158_継暦141年_秋/00
よっす。
助っ人のお陰で仲間ともども無傷で戦いを通過できたオレだぜ。
「いやあ、驚きました」
呑気な声でそんなことを云うヤルバ。
あの後、オレたちは馬車でデイレフェッチへと戻ってきた。
御者は感謝の証として幾らかの金銭を渡してくれた。
ヤルバはこの後の予定もないというので同じ宿に案内した。助けられた感謝の形ということで御者にならってオレも金で気持ちを示す。
とはいっても現ナマをそのまま渡すのではなく宿代を支払うという形にした。そっちのほうが受け取りやすいだろうし、実際その通りのようだった。
ヤルバッツィ──ヤルバと呼んでくれといった少年はバルコニーでの会話に応じてくれた。
『僕に見覚えはありませんよね?』
『ヤルバさん、僕の兄じゃあ……ないですよね?』
不思議な聞き方をされたヤルバだったが、何かしらの返答を熱望するような視線に気圧されているのはオレやレティにもわかった。
質問者であるディカはレティに冷静になるように言われてから、説明を聞けばたしかにそう言いたくもなる。
姿形は思い出の中で似ているようで、名前は同じとなれば聞きたくもなる。
ヤルバは記憶の殆どが霧の中にある。であってもディカの語る兄と彼の関係性からして、ディカと同年代の少年が兄であるということはありえない。
つまりは
「同名の、似た姿をした人となれば……。自分が彼の兄だったならよかったんだけど」
「ま、弟分としてかわいがってやってくれ。いい奴なのは間違いないからさ」
「彼が嫌がらなければ」
苦笑いを浮かべるも、それはあくまで自分が兄ならよかったということを引きずっているだけであり、ディカのことはにくからず思っているらしい。
短い時間であっても即席のタッグであれだけいい動きをするんだ、息はぴったりだろう。帰り道も会話に花が咲いていたしな。
林業の話らしいのでオレには内容はさっぱりだったが。
「この後はどうするんだ?」
「ある都市に行きたいと思っていたんですが……」
「思ってたけど? ……ああ、もしかして、思ってはいるが記憶が曖昧になっているとかそういう?」
「はい、恥ずかしながら」
最初に目を開いたときには多くのことを覚えていた気がしていた。しかし、どこかへ行かなければ、誰かに会わねばという気持ちが強くなるたびに、覚えていたことが消えていってしまった。
今では──
「どこかにある都市に、大切な人がいたはず」
そんな風になるまでになってしまった。
せめてもよかったことといえば、記憶はこれ以上霧の中に消えていっていない(少なくともその自覚がある)ということだ。
「そいつは……難儀だな」
「本当に。ただ、デイレフェッチは違うのかなとは感じています」
「それはわかるのか」
「都市に入ったときに直感的にここじゃないなって思えるんです。だから、」
「ここからは都市巡りになるぞって、ことか」
はい、と確固たる意思を以て頷くヤルバ。
「なら、都合がいいかもな」
「都合?」
「どうだ、ヤルバがよけりゃオレたちと一緒に旅をしないか。
オレたちもやりたいことはあれど、どうにも明確に目的を持てなくってな」
話せる範囲で自分たちの状況を伝える。
もちろん、レティとディカには事前に彼を誘えたら誘いたいことや、身の上のことを話していいかの許可は取っている。
レティは前衛が増えることは喜ばしい、ディカは友人になれそうな人が増えるのが嬉しい、とまあそんな具合に歓迎する姿勢は取れていた。
「会ったばかりの、しかも記憶が掠れている不審人物ですよ」
「それでいえばオレたちの一党なんて不審人物ばっかりだぜ。フードを取ることがない女魔術士に、寒村出身とは思えない超能力持ちだからな」
少し悩んでから、
「その、……」
意を決して、彼は手をこちらへと伸ばした。
「力にならせてください。力を貸してください」
「素直でいい返事だ。……こっちこそよろしくな、ヤルバ!」
その手を掴む。
ヤルバの表情が笑みでこぼれる。その明るさ、温かさのようなものはディカを思わせるものだった。確かにディカ自身が兄弟かもと思ってしまうほど、雰囲気が似ている。
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すぐに出発することも考えていたが、それから数日は慣れ親しんだデイレフェッチでヤルバの分の旅費を稼ぐことにした。
冒険者としての登録も済ませ、仕事もスムーズにこなす。
驚いたことにヤルバは槌だけでなく、弓も器用に扱った。状況に応じて前衛と後衛を器用にこなすだけでなく、オレと共に斥候の仕事までやってみせた。
最初こそ弓も斥候も『記憶にはないができる気がする』程度だったものの、すぐにやり方を思い出したようであった。
オレ……要らなくない? などと思ったりもするが、
『一党のリーダーのグラムさんがいるから、自分たちは仕事ができる』
なーんて言ってくれた。いやいや、おべっかなり慰みなりだとしても嬉しいが、ヤルバはディカと同じで本心から言葉を発する人間であるのも数日の間で理解した。
だからこそ、居場所がなくてどうしよう、なんて気持ちになることもなかった。
できた仲間に囲まれ過ぎている。いや、どうしようね。賊如きのオレがいいのか?
いやいや、いいってことにしよう。
そのうち運命であれ宿命であれ、自分の不始末であれ、何かに否定される日が来るまでは享受させてもらおうじゃないか。
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二桁に届く程度仕事をこなした。
日に日にきな臭くなるデイレフェッチから去っても問題ない程度には旅費は稼ぐことができた。
冒険者ギルドの関係者は去ることにしたオレたちを惜しんでくれたが、引き止めはしなかった。それだけこの都市の住心地が悪いことを理解しているってことだろう。
「いよいよ都市巡りの始まりか。馬車の旅は尻が痛くなりそうなのが心配ではあるが」
「クッションを買っておきましたよ、レティさん」
「でかした」
馬車の旅を嫌がっているレティをすかさず宥めるディカ。
彼女がご機嫌になったところでオレも会話を切り出すことにした。
「ひとまず東って条件と都市って条件が合致しているからルルシエットに行こうと思っているんだが、どうだろう」
「ルルシエット行きは封鎖されていたとか聞いた気がするが、違ったか?」
「女将の話じゃ今日から開通なんだとさ」
そんなことを話していると、ぽつりとヤルバが、
「ルルシエット……」
言葉を漏らした。
「どうした、ヤルバ」
少し複雑そうな表情を浮かべ、しかし自らの記憶にその答えを得られるところがないことを理解したのか諦めの含められた笑みを浮かべると、なんでもないです。と答えた。
深く追求するのもな。ない記憶が呟かせたのかもしれないし、そのうち何か思い出す兆候かもしれない。
今はそっとしておこう。
「じゃあ、ルルシエット行きのチケットを買ってくるとするか」
ぞろぞろとチケット売り場へと進む。
久々のルルシエット行きの定期便ということもあり、かなり混み合っていた。
「あー、全員で並ぶとちょっとご迷惑かもな。オレが買ってくるから三人はそこらで待っていてくれ」
そんなこんなでオレがチケットを得るために並んでいると──
「何をするかッ!!」
レティの怒号が響いた。
辺りが騒然としている。オレが振り向いたときにチケット売り場は混沌とした状況に様変わりしていた。
騎士らしい姿の連中が武器を抜いてレティへと向けている。
その力はさておき、姿は少女だ。彼女に言いがかりでもつけたのか、騎士に対して義憤に駆られた人間がいたのか、その人物は血に転がっていた。血の量からしても致命傷だ。
騎士の剣にはこれ以上ない殺人の証拠、つまりは血に汚れていた。
「彼を離せッ!!」
ヤルバが踏み込み、手に持っていた槌が騎士の甲冑を、中身ごと砕かんと唸りを上げる。
騎士もそれなり以上の使い手なのか持っていた盾で防ごうとするも防ぎきれずにうめき声とともに片手を下げた。ありゃあ折れたな。
それをぼんやり見ているわけじゃない。人混みをかき分けて渦中へと突き進む。
「隊長! 目標人物を確保しました!」
「くっ、は、離せ!」
ディカはがっちりとホールドされている。彼の剛力であっても剥がせないのは騎士が相手を制する格闘術……柔術だとかと言われているものに精通している証拠だろう。
「オレの仲間に何してやがんだ、サンピンナイトがぁッ!!」
ああ。冷静に何を状況説明しているのかって言いたいよな。
ぜーんぜん冷静じゃないぜ。むしろ頭の中あっちあちだ。
思考と心理がまるで噛み合ってない。
暴言と共に以前拾っていた短刀を騎士に投げつける。
だが、
「ごあっ」
ディカを捕まえているものを狙ったつもりが、他の騎士がカバーに入ると、短刀は面包の隙間を縫うように刺さった。
「目的は達した、戻るぞッ」
「逃がすとでも──《野犬よ、走れ》──思っているのかッ!」
怒りの言葉に混ぜ込んだ詠唱が不可視の刃を生み、騎士の一人を切り裂く。
だが、騎士たちはそれにも構わずディカを掴んだまま去っていった。
追いかけようにも騎士に従っているサンピンソルジャーどもが壁となって邪魔をする。
「どけええぇッ!!」
ヤルバが槌を振り回し、サンピンソルジャーからなる人壁を突き崩そうとする。
レティの暗殺魔術が次々と切り裂こうとする。
オレの投擲は逃げる騎士たちに飛ぶも、そのいずれもが強い警戒と共に盾を構えた騎士連中に阻まれた。
何があったのかわからないうちに、オレたち一党は大切な仲間の一人をさらわれていた。
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惨憺たる現場で情報を共有化することにした。
「何があったんだ」
「わからん。騎士どもが手配書のようなものをあちらこちらで人に見せていて、そうして妾たちのもとに来た。そのあとは」
「付いてこい、いやだの応酬の後にディカが掴まれて」
「ああなったってわけか」
人の多さもあって、その波に少しディカが流されていた。
孤立したあいつを狙ったのか。
だが、なんのために?
「まさかここまで力ずくに出るなんて、急に治安の悪さが出たよな」
「人材商どもの巣窟なんていわれちゃいたが、まさか白昼堂々、人目をはばからずにさらうとか……マジか?」
現場で悠長な、と云われるかもしれないが問題はない。
周りでもあれこれと会話がされている。
何せ同じように話しているのも、そして被害を受けたのはオレたちだけではない。どさくさ紛れで攫われたり、攫われかけたり、邪魔だからと暴力を振るわれたりしたものすらいた。
そうした人間たちが口々に悪態をつく中で状況を話し合う人間もいた。
「横にいたフードの少女じゃないのは何故でしょうねえ」
「ああいう男っぽい女が好きなんだろ」
「男っぽい女? 攫われたのは少年では?」
「ああ、ヒト種のお前にゃわからんか。ほら、俺は狼人だからわかるんだよ。匂いで女か男か」
「キモいですねえ」
「ひどくない?」
などと、冒険者風の二人から言葉が耳に入る。
「……つまり、ディカの貞操の危機ってことだ。
ヤルバ。すまん、一緒に行くと言っといて、ここまでになった。
オレは──」
「妾たち、であろう」
「……そうだな。オレとレティはディカを助けに行かないとならなくなった」
それは命懸けになるだろう。
オレは構わない。できれば一人でやりたいくらいだ。だが、レティはのけものにするなと睨む。
仲間を大切に思ってくれているのがオレだけでないことが嬉しくもあるが、申し訳なくもあった。ディカを守れなかったのはオレの不明だ。
「見損なわないでくれ、グラムさん。自分も行きますよ。だって、もう自分たちは仲間なんでしょう?」
そして、もう一つの不明がある。
「命の保証はないんだぞ」
「それでも、自分を嫌わないでいられるなら安いもんです。そうしろって、霧の中の記憶が叫んでいる気がするから」
「すまん。……助かる」
ヤルバという少年の、その侠気をオレは侮っていた。
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デイレフェッチ子爵邸。
広く、どこも堅牢に作られたそこはかつてここが戦時にも対応した場所であることを感じさせるが、
それも遥か昔。
現在ではその堅牢さが邪魔をして手入れが行き届かず、そこかしこに限界が、あるいはその向こう側までの状況──つまりは朽ち始めているところもあった。
一切の拘束はない。手足は動く。
動くはずだった。
だが、動かない。
攫われたディカは自分の身に起こっていることがわからなかった。
何故攫われたのか。
自分の腕力には自信があったが、それが通用しない武術があるのか。
そして拘束要らずで身動きを縛られている状況もその武術かなにかが影響しているだろうか。
(油断していたわけじゃないけど……街中でこんなことをするのが領主だなんて)
一党仲間たちはまさか自分を助けに来るなどと思っていないだろうなと思うではなく、願っていた。
状況はわからないが、おそらく今から自分に備わっている人権は剥奪されるのだろうということは理解していた。
村で過ごしていた頃、身分のある人間が度々現れてはそうした無法を働いていたのを知っている。
母親もそうして連れ去られて帰ってこなかった。
性別を偽っているのはそうだ。そっちのほうが都合がいいと思ったから。
実際にそれは今までは功を奏して楽な旅路を歩めたし、仮に自分が女だと判明したところで問題はないとも思っていたが、そうではなかった。
いつ判明したのかもわからない。
「く……は……ど……に……」
「チッ。もう動けるのか。気力のあるガキはツボの効き目が悪い」
そう言いながらディカを抱えていた男が、捕まえられた状態のディカの体の一部を指で押し込む。
「けほっ」
「騒いだらさっきより強く押し込むぜ」
これ以上となれば呼吸すら危うくなりかねない。ディカは渋々頷く。
「僕はどこに連れて行かれるんだ」
声は大きくはしない。だが、言葉を飲み込むわけでもない。ディカは情報を求めていた。
「領主様のところさ。安心しろ。お前みたいな山猿を抱くような趣味、あの方にはねえよ」
「……」
「だが、ギフトにはなるとお考えのようではあるがな」
「ギフト……?」
「少年を囲っている金持ちにお前を送れば喜ぶんじゃないかと考えたそうだ。
その金持ちの使いが邸に来ていてな。その身がどうなるかを牢屋の中で恐れる時間はないのは幸運だったな」
『秘孔』の技巧。
東方から伝来された技巧は表向きに失伝して久しいものの、破片の如くに散らばったものが才能ある人間に伝わり、完全ではないものの技巧として再現される。
この男には秘孔を突き、人体を操る技術を会得していた。秘孔の技巧はかつて多くの体系を一つに纏めたものを云ったが、失伝後に破片として伝わるものが今日の秘孔の技巧となっている。
ディカはそれに対する知識はないものの、不可思議な力を操ることは察しており、そうした力を持つものが悪事をなすことに少しばかりの混乱をしていた。
彼……いや、彼女にとって悪事とは力も才能も欠けている人間がするものであり、大事を成せるような力があるものはそんなことをするとは思ってもいない。それはディカの人生経験の短さから来るものであり、あるいは英雄的な資質を少しでも持つものへの憧憬でもあった。
秘孔使いが邸の一室の前へと到着するとノック。
すぐに開けるようなことはしない。入りたまえと、高圧的な物言いが返ってくるとようやく入室する。
部屋は邸の外観とは逆にきらびやかに彩られており、端的な表現をするのであれば成金趣味のそれである。
「閣下、山ざ……例のガキを連れてきましたぜ」
「お前も騎士になったのだから口調は改めたらどうだね」
「こりゃあ失敬。で、どうします」
「ドップイネス閣下の使いは既にお待ちだ。そこで評価してもらうことにしよう」
「アレは尻小姓と侮るにゃちっと厄介そうな相手です。閣下、油断だけは」
「わかっているさ。これを足がかりに羽ばたくため、このデイレフェッチに隙はない」
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ドップイネスの使い、スアフが待たされている部屋へと赴くデイレフェッチ子爵。
客間には子爵なりに気を使ったものになってはいたが、実に成金趣味が鈍く光る部屋であり、スアフにとってはそのセンスの悪さは不快感を得るに十分なものだった。
「おまたせいたしました、スアフ様」
子爵は作法に則った姿勢で挨拶を取りながら、スアフの姿を見る。身綺麗で端正な顔立ちの少年であった。服装もまた貴族のように仕立てのいいものである。
その眼差しは柔らかく、しかしその奥からは油断ならない気配を秘めていた。確かにこれは尻小姓などと侮ることのできない人物だと子爵は確認をする。
「ただの使いに様など。子爵閣下にそのように呼ばれるほどの人間ではありません」
「ドップイネス様は世が世であれば公爵と呼ばれて相応しい方、そのお側におられる方となれば、私のような爵位を頼みにしているものとどちらが優れたるものかなど論じるまでもありません」
「尊重してくださる意思は確かに受け取らせていただきます、閣下」
「スアフ様。話の前に、こちらを見ていただけますか?」
道中で秘孔によって再び、声を含めて身動きを封じられたディカが床へと置かれる。
「このような陽の匂いがする少女、ドップイネス閣下の好みに合いますでしょうか?
よろしければ手土産の一つとしてお持ち帰りいただければと考えておりまして」
取引相手の好みを狙い撃ちにする。
どこからかそうした好みの人間を調達してくる。
このやり取りからスアフは人材商としての手腕の一つと見たのか。
「私如きが好みの全てを把握できるほど、閣下の嗜好は浅くはありません。持ち帰らせてはいただきます。よきように報告もしますよ」
微笑んでそれを受け取った。
やり方まではわからないが、主であるドップイネスの犬になるのであれば献上と忠誠は絶対のルールである。
スアフ自身が自らを献上したのも、そのルールに則った行いである。
「感謝します、スアフ様」
ちらりと側にいる秘孔使いを見やるデイレフェッチ。
「彼女を『包装』しておきなさい」
「へい、……いや、承知しました。閣下」
そうしてディカが掴まれる横でデイレフェッチは言葉を続けた。
「では、改めて三領同盟への加入についてなのですが──」




