142_継暦141年_夏
よっす。
怒涛のような日々を過ごしたような気がしているオレだぜ。
何があったか、どっから思い出せばいいやら……。
記憶の振り返りをしようとしたときに、オレは少年の眼の前にいたことを思い出す。
「おかえり」
「ただいま……でいいのか? あの戦いはどうなったんだ、いや、オレは……」
「終わった後さ、何もかもがってわけでもないけど」
彼が何者かをオレは認識している。
ただの少年ではない。
シェルンの姉御やブレンゼンの旦那が信頼し、支えようとしていた少年であり、トライカを救おうとした冒険者。
「……そうだ。あの体験はなんだったんだ。
オレの記憶にはないってことは周回の外の話だってことか?」
「そうとも」
少年の声。
やがて姿がゆっくりと見えるようになる。
「ゆっくり思い出していこう。どうせ時間も何もない場所だ」
どこから、というのであればここにいる理由から思い出していくべきか。
オレはブルコにぶっ殺されかけて、倒れて、気がついたら少年の眼の前にいた。
そして、その後のことも思い出そうとすれば一瞬前とも思えるし、しかし、半年以上前の記憶にも思える。
「追体験はどうだった?」
「どうもなにも……、少年はすんげえ頑張ったなあ……と思うよ」
むず痒そうな表情をする少年。
「それは、まあ、ありがとう。
それにしても、まさかお前と同じ生態になるとはなあ。……いや、昔話よりも今は現状の把握をしてもらうべきか」
「現状の把握って」
追体験から覚めてから、ようやく周りを見渡す余裕も出てきた。
そこは空間と呼べるものだけが広がっている。
何も無い。ただただ、広がった場所。
地面と認識している場所も透明なガラスを踏んでいるようなもので、足元にすら果てのない蒼穹が広がっている。
「随分寂しい場所だな。現実感もない」
「実際の空間ではないしね。心の中だよ、ここは」
「心の中で少年と一緒ってところがまだピンと来てないんだけど」
「それについてはオレ様もあんまりわからない。説明できる奴がそのうち来るだろうとは思うよ。
それよりも、お前とだけ呼ぶのもつまらんだろう」
彼が体験した記憶でオレ(だと思われるもの)はローグラムと名乗っていた。
曖昧な言い方になるのは仕方ない。何せオレにはその周回の記憶が残っていないのだから。
「今はジグラムと名乗っているが、名前そのものに意味はあんまりない」
少年はそれに対しては「だろうね」とだけ返した
彼もオレが何者かであるかを理解しているのだろう。
「なら、グラムと呼ばせてもらうかな。そっちのほうが親しみがあるし」
その親しみは単純な追体験を経たから、というわけではなさそうだ。
どこか遠くを思うような、そんな風に感じる。
先程の彼の『お前と同じ生態になる』って発言からも、より昔の周回でオレたちは出会っていたのだろうか。
「好きにしてくれ。オレはなんて呼べばいい? いままで通り少年と?」
「……そうだな。ヴィーと呼んでくれたほうが嬉しいかな」
「わかったよ、ヴィー」
オレが呼ぶと、彼は小さく微笑んでから、
「こっちの記憶ばかり思い出すのもグラムのものが混濁してしまうかもしれない。
今回の周回で何があったかを思い出してみるのはどう?」
「流石に体はジジイだけどそこまでボケちゃいない……はずだが──」
オレが実際に経験した記憶を思い出してみるか。思い出せると思うけど、一応な。
これで思い出せなかったらちょっと怖いし。
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【初回】一般的な賊。
●「《甲殻》」と請願を起動した青年にぶっ殺される。
【2回目】囚われた賊。
●ドップイネスとかいう商人に捕らえられていた。
手下にオーフス、ブルコ、ジャドってツワモノがいたな。
●レティレトって娘を助け出そうとしたが、オレはオーフスって奴に殺されちまったんだよな。
一応、相打ちにゃあしたが娘を助けきれなかった時点で負けたって言っていいだろう。
【3回目】賊子供。
●ルルって女と会う。……アイツ、伯爵だったのか。
●ゴーダッドって牙鬼の血を引いてそうなカシラと共に戦った。賊だけど善良そうなお人だったな。
●サナって娘を助け出せた。どうにもパキっとしない掛け声にはなったが、投擲の技巧を扱う才能を強く感じる。
●ルルやサナたち(どこぞのお偉いさんの妹の娘に仕える召使やその一団)と少し旅をして別れた。
●ルカルシとソクナの戦いに参加。これも少年の記憶ありきでソクナがどういう人物かもわかった。乙女じゃん。
●ドワイトにぶっ殺された。
【四回目】年寄り。
●現在のオレだ。
●キースに師事された。
●管理局の局長様であるウィミニア様に依頼されて、トライカに。
●トライカでメリアティ市長を助けるためブルコと戦い、相打ちになった。
●とりあえず、まだ死んでいない。
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「思い出せるが、少年と一緒にいた記憶はない。……ってことは違う周回の話なんだよな。
少年は……ヴィーは今まで何をしてたんだ?」
「わからない。正直、あの冒険の日々はつい先の記憶だってくらいでさ」
「オレのはそういう生態だからで理由は付くが、ヴィーはどうなんだ。元々がそういうわけじゃないんだろ」
その生態に憧れたことがないと言ったら嘘になるけど、正直懲り懲りだ、と笑う。
「オレ様がグラムのまねっこみたいなことをさせられていた理由はわからないわけじゃない。
けれど、計画を動かしている奴が話す気になるまで話さない方がいいのかなってさ」
「ヴィーはそれでいいのか? 聞いておけばお前のためになにかできるかもしれないが」
「冒険していた頃に十分すぎるくらいにしてもらったよ。
オレ様個人の望みなんて、グラムが好き勝手に生きてくれることくらいしか残ってない」
その言葉から否定的であったり、悲観的なものは含まれていないように思えた。
「ただ、もう少しオレ様との関係は続くと思う。っていっても……」
ふわ、とあくびを噛み殺すヴィー。
「ここが心の中って話はしたよね。今のオレ様とグラムはちょっとした同居生活中なのさ」
「姉御や、ヴィーと一緒にいたアルタリウスみたいなものか」
「近いかも。でもあんな風に働いたりはできない。できることがあるかは探してみるつもりだけど、期待はしないでおいてほしいかな」
ないはずの記憶が疼く。
言うべきだと思った言葉が浮上する。抗いはしない。過去のオレが言いたいことなのだろう。
「働きすぎなんだよ、ヴィー。今くらいはじっくり休むといい」
それはトライカで消えるまでの彼と、彼を通して見たオレの記憶ではない。
もっともっと古い時代の、オレが彼に掛けたかった言葉であることは理解できた。
「そうさせて……もらおうかな」
小さく笑う。年相応の少年のあどけないもの。
そうしてすぐにゆっくりと目を閉じると、この空間そのものも緩やかに閉じていく感覚を覚えた。
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次に認識できたのはどこかの──執務室のような場所だった。
まるで寝苦しい日に見る夢にも似た目まぐるしさだが、夢ではないことは認識している。
現実というわけでもないだろうが、深く瞑想でもして心の中を探訪しているような感覚だった。
執務室には大きな机と椅子が置かれている。
大きな窓があり、その先には城下町が見下ろせるようになっている。美しく、平和な世界に見えた。
記憶にはない景色。ただ、郷愁にも似た感情を覚えていた。
オレが居るのは扉に近い場所に置かれた客用の椅子。そこに座っていた。
そうした眺望を窓に近づいて楽しみたいところだったが、この場所にはオレ以外にも住人がいた。
机側にいるその少女はあれこれと書類を見たり、整理したり、或いは文字を書き入れたりしている。
ちらりとこちらを見ると小さくため息を吐いた。敵対的ではないが友好的でもない。
一言で表せばそれは、
「随分不機嫌だな」
「貴卿のことが嫌いなものでして」
ひぃー……身に覚えがないぞ。
我が身に覚えがない以上、聞く以外に選択肢はない。
「オレが何をしたんだ」
彼女に何をしたかはわからないが、彼女が何者かはわかる。
それはヴィルグラム少年の記憶にもある通り、彼女こそがライネンタートと呼ばれる存在である。
ウィミニアの名も出したが、オレが知るウィミニアとは姿が違った。
「それも覚えていないとは、まったく……貴卿の存在は本当に半端ですね。功罪のどちらかでも覚えているならまだしも。
もっとも、その半端さが我らの望みを叶える計画の骨子になったのは皮肉以外の何物でもありませんが」
その口ぶりからオレが嫌われている理由は話してくれないのだろう。
少女のようではあるが、耳の長さから見てエルフであり、エルフたちの中には幼体で姿が固定されるものも少なくない。
こう見えて彼女は立派なレディなのだろう。記憶のないときに姿に惑わされ子供扱いしたとかそういうことだろうか。
周回の終わりに掛かるリセットがあるから頭がどうにかならずに済んでいるのだろうことは理解しているが、
記憶がなくなるということは彼女の言う通り功罪のどちらも覚えていられないということでもある。
「で、説明はあるんだろうな」
彼女に対して何をやらかしたのかは一度横に置いておこう。
今必要なことはそれではない。
この空間で目覚めたこと、何を求められているのかを知ることが重要だ。
「簡単なことです。貴卿が死に、生きてを繰り返すことが我らの計画のためになる」
「曖昧な言い方だな。まずその『計画』ってのはなんだ?」
「我らが主、ヴィルグラム陛下を甦っていただくことです」
「甦ってたじゃねえか」
頭が割れそうになりながらも得た情報ではヴィルグラム少年の主観を知り得た。
間違いなく彼もオレと同じように生きて死に、そしてまた生きていた。
「確かに五年前は、ええ。そのように見えたでしょう。ですがあれはあくまで計画の一端です。
貴卿と同じように生きて、貴卿の儀式への親和性を高めるための。
穏便になるはずが陛下も貴卿もダルハプスなどという面倒な敵へと突き進んだときはどうしたものかと思いましたが」
さておき、と話を区切る。
「『慣らし』の段階は終わりました。今の貴卿は陛下と一つになっている状態です。
やがて、貴卿の生態を経て、陛下はお還りになるのです」
じっと見つめてみる。
ヴェールから透けて見える瞳からは狂気は感じない。他人からしてみれば狂った発言かもしれないが、オレの中から消えてしまっているはずの記憶が、彼女の正気を伝えているようだった。
「ああ、貴卿はいくら死んでくださっても構いません。陛下の身も心も傷つくことはありませんから」
「オレの心配は?」
「してほしいのでしたら、陛下と計画の次に心配いたしますよ。ああ、そういう意味で捉えれば、陛下の次には心配することになりますわね」
「言葉の通りにだけ受け取って喜んでおくよ」
書き物をしている手を止め、ペンを置くライネンタート。
「ただ生きろと言われてもつまらないでしょうから、儀式を進める際に拾い上げることができた幾つかの記憶はお返しします」
指をパチンと鳴らす。
その瞬間にびりびりと頭痛が走る。そして、沸騰した湯に上がる泡のように記憶が戻ってくる。
トライカでの死から向こう、……ルルシエットで命を落とすまでの記憶。
「動く上で目的の、その一助になるかもしれませんからね。
とはいっても、私ができることは陛下と貴卿が共にいた周回のものだけですが」
「周回のことまで知っているんだな」
「覚えておいでではないようなので言っておくと、教えたのは貴卿自身ですよ。もう随分と昔の話になりますけれど」
ヴィーや、彼女と共に生きていた頃のオレはあけすけに全てを伝えていたのだろうか。
だとしたなら、当時はそれを人に伝えることに忌避感がなかったのか。
それとも、伝えても構わないと思うほどの関係性を築いていたのだろうか。
「それと、この周回は貴卿の理解している法則から外れる可能性があります」
「例えば、どういうのだ。ヴィーみたいに同じ体になるとか?」
「いえ、可能性の話でしかありませんが、10回以上の命があるかもしれません。ただ、可能性は可能性。残っていたなら幸運程度。
それと考えられるものは周回以後も残っている何かがあるかもしれません」
何があるかわからない、って言いたいのだろう。
そりゃあまあ、オレの中にヴィーがいるってなれば予期せぬ出来事が起こるかもしれない。
「わかったよ。いや、なにもわかっちゃいないが、違和感があってそれがオレにとって好都合だったときは幸運と思うし、お前に感謝を捧げるさ」
「私に感謝は不要です。さて、そろそろ夢も終わりですね。
それでは夢ではない場所でお会いしましょう。まあ、それも短い時間になるとは思いますが」
聞きたいことはまだまだあったが、あの調子だ。
答えてくれるとも思えない。もしかしたなら全てを語ってこの情報量だった可能性もあるが。
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体が重い。
現実感と言うべきか、体の重さのようなものが地とオレを縛るようだった。
肉体が老いたものであるってのもあるかもしれない。
或いは──
「おかえりなさいませ」
オレは横になっている。
傍にいるのはウィミニアだ。
周りを見れば大量の血が乾かずに散ったままだ。オレの血だ。ここがブルコと死闘を繰り広げた場所であることを思い出していた。
「なんか、こう」
「態度が違いますか?」
「あー、まあ、そうだな」
先ほどまで話していたエルフの彼女と、眼の前にいる彼女は同じ存在であるという。
しかし、その態度はまるで違う。
ライネンタートから返された記憶を振り返ってみれば思い出せることもある。オレは過去にウィミニア、ヤルバ、ルカルシと共に戦い、その共闘の中でオレは命を落としている。
それが彼女の態度に影響しているのだろうか。
「先ほどまで会っていたライネンタートと、君は違う存在なのか?」
「溶け合って一つにはなっています。ただ、ああした空間で貴方やヴィルグラム様と対話をするのは、本来のライネンタートの……魂とも言うべきものなのです。
私は彼女が持っていた技術や知識、それに執念と感情を受け継いだだけなのです」
ウィミニアとライネンタートが混ざり合っているからこそ、ウィミニアとしての意識が(或いは彼女の云うところの感情が)あのとき見せた不機嫌さを消しているのだろうか。
「すまない」
「なぜ、謝るのですか?」
「そりゃあ、オレは──」
そういう生態だからとは言っても、知っている人間に他人としての態度を取られたら悲しくもなるだろう。
オレはウィミニアにそれをしてしまった。
謝って改善することなんざ何一つないこともわかっている。
けれど、そうするべきだと思った。自己満足でしかないだろうけど。
「いえ、謝るべきは私ですね。……ごめんなさい、グラム様。
これからすぐに貴方を見送らねばならない事実に」
「それは一体なに……をッ……」
頭が割れるように痛い。
痛みに気がついたときにはオレは転がっていた。
身動き一つ取れない。
「ごめんなさい。こうなることはわかっていました。
ですから、老人の体であることは都合がよかったのです。『次』を始めるには、これが一番都合がよかった」
言っていることはヤバい研究者そのものなのだが、その割にはあまり嬉しそうな顔はしていなさそうだ。ヴェール越しではあってもそれくらいはわかった。
「精神とは、どうやら肉体から受ける影響があるようです。
幼ければ、若ければそれだけ柔軟性を持っています。そうした器に情報を注ぎすぎたとしても受け入れてしまうかもしれない。
つまりは情報接種過多で死なないかもしれない、ということです」
ウィミニアの視線を強く感じる。
「老いた肉体であれば、精神と記憶は既にその肉体は十分に『過去』を有してしまっている。
受け入れるだけの隙間が存在しない。
そうなれば、器は耐えかねて割れてしまう」
「割れるっ……てのが……、比喩……ではないってこと……か」
なるほど。割れるように痛いではなく、割れて痛かったのか。
死ぬ寸前ってのは冷静になるもんだ。
今も至極冷静に状況を見れている。
息を吸い、言うべきことを整える。
「気にすんな、ウィミニア。
これも誰かの為だって思っていていいんだろ?」
「……貴方は、変わらないのですね」
「そう考えるのがオレにとって救いになるからな」
それがオレの最期の言葉になった。
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ジグラムはそれきり動かなくなる。
ここにいる二人は彼が復活という生態を持った存在であるからと、或いはそもそも命を奪うのが楽しいと思うような人間ではない。
「これで計画は前進します。ライネンタート卿にとっても、メリアティ様にとっても」
死者として丁重にその肉体を扱うウィミニアは言葉を紡いだ。
「それはウィミニア、貴方にとっても……ですか?」
現在のメリアティはただの伯爵令嬢ではない。
トライカを支配し、発展させる都市の若き女主人であり、人心への理解力の高さは為政者として必要十分以上に備えている。
ウィミニアの言葉に自分自身が含まれていないことをメリアティは見抜いていた。
メリアティとウィミニアの関係はトライカの発展と、メリアティに対する呪いに関しての研究を通して深まっていた。
それこそ、今ではウィミニアを姉のように慕ってすらいた。
メリアティが姉のように慕う相手の表情が暗いようにも見えたのが気になっている。
「どうでしょうか。私の望みは──」
一方でウィミニアもまた、メリアティを大切な妹のように『思いたいと思っていた』。
「いえ、そうですね。叶うことを望みます」
そう云うも、彼女の表情はどこか曖昧模糊としたものだった。
マトメをそろそろ作りたいと思っております。




