151_継暦141年_夏/08
よっす。
逃げる提案をしてみたオレだぜ。
が、残念ながら、
「逃げる選択肢も悪くはない、かもしれないな」
ノリはイマイチ。
「ちょっと違うって感じですか」
「……エメルソン殿のもとにいなければならない理由があってな」
「命よりも大事な理由ですかい」
少し考えるようにしてから、彼は頷く。
「あるお人を探している。だが、その行方を知っているのはエメルソン殿だけなのだ」
「それは?」
「過去に滅びた領地の、忘れ形見を探している」
その先を、つまり事情の深いところまで言うかどうかを悩んでいるって顔だ。
賊相手に自分のところの事情なんて切り出しにくいよな。オレがアーレンさんの立場なら言い淀むだろうし。
だが、藁であっても掴みたいのか、彼は言葉を続けてくれた。
「クレオという人物を知らないだろうか。性別は女性。年齢は二十前後。
健やかにお育ちになられていれば両親に似て、きっと凛とした雰囲気になっているはずだ」
クレオ。
……なんか覚えがあるな。どこだったか。オレが体験したことならすっと出てきそうなもんだが。
もしかしてオレが経験していないことなのか。
だとしたなら──
思考と記憶が接続しようとしたとき、風切り音が幾つも聞こえてきた。
ぐっ、と呻くような声がした。
隣には矢が深々と腹に、肩に、数本の矢が突き立っているアーレンの姿があった。
前後の馬車も突然の射撃に秩序が壊乱していた。
「クソッ、襲撃だ!」
カシラが馬車を降りてこちらへと走ってきていた。
アーレンの様子を見ると舌打ちをする。注視しなくたって重症なのがわかる。
何者にも代えがたい人員が大怪我負ってちゃ舌打ちの一つくらいしたくなるよな。
ただ、カシラからは『お前が死ねばよかったのによ』みたいな空気は感じない。
賊にしてはというべきなのか、それとも賊なのにというべきなのかはさておいても出来たお人だと思うね。
「おい、お前は無事か?」
「え、ええ。なんとか。けど、一体何があったんです」
「賊が襲ってきやがった。けど、コレは偶然じゃねえ。明らかにこっちを潰すつもりの準備があった」
「ドップイネスの手下、でしょうな」
痛みに呻きながらもアーレンが云う。
「ああ。って、その怪我で喋るな。くそ……こんなことならエメルソンに治癒の力がある水薬をねだるべきだったぜ」
水薬ってのはほいほいと手に入るものでもない。
冒険者ならまだしも、賊であれば宝石よりも価値のある一品になる。
カシラも今更気がついても遅いことを理解していながら、我慢しきれず口にしたのだろう。
「どうします、逃げますかい」
「ああ、お前らはそうしろ」
「お前ら、って……カシラはどうするんで?」
「俺は襲ってきてる連中をぶっ殺す。こっちが勝てば逃げているお前らを拾いに行く。戦いに巻き込まれれば怪我人を守る余裕はねえ」
端的で、しかし現状において最も有用な命令と説明だった。
商人が指定した人材なだけはあるってことだろう。
怪我人を動かすのは危険だが、このまま待っている方が危険なのもそのとおりだ。
オレはアーレンを連れて逃げ出す。
怪我の具合からもそう遠い距離まではいけないだろうが、運が向けば彼らの手を借りずとも商隊や乗合馬車に助けを求めたりできるかも知れない。
「アーレン。クレオって娘が見つかることを祈ってるぜ」
「……今までの共闘に感謝を」
互いに、生き残る算段があまり高くないことは理解しているからか。
短いながらも彼らの間にある信頼に礼を尽くしていた。
「ゆっくり動かすぜ、アーレンさん」
肩を貸して、その場からオレとアーレンは逃げ出した。
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暫く移動し、いよいよアーレンの具合がヤバくなってきた。
これ以上は歩けない。移動の助けになるようなものだとか、偶然治癒に関わる力を持っているものが現れたりするようなこともない。運はこっちを向かなかったってわけだ。
「お、お前は……怪我はないんだな」
木を背にして座り込むアーレン。
「ええ。無傷ですよ」
「さっきの話の続きをしてもいいかね」
オレが頷くと、声と力を絞り出すようにしながら、
「私はかつてクレッセル子爵領に仕えていた。それほど大きな都市ではなかったが、子爵様の才腕で安定していた。
幾つかの問題はあったものの、子爵様が次代を考えて奥方様を迎えられ、子宝に恵まれた。
幼い頃から利発なお子だったよ」
郷愁を強く含んだ声音はひどく悲しげに聞こえる。
伯爵領ばかりがこのあたりの勢力ではない。
子爵でも知と力があれば伯爵と変わらない。そもそも今伯爵を名乗っている連中でどれだけの数がカルザハリ王国時代に伯爵位を与えられたのかって話ではある。
クレッセル子爵領について知っていることはない。
記憶が消し飛んでいるどこかの周回では知っていたかもしれないが、今持ち得ているものでは存在しないってことは大きな影響力を持っている場所ではなかったんだろう。
だとしても、そこに土地があり、為政者があり、民があれば、そこは立派な土地であり、国のようなものだ。国であれ、そのようなものであれ、人がいれば帰属意識を強く持つものもいる。
アーレンもそうした帰属意識や郷土愛を強く持っていたのがわかる。
そして、彼のような優れているであろう人物が納得して仕えていたなら、きっとクレッセル子爵領は住みよい土地だったのだろう。
「その子が」
「ああ。クレオ様だ」
痛みも感じなくなっているのか、過去を想起する彼の瞳は優しげだった。
「だが、領は戦争に巻き込まれ滅び、主も失った。クレオ様も戦火の中に消えた。……消えたはずだった。
主を失った私は謀士まがいのことをして日銭を稼いで暮らしていた。目的もない、空虚な日々だった。……クレオ様らしい姿を見かけたのは偶然だった。ある仕事で、商人の手伝いをしていたときだ。彼らの会合でちらりと見かけた。護衛をやっているようだった」
段々と声のトーンが下がってきている。
意識の混濁もあるのか。
そこからの彼の話を要約すると、商人たちとクレオは何かしらで繋がっている。それを確かめるために広い情報網を持つエメルソンに協力を求めた。
彼はクレオがアーレンの探している人物であることを確約し、しかしそれ以上の情報収集の手伝いを求めるならば、自分の手伝いもしてくれと依頼された。
それこそが、今回やっているような仕事だったということだ。
「クレオ様が……生きていて、今の生活に満足しているなら、それでいいのだ……。
だが、何かに困っているならお助けしたい……。仕えた国の、大切な忘れ形見なのだ……」
それが彼の目的だった。
だが、目的は彼の手によって果たされることはない。命なくして、果たすことはできない。
アンデッドであればどうか。それも難しいだろう。一度命を失えば、それと同時に心というべきか、正気を失うのが人間だ。
何より、アンデッドになって狂気に染まろうとも、自我のようなものを残せるもののほうが稀有なのだ。
「聞いちまったからには、お手伝いしますよ。アーレンさん。クレオ様は代わりに探します」
「返せるものは……ないぞ……」
「死に際まで主や故郷を思う心に打たれたんでね。何か欲しくてやるわけじゃない」
「……すまない……」
安心したのか、彼はそのまま眠るように息を引き取った。
クレオ。
エメルソン。
思い出した。
ヴィーが経験した、最初の記憶だ。
じゃあアーレンはエメルソンにいいように使われていたってわけだ。あの手の商人なんて碌なもんじゃねえとは思っていたが、オレみたいな賊ですら悪罵が口から漏れ出そうになる。
彼の死体をなんとか片付けてやらねばと思ったとき。
首が絞まった。いや、砕かれた。
「なっ」
「Grrrrrrrr」
それは獣だった。犬か狼かと思ったが、何かまではわからない。
アーレンの血の臭いに誘われてきたのか。
思い出すことに必死になって気が付かなかったというより、襲ってきた獣どもの隠形が見事だった。ただの獣ではなく鬼獣なのかもしれないが、確かめるすべはない。
オレは死ぬ。あっさりと、噛み殺されて。
だけどな、アーレン。
安心していいぜ。
約束はきっと果たしてやる。オレはしつこさだけが取り柄なんだ。
それに、ヴィーの命の一つ分の仇も取ってやれる糸口にもなりそうなんだ。
目的もなく漫然と周回を進めるのもいつも通りで楽ちんな道ではあるけれど、折角の復活するこの命。折角なら多少の意味の上で使いたいもんだ。
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トライカ。
管理局がビウモードからトライカへと移り、そこを現時点の本拠とするうえで市長メリアティは大いに尽力をした。
資金を含めて、彼女の協力あったからこそ、施設のデザインについては概ねメリアティの意向が取り入れられている。
完全に管理局のために新造した、という施設ではないものの、本来入る予定であった人間が使わなかったため、新品のままに受け渡されている。
管理局がメリアティのお膝元に来ることが決まったときには古く、使われなくなった教会を再利用するとウィミニアは考えていたのだが、そうはならなかった。メリアティがそうさせなかったのだ。
彼女曰く、局長の姿がまさしく悪の親玉と吟遊詩人に唄われかねないものであり、そこにトライカの古い教会を根城にでもすれば市民たちからどんな噂が出てくるかわからない。
せめてトライカにいる間はウィミニアたち管理局の風評は善きものにしたいとメリアティは考えていた。
それは彼女がウィミニアたちを友人だと考えているからであり、そして呪いに対してあれこれと動いてくれた恩義からでもあった。
管理局の正式な局員は片手で数えることができるほどだったが、現在は少し事情が異なる。
久方ぶりに入った新人であるキースと、正式ではないものの見習いとして働いている少女。
少女はメリアティからの推薦であり、明らかに『お目付け役』であろうと見られて然るべきものだったが、管理局が掴んでいたのはメリアティからのお目付け役ではなかった。
施設の中にある図書室で、二人の若者が向かい合っている。
「はあ、師匠は大丈夫なんでしょうか」
「ふ……。師父は不滅の存在よ。死んだと聞かされたときには思わず暗殺魔術を頭に叩き込みそうになったが」
ジグラム(の肉片)を見たキースの慟哭たるやすさまじいものであった。
だが、それがウィミニアの琴線に触れ、ドップイネスに付いていた彼から情報を吸い上げるだけ吸い上げて放逐するつもりであったものの、彼を正局員に迎えることになる。
そのうえでジグラム──グラムは命を失ったとしても別の場所で目を覚ますという、人間にはない生態を持っていることを説明されている。
ただ、その情報を与えられる条件として隷属にも似た儀式によって彼の情報を局員(現時点で見習いである彼女を例外的に含む)以外に話した場合、別の言葉に差し替えられた上で命を落とす約束を刻まれている。
キースにとってその程度のことはどうでもよかった。
師父が生きている。彼が特別である。自分の目に狂いはなく、その偉大さが引き続くことに比べればどんな約束すらも野良猫の毛玉吐きと同程度のことだった。つまりは、自分の命など吐き出されても問題ない。師父さえあることを知れればそれでよかった。
「記憶を持ち続けるに限界があるとも局長や先輩から聞いていたが、暫くの間は安泰だとも仰られたしな。
我らと会えば喜んで言葉を向けてくださるに違いない。
っと、いかんな。私はお前の兄弟子として、そして先輩局員として教育せねばならないのであった。
印地の威力はお前が上でも知識と教養ではそうはいかぬぞ、サナ」
「はい、今日もよろしくお願いします!」
サナはルルシエットより送られてきた監視役である。
彼女の存在がそのまま、トライカとルルシエット両者の水面下の友好関係の現れでもある。
「今日は神樹について学んでもらおう」
神樹。
かつて『神』と呼ばれる存在がいた。彼はこの世界にエルフを作り出した。エルフにとっての造物主であった。
時折、エルフたちは神がこの世界から去るのではないかと怯えることがあった。
『この世界に神など在るべきものではない』と当人が口に出すこともあったからだろう。
絶対的な力を持ち、命を好きに生み出せるものであるからこそ、自らの存在が天然自然の法則を捻じ曲げていると考えていたのか、
それとも別の理由があったのかまではわからない。
ただ、そうした言葉があったからこそエルフたちは怯えていた。
そうした姿を見て自分の言葉が不用意だったと思ったのか、彼は云う。
『自分に何があろうとも神樹を目指してエルフたちのもとに還る』
安心させるための方便だったのか、そのときは本当にそう思っていたのかは誰にもわからない。
その発言からどれほどの時間が流れたか。
彼はある日、この世界を去った。
エルフたちはいつか神が戻ってくる日を待つために神樹を守り続けた。
永遠の如き寿命を持っていた古きエルフが去り、次に長い命を持っていた高貴なエルフが死に、やがてエルフたちの尺度で見てヒトと少ししか違わない寿命になってしまって、
それでもエルフたちは代々神樹を守り続けた。
長い時の流れで神樹が戦火に飲まれることもあったが、神が帰る場所であるがゆえなのか、それは不朽にして不滅だった。
「その神樹というのはエルフたちの手から離れることもあったが、カルザハリ王国最後の王がそれをどこかから取り返して、彼らに返還した。
他にも幾つもの恩義もあってエルフたちは少年王に絶対の忠誠を誓うようになったのだ」
詳しくは局長の許可を得て作った教本に書いておいた、と紙の束を開くキース。
彼自身、ここで得た知識で語っていることであるので神樹についての真実がそこにあるかまではわからない。
といっても、そうした疑問ばかりを持っていては講釈することもできないので断定的に話している。
「それが管理局の、フォグ先輩たちですね」
「うむ。とはいっても、現代のエルフの殆どは寿命は我らヒト種の四倍程度だと聞く。
フォグ先輩たちも『神』というものに会ったことはないし、実際に神樹が神がおわした時代の遺物であるかどうかもわからないだろう」
力があるのは間違いないようだが、と付け加える。
実際に戦火で焼かれても消えない時点で何かしらの強力な神性とも呼ぶべきものは帯びているのだろうとキースは考えていた。
大抵の場合、そういうものはより大きな意味や力を持っていて、頑強性めいたものは余録でしかない。
長い時代を稼働し続けてきている炉もまた同じく、彼の考えるところの神性が帯びているのではないかと予想していた。
こうした考えをするとキースは没頭しそうになるので自分を律しつつ、言葉を続けた。
「つまりは先輩たちも古にいた神を見たわけでもない。あくまで神も神樹も『ありがたがる程度のもの』だったのだろう。
しかし、エルフたちはかつての自分の父祖たちが崇め、愛したものに等しい存在に出会ってしまった」
「忠義を向けた少年王、ですか?」
「そうだ。そして今この管理局が目指しているものこそが」
『神』の帰還。
ただ、それはかつてのエルフたちが待望していたものとは違う。
神樹を与えられたエルフたちにとっての神は少年王なのだ。
「今もその神樹はどこかに祀ってあるんでしょうか?」
「それについては──」
図書室の扉が開かれる。
「私から説明しよう」
「フォグ先輩」
「よく勉強しているようだ、キース」
「はい、先輩の教えも、そしてこの図書室の多くの知識が私に伝えてくださっています」
図書室とは呼ばれているが、ここにあるのは長年をかけて保存されていた管理局の行動や計画など。
キースの勉学に対する才能を見込んだウィミニアがこの部屋の立ち入りを許し、知識を得ることもまた許していた。
「神樹がいまどこにあるか、という話だったね」
相手が見習いであっても、それが監視役であったとしてもサナのひたむきさはそれを忘れさせるもの。
学ぼうとし、あるいは諜報のようなことではなく、あくまで隣人として人となりを知ろうとするサナの態度に局員たちはほだされていないと云われれば嘘になる。
勿論、局員たちの長い経験からそこに邪気や悪意がないことを理解している上でのことだ。
「それについてはこの部屋の書物を漁っても見つからず、やはり秘匿性の高い情報ということですよね」
「よくわかっているね、キース。
ではどこにあるかと言えば──」
キースとサナはフォグの言葉を待つように、じっと見つめる。
「どこにもない」
「……ど、どこにも? それはもともと神樹などなかった、というわけではなく」
「勿論、元はあったとも」
キースの言葉に冷静に返すフォグ。
そしてそのフォグにサナが、
「じゃあ、どうしてしまったのですか?
よもや盗まれるなんてことは管理局の皆さんがいる以上ありえないはずですから、
それじゃあ足が生えて歩いて行っちゃったとか、羽が生えて飛んでいっちゃったとか、そういう」
それを想像したのかフォグは「あっはっは」と声を上げて笑う。
「そうかもしれないな。それが一番近いかもだ。
今は神樹は、正確に言えば神樹を骨としたものはどこかにいる。どこかを渡らい続けている」
「渡らい続け……?
それではまるで」
疑問だけではなく、確信の種のようなものを含めたキースの言葉にフォグが微笑む。
「そうとも。今、神樹は君たちの師と共にある。
元より、神樹と──少年王と彼は長らく共に在った存在だからこそ、再び歩調を同じくしたのだ」
いつも、感想、評価、誤字報告などでの応援ありがとうございます。
連続更新は(EP151)までとなります。
次回の更新(EP152~)は一ヶ月後から一ヶ月半後までには、と考えております。




