145_継暦141年_夏/05
よっす。
爆発したオレだぜ。
今回のオレはというと……逃げて逃げて、逃げ回って、深い森へと逃げ込んだ賊だ。
元々の根城は冒険者に襲われ、脱兎。
そのあとの借りぐらしの拠点としてどの賊の勢力でもない街道を根城にしようとしたら守衛騎士に襲われる。そりゃあどの勢力のものでもねえわな。
そこからも散々だった。逃げていたら他の勢力の賊に襲われ、街道をパトロールしているどこぞの領の兵士に狙われ、そうして逃げて逃げて、森に来たって次第だそうだ。
「カシラあ、こんなとこまで逃げる必要があるんすか?」
手下の一人が悪態にも似た質問を投げかける。
「いや、っていうか、ここ大丈夫かよ。すっげえ森の奥っすけど」
「俺、先輩に森の奥に行くなって言われてんだよなあ。鬼獣が出るからってさあ。今のオレたちじゃ鬼獣に勝てなくね?」
その言葉を皮切りにして不満未満の声が上がる。
鬼獣ってのは普通の獣よりも厄介な存在に与えられる名前だ。
戦術的に人間を狩る狼、血の味を覚えた猿、人語を真似て人を誘いこむ怪鳥。
そういう類のものだ。中には魔術じみた力を使うものもいるのだとか。
鬼ってのは東方に存在する「恐ろしい存在」を意味する言葉らしく、こっちでもいいように使われている。ゴブリンを小鬼、つまり小型の脅威って意味で使ったりな。
「っるっせえぞ!! こんな森怖くねえ!!!」
カシラが怒声を放つ。
普通の声なら森の木々に吸われるだろうが、カシラのそれは森の静寂を破るほどの勢いがあった。
「安心しやがれ、けだものくれえ俺がなんとでもしてやる!!」
お手製の石斧をぶんと空に振るう。
素朴すぎる武器だが、あの石斧でここまで切り抜けてきたのだからこのカシラは十分に剛の者だと言っていいだろう。
「ほら! てめえらは飯探してこいや! 薪も集めろよ!!」
「へえい」
不承不承というわけではない。文句の一つでも吐けば十分。
カシラの実力は誰も疑っていない。鬼獣如きに遅れなど取るまい。安心だ。そういう気持ちを求めていただけなのだ。
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何を担当するかの班が自然と作られた。
寝床を作る班。
薪集めをする班。
果実や木の実を集める班。
そして獣を探す班。
まるで冒険者見習いのレクリエーションではあるが、食事がなければ先細り。文字通りの命懸けの状況であるからこそレクなどという甘っちょろいものではない。
季節は夏でも、この森は妙に冷える。それに鬱蒼とした森の中だ、焚き火が獣を寄せ付けないようにしなければ明日には全員仲良く獣の胃袋に収まっている可能性も高い。
オレの担当は薪集めだ。専門的な知識がなくてもやれそうだからな。
乾いた枝を拾い集めていると一人がぽつりと云った。
「ビウモードの外れだよな、ここって」
「逃げてきた方角からすりゃ、そうだろうな」
「看板が刺さってたよな、随分古ぼけてたけど……なんて行ったっけか」
「なんたら湖?」
そう話していると、一人がぽつりと、
「湖、もしもそれがダルハプス湖沼だってなら嫌な予感がヒシヒシしてくるんだよなあ」
「誰ハプ……?」「ダルハプスな」
「ビウモードの辺りにあったらしいんだよ、その湖だか沼だか。そこにゃおっかねえ怪物が住んでたんだとよ。命の法則を超えた怪物が」
ダルハプスの野郎、そんな大袈裟に語られてるのか。
……大袈裟ってわけでもないか。
「人の姿を取らず、人を惑わし、苦しめ、嘲笑う、怪物なんだとよ」
「なんだよそれ」「液状の怪物みてえな奴だったのか?」
「おいおい、今する話かよ」
ざわざわと風に木々が揺れる。木の葉が掠れる音が不気味な笑い声に聞こえた。
「……」
「……」
その瞬間に思わず全員が押し黙る。
恐怖が余計なことをいう口を縫い付けたようだった。
「さ、さっさと集めようぜ」
「そうだな!」「それがいい!」「ちびりそう!」
チビってもオレたちに替えの下着はない。
それが必要になる前に、大急ぎで薪を探し求め、拾い集めた。
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想像以上に豪華になった。
寝床も、食事もだ。
鹿を捕らえ、木の実だけでなく野草の類も色々と集めていた賊の群れ。
近くには沢もあったようで、水にも困らなさそうだと言われた。
こいつら賊やる必要ないだろってレベルのサバイバビリティだ。
賊の侮れない数が村などで普通に過ごしていた民草で、戦争だのなんだので土地を失ったり、上が代わって圧政で生きていけなくなったり、そういう事情から賊になったりする。
だからこそ、こういう状況でも柔軟に生存手段を探し、得られたりもする。賊の誰もがこうではないし、賊の群れのどこもがこれができるわけではない。
ただ、少なくともこの賊はそうであった。
その代わり、運が欠如していたからこそこんな状況になっちまっているわけだが。
ともかく、恐ろしげな森での一夜目は特に問題ないどころか、前途が明るい感じでお開きとなった。
持ち回りで見張りを立てることになる。
オレは出番よりだいぶ早くに起きてしまう。尿である。出物腫れ物所嫌わず。ちょっと違うか?
ともかく、我慢するのはヤバいのだ。
「なんだ、まだ交代じゃねえぞ」
「ちっとはばかりにな」
「あんまり離れんなよー。いや、聞こえる場所ではすんなよなー」
「離れるかよ、こんなおっかねえところで」
弱々しい言葉を発しつつ、オレは茂みへと進む。
まあ、見張りの言う通りにマナーはマナーとして守らねばなるまい。
鬱蒼とした森ではあるものの、ところどころに差している月明かりがある場所を探して向かった。
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「……けて」
ようやくいい具合だと思える場所に近付いたとき。
「あ?」
「……たす……けて……」
声。
いやいや、こんなところで女の子の助けを呼ぶ声とか怪しすぎるだろう。
迂闊さに定評がありそうなオレだってこれには流石に警戒するぞ。
周りを見渡し、警戒をする。少しの時間は経過したが未だ声は遠くからまだ聞こえていた。おそらく風に乗って聞こえてきているのだ。
「近付かないで、やめて」
細く、儚げな少女の声。
「まだ……死にたくない……」
……ああ、くそ。
これで夜が明けてこの辺りに足を運んだら『少女だったもの』なんか見つかってみろよ。この周回はずっと最悪だぞ。
オレはそんな悪態を噛み殺して声の方向へと走る。
暫く進んだ辺りだった。
オレは派手にすっ転んだ。根っこにでも引っかかったか?その感触はなかったが。
いや、違う。
痛みだ。強い痛みがある。
オレは恐る恐る足を見る。そこに見るべきものはなかった。足がない。
片方が遠くへと飛ばされていた。
よほど鋭利なものか、魔術のような何かしらの術式で切り飛ばされたのだろう。痛みがすぐに来なかったのはせめてもの慈悲か。
「ききき」
笑い声だった。
人のものではない。
だが、それが嘲るものであるのは理解できた。
見上げれば大樹の枝に巨大な鳥が止まっていた。
夜であるのに、その瞳が明確にオレを見据えている。
「ききき」
「お前が声の主か」
「助けて 来ないで 死にたくないよ たすけて ききき」
ああ。あの少女の声だ。儚げな。哀切に満ちたもの。
「……そうかい。なら、まあよかったか」
「……きぃぃ?」
片目を細めるようにしてこちらを見る。
会話が成立しているみたいで、ちょっとおかしな雰囲気だ。
もしかしたら高い知性があるのかもしれない。言葉が通じるのと意思疎通が可能なのは別問題だろうけどな。
「仮にこんなところで女の子が何かに襲われてたとして、よく考えなくてもオレ一人で打開できるとも思えないからなあ」
遠くから賊の悲鳴が聞こえてきた。
口々に「ただの獣じゃない、鬼獣だ」だとか「勝てっこない」だとかが聞こえてきた。
なるほど、この森は狩場だったのだ。鹿も、木の実も、野草も、それは人間を誘い込むための餌だったのかもしれない。
鬼獣──鬼獣、か。
「オレの味なんてたかが知れてるだろうけど、不味いからってぺーってすんなよな」
ゆっくりと視界が暗くなる。
あー。あっさり死ぬもんだ。毎度のことだけどな。
しかし獣が増えてるってのはわかったが、鬼獣が増えてるってのは珍しい気がするが、どうだろうな。
もしも鬼獣がそんな風に増えているんだとしたら、気がかりなこともある。
ここが賊の言う通りダルハプス湖沼と呼ばれた場所の終わり際だってならビウモード領のどこかなのだろう。
であれば、トライカの安全が気になりはする。
顔見知りがいるとどうにもな。
そんなことを思いながら、オレの意識は闇に解けていった。




