134_継暦136年_冬
「トライカの騎士は殆どやられちまったのかね」
狼人の仕事人、ケルダットが警戒を外すことなくぼやく。
手には握り刃と呼ばれる武器があり、臨戦態勢であることを伺わせている。
彼と術士のディバーダンはトライカのメリアティに会いたいというイセリナに付き従い、護衛をするために邸へと来ていた。
昏昏と眠るメリアティと逢ったイセリナを襲ったのはダルハプス。
闇は凶器となって街そのものを襲い、人権も生命も奪っていった。
「正義感と忠誠心が強いというのも考えものですねえ。逃げる必要性よりも主に命を向けてしまう。
いやはや、こういうときは我々の方が状況的には『向き』というものかもしれませんな」
イセリナを連れて逃げる道中。
邸からの脱出を目指す三人。
「メリアティは」
ポーズではなく、心からの心配を向けるイセリナ。
「今はそこを気にしている状況ではありますまい。まずは生きてここから脱さねば」
丁寧に聞こえて不遜たっぷりに聞こえる言葉遣いのディバーダン。
護衛対象であるイセリナへの最大限の敬意でもあり、不遜など当人はまったく含んでいないのだが、この辺りは生来の人徳の薄さが影響する部分かもしれない。
「しかし、脱してどうするよ。
このままビウモードに逃げるのか?
聞いた話じゃあの攻撃はダルハプスって奴のやり口で、そのダルハプスはビウモードの人間だろ?」
逃げる外へと向かい逃げる中でイセリナからダルハプスのことを伝えられている。
ダルハプスこそがメリアティの呪いの病巣そのものと言える。
そしてダルハプスはビウモードの父祖の如き存在。
そのダルハプスが殺傷を含む強硬手段に出た以上、ケルダットとディバーダンはビウモードそのものが味方であるかは判断しかねてしまう。
「ふむ……」
ビウモードに戻り、この状況に関わり続ければいつかイセリナは命を落とすなり、消費させられるなり、或いは自分で消費されることを選ぶなりするかもしれない。
同行しているディバーダンは走りながらも沈思する。
ビウモードに来てトライカへと赴くまでにも、ケルダットと共に仕事に当たることが少なくなかった。
あくどい仕事もそつなくこなすディバーダンは真の意味で仲間というものを持ったことがない。
自分がそうであるように、仲間と呼ばれるたぐいのものに対しては任務達成を果たすための道具でしかない、そう考えていた。
一方のケルダットは自分と同じような身の上ではありながらも仕事には誇りを持ち、約束を重要視する侠気とも言えるものを持っていた。
かつての自分であれば馬鹿らしい、非効率的、アマチュア野郎などと思っていたなまっちょろい感情だと考えただろうが、
ヴィルグラムやダルハプスから流れてきたこの仕事に関わるうえで未だにそうしたものを捨てず、一種の忠節めいた感情で約束に準じているケルダットを見ていると一種の尊崇というか、妙な感情──庇護欲にもどこか似た──が湧き上がってくるものがあった。
人はそれを『友情』とも呼ぶべきものであることをすぐに理解できるものだが、過酷と冷徹、実利主義で生きてきたディバーダンは自らのそうした感情を直観することができていなかった。
ディバーダン自身は他者に優しさや気遣いを向けることができる男ではあるが、あくまでそれは任務の上で必要だからやっていることに過ぎない。そうであるはずだった。
「ここで私が逃げる選択肢を取ったら、ケルダットくん。君はどうします」
「そりゃあここでお別れになるだろうよ。後ろから殴りつけたりはしねえよ」
「あくまで、仕事優先と」
「ダルハプスのお陰でビウモード領って勢力が敵か味方かまでの判別がつかなくはなったが、それでも依頼元にイセリナの護衛を依頼されちまったんでね」
「……やれやれ。この状況で依頼とは。なんと非効率的で、夢想的な」
「そういう生き方しか選べなかったんだよ。
ディバーダン、お前みたく頭が良けりゃ別だったのかも知れねえけどな」
そうは言っても、彼の目からは弱いものを守らねばならないという獣人族特有の強い庇護衝動のようなものをディバーダンは感じていた。
ただ、それは本能によるものではなくこの異常な状況において、戦えるものが縁を結んだ相手を可能な範囲で守ってやりたいという理性的な人情と言うべきか、戦うだけの装置にならないための矜持のようなものにも思えていた。
「いえ、どうやら私もそこまで知性的ではないようです」
「なんだそりゃ」
「君に感化されたのですよ。私は君のそれ守る手伝いをしてやりたくなってきました。こうした感情を持つのは初めてでね。
折角得た感情です、大切にしたい」
「ふっ、……ははは! 案外小っ恥ずかしいことも云えるんだな」
「ですが、伝わりやすいでしょう?」
「ああ。確かに伝わりやすい。頭のいいヤツの言葉って感じだ」
二人のやりとりに小さく笑みを作るが、表情はやや曇ったままのイセリナは、
「ご迷惑をお掛けします」
そう謝罪する。
危機的状況に遭遇させたのは自分がメリアティと会いたいと言ったのが発端なのは間違いないことだからだ。
「勝手にやっていることだ」「勝手にやっていることです」
無意識にハモる二人に好ましいものを見るように笑うイセリナ。そこに曇ったものはなかった。
やがて扉。
外に出れば解決策の一つでもあるだろうか。
(守るに適した状況を作るならビウモードよりもむしろルルシエットでしょうかね。
彼女の生い立ちを考えても政治的な強みを得られることになる。
人道に反した行いを取る領主でもないでしょう)
逃げた先を考えるディバーダン。
一方でケルダットは、
(ヴィルグラムは死んじゃいねえんだろうな。イセリナ嬢を見てりゃそういう妙な確信を受けるような、不思議な感覚がある。
となれば、合流地点を考えるべきか。目立つ場所で目立つ冒険者でもしていたほうが探させやすい……となれば、文鳥迷路辺りをヤサにして仕事をこなすか。
あそこのギャンブル狂いのオーナーにゃあ貸しもあるしな)
そのような思考は中断をよぎなくされた。
「うっ、くう……」
イセリナが膝を突いたのだ。
殴られたようなではなく、ひどい気圧に眠りを妨げられるような目眩を含むような痛み。
「嬢、どうし──ぐおっ!?」
イセリナの様子に問いかけようとするも、ケルダットも同様に膝を突いた。
頭痛に耐えながらインクの気配を感じ、空を見上げたディバーダン。
メリアティから現出し、騎士たちを殺したあの現象と同じ色をしたものが、拡大繁茂するように都市全体を包み始めていた。
ディバーダンが耐えられる程度の痛みで済んだのは彼が二人よりも後ろに、屋敷の中に体の半分以上が残っているからであることに気が付くと二人を強引に屋内へと引きずり込む。
「た、助かったぜ。だが、空に見えたあれはなんだ?」
「結界でしょうな。あれほどの規模のものが現出しているのは初めて見ますがね」
「ここからどうするよ」
「いつまでもこの状況が続くとも思えません。ビウモード領なりなんなりが手を打つはずです。
それまでは」
怪しんではいるが、命や尊厳を奪いたいならばトライカに向かわせたりはしないだろうという状況証拠から一応はビウモードが味方である想定で語る。
楽観主義的な過ぎるかもしれないと思ったが、言葉に詰まっても話が前進はしない。
「屋敷の何処かで防衛戦に徹するか」
「騎士たちを殺したあの恐ろしい闇にどこまで対応できるやもわかりませんが、そうするべきでしょうねえ」
「嬢はどう思う?」
「その……いえ、お二人に従います。私はこういったことには不慣れですから」
「ふむ? 感情面では別のことがある、そういうように思えますが」
「言うだきゃタダだ。今のところはよ」
一拍置いて、まっすぐに二人を見るイセリナ。
彼女は何者かの手によって作られた存在であったとしても、そこに思う心があり、考える力を与えられれば人格と呼べるものが形成される。
彼女のそれは一人の人間に大きな影響を受けていた。
ヴィルグラム。
少年の持つ目的を果たすための歩む力は彼女の人格に信念と目的を志向させている。
「──気に食わないのです。
呪いだとか、ダルハプスだとか、私たちがどうして逃げねばならないのですか?
強大な存在であることはわかります。ですが、私たちは手足も意思もあります」
「くくっ、逃げ回って怯えて隠れるのは癪ってことか」
「ははは、いやはや……これは」
二人はその言葉に思わず笑う。
世間にある慣習や風俗にギャップを感じていて、馴染めないからこそ流れ者同然の雇われ暴力となっていたのだ。
どこでも使う訳では無いにしろ、相手が力で問答を伏せさせようとするとき自らの暴力を頼みにして貫く日々がディバーダンにもケルダットにもあった。
それがいつからか自らの心よりも安定を取るようになったのか。
勿論、それは頼みがあったから。果たすべき仕事が与えられたから。
それを達成するために安定を取ろうとしていた。数年間か、それ以上の間は仕事をこなすことこそが自らの価値であると判断していた。世俗に背を向けた男たちが、いつからかそれに囚われていた。
だが、彼女は云う。
気に食わない、と。
自分たちもそうして世間からずれていった。だが、その『ズレ』こそを矜持にしていたはずだった。
そんなことを自分たちより随分と年下の少女に教えられるとは思ってもいなかった。
「最高だな」「最高ですね」
あの騎士を貫いた闇も、外に出て襲ってきた重圧と頭痛も、まるで『吾を恐怖せよ』と言わんばかりのものであった。ああ、そうだ。世俗に生きるものならそれに従いこうべを垂れて許しを乞うたか、その場にうずくまるか、必死に逃げていただろう。そうするのが『世俗の普通』だからだ。
だが自分たちは『普通』ではいられなかったのだ。
普通ではないものならばどうするのか。
トライカが、この屋敷がダルハプスの腹の中であるなら、暴れてやろう。
腹痛でのたうち回るようなやり方を試してやろう。
ハグレたちの思考は纏まった。つまり、そういうことになった。
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あれほどのインクを扱う存在などディバーダンは知らない。
術士としてそれなりの名を得る程度には経験と知識を持ちながらも、都市一つを見たことのない結界で囲み、屋敷の中では縦横無尽に暴れるだけの力を持つなど。
窓から外を伺えば、どこから現れたのかアンデッドめいた連中まで動いている。その全てがダルハプスの手によるものだろう。
「個人から発せられるものではないはず。となれば、何かしらのトリックがあるのは間違いないでしょうねえ。
これほどのインクがあるならばなんでもありなはず。そうではないのなら、この土地ならではとも思えるものに起因したインクの出元があるはず」
その言葉に応じるのはイセリナだった。
彼女は何かを探るように集中しながら言う。
「地下と、メリアティから力の流れを感じます」
「力の流れ?」
「はい。説明はしにくいのですが、インクと思われる光の筋のようなものがうっすらと見えるのです。前まではこんなことがなかったのですが……」
「メリアティ様との繋がりが貴女にはおありでありましょうから、その辺りが関係しているのかもしれませんが」
世間では繋がりの強い双子などは自分の片割れがいつもどこにいるかが感知できるものが現れることがままあるという。
そうした超常的な関係性が二人にはあるのかもしれない。
「どっちかのインクの流れをぶっちぎるか?」
「メリアティ様か地下の何か、ですな。
その繋がりは二つ以外には見えますかな」
彼女はその言葉に集中し、意識を意識にある感覚器に委ねるように押し黙り、ややあってから、
「……細い流れがメリアティと地下のものの間の管のようになる筋から枝分かれしているようにも見えます。枝分かれというよりは蔓が木の枝に巻き付いているような、そんな風でしょうか」
「寄生してる、そんな感じか」
「では、寄生しているものの中でより細いもの、離れているものは見えますかね?」
「はい、見えます」
太い繋がりはそのまま、インクの強さや濃さを意味するものと考えていいだろうとディバーダンは断じた。
逆を言えば、細いものは弱く、関係性的に離れているものであれば倒しても強大な何かに勘付かれる可能性は低いのではないかとも考える。
「では、それらから」
「片付けるか」
「ええ、そうしましょう」
嫌がらせ大作戦である。
命懸けにもなるかもしれないが、隠れていれば相手の構えがより強固に準備される可能性がある。
それならば嫌がらせを続けて綻びを作り、探すほうが可能性を感じることができる。
ケルダット、ディバーダンの二人は騎士を殺したあの恐るべき闇に対してもそれぞれに付け入る隙を探していたし、何より、付け入ることができようものと思っていた。
精神的に破壊するようなものではなく、騎士を破壊して殺した以上は実体が存在することを現していたからだ。
イセリナが見たという流れのようなものに何かしらの刺激を与えればより多くの情報を得られるかもしれない。
どうあれ危険な行いには違いないが、座していたところで絶対に安全というわけでもないのだ。
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「嬢が見えた細い筋ってのはアンデッドだったな。大した強さじゃあないが」
彼らの足元に転がるのは骨格標本めいた人骨。
ばらばらに砕かれ、或いは焼かれて崩れている。
「お陰様で色々とわかりました」
ディバーダンは術士であり、その職務柄というべきか、探知や捜索といった魔術を幾つも秘匿している。
以前に逃げていたヴィルグラムとイセリアルを捕捉したのも情報を得たからだけではない。
そうした力を扱ったことによる成果であった。
ケルダットの狼人としての嗅覚などの感覚も役に立った。
彼曰く、ダルハプスの発する臭いとアンデッドの臭いは異なるものであるという。
ダルハプスという大当たりというべきか、大外れというべきか、ともかく引いてはならない札を確実に回避しながら屋敷内で嫌がらせを続けている。
「癪だっつってたけどよ」
「ごめんなさい、二人を巻き込んで」
「いや、いいんだ。俺も──俺らもかね」
ケルダットの視線に肩を竦めて反応するディバーダン。
「大切なことを思い出せたしな。
そう。俺たちはそれなりに腕に自信があんだよ。でも嬢はそうじゃあねえだろ。
勇気が必要になる決断をどうして下せたんだ?」
「メリアティを思うと、そうしたくなってしまったんです。
彼女はダルハプスや呪いといったものによって生まれてからここまで、ずっと他人に運命を握られ続けていた。
私も同じです。作り出され、そうあれかしと使命を与えられ、身代わりになるための人生を強要された」
外から見える空には暗雲が広がっている。
かつての自分や、恐らくはメリアティも、この空模様のような心象風景が広がっていた。
「私も彼女も、根源的には同じなのです。誰かに運命を握られて生きている。同病相哀れむというやつなのかもしれません。
でも、悔しいじゃないですか……。何もせずに病に苦しみ続けるだけなんて。その苦痛の病を与えているものが近くに存在するのに逃げるだけしかできないなんて」
戦う力はこの三人において最も低い。特別な力があるわけでもない。
危機に瀕して何かしらの力が目覚めて全てを打倒するような才能が得られるとも思えない。
彼女は生い立ちこそ特別で、呪いを引き受けるという特異な性質を持っていたとしても、戦士として生まれついたわけではない。
戦うことなどできない。
それでも、その意思の強さは戦いを知るもののそれであった。
「でも、私は戦えません。
お二人にはご迷惑をこのまま掛けてしまいますが、もう少しだけ」
「ああ。貸すさ。俺をビビらせやがったダルハプス野郎に一泡吹かせてやるんだ」
「ここで活躍すればまた宣伝する材料が増えますしねえ。
ケルダットくん、ここから生き延びたら私の活躍を広めるように」
「俺の次に活躍したって広めてやるよ」
二人ともに軽薄に笑う。
これくらいの軽さでいい。重い心は技を鈍らせることを理解しているからだ。
嫌がらせの戦いは続く。倒すアンデッドはいずれも戦闘能力があるというよりも、何かしらの儀式的な意味合いのために配置された存在であった。
倒せば倒すだけ儀式に安定性を損なわせることができる。
内陸に住む彼らは知らぬことであるが、それは船を停留させるための錨にも似ていた。
メリアティの自由を奪うための錨。
一つ一つ崩していけば、いずれは彼女を取り返すことができる。錨のことは知らずとも、そうなることを漠然とイセリナは理解していたし、二人にもそれは伝えている。
だからこそ、今もまたアンデッドを撃破している。
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『不夜よ、目を開き、中天を仰げ』
「え?」
「どうした、嬢」
「今なにか声が聞こえたような」
ディバーダンとケルダットは顔を見合わせるが、互いにそれを聞いていないと表情で伝える。
『不夜よ、ここは汝があるべき場所ではない』
「……詠唱でしょうか? 声が聞こえます、これは──」
それに反応するように動くのは今しがた倒したアンデッドだった。
「AAAHH……」
何かに反応するように、いや、抵抗するように。
「何者かが結界を壊そうとしているのかもしれませんな。
我らが倒したアンデッドが反応しているということは、このアンデッドは」
「結界を作ったり維持したりするための装置代わりだったってことか?」
「そうした役割の本体というわけではありますまい。補助装置のようなものでしょうかねえ」
「なら、急いで他のアンデッドも倒していくとするか」
「結界さえ何とかなれば脱出路の確保も容易になるでしょうしねえ」
「嬢、走れるかい」
「はい、勿論です」
『不夜よ、在るべき場所へと戻れ』
言葉が続く。
ふとイセリナは視界を切り替えるように目をつむり、開く。
視界に捉えのは太かったはずのメリアティと地下の何かとの接続。それが随分と薄くなっていた。
詠唱の効果と、アンデッドたちの破壊。それらが明確に影響を与えているようだった。
「メリアティと地下の何かとの線が薄くなっています」
「線の太さがダルハプスとの関係性を示すならば」
「メリアティ様を助けるのは今こそ好機、って感じかね。
アンデッド退治はそこそこにしてそっちを目指すか?」
「お願いします」
『不夜よ』
言葉が続く。
『解けよ』
その言葉たちはイセリナにとって特別なもののように聞こえた。
自分やメリアティが繋がれている誰かの手のひらの上にある運命を晴らさんとする救いの言葉のように。




