133_継暦136年_冬
拳がうなりを上げる。
サークの顔面にめり込むと、
めぢり。
鈍い音ともに鼻からどばどばと血がしたたる。
ただ、それと同時にサークの痛烈なレバーブロウがシェルンにめり込んでいる。
お互いにたたらを踏み、しかし距離を取ることはない。
ゼロ距離での殴り合い。後ろに引いた臆病者の負け。それが兄妹の決闘の流儀だった。
「私が、喜んで両親を手に掛けたと思っているのかッ」
鼻血を流しながら、それを拭いもせずに次の攻撃体勢を取る。
一方のシェルンもまた、たたらを踏むようにしながら、めくりあげるようなアッパーカットを叩き込まんとする。
攻撃の構えから流れるように受けに回るサークだが、想定を大きく超えた一撃の重さに骨がきしむ音を聞く。
「おにいちゃんのぉ……わからずやぁ!」
言葉こそ駄々をこねる妹のようだが、言葉だけでしかない。
捻るように放たれる強烈なコークスクリューブロウ。可愛げの欠片もない、破壊を目的とした技だ。
「聞く耳を持たないのは、シェルンであろう!」
同じくして選択したのは回転を加えたる拳、コークスクリューブロウ。同じ技を選択したのは兄妹故か、同門故か。
常人であれば死にかねない拳を互いの顔面に容赦なくぶち込む。
太い首が威力を吸収するも、全てを殺しきれずにお互いに吹き飛び、民家の壁にしたたかに背をぶつけた。
立ち上がろうとする二人。
ダメージはお互いに足に来ていた。
「ヴィーが誰だかなんて、知るもんか。
あの子はわっちの、大切な友達なんだ。パパやママがそう仕組んだからって、わっちの心まで操られてるはずがない!」
奥歯で食いしばり、構えを取るシェルン。
応じるようにサークもまた構えを取った。
「おにいちゃんこそ、パパたちが仕組んだ運命から外れていると言えるの?」
「何を……」
気を吐くように息吹をし、再び互いに戦意を絞り出し、それを構えにも伝達させた。
「今はいいよ。こうして拳で語り合ってるのはわっちたちらしいもの。
けど、それも何度もできないでしょ。
いつかわっちとおにいちゃんは武器を持って殺し合いをするかもしれない。
それがパパたちの仕組んだことかもしれないのに」
そもそも、両親を手に掛けた理由はなんだったか。
自分が自由になるためではない。
勿論、両親の愛がそこにないことは動機として大きなものだったのは間違いない。
しかし、それだけならば殺さなかったかもしれない。
行動に至ったのは、自分たちの運命を、他人に委ねさせられようとしたことを憎んだからだ。
「私は……旅をしたんだ。
両親を殺した自分がお前の側にいてはならないからと思って」
どんな顔をして妹に会えばよかったのか。
いつか来る両親の残酷な計画を待つべきだったとは思わない。
だが、何も知らない妹に突然、両親が行おうとした恐ろしい計画を告げて何になるというのか。
いや──
「今思えば逃げたんだな。
殺した理由を補強するために、私はいつからか……管理局を追った」
次代の管理局員としての教育は確かなものだった。情報獲得能力に関しては現役であるミストたちを一面的に上回るといって過言ではない。
彼は『未然王』に繋がる情報と、管理局が関係することを調べ上げた。
完全な答えは得られなかったものの、
『神樹を骨としたもの』
『人々の犠牲者』
『未来を売り渡したもの』
『不完全な永遠』
複数のキーワードがヴィルグラムという少年に繋がることもまた理解している。
だが、それを知ったところで何になるというのか。
サークには確たる大義があるわけではない。
管理局が何を企てようと、本質的に彼に何か影響があるわけでもない。
「私は……何をしているのだろうな」
妹を守るための戦いは、いつからか自分を贖罪から逃避するためだけのものにすり替わっていた。
両親が作った道のせいにして、ここまで歩いてきた。
自分を罰せぬための、欺瞞に満ちた自分の旅路。見ようとしなかったことを直視したとき、自然とファイティングポーズをおろしていた。
先に戦意が折れたのはサークだった。
彼女に知る限りのことを全て話そう。それが自分にできる唯一の誠意だ。そのうえで、彼女とヴィルグラムがどうなりたいかを相談するべきだ。
そこから管理局とどう折り合いを付けていくべきかも──
「あっ」
──が、しかし。拳は急には止まれない。
シェルンの体重を預けた一撃が、ごしゃあと音を立ててサークの顎を捉えて貫いていた。
サークはかくんと糸が切れたように膝を突く。
この殴りっこ。心だけでなく体も打ち破られたサーク。
地に転がる音は決着のゴングの代わりとなる。こうして勝者がシェルンであることが確定したのであった。
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兄が戦意を萎ませたのは理解していた。ただ、勢いづいた拳を止められなかった。
シェルンはサークが過去にしたことを懺悔しようとしていたのには気が付いていたのだ。
聡明な兄が、なぜ両親を殺すに至ったのか、その理由を話そうとしていたはずだった。
「おにいちゃん、ごめん!
わっちに寸止めできる器用さがなくって……。ああ……完全にノックダウン状態だ……どうしよう」
普通であれば寝かせておけばよかろう状況だが、ダルハプスの手のものがいつ現れるともわからない。
シェルンとて無傷ではない。
むしろ打ち合ってふらふらだからこその判断ミスであり、それが呼び込んだ状況でもある。
「面白い兄妹だなあ」
くすくすと笑い声が聞こえる。
「誰!?」
構えを向ける。鈍器を掴もうとも思ったが、振り回せるだけの体力に自信がもてない。
「キミたちと概ね目的は同じさ。あの子に逢いたくてここまで来たからね」
「あの子……」
それは少年か、少女か。
声音は中性的であり、顔立ちも美しさは際立つが、それが余計に性差を埋めていた。
その物言いはなんとも半端な言い方だった。
「君たちがヴィルグラムと呼ぶもの、かな。私にとってはまた別の名前ではあるのだけど。
ああ。名乗るのが先かな。私の名前は……」
少しだけ悩んだ。
彼に名乗ったのはソクナの名であった。
ただ、それは対外的な、敵対者を含んだものに名乗ることの多い名前。
ヴィルグラムを想うという一点で、同好の士であると考えるのならば本当の名前を名乗るべきであろうかとも。
すぐでなくとも構わない。いつか、彼に呼んでほしい名前はそちらなのだから。
「ハルレーだ。
旅の魔術士ってところかな。
よければ彼の傷を見るよ」
大きな魔術士帽を動かし、自分の顔を見えるようにして名乗る。
「お、お願い! あ、えーっと、わっちはシェルン。こっちののびているのは兄のサークで」
「サーク……。もしかして『後片付け』かい。
こんなところで地下の有名人に会えるとはね」
「知ってるの?」
知らないでか。
ローグラム、或いはここではヴィルグラムか。彼のことを調べれば、先に調べを進めていた人物こそが彼なのだから。
情報共有ができれば話は相当早くなるだろう。
彼が何のために未然王について調べていたかまではわからないが、管理局の影響下にあるわけでもないのにそれほど必死に──それこそダンジョンで便利屋をするような真似までして活動していた彼の情熱は、大いなる情報源になるのは間違いない。
現在の雇い主同然であるライネンタートは明らかに情報を全て話してはいない。
それは別に構わない。全てを話してくれといってもいないし、いったところで叶わないからだ。
だからこそハルレーはハルレーで仕事である生命牧場潰しをする傍らで管理局が何を求めているかを探っていた。
(ライネンタートは未然王を揺り起こすことを目的としているようだけど、未然王がそのままイコールでローグラム……ヴィルグラムを指しているかの保証なんてないし)
だからこそ、慎重にもなる。
何もかもが終わって、会いたい人間に会えずじまいになる結末だけは避けたい。
そのためには情報源にしろ協力者にしろ、管理局に従わない有力者はいくらでも求めたいところだった。
(いくらでもとは言っても、信頼できるかなんかを考えればキリはあるけど)
そんなことを会話で使う頭とは別のところで思考する。
ハルレーはどこまでいってもザールイネスの子孫であった。
秘密は多いほうが便利で楽。そういう思想は血に刻まれている。
シェルンにはサークについて興味があるようなことを言うべきではないだろう。少なくとも今は。
「裏街道の有名人としてね。悪い噂は聞かないが、随分偏屈な男だというのが評価の大半ではあるかな。
それよりなにより、まずは手当が先だね」
ハルレーは身の丈より大きい杖に祈るようにして言葉を紡ぐ。
「《割れた器、零れたる瓶の水、いずれもを我は求めず、我が手にただ糸と針の行く先のみを与えたまえ》」
治癒の力を持つ魔術の代表作とも言える『縫合魔術』。
それによって外傷は瞬く間に塞がっていくのはハルレーのインクの大きさを否応なく感じさせるものだった。
縫合とは言いつつも、打撲にもしっかりと効果がある。
特異な詠唱を使い、魔術の発動をするのが彼女の常ではあるが、通常の魔術が扱えないわけではない。
むしろ、使わずに済むのならばあの力は披露しないに越したことはない。これもまた、秘密は多いほうが便利で楽、のルールに従っているとも言えるだろう。
手の内など晒さなければ晒さないだけいいのだから。
「さて、後は意識の部分だけど」
感情の色の薄い瞳がサークを観察し、時折触診などをしているようでもある。
「わかること、ある?」
最高の一撃を入れてしまった自覚がシェルンにはあった。
サークだからこそ無事であるというだけで、そこらの賊が打ち込まれれば赤い花が大輪で咲きかねない威力があったのだ。
「専門ではないから正確な物言いはできないけど、いずれ意識を取り戻すのは間違いない」
よかった、と胸をなでおろすシェルンに対して、
(キミの顔やら顔の状態も相当なんだけどね)と思わなくもない。
少なくともシェルンは恵まれた体格に目が行くが、その顔立ちの良さというのはエルフならではの一言では片付けられない程度には整っている。
普通であれば大切に扱うであろうものよりも、彼女は兄の様態こそを案じていた。
「さ、次はシェルンの番だよ」
自分にはない家族愛だなと彼女は思いながら、だからこそ早くシェルンを癒やしてやりたかった。
ハルレーは自分にないものを持つ人間に対しては常に寛容であり、好意を向けがちだ。
杖を構え、再び長い詠唱を口にする。
そうして、彼女もハルレーによってあっさりと傷を埋められた。
「さて、じゃあ私は先に進むとするかな。急がないとクライマックスに遅れてしまいそうだから。
シェルン、君はどうする?」
「わっちは……」
当然、ヴィルグラムの助力に行きたい気持ちはある。強く湧き上がるのは戦友への愛だった。
しかし、約束をした。
文鳥迷路で待っていると。
それに、兄を捨て置いて助けに行ってヴィルグラムが喜ぶはずもないし、そもそもシェルンにそんな非情な選択肢を採れるわけもない。
「おにいちゃんを連れて離脱するよ。
その……ハルレーちゃん」
ちゃん付け。
距離感の詰め方の深さにハルレーは少しだけ驚く表情を浮かべるが、すぐに平静へと戻す。
「ヴィーを……よろしくね」
「同好の士を裏切るわけにはいかないな。任されたよ」
向けられた好意と信頼。
もっぱら暗躍ばかりしているハルレーであっても、彼女の心は裏切りたくはないなと思う程度の人間性は残っていた。




