160_継暦126_冬~141年_秋
ドップイネスがツイクノクから離れる前。
グラムがデイレフェッチで命を落としたときより15年前。
126年。
イミュズ。
学術を武器とする都市。
「お待ちしておりました、ドップイネス殿」
ある来客に対して礼を取るのはこの都市で頂点に位置する人物であった。
近年稀に見るほどの市長選で勝ち抜いた若きエリート。新たなる市長パンテープ。
愚鈍でもなければ過去に大きな瑕疵があるわけでもない。
年齢の割には広い経験と、実家から引き継いだ事業を成功させて富を築いた器量は確かなもの。
ただ、彼は自分の器を理解していた。
それ以上の器ではないことを。そして、次の市長選で彼が勝てる可能性が低いことも。
競争の激しいイミュズではいずれ自分は追い落とされるだろうということを。
後進の育成速度はどの都市よりも早く、優れている。イミュズがそうした土壌を得られたのも足早とも思える入れ替わりがあるからだった。
実際、市長選で連勝したのは都市の歴史でも片手で余るほど。そしてその市長はいずれもイミュズでの偉業を成し遂げたものばかり。
自分はそれほどの才能はないことを、パンテープ自身が理解していた。
それでも、市長と呼ばれる度に心が満たされていた。女を抱こうが、酒を飲もうが得られない快楽だった。
次の市長選までまだ年単位で時間があるというのに、パンテープに焦りばかりが募っていたときに声を掛けてきたものがいた。
ドップイネス。
イミュズの市長ともなれば多くの人間を知る。会って話す以外にも情報を耳で聞き、文字で知ることは多い。
裏社会の大商人。圧政を敷く北東の伯爵領ツイクノクの御用商人の立場を得ている男である。
「急な約束、申し訳ありません。こうしてお会いしていただけること深甚に思います」
肥え太ったドップイネスの言葉はどうしてか信用ならない雰囲気を備える。しかし、敵対心を持つほどではない。
それはネズミ捕りと餌にも似ていた。
この男の側にいれば甘い汁を吸えるのではないか、うまく物事が進むのではないかという、妙な安心感を与える。一種のカリスマ性とも表現できた。
会ったばかりのイミュズ市長が他の人間同様に受け取ったのは魔的ななにかによるものではなく、彼が各地で売上を得ている大商人の立場を見てそう思ったのだろうと当人は大雑把な認識で納得する。
「こちらこそ、かの大商人ドップイネス殿をお迎えできて嬉しく思います」
ドップイネスを邸へと迎えたあとはティータイムの中で各地に起こっていることを情報交換などをして有意義な時間を過ごす。
挨拶と手土産代わりに持ってきたドップイネスの情報はイミュズにとって価値のあるものであり、ドップイネスにとってもイミュズの市長が持っている情報には価値を感じていた。
だが、それは本題ではないことを市長は理解している。
「市長の権限を命ある限り、ものにしたいとはお考えになりませんかな」
ドップイネスの温厚な表情は変わらず、野心があるかを突いてきた。
来たか、と市長は思う。
この質問者が正しき行いを求めるもの──例えば、『数多の遺児のための教会』の関係者が相手であるならば、
「そのようなものに興味はございません」
と答えればそれでよい。
だが、ドップイネスはそうではない。
紛れもない悪党であり、野心家でもあろうことは市長は理解している。そのようなものが求めるのは善性ではなく、剥き出しの欲望なのは間違いない。
判断するべきところがあるとするなら己の中に本当に欲望があるかどうかではあったが、
「常々、私だけは幸せになりたいと思って生きておりますよ」
当然、あった。市長はその思いに掛けては一級の持ち主だった。
ドップイネスは微笑む。その言葉が聞きたかった、と言いたげですらある。
「その願いを叶えるために私が提供できるものがございますよ。
私の望みを聞いてくだされば、喜んでお渡しできますが……いかがでしょうかな」
「望み?
ドップイネス殿ほどの方であれば……」
パンテープはいいかけるが、あえて自分を誘っていることに彼にとっての意味があるのだろう。
例えば、無駄な会話を求める男であるかを試していて、自分にとって忠実でいられるかの確認だとするなら。
「──望みを叶えられるよう全力を尽くしましょう。
見返りとして、私へのご助力をいただければと思います」
ドップイネスの笑みが深くなる。
どうやらパンテープの予測は合っていたようだった。
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ドップイネスとの密約から9年。135年。
これまでのドップイネスとパンテープの関係といえば、ドップイネスが求める人材を隠すだの、資金や物品の『洗浄』だのをすることに終始していた。
そうした関係性を経ていく中でかの大商人からはパンテープの支持基盤を強固にするための手段と、対抗馬をそれとなく蹴落とすシステムを構築するに至る。
システムの裏付けとなるのは膨大な資産と人材。
いつからかドップイネスはイミュズにカルカンダリ僻領との関係性をもたせるようになった。それはパンテープの市長の座を確固たるものにするための材料を与えてくれるに等しいものであり、彼からしてみれば願ってもないことではある。
(金はドップイネス殿が、人材はカルカンダリ僻領がそれぞれ提供してくれる。
そうして成り立ったのが──)
誰もがパンテープを市長として認める現在の状況である。
勿論、裏ではそれなり以上の恨みつらみにいわれある陰口が叩かれているわけだが、
そのいずれもがイミュズでの蜂起につながるほどのものでもない。
決定的な権力を握ってから、ようやくドップイネスは彼に本当の望みを伝え、協力させていた。
「市長!
魔術士ギルドからの人員が集まりました。ただ──」
「問題が?」
「例の研究をしているグループは協力をしないと」
「脅してでも協力させなさい、人員なら」
「カルカンダリの方を使えばよいのですね」
「ええ。研究の長を脅せば転がり方は滑らかになるでしょう」
「承知しました」
(ドップイネス殿の妙な望み……。ダルハプス湖沼の清浄化と研究。
それでイミュズを支配し続けられるのならば安い買い物なのは間違いない。
だが、今の魔術士ギルドに今のように意見され続けるのも面倒ではあるか)
その後、市長が回した裏の手によって魔術士ギルドは改革される。
見えないところでは大いに暴力と惨劇があり、それを知った魔術士や研究者は去っていったが、135年のイミュズにおいて莫大な資金を市から投じられたギルドは安定した研究を続けている。
ダルハプス湖沼にイミュズの人間が向かったものの何らかの問題があったのか翌年には撤退している。
以後、魔術士ギルドではドブ川やら汚泥やらの清浄化に関わる研究に多額の資金を注ぐことになった。
「盗賊ギルドのマスターを呼んでもらえるか」
「承知しました、用件は──」
「市長の口からでなければ言えないことだと、そう伝えてくれればいい」
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ドップイネスとの密約から15年。141年。
グラムがデイレフェッチで命を落としてから少し後のこと。
イミュズには連続で2期までの市長当選しか認めていない法律を変え、次の市長選でも勝ち上がることを確信しているパンテープだったが、それ以外での悩みがないわけではなかった。
「研究はどうだ」
「やはりグループが丸ごと消えたのが問題でして……」
湖沼清浄化計画はドップイネスとの約束において最重要のもの。
彼は10年程度は待てますよとは言っていたが、その期限も残り2年にまで迫っていた。
有力な研究が進んでいたが、イミュズの権力が固まり、魔術士ギルドに居心地の悪さを覚えたものたちが逃げる中にそのグループもいた。
特に研究の中核とも言えた少年が去ったのは痛手であった。
捕まえて、無理矢理にでも手伝わせる計画も失敗。
パンテープは頭を抱えている。
「市長、かねてからの計画を動かすのはいかがですか」
「昔ながらの方法で鎮めるというアレか?
だが、有用となる人材は」
「リストアップした中では動かしにくいものが多いですが、カルカンダリ僻領から送られてきた人材は向きかとも思います」
イミュズに送られてくる人員に対してパンテープが要望を出すことはできないが、随時必要な人員が送られてきて困ることはなかった。
ただ、今回送られてきたのは暗殺も辞さない出自怪しい斥候たち。後ろ暗いことをすることにも慣れたパンテープではあっても、流石に同じ市の、いわば同僚を暗殺まではする気はなかった。
配られた手札を使いあぐねていたのだ。
「彼らに探させましょう。必要があれば」
「実力を以て召喚に応じてもらう、か」
パンテープは承認欲求でおかしくなってしまってはいるが、それでも完全な愚物に成り果てたわけでもない。
カルカンダリがそうなるように仕向けているのだろうということを察さないわけではない。
だが、パンテープには選択肢がなかった。
市長の座からいまさら降りる?
そんなことをすれば今までのような生活ができないどころではない。
今まで蹴落としてきた市長選でのライバルたちが向けるであろう復讐がどうなるか、想像もできなかった。
「いや、彼らは使わない」
「では、違う策を」
「召喚要請をしないわけではない。フォッティンゲン卿を呼んでくれ」
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パンテープによって呼び出されたのは老齢の男であった。
イミュズ盗賊ギルドの長ではあるものの、表向きにはその評判を聞くものは少ない。
そもそもが盗賊ギルド自体が後ろ暗い組織であるからというのもあった。
「フォッティンゲン卿、ようこそ」
「市長の頼みとあればいつでも参ずるさ」
そのフォッティンゲンと呼ばれたのは髪の毛も真っ白になった老齢の男であった。
背は曲がっておらず、全身も若い兵士と見まごうような筋肉が張り付いている。
卿、と呼ばれているのはフォッティンゲンの家柄が『一応は』貴族だったことから。
パンテープとの付き合いは彼が市長になる前からであったが、深い付き合いと言っていいのは6年前から。
「何度も確認した。外部から術士も呼んで調べさせた。これが最終報告だよ、市長。
やはり、湖沼には炉がある。それもおそらくずっと稼働し続けているものだ。
何かに力を供給し続けている」
「炉を引き上げて何かに使いたい、というわけではないのだろうな。ドップイネス殿は」
「彼ほどの商人であればそんな面倒を掛けずに炉を他から奪うこともできるだろう。
炉をあちこちへと動かすのは難しいが、それも不可能というわけでもないのだしな」
卿の言葉を受け止める。返答はないのは深く考えているからであることはフォッティンゲンも理解していた。
彼は英雄でもなければ天才でもない。凡人の枠組みの中で見てやや優秀な程度。
だからこそ出せる答えもある。
「炉そのものなのかは答えは出せないが、ダルハプス湖沼。いや、ダルハプスで思い出せるのはかの邪悪。その呪いは今もビウモード伯爵家を苛んでいるとも聞く」
凡人ではあっても立場がある。そうした情報はパンテープの耳には入ってくる。
「その呪いとやらを手に入れようとしているのか? 呪いなんぞ何に使うのやら」
「私には想像もつかん。だが、」
盗賊ギルドのマスターは様々な人間を見てきた。そのいずれもが後ろ暗い自分たちと関わりを持とうとする連中であり、大なり小なり野心の火に身を炙られたものたちだった。
だからこそフォッティンゲンにはわかった。
パンテープはドップイネスに使われる立場から、何らかの切り札を抱えて使われ、いつ切り捨てられるともわからない立場から成り上がろうとしているのだ。
(このままイミュズをドップイネスの狗になったパンテープに任せていれば未来はない。
つまりは俺の未来も危ういもんだ。
だが、そのいぬっころのパンテープが狗でいる以外の道を考えている。
協力してやればもしかするかもしれん)
「湖沼でドップイネス殿が求めているものを先に手に入れたい。
そのために清浄化は急務。
清浄化を実行するためには」
「その話なら聞いているさ。誰が必要かのリストアップはしてあるんだろう。
いずれかを手に入れて渡してやる」
「ええ。ですが、可能であるならできるだけ上にあるものを」
ビウモード、トライカ、ルルシエット、ルルシエットの衛星都市、それ以外にも多くの都市の名前が連ねられている。
一番上に刻まれていたのはルルシエットであった。
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ビウモード。141年。
パンテープ市長が候補者選びを命じた頃。
主のもとに戻ってきたスアフ。
ドップイネスは手土産の一つもないことに対して責めるような狭量な主ではない。
むしろ、手土産を持ち帰るであろうスアフがそうではないことがなにかあったことを告げていることを理解していた。
肥え太った巨体は立ち上がるとふうわりとスアフを抱きしめる。
「おお。我が愛しき小鳥よ。そんな悲しそうな顔をしないでおくれ」
「ドップイネス様、なんの成果もなく姿を晒すことをお許しください」
「何を云うか。賢いお前のことだ。何を持ち帰ってきたのだね」
仮に何も成果がないのであれば成果を得るために到着を遅らせるなりするだろう。
予定日よりも早く戻ってきたことからも、何かがあったことは明白だった。
「各地に蒔いていた種の一つが芽吹きました。不朽は目覚め、欲するところに従っています」
「そうか。それは喜ばしい。彼女は何を求めていたかね。
完全なる命か、それとも人界の支配か。人の身から外れたものであれば何を望んでもおかしくはない」
「一人の男を求めていました」
「……ほう、男をかね」
「グラムという名の、取るに足らないとも思える人間です。ただ、執着ぶりは相当のものであったと受け取れました」
その流れで彼が体験したことの全てを伝える。
ドップイネスは終始穏やかに頷くばかりであった。
「ふむ。グラム。……グラムか」
ドップイネスは沈思する。スアフはそれを邪魔することはない。膨大な知識と情報を持つ主は常に明朗な答えを出す。そんな人物が深く考えるということはそれだけ複雑な計算が必要なことであろうと小姓は考えていた。
この土地でグラムという名前か、それを含んだ名を名乗る輩はごまんといる。
歴史上にいるものだけではない。ルルシエット侵攻の際にもヤルバッツィが手をかけた人物がヴィルグラムという少年冒険者だという話もあったし、離反したキースの師がジグラムだとかいう名前だったとも記憶していた。
(名だたる賊にも多く居たグラム、か。だが、グラムで賊ではないものですぐに挙がるのは悪徳の宰相だと思うのは私だけだろうか。生まれのせいか、どうしてもそれが浮かんでしまう──)
思考が止まるように、無意識がドップイネスを支配する。
意識すら邪魔であると言わんばかりに、思考が駆け巡っているのだ。
「……スアフ」
「はい、ドップイネス様」
「私が死んだら、君はどんな行動をするかね」
「泣き喚くかと思います」
「その後は?」
「ドップイネス様を害したものに復讐を。いえ、精神の壊乱に任せて周囲に当たり散らすかもしれません」
「そうだろう」
巨漢の商人は小姓に愛されている自覚があった。
そして、彼自身も小姓を愛していた。
「愛おしいスアフ。君がそうなったなら、私もそうする。そうなるだろう」
(だが、不朽はそうはしなかった。穏やかなままだった。
あの不朽が。怪物が。邪悪が。大悪が。百年を生きた強烈な自我が、今も各地で指名手配の張り紙が更新される化物が。
何もしない?
ありえないことだ。
であれば答えは一つ)
「彼女の執着するものはまだ生きている。
……そうか、気がつくのが遅れてしまった。ご先祖が追い求めていたものはあり続けたのか」
「ドップイネス様?」
「素晴らしいことを持ち帰ってくれたね。
ダルハプス湖沼以外にもプランが組めるようになった、管理局がどう動くかも見ものになる。
補足するべきは彼ではなく彼女、か」
満足気に笑うと、ドップイネスはスアフにお気に入りの猛者たち──つまりはジャドたちを呼び戻すように命じた。




