す。
▶附録:黄金の作物団
ネームドの賊集団。名前を持っているだけで賊としては頭ひとつ分は他の連中より強い証拠。
▶附録:炎塊を吐き出す杖
『果ての空』で作られたとされる杖。
条件に合わないものが使うと使用者は破裂して惨たらしく死ぬ。
▶附録:再充填
グラムは何かの条件を満たすと対象物を再使用できる可能性がある。
▼145
▶グラムの立場
住処を追われた賊
▶解説
ダルハプス湖沼の近くでキャンプをしていたところ、
人語を話す(音として発している?)鬼獣に襲撃された。
▶死因
鬼獣の食事になった。
▶附録:鬼獣
『おそろしいもの』と呼ばれるに値する獣。
今回は鳥型だが、鬼獣が全て鳥の姿をしているわけではない。
個体によっては魔術を行使できるものもいると噂される。
▼146~147
▶グラムの立場
『番頭』が支配する群れの賊
▶解説
後ろ暗い物流拠点の警護をしている。
ディカと出会う。ディカ自身は世間知らずなため受けている仕事がヤバいものだと理解できていなかった。
アンデッドに襲われ迎撃するも耐えきれず、ディカを逃がしたもののアンデッドを操っていた少女に敗北。
▶死因
首を刎ねられた。
▶附録:『東に行け』の遺言
周辺を見渡した際に理解した地理から東に行けば都市があると思ったグラムによる遺言。
▶附録:骨屍鬼
スケルトン。人間の形をしている。
生前の経験がインクを通じて骨に染み付いた結果であるが、使役されるスケルトンには自我がないため、ここでの経験はもっぱら戦士であったかそうではないか程度のもの。
このときに登場したスケルトンは粗製乱造されたものなので特別感はないが、時間をかければ生前持っていた技巧を駆使するようなものを作り出すことも(屍術士の腕前によっては)可能。
▼148~149
▶グラムの立場
関所もどきで金を巻き上げる賊の一人
▶解説
『ジンネの関所』でドップイネスの部下から小銭を巻き上げようとして撃退された。
▶死因
賊槍での刺殺。
▶附録:ジャド
ドップイネスのお気に入り。
▶附録:ルガフ
オーフスとブルコが死んだ後の補充人員。
二人の補充人員なのでそれなり以上の腕前なのだろう。
▶附録:フォルト
ルガフと同様の補充人員。
爆発する水薬を投げていた。
重症状態。
▶附録:ペルデ
ルガフと同様の補充人員。
魔術士。フォルトとは口喧嘩する程度には仲が良さそう。
重症状態。
▶附録:ジンネ
古い時代にいたかもしれない人物。
グラムはジンネという人物には心当たりがないらしい。
▶附録:『超能力』と『再充填』
グラムが水薬に再充填したのを見たペルデ。
その証言から超能力によって水薬が変化したのだとジャドたちは考えているようだ。
▼150~151
▶グラムの立場
エメルソンの手下の、その手下。
▶解説
ドップイネスの息がかかったと思われる何者かに襲撃されて群れは壊滅。
そのときに群れの重要人物であるアーレンという男からエメルソンが行方を知っているという『クレオ』という女性を探している。
グラムの前でアーレンは死亡するが、その間際で彼の目的を引き継ぐ約束をしたのであった。
▶死因
獣に噛み砕かれて死亡。
▶附録:アーレン
ある領地に仕えていた人物。
そこは既に滅びており、一粒種であったクレオが生きていると信じて、探していた。
▶附録:クレオ
アーレンが探している人物。領主の娘。
エメルソンが彼女の居場所についての情報を握っていることを引き換えにアーレンたちに仕事をさせていた。
実際はエメルソンはクレオを隷属させている。
▶附録:カシラ
アーレンと共に行動する賊。
彼自身はどこにでもいる賊に過ぎないが、アーレンの目的を知っており、協力している。
そこにはおそらく友情があったのだろう。
▶附録:神樹
大昔に存在したエルフたちを作り出した神は、この世界を去る。
しかしいつか戻ってくると神は言っていた。
戻るための道しるべとして神樹を遺した……とされている。
▼152~153
▶グラムの立場
登場しない。
▶解説
何もかもを失ったヤルバと再会するルカルシ。
複雑な立場と状況のヤルバを見て、もっとシンプルに生きたらと提案し、その提案を実行するために忌道によってヤルバを少年に戻した。
▶死因
グラム未登場なので死んでいない。
▶附録:ベサニール
ドワイトの息子。
ビウモードに尽くし、功績のあるヤルバにクビを言い渡す任務を与えられるのだからそれなりの立場なのだろう。ただの七光りかは不明。
▶附録:ルカルシと『忌道』
果ての空で学んでいたのは忌道についてだった。
『聖堂』などは忌道を使用するものに対して苛烈な罰を与えようとする姿勢を示しているなど、
学び、研究することそのものがリスキーだが、果ての空が閉じた世界だったからかルカルシが害されることはなかった。聖堂も噂などでは聞いているかもしれないが、噂だけで殴りかかって来るほど蛮族ではない模様。
ルカルシはその研究によってか、忌学のルカルシや魔女といった名で呼ばれることもあった。
▼154
▶グラムの立場
カルカンダリから来た人間に雇われた賊の群れの一員。
▶解説
カルカンダリに所属する人間に雇われた賊の皆さん。
依頼を達成するためにエメルソンの商隊を襲うも、返り討ちに遭った。
▶死因
レンパルドの魔術によって殺害される。
▶附録:『イミュズ私立交通警備連盟』『西部担当』『課長』ポドモ
エメルソンの一派に仕事を奪われて賊に堕ちた。
イミュズはドップイネスと協力している関係ではあるが、エメルソンがイミュズに関係できないというわけではないようだ。
▶附録:レンパルド
魔術士ギルドの頂点、グランドマスターを夢見る男。
現時点ではルカルシがグランドマスターに近い(らしい)。
▶附録:再充填
杖に対して再充填し、使用した。
肉体が変わっても技巧同様に引き継いでいる模様。
▼155~159
▶グラムの立場
捕まっていた(商品だったが売れなかった人材)が、逃げ出して自由になった賊。
▶解説
都市デイレフェッチで駆け出し冒険者のディカとレティと出会い、一党を組むことに。
依頼を幾つもこなし、信頼を深めた。新たな仲間としてヤルバと出会い、彼を一党へと迎えた。
ディカがデイレフェッチ子爵に攫われ、取り返すために一同は進む。
ディカを取り戻すことはできたものの、グラムはデイレフェッチと相打ちに。
グラムは駆けつけたレティの膝の上で眠りについたのだった。
▶死因
デイレフェッチ子爵のサーベル投げが直撃して出血多量による死亡。
▶附録:周回
本来はリセットが掛かる10回の制限はウィミニアたちが行った儀式によって解除されたはずであったがものの、何者かの影響により普段通りの処理がなされてしまう。
▶附録:都市デイレフェッチ
軍需やら何やらの影響で賑わってきている都市。
炉がないのでちょっと不便。
▶附録:レティ
フードで顔を隠している魔術士の少女。
その正体は『不朽』のレティレトであり、また、146~147で登場した屍術士でもあった。
他人が扱う魔術を扱えるようになる超能力を持つ。見るだけでも学習できるようだが、実際にその魔術を浴びるのが一番の近道らしい。
▶附録:ディカ
木こりの家の出。兄を探すために旅をしており、少年のフリをしていたのは少女として旅をするよりも都合がいいからであった。
根っからの善人であるため、体よく扱われて賊の仕事を手伝わされていたりもした。
デイレフェッチ子爵がドップイネスへの献上品になると考える程度に造作が整っている。
▶附録:デイレフェッチ子爵
成り上がりを夢見ている子爵。
▶附録:スアフ
ドップイネスの側に仕える少年。
色小姓なだけではなく、ドップイネスのためにあれこれと仕事をこなす。
▼160
▶グラムの立場
登場しない。
▶解説
イミュズの市長であるパンテープがドップイネスと手を組み、悪巧みをしている。
ドップイネスはダルハプス湖沼の清浄化とその研究を見返りとしてパンテープに手を貸している。
一方のパンテープはただ使われるだけでは……と二心を持っているようである。
▶死因
グラム未登場なので死んでいない。
▶附録:パンテープ
イミュズの市長。
本来市長は連続で当選しない仕組みになっているが、あれこれと手を回した結果彼は今も市長の椅子に座っている。
▶附録:フォッティンゲン
貴族の出でもある人物で、現在はイミュズ盗賊ギルドのマスターをしている。
▼161
▶グラムの立場
登場しない。
▶解説
デイレフェッチ子爵領から逃げているヤルバとディカ。
追手を振り切れないと察したところでフェリとセニアによって助けられた。
▶死因
グラム未登場なので死んでいない。
▶附録:フェリ(フェリシティ)
ルルシエットの冒険者だった少女。
ルルシエット失陥後、居場所であった都市と守りたいと思っていた少年の2つを失ったことで精神の均衡を崩し、復讐鬼となる。
▶附録:セニア
亡霊であったが、ヴィルグラム(ルルシエット冒険者=グラムと呼ばれている少年)に救われてから彼と共にあろうと考えていた。守りきれなかったことを後悔するが、復讐心などにおいてはフェリが狂気に陥るほどであるのを見て、自らが復讐するのではなく、それによって不幸になりかねないフェリの側で彼女の心を守ることを決意している。
いつも評価、感想、誤字報告などありがとうございます。皆様の応援で今回も更新することができました。
ひいひい言いながらも書籍化作業を進めております。
発売は10/30(水)となるようです。より詳しいことがわかりましたら何かしらでお伝えさせていただきます。
連載しているWebのものとはまた違うお話になります。楽しんでいただければ嬉しいです。
次回の更新は10/25(金)からとなります。
次回からはグラムが出て死んだり、それと死んだり、あとは死んだりします。よろしくお願いいたします。




