136_継暦136年_冬
どうするべきかと悩んでいたヴィルグラム。
眼前で門の防衛に当たっているアンデッドたちがガラガラと音を立てて崩れ、物言わぬ躯へと戻っていった。
『アンデッドが』
(消えた?)
『何があったかはわかりませんが、今のうちに中へと参りましょう。
ヴィー? どうしたのですか?』
妙な胸騒ぎ、或いは胸のつかえを感じるヴィルグラムだったが、見て見ぬふりをした。
(いや、……なんでもない。行こう)
立ち止まってしまえばこの状況が、何者かが作り出したかもしれない好機を逃がしてしまいそうだと思ったからだった。
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(やっぱ道がねえな。よし、突っ走るぜ。姐御は祈っててくれ)
『よかろう。ばっちり祈っておいてやろ……ん?』
正門とまったく同じタイミングで同じ状況が裏口でも発生する。
(アンデッドどもが崩れた!? いや、今こそ突っ走りチャンス!)
崩れていくアンデッドたちを避けるようにして駆け抜け、裏口の扉へと走る。
鍵があろうとなかろうと関係ないと言うほどの勢いで扉へと殺到する。
鍵は掛かっていなかった。そのおかげで衝突することもなく中へとなだれ込んだ。
「うおッ!?」
「おや」
倒れ込む勢いで入ってきたローグラムに声で反応したのは二人の男。
狼人とヒト種の壮年。
つまりはケルダットとディバーダンである。
飛び込んだローグラムも、二人とも彼のことは知らない。
ケルダットたちからすれば迷い込んだ一般人なのかと思うが、風体からするとろくでもない人種のようにも見え、判断を保留する。一応、ケルダットは武器を構えはしていた。
ローグラムもそうされることは自然であると考えている。
状況が状況だ。むしろそれくらいしてくれるほうが安心感すらある。こんな切羽詰まった空間でにこやかに「ようこそ、お茶とお菓子などいかが?」なんて聞かれる方が困るというもの。
「あー……オレは──」
ひとまずは自己紹介、状況説明。
その中で彼らはヴィルグラムの名前を出すと「おお」と反応する。
(顔広いよなあ、あの少年は)
『お陰で無用な戦いを回避できるというものだな』
(無用というか確定死の場面回避というか)
命が掛かった状況であっても冷静というか、のほほんとすらした精神状態であることにバスカルは頼もしさとそら恐ろしさを感じる。
ただ、今更であるとも思えるのであえてなにか突っ込むこともない。
二人はイセリナと分かたれて、彼女の頼みもあってメリアティの救出に動くという。
であればと自分も同行させてほしい旨を伝え、共に伯爵令嬢のもとに向かうこととなった。
少年の関係者だからと即座に信頼されたわけではなく、野放しにするよりかは視界範囲に抑えておいたほうがいい、という判断だったのかもしれない。
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ケルダットとディバーダンからすると来た道を戻るだけであり、いくらか邸内の構造は変わってはいても迷うことはなかった。
メリアティの寝室近くまでくると二人は警戒の色をより強め、それに倣ってローグラムも警戒する。
『アンデッドの反応だ』
(裏口の連中は滅びたからその生き残りか)
『或いは、本丸であろう』
戦意が湧き上がる。
自分のものではないことをローグラムは理解している。
これはバスカルのものだ。怒り、いや、義憤か。戦友を想う心が身も心も沸き立たせる。
それに抗うローグラムではない。
(本丸だなんて、都合がいいね。オレたちでやっちまおう。
首が物理的にあるならぶっちぎって旦那とその墓前に捧げてやるぜ)
残り少なくなった石を指先で数え、そして、あの『布まみれ』から渡されたシュリケンと呼ばれる投擲武器の実存も指で確かめた。
「準備はいいか?」
「こちらは問題なく」「オレもねえよ。中にいるならやっちまおうぜ」
端的なディバーダンの受け答えと異なり、賊っぽい言葉だなと自分の発言ながら小さく苦笑するローグラム。
扉はケルダットによって開かれた。
部屋はそれなり以上に広く作られている。余計なものは殆ど存在しない。それこそ貴族などがありがたがるような調度品も少なく、眠り、或いは治療するためだけに設けられた部屋という印象を受ける。
そうした部屋であるからこそ、『それ』がくつろぐに十分なスペースがあった。
「不遜。不敬な。吾を誰と心得ている」
それは黒い獣だった。
狼のようであり、獅子のようであり、そうした四足獣のような特徴を持ちながら毛はない。
むき出しの肌は全て黒曜石のようなぬめりにも見えるてかりを持ち、ずるりと伸びた体は蛇のようでもあった。
つまりは、それは何者でもない怪物である。
顔に当たる部分も同様に蛇めいてもいたが、眉間の部分には凶相を隠すこともしない老齢の男の顔が埋まるように存在している。
尾の終端にはベッドに寝ている少女──メリアティに絡みついていた。寄生生物の宿主とされているようになっているのは誰の目から見ても明らかである。
「こっちが当たりか」
「幸運でしたね」
「ああ。嬢の方にこいつがいねえと楽観視できるからな」
蛇の瞳がぎろりと闖入者を睨むように。
「吾を前にして、何を」
ダルハプスの言葉が終わる前に行動を興したのはケルダット。
握り刃が縦横無尽に閃く。
黒いぬめりの肌は実体の如く切り裂かれ、汚泥のような血液を垂れ流した。
「ぐぬッ」
苦しげな声を上げ、しかしその傷口からはこの部屋で見た影で作られたトゲをより鋭くした、闇色の針が放たれる。
不意打ちであればこそケルダットたちは逃げるしかなかったが、二度目であれば避けるに十分な予測を持てる。
それだけではない。
「《重く、滞留せよ》」
ディバーダンの魔術。
それは対象の周囲を『重い』と錯覚させるだけの大した力のない魔術であるが、ダルハプスの闇の針と同様に初見だけに限ればその動作を緩慢にさせ、発生源には何が引き起こされたのか一瞬でも思考時間を奪うことができる。
対象がインクをまとっていればいるほどに影響は強く受ける作用があり、闇の針が緩慢になるのをみると実体こそ備えていれど、本質的には淀みのような影がそこに存在しているだけ。
墓場に現れる魂の残滓、亡霊だの幻霊などと呼ばれる怪物と同様のものであるとディバーダンは判断する。
「オッホエッ!」
「ぬう!」
気合の入った投擲が狙い撃つのはむき出しの顔面。狙って下さいといわんばかりの部位だ。
致命的な弱点というわけでもなかろうが、それでも問題と可能性を一つ一つ潰していかねば弱点を探れない。
そうした意図はケルダット、ディバーダンともに察していた。
ただ、ダルハプスは意外な行動を取った。
巨躯を折るようにしてその攻撃を必死に回避した。
弱点と錯誤させて戦術的優位を得る。そうしたやり方は誰しもが考えつく。
より深く深く注意させ、弱点であるならばと入りこませ、踏み込みすぎたところを叩く。そのための誘導である可能性は捨てきれない。
「演技にゃあ見えなかったが」
ケルダットが後退し、二人に声を掛ける。
「どうでしょうねえ。
あれは永く生きた個体なのであれば人を騙す手段にも長じているとは思いますが」
それじゃあもう何度かしつこく攻めてみますか、とローグラムが提案すると二人も頷く。
作戦は決まった。
ダルハプスは忌々しげににらみつつも姿勢を整える。
だが、どうにもその動きは不自由そうにも見えた。
『本調子ではないようにも思える』
(風邪引いてるとか?)
『巨悪がそうであればいっそ愉快だが、そうではあるまいな。
私の力にも似たものを感じる』
(力……憎念?)
『ああ。正確にいえばそれを利用して外殻を動かす手段に、だが』
(オレたちが見ているアレは皮だってことかい、姐御)
『皮、鱗、鎧……』
(ってよりは寝袋みたいだよな)
『寝袋? 寝袋、寝袋か。おもしろい考えだ。案外答えに近いかもしれんぞ』
(お昼寝中に来ちゃいましたってか、オレたちが)
『ああ、そうだ。
尾はあの少女に繋がっている。まるで寄生植物が芽吹きはじめたようにな』
(……寝袋。皮。いや、蛹か?)
『あの顔も核たる部分などではなく』
(羽化し始めた部位だってか)
『可能性の話だがね。███グラムはどう見る?』
(そりゃあ勿論)
やるべきことは決まっている。
「オッホエ!」
投擲が唸りを上げる。
狙いはダルハプスの顔面。
それを再び身を捩って避けようとするところにケルダットは巨体を支える脚を切り裂く。
一撃の重さや刃の長さはブレンゼンのような大型のものには及ばずとも、突風じみた連撃は的確に支える力を奪っていく。
「《軽やかに、潤滑せよ》」
ディバーダンは攻撃に合わせ、魔術を唱える。
本来であればそれは身動きを取りやすくするべきものだが、片足が崩れかけたダルハプスがもう別の脚に力を込めようとしたときに与えられたそれは踏み込む力を錯誤したように大地の上で脚を踏み外させる。
がくん、と体勢が崩れたところにローグラムの投擲が再び気合の一声と共に投げつけられ、次こそ顔面へとめり込む。
「ごああぁッ」
痛みにもがくのを見て三人はそれぞれに視線を合わせた。
致命打を与えることができる弱点かはさておいても、効力はある。
(分断はした。ここに来ることも予想した。
だが、二人であれば問題なく片付けることができた相手だ。
この投擲男はなんだ? どうやってこの状況に潜り込んだ?)
ダルハプスは自らの計画に歪みが生じていることが半ば信じられなかった。
例え闇の針が見切られていようと、相手も自身に的確な攻撃をするまでには至れなかったはずだ。
(儀式の中核に分霊を置くではなく、自由に動き回れるロザリンドをこそ我が分霊にするべきだったのか?
そんなことを考えているべきではない。後悔は彼奴らを屠ってからだ)
物質化している肉体を崩し、闇の針の準備を進める。
望ましいことではないがこのままずるずると戦う選択肢だけはない。いずれ削り殺されるか、唯一の弱点である生まれつつある自身の肉体が潰されかねない。
(どうあっても運命とやらは我が味方にならぬというか。いいや、ここで吾が討たれることを運命が望むのならば、吾はそれをも超えてみせよう)
「動きが鈍った! 一気に片付けるぞ!」
「合わせてくださいよ。ケルダットくん!」
ケルダットが踏み込み、それと同時にディバーダンもまた詠唱を始める。
「《炎よ、踊れ》」
炎が衝撃波を生み出しながら炸裂する。
熱で生まれた陽炎を切り裂いて踏み込んできたケルダットの握り刃がダルハプスの顔面へと近づいていた。
「こざかしいぃィッ!」
ダルハプスが叫ぶと、口の部分にあたるものが大きく開き、息を吐き出す。
それは炎を生み出したりはしないものの、単純な空気の壁をぶつけるだけでも十分な力がある。
ケルダットはそれに押され、体制を崩す。
「ぼこぼこと吾が尊顔を好き放題に攻撃すること、これ以上は許さぬ」
「じゃあ、どうするんだ?
命でも差し出すのか?」
にたりとケルダットが笑った。
恐怖が消えたわけではない。これほどの巨躯を相手に恐れないわけがない。
それをひた隠して笑うことこそが効果的な処方であることをケルダットは知っている。
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切り裂かれた足から黒い闇が漏れ広がる。
ダルハプスの体はバスカルの見立て通り、蛹の外殻とも言えるものだった。
その素となったものは肉や皮ではなく、闇。
他者から吸い上げたインクと、ダルハプスの発する汚れたインクによって編まれた擬似的な物質的肉体であった。
多くの分霊を失ったダルハプスではあったが、幾つかの幸運と策略によって封印を脱する機会を得た。
不滅を求める彼は分霊以上の可能性を求め、まずは生物として強力な肉体を求めることにした。そのためにメリアティからインクを奪い、蛹となって体を作っていた。
それを彼は『新生』と称したが、果たされる前に今までの悪しき行いが因果として巡り、現状へと叩き込まれていた。
「新生できぬのならば元々の吾が力によってまずは窮地を脱す。
瞬く間に、夥しい死を披露してくれようぞ」
一箇所からの闇の針ならば先程のように動きを重くすることで対策も立てられる。
だが、ダルハプスが肉体を崩してまで用意した針の数は尋常ではない。
最初に見たものよりも更に多くの、そしてより鋭い針が貫かんと隙を伺う。
蛇の群れのごとくにゆらゆらと揺らめいているようですらあった。
『███グラム。
奴は鎧を手放した。殺傷力を上げるために、身の守りを固めることをやめた。
今であれば奴を私の憎念で仕留めることができるかもしれない』
バスカルは言葉を一つ区切り、肉体がないからこそ呼吸というものも要らない。
であっても、緊張を解すように一拍置いた。
『我が友、ロドリックの仇の機会を与えてほしい』
それが別れになることを二人は理解していた。
どのようにして残留したかはわからないが、彼女の力を使い切らねば倒せない相手であろうことは直感している。
(……折角友人らしくなってきたのに、寂しくなるぜ。姉御)
『何、またそのうち呑もうじゃないか。いつかのあの場所で。きっと今頃ロドリックもロザリンドと酒を酌み交わしているさ』
いつか帰る場所があそこであるとするなら、別れは寂しくはない。
他者よりもそこへ辿り着くのはあまりにも遠い道かもしれないが、慰めには十分だった。
『あのシュリケンとやらに私自身を篭める。
どこでも構わない。当ててくれ。その後は私と憎念で』
(わかった、準備はいいかい)
『ああ』
それじゃ、行くぜ。ローグラムは万感を籠め、気を吐くようにして一声と共に、
「オッホエェッ!」
シュリケンが擲たれる。
投擲の技巧がどのようにして投げればよいかを伝え、それをローグラムは可能な限りの力で投げつける。シュリケンは風を裂くではなく、風に乗るようにして回転と共に突き進んだ。
その雄叫びから何かが投擲されたことにダルハプスは気が付き、再び顔を守るような姿勢を取るも、シュリケンの狙いは守りを固めるであろう顔面ではなく、闇の針に変異しきっていない胴体に突き刺さった。
「ここでコントロールに失敗するとは愚かな男よ」
にたりと笑うダルハプス。
「それでいいって云われたんでね」
同じように不敵な笑みで返すローグラム。
金属が圧を受けて変形するような音が響くと同時に、それが現れる。
「鎧騎士、だあ? どこから現れた!?」
「あの鎧……どこかで……。そうだ、祭りだ。どこぞの祭りで見たことがあったと思いましたが、ルルシエットでしたかねえ」
ディバーダンの語るそれは追儺の祭り。ルルシエットの領地の一つでは今もバスカルを祖霊の如く奉り、一年の無事を祈る風習がある。
バスカルが生前にまとっていた鎧を模したものを見越しのようにして練り歩くのは観光資源の一つとなっており、ディバーダンも仕事で各地を流れているときに見たことがあったのを覚えていた。
いつからかこの祭りは鬼獣を追い払うものとなり、追儺と呼ばれるようになっていった。
「その通りさ、ディバーダンさん。
あれはバスカル。
おっかねえ憎念って力とした、かつてのルルシエットの偉大な将軍様で──」
自在に操られる闇もインクであることにかわりない。
憎念は持ち主の思いを形にするために闇を糸のように編み、形を作る。
かつての戦友と命を奪い合うことで距離を縮めたときの鎧を。
「ダルハプスが弄んだ運命たちの復讐を代行する者さ」
精緻にして華美なデザインを覆い隠してしまうような闇色。
面包の向こうには赤い光が灯る。
十字に光るそれはシュリケンであり、そのシュリケンにこそバスカルが宿っていた。
それは魂が燃える色。復讐の炎そのものであった。
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「バスカル、バスカルだと!?
過去の亡霊がふざけたマネを! ルルシエットの下郎めが時を経て我が羽化の邪魔をするとは……、不遜、不遜不遜、死罪に値する不遜だッ!」
ずるり、ずるりと額から顔が、首が、肩が、這い出てくる。一部は若々しく筋肉が隆起し、一部は老人のように枯れて、細く弱々しい。
ときを待たずして這い出たせいで、彼の云うところの『新生』として、一つの生命として現れるはずだったそれは不均衡な怪物として現れた。
巨躯の一部こそ怪物ダルハプスが闇の針から闇を溶かした液体めいたものへと戻し、その手に握っている。
強く握るとそれは鞭のように伸び、或いは剣のような光沢を持つ。
巨躯の大部分はバスカルの肉体となり、鎧と同様の色合いの、黒い大剣を作り出していた。
「我が友を踊らせていたのがお前であることを見抜けなかった不明、ここで八つ当たり的にであっても晴らさせてもらうぞ。
そうして当時の我らルルシエットの民が流した血の代価ともさせてもらう」
「ほざけ、ルルシエット家の暴力装置如きが、このダルハプスの、ビウモード伯爵の、いや、ビウモードそのものである吾に口を聞くことすら不敬不遜であることを教えてやるッ!」
蛇めいた怪物の肉体はインクであり、それらを奪い合うようにした二人であった。
結果として殆どはバスカルが自らのものとしたものの、ダルハプスの力も徐々に増している。
「往くぞ、ダルハプスッ!」
そう叫びながら、剣を振るうバスカル。
切っ先は尾を切り裂き、寄生先であるメリアティとの接続を切る。
「貴様──」
「強引に切ればどうなるやもわからぬはずだったが、お前のインクを得て知れたことも多い。
例えばあの令嬢はただのインクの供給源以外の何者でもない。あちらを助けようとして罠を用意するようなこともない。
いや、お前にそれほど器用な芸当ができるわけでもない。特に生者に対してできることなどそう多くはないことを看破できた。
その上で」
バスカルが踏み込む。
「生者や死者を操るは慣れていたとしても、亡者である私をどうにかできるか、ダルハプス!」
「ぬううぅ!」
鞭を振るう。
それは闇の針を束ねたものであり、本来の殺傷能力は人間如きであれば草木を払うようにして切断できるほどの力を持っているはずだった。ダルハプスは己で云うだけあるほどには強大なものである。
だが、その強大さが今は仇となっていた。
なにせ、力の殆どはバスカルの手にあるのだから。
「ルルシエットとビウモードの過去より這い出た亡者はここで終わりを告げるのだ、ダルハプス卿」
「させるものか!」
ダルハプスは鞭をしならせ攻撃をしようとするが、そうしない。
その動作をフェイントとしてメリアティへと走る。
肉を捨て、闇となり、呪いとなってメリアティに取り憑こうとするのは明白。
だが、この場にダルハプスの敵となるものはバスカルのみではない。
「《重く、滞留せよ》──いけませんねえ。決闘などと我々が一言でも約束しましたか? してませんよねえ?」
性格が悪うございますと自分で宣言するような笑み。それは悪どさですらお前は生者に劣ったのだと敗北感を刻みつけるための虚勢。
だとしても、この状況ではダルハプスには十分な効力があった。一種の精神的な躓きが魔術に影響を与え、怪物の動作を鈍くさせていた。
ケルダットは狼人の俊敏さを以てメリアティへと走り、その動きの補佐を魔術によって行うディバーダンがある。
突き進もうとするダルハプスの足に痛烈な一撃が与えられる。なんの価値もないはずの石ころが肉を持ったが故に動きを鈍らせた。
「お前の滅びを、我が友ロドリックとその血縁者たちに捧ぐ」
絶好のタイミングでバスカルは大剣を振り下ろした。首切り人がするように。
「きさ、まァッ!」
曰く『新生』せんとした肉体はバスカルの一撃によって寸断される。
その瞬間。
ダルハプスの肉体と、バスカルの肉体が解けていった。
より多くの力を秘めていたからかバスカルの消える速度はまるで風に舞い上げられた一握りの砂のようですらあった。
『すまない、███グラム。
私のわがままで戦わせてもらったことに感謝を』
(いいさ、姉御。
あっちでロドリックの旦那によろしくな)
『ああ。伝えておくとも。
お前の命は連綿と続くのであろう、そうしたものに似合う言葉ではないかも知れぬが』
解けていく鎧姿のバスカル、ないはずの生身の彼女が笑っているように見えた。
『息災にな』
(ああ、さようならだ。姉御)
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「ご令嬢はどうです、ケルダットくん」
「どうだろうな。おい、大丈夫か」
小さなうめきの後にゆっくりと目を開ける。
「悪夢は、終わったのですか?」
「ひとまずはな」
安心させるためのケルダットの言葉はすぐさまに否定されることになる。
「まだ、だ。まだ、消えぬ……」
ダルハプスの声。
バスカルによって断ち切られた死体は既に消えている。
それはおそらくそこかしこに散らばった闇、その残滓にこびりついたダルハプスの意思。
例え塵に等しいものだとしても堆積した汚れにも似たしつこさのある彼を思えば、ここで倒しきらねば全てが無意味になる。
「逃げる先は──」
「地下でしょうな」
それを聞いたローグラムは扉へと向かいながら、
「ご両人、お嬢さんはお願いします。それとこれも」
そう告げた。
預かっていた書類をディバーダンへと渡す。簡単な説明を含めて。
夢現としたメリアティは二人が話している内容を理解しようとはするも反応するだけの体力は残っていなかった。
「君はどうするのです」
「アイツを追います。あのまま逃がしたんじゃあ姉御が──あの鎧騎士が浮かばれなくなっちまうんでね」




