131_継暦136年_冬
ブレンゼン。
混種。始末屋。血錆の冒険者。『無慈悲』の二つ名を持つ男。
仕事であれば他人の命を奪うことを厭わない、悪党そのもの。
彼は普段であれば他人の命に対して思うところが多くはない。
殺されるものにはそれだけの理由がある。
仕事として出された上で受けたのであれば、相手が誰であれ躊躇もない。
その冷徹な仕事ぶりに多くの貴族は彼に依頼を希望した。
ブレンゼン自身もそれ以外に割の良い食い扶持を知らないからこそ受けてきた。
あの日までは。
ヴィルグラムを斬り殺したあと、その亡骸を見て苦悩が始まった。
人の身体とは思えない作りのそれを見たからではない。
『やってはならないことをした』
子供を殺めた。
それは勿論理由の一つと言える。だが、歴戦を誇るブレンゼンですら異常と言えるほどの後悔が自らを苛み、そのことに対して理解と処理のしきれない感覚に煩悶した。
逃げるように酒を飲んでいる最中に飛び込んできた殺したはずの少年。
生きていた。いや、生きているはずはない。首を落としたのは自分だ。確実に殺した。
だが、どのような奇跡があってか彼は生きている。過日のことを記憶している彼が。
それはブレンゼンにとって絶対の天啓の如き状況であった。
彼を手に掛けた罪。
そこから唯一救われる方法こそが、彼自身から容赦される日が来ることである。
……その救いを得られるのではないか。それは抑えきれない衝動として、ブレンゼンを突き動かした。
罪から救われるため、ブレンゼンはヴィルグラムと共に進むことを望んだ。
「──そう考えているでしょうね、彼は」
古いデザインの正装に、顔を隠す黒いヴェール。
何者かを知らせないのではなく、何者でもないことを知らせる姿。
都市ビウモードに置かれた現在の管理局、その一室に彼女はいた。
管理局局長、今様のライネンタートは小さく呟く。
「違うのですか?」
その言葉に不思議そうに返答するのは管理局局員のミストであった。
「まるで違うとは言いませんが」
その声音は笑うでもないが、聞きようによっては弾んでいるようにも思えるものだった。
「たとえ130余年が経とうとも、カルザハリと王の血は偉大なまま。
それを知れるだけでも、十分な価値のあることです」
血は徴。徴は魂。
人間が個別の存在であることを知らしめる唯一のものこそインクであり──
「我らが偉大なる王は、呼気の一つ言葉の一句もなく人心をひれ伏す威光がおありなのです」
今様のライネンタート。ウィミニアがヴェールで顔を隠すのは理由がある。
自らが何者でもないことを示すためだけではない
それは彼女自身、狂気を孕んでいることを自覚しているからに他ならない。
かつての時代、狂気とは伝染する病と同じと伝えられていたからこそ、彼女はヴェールで顔を隠していた。
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鈍器のような大剣は既にひとつふたつ、戦闘を乗り越えてきたことを示していた。
「これはブレンゼン君。
ご機嫌はいかが……と聞きたいところだが、見て取ったところ不機嫌の様子」
シメオンは平時と変わらぬ態度で応対する。
実際に、彼にとってこのトライカの状況に関わらず心を波立たせるような物事は数少ない。
例え、長年の輩たちが彼から離れ、刃を向けようとも微かに残念だと思う、その程度の感情しか生まれることはない。
「生まれつき不機嫌な顔付きなんだよ、こっちはな。
どうしてトライカに来たんだ。この都市の状況がわからんわけじゃあなかろうよ」
「無論だとも。ただ、我が偉大なる支配者となるべき御方が現れるのであれば、危険性など二の次三の次だということさ」
「……何を言ってやがる」
シメオンの言葉は他者に理解を求めるようなものではない。
今の彼の思考や目的そのものを誰かと共有化して味方を作ろうと思っていないのだ。
ただ、それはそのまま味方が不要であるということではない。
「我々は折り合えると思うのだが、話を聞く気はないかな」
支配者を得るためには障害がある。確実なところで言えばダルハプスであろうし、状況次第では管理局すらも敵となろう。
「折り合う? 冗談だろう、死者の群れを連れているお前とどう折り合えってんだ」
事実、彼は盟友たちを殺めたその足でここへと辿りついている。
平手の状態でヴィルグラムの足跡とそのさきの行動を読むことは超能力でもない限り不可能であろうとしても、イセリナとの行動などの情報を別の筋から得てさえいれば、復活する彼の行動から推察することは可能だ。
現にイセリナはトライカのいずこかに囚われており、ヴィルグラムがそれを助けに現れた。そしてそれを推察した彼もまた、トライカへと到達している。
「無論、ダルハプス討滅という目的についてだとも」
付き合いが長いわけではない。
ただ、ブレンゼンは風聞だけでなく実際に幾つか応じた会話のなかで十二分にこの男が、シメオンという人間が信用ならない存在であることを察していた。
仮に共闘したとしても自らに利益があるのならば男爵同盟にしたのと同じようにあっさりとブレンゼンを裏切るだろう。
彼らが手を取り合う理由が生まれるとするなら、たった一つ。
会話の途中。風が裂かれ、唸りを上げる。
次に起きたのはシメオンが操る死者たちが散らばる姿だった。
現れたのは怪物。そう表現するしかないもの。
手を取り合う理由。
それがあるとするなら、それは今この場に手を取り合わなければならない存在の介入。それ以外にはありえない。
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継暦は群雄割拠の時代。
人間同士の戦いばかりがクローズアップされるが、人類の敵とはお互いそればかりではない。
鬼獣亜人の類は時代を問わず人々の営みの脅威として数えられていた。
亜人は人里を襲う小鬼やら牙鬼のような存在を指し、意思疎通が不可能である存在を指す。
鬼獣は獣の字が示す通りではあるが、そこらの猪やら狼を指す言葉ではない。
通常の三倍四倍はあろう大きさの猪であったり、人間の生態や言葉を理解して群れを軍のように動かす狼、
魔術を唱える犀、火を吐く蛙など、多くの環境において常として存在するとは言えない獣をそのように分類する。
鬼とは遥か東方に存在する人間の存亡を脅かす存在であるとされ、その言葉に込められた恐れをそうした獣たちに接続したのが始まりだとされている。
シメオンが操る死者を散らばせたのは鬼獣だと思われるものだった。
思われる、と言ったのはその姿は獣と呼ぶに相応しい外見を持ち、しかし体のそこかしこが獣とは異なる形で構成されていたからだ。
「鎧を来た獅子……」
「いやいや、ブレンゼン君。人の手足の一部を接いだ獅子だろう?」
「冷静に分析している場合かよ!?」
正確さで言えば、シメオンの見立てが近いと見えた。
高さは高身長のシメオンほどもあり、獅子の厚みは束ねた丸太のようであった。
だが、鎧を来た獅子という表現もあながち間違いではない。
獣の太い腕が鎧を纏っているのではなく、騎士の体が甲冑ごと足があったであろう部分に縫い付けられていた。
糸と針でというわけではなく、それは癒着しているという表現がふさわしかった。鉄と肉が有機的に接続されていた。
「悪趣味なバケモノが」
「それについては同意しますが、ダルハプス閣下の力が及んだ存在だとひと目見てわかるのはありがたい。
これが真っ当に犬猫の類であれば都市住民のペットである可能性も否定できなかったところですからね」
「人様のペットだったら手を下さないってのか?」
「さて、どうでしょうね」
趣味で人様のペットをバラしそうな顔してやがる、とまでは流石に口にはしない。
それを言いたくなる程度には信用できない男ではあったとしても。
「GUUUAAAAHHH!!!」
空気だけでなく心まで引き裂き、恐怖に染め上げようとする雄叫び。
それと同時にダルハプスの鬼獣がブレンゼンに躍りかかる。
「やっぱこっちに来るかよッ」
大型の肉食獣であろうと、ブレンゼンの腕力で技量であれば輪切りにすることなど容易い。
しかし、獣は器用に鎧が癒着した腕を突き出すようにして刃を防ぐ。
「GE,GEGE」
獣の一撃を許さなかったものの、それでも攻撃を防いだそれは獣でありながら口角を上げて笑っていた。
「防いで笑うとは、随分と器用なケダモノだな」
忌々しげに睨み、大剣を構え直す。
(シメオン卿だけでも何をしてくるかわからないってのに、この横槍はちょっとばっかり以上に厄介かもな)
負けた言い訳の準備にも聞こえかねない心情だが、そうではない。
(さて、どうやって上手に殺すか)
『無慈悲』はそこまで自分を下に見ない。殺してきた人間の数で鍛えられた血錆の刃に脆さなどないのだ。
状況を動かしたのはブレンゼンでもダルハプスの獣でもなかった。
「こちらへの注意はお留守ですかね」
シメオンの一撃が獣の背と腹を引き裂いた。
剣などではない。
彼の片腕は獣の前足のような形状となっており、分厚く鋳造された短剣のような爪からは赤黒い液体が滴っていた。
獣の血だ。
「GgggUuu」
苦しげに呻くと、ごぼごぼと喉奥から不気味な音が響き、
「シメオン、吾に手を出すとは愚かな真似を。
素直にこちらに付いているのであれば屍術での悪戯には目を瞑ってやったものを」
どのような手段を取って獣を喋らせているか。
それは対峙する二人にもわからない。
ただ、声の主についてはシメオンは理解していた。
「これはこれはダルハプス閣下。
そのようなお姿をしていた、というわけではないのでしょうが……」
「無論。これは吾の庭を荒らすものを蹴散らすために動かしているに過ぎぬ」
ぬらりと瞳をシメオンに向ける。
庭荒らしは貴様のことだぞと視線が語る。
「私とてかつてカルザハリと呼ばれた領土の臣民。
世を荒らす邪悪を打ち破らんと立ち上がることは不思議でしょうか」
「それこそ有り得ぬ。貴様の心を理解していないとでも」
「それは……実に気持ちの悪いお言葉ですな。いつ私と閣下が心を通わせたと?」
「では証拠を──」
獣が何かをしようとしたとき、ぐらりと巨躯を揺らし、倒れる。
輪切りであった。
胴体から真っ二つとなった獣が次の言葉を紡ぐことなく倒れる。
大量の出血はなく、代わりに腐臭を漂わせる黒い血がだらだらと垂れ流れた。
「貴族様ってのはお話が大好きだな」
大剣を払うようにして黒い血を払い捨てる。
「いやはや、助かるよ。やはり歴戦の冒険者は頼りになる」
「そうしろと言わんばかりだったからな。
で、続きをするでいいのか?」
「折角交友を深められたのに戦うのかい。それは実にもったいない選択だと思うんだが」
「抜かせ」
どうあれブレンゼンはシメオンを逃がすつもりはない。
ここで殺せねば、再び貴族という格差の壁と盾によって守られる。
機会を失えばヴィルグラムに長々と脅威が付きまとうことになるのは明白だった。
「仕方がない。では戦いの中ででも聞いてもらおうかな。
きっとブレンゼン君も気に入ってくれる内容だと思うのでね」
再び腕を獣の前腕の如きものに変化させる。
人間の手に戻したり、獣に変えたりと、そのような力を見るのはブレンゼンにとって初めてだった。
戦いの経験値や殺すうえで下調べを欠かさないブレンゼン。
彼が持ち得る知識の量は同程度の活動歴の冒険者と比べても遥かに多く、深い。
そのブレンゼンが知らないという技術であるからこそ、警戒を深める。
獣の腕が脅威なのではない。
未知の技と力を持つことそのものが脅威なのだ。
下手に踏み込んだときに、どのような返し手が飛んでくるかわからない。そこに踏み込むのは限りなき馬鹿か、比類なき天才のどちらかであろうと彼は考える。
そして、彼自身はそのどちらでもなかった。
「吾は興味があるぞ。貴様のその話とやらが」
再び、ダルハプスの声。
無論あの邪悪がここで死んだとは二人とも思ってはいない。
獣の死骸を見てもそれが口を挟んできたわけでもなかった。
声は路地。
ゆらりと現れた人影。
その路地というのも一つではない。
そこかしこから、まるで石をひっくり返したときに小虫たちが這い出てきたように現れた。
人間だった。いや、人間のようであったと表すべきか。
表情には生気や心理といったものが感じられない。だが、それよりも如実に『非人間的』と受け取らされたのは歩き方だ。
がくがくと不格好に、そして時折転ぶような姿勢でこちらへと進んでくるのだ。
「だが、まずは見せねばなるまいよな。
心を通わせたというその意味を」
半開きになった口からダルハプスの声が漏れ出るようにして響く。
「これがその証明の一つになるかね」
刹那。
現れた人型のそれの手足が膨らむようにしながら、毛が伸び、爪は強靭な槍の穂先が如く尖る。
獣の四肢。
それはシメオンが見せた技術とまったく同じものであり、ブレンゼンとシメオンではそれを見た感想は当然異なるものであった。
「……秘術を、何故……」
シメオンは冷静さを取り繕うともせず、驚愕と微かな絶望が混じった声を発した。
「わからぬか。いや、存外天才などという人種は自分がしたことやされたことに対しては鈍感であるものなのかもしれぬな」
ダルハプスは大悪と呼ぶに相応しい存在であり、人の寿命を凌駕して存在する怪物である。
人々が求めてやまなかった『永き命』をアンデッドという形で成した。
しかし、アンデッドの持つ不死性と、人が求める延命は似て非なるものだ。
アンデッドに変質するということは、人間性を捨て去り、人が人たらしめている欲求を失うことでもある。
成り果てたあとに残るのは執着や未練、生者と折り合えない感情のみ。
そして、それらもまた不死性の中で緩やかに本来あったはずの根にあった理由すら薄れていく。
だが、時折人間の頃の思いが気まぐれに浮上することもある。
ダルハプスは人間の頃、誰より天才を憎んでいた。
研究を続け、壁に当たる度に自分の非才を恨む日々が続いた。やがてその自分に向いていた恨みが外へと向かっていくことになるが、それは別の話だ。
ともかくとして、彼は天才を恨み、妬み、憧れていた。
彼にとってシメオンはまさしくそうした解消不可能の感情を最大値で向ける相手であった。
「貴様は吾から力を得た。そうであろう。
我が力を、屍術の力を。だが、それは徒弟の如くに従い、長きを掛けて得たものではない。そうであるな」
言葉は紡がれる。
ブレンゼンが攻めを寄せないのは数だった。先程と違い、一匹を真っ二つにすれば終わりではない。
彼の視界に入るだけで三。
シメオンの近くに一つと、自分に向いた二つがいる。
(情報の以上のことはわからんが、知性のあるアンデッドってのは……まったく厄介な相手だ。
それも人形遣いのように手下を操ってこっちの動きを理解してやがる)
厄介だといった点は、命がないことが普通である。つまり、本来では最も失ってはならないものと分類されるそれを道具として扱えること。そして、それを重要視しないからこそ採れる策が増える点だ。
もう一点の人形遣いのように、も同様である。
失ってもいい人形を操れば幾らでも手の内を探ることができる。
(あそこで獣を両断したのは間違いではなかった。正面から戦えば手傷がどれだけ増えるかもわからん相手には見えた。
晒した手札は多くはない。が、少なくとも攻撃の間合いは読まれてはいる)
二つの半獣半人の距離と位置関係は絶妙だ。
一振りで殺せず、一方で殺せなかった方がこちらへと踏み込んで攻撃できる距離にある。
(協力してことに当たるのが一番効率的ではあろうが……。
あのお貴族様は動揺しているようにも見えるが、頼って大丈夫なのかねえ)
感情などありません、といった風情のシメオンが苦々しい表情を浮かべている。
ああいう手合がその表情を出すのは決まって追い詰められたとき、人生に王手が掛かったときである。
そういう顔をする人間を何度も始末してきたからこそ、ブレンゼンは理解していた。
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徒弟にはなっていない。
知識を得た、というよりも頭か体に屍術の法則を刻みつけられた。
以後は屍術を操ることができるようになり、それは今まであって当然だったような感覚ですらあった。
(警戒はしていた。だが、あのときに盗まれたか。
いかなる力によってかなど考えるだけ無駄であろうな。
ダルハプス。生きた年月の違いは私の細やかな才能など簡単に凌駕するだろう)
奪われたのは技術だけか。それとも知識や記憶も。
或いは自分の動作している今の感情すらも掌の上か。
埒外の怪物であることに警戒はしていたシメオンだが、その上をいかれたと考えていた。
勿論、その多くは考えすぎというものに過ぎない。
脅威ではあるが、それほどの自由度があればトライカを封鎖せずに緩やかに支配することもできただろう。
振り返ればすぐに考え至ることに行き着けないほどにシメオンが追い詰められている証拠でもあった。
才能のあるものは弱い。
ダルハプスからしても、天才を妬み続けるからこそ、そうした人種の揺らし方を心得ていた。
そういう傲慢がダルハプスにはあった。
だからこそ、
(全て読まれているのか。私の計画は全て詰んでいる。
そうか……怪物ダルハプスの掌の上。
ならば、それでいい)
屍術で自らの駒として動かせないかも試すが、人間の死体を操るようにはいかない。
それを見越してダルハプスが作った新しい屍術なのだろう。
時間さえあれば技術を模倣することもできるかもしれないが、その暇は与えられなかった。
「シメオンよ。今であれば、再び我がもとに参じることを許──」
「アアァ」
呻きはじめたシメオンにダルハプスは怪訝と警戒を向ける。
「アアア、グウウウゥ、……Guuuuuaaaahhhhhh!!!」
そして、呻きは咆哮へと変わる。
いや、変わったのは呻きだけではない。その体の作りが次々と変質していった。
手足、顔、胴体。完全な獣人に変じたシメオンが雄叫びを上げながら自分の近くにいた半獣半人へと迫り、蹴り上げ、踏み台にしてブレンゼンを囲む二つの半獣へと殺到する。
その腕だが二度閃くと、それらが物理的に分割される。
「閣下の掌の上。それも結構!
そこで私は同盟ごと踊らされていた。それも結構!
であれば私を踊らせていた分の支払いをする必要がおありでしょう!」
獰猛に笑うと、
「ダルハプス! 我があがき、その胸にて抱かれよッ!!」
シメオンが我儘と傲慢の極まった言葉が発された。
「貴様ァ」
路地から再びダルハプスの声。
現れたのは同じように半獣のものたち。
しかし、いずれもが囲んでいたものたちに劣る体格や変化具合であった。
(最初にこちらに当てた四足獣がここいらの最大戦力で、囲んでいたのが予備。
現れたのは苦し紛れってところか)
ブレンゼンも状況を飲み込む。
ここで暴れることがそのままダルハプスの焦りを買い、戦力を大いに削ぎ落とす結果を得られる。
「話は仕切り直しだ、シメオン!
ここは共闘するほうが俺にとっても得がデカいみたいだからな!」
「Haahh……。利益最優先。素晴らしいことだ。それでこそ冒険者というもの。
共にダルハプスの見事なる采配、一分でも狂わせて見せよう。
そうすれば、我が永遠の主……偉大なるヴィルグラム陛下への忠義が示せるというものよッ」
狂気に染まった言葉と雄叫び。
その意味を理解することはブレンゼンは勿論理解できない、シメオン当人を除けば何人が理解できるだろうか。
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ダルハプスは状況を見下ろしていた。
外で結界を破った術士のもとには手勢で最も力あるロザリンドを。
炉に進んだビウモードには実の父を。
ヴィルグラムは自らの手で叩き潰せばよい。造作もないことだと考える。
だが、イレギュラーは重なるもの。
シメオンが乱入し、屍術と秘術を組み合わせて自分の操っていた死者を味方に取り込んだ。
その動きは明らかにダルハプスへの反旗であった。
予期していないわけではない。
あの場では混乱させるように詳しくは言わなかったものの、ダルハプスがシメオンにできたことは彼が備えていた秘術を奪うことのみ。
それも、屍術を与える期間に得ていたものだけであったから完全な形ではないものも多かった。
役に立つものと言えば生物のあり方を変える、彼らが言う所の獣化の秘術と片手で数えられる程度のものだけであった。
それでも始末するには十分なはずだった。
獣化の秘術によって作り出した人造の鬼獣は並の冒険者であれば一蹴できるだけの力がある。
少なくとも赤色程度の冒険者であれば勝ち目は薄いほどの力を与えることができた。
いかに秘術や屍術を修めようと一介の貴族が叶う相手ではない。
そのはずだった。
何を察知したのか、ブレンゼンが足を止め、ヴィルグラムから離れる。
ブレンゼンが敵の気配としたものは実際にはシメオンの屍術で支配権を上書きされた死者たちのものであったが、
結果としてシメオンを始末するために向かわせた獣は二人によって破られた。
(このままでは後手後手になるか)
ダルハプスは死者たちの視界を借りるようにして都市の状況を見やる。
それらをつなぎ合わせれば鳥瞰図の如くにして扱うこともできた。
状況は悪化している。
そもそも、ダルハプスにとって遠大な計画を組むことそのものが好むところではない。
最終的には自身が持つ強大な力によって叩き潰せばよいと考えるのは早道を見つける長所でもあるが、
短絡的な手段を取り続けることで望まない方向へと転がらせかねない悪癖でもあった。
(彼奴らを止めるのはヴィルグラムめを捕らえるのが最も早い手段。
イセリアルを目指す以上、奴が我が肚のうちにあると考えればよい。
そうだ。それでいい。
最終的に肚に収めて解決するならば、それまでの時間稼ぎをすることこそが最善)
最後までお守りをするのかと思っていたが、巨躯のエルフもまたヴィルグラムから離れている。
冷静に状況を見れば悪い方向には一つも転がっていない。
むしろ、全ていい方向に進んでいるではないかと、ダルハプスは楽観主義的に笑う。
(ならば、都市防衛をさせていた半獣どもはシメオンどもへとぶつけてくれよう)
大量の気配がシメオンとブレンゼンへと向かい動き出す。
鳥瞰から、じりじりと押されている二人が見えるようだった。
(この数であれば十分。これ以上のイレギュラーがあってはたまらぬ。
注視すべきはイセリアルか、或いはあのエルフか)
終わったものとしてシメオンたちから意識を外す。
悪癖。
戦場に生きたものであれば楽観主義がどれほどの毒であるかを知っている。
だが、永くを生きるアンデッドたるダルハプスではあっても、戦場に生きたわけではない。
死者すら毒するものがトライカを侵食していることを、当人だけが知り得ていなかった。
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大量の死者。それも半獣となったそれらは四足獣らに比べれば確かに劣化品そのものではあったが、膨大な一人もなれば話は別だった。
「ブレンゼン君。私はね、夢へと向かっているのだよ」
「おいおい、この状況で自分語りとは気合が入ってやがるな」
5人や10人ではない。
次から次へと現れる半獣たちは斬り殺したものを含めて、数えるのも馬鹿らしい量になっていた。
「人は人を超えたものに支配されて初めて幸福でいることができるのだ」
「それが坊だってのか。死体を求めていたヤツの言葉とも思えんが」
「あれは偉大なるものに対して、その理解の段階を進めるためのものに過ぎない。そして、確信もできた。
やはり彼こそが永遠の支配者へと至る可能性のあるものだとね」
「何が言いたいかまるで伝わらん、できれば結論を急いでくれると」
大剣を振るう。
いよいよ切れ味が悪くなってきたのを感じていた。元よりすぱすぱと切るためのものではないにしろ、油によって刀身が意図していない方向へと進むのが柄から伝わっている。
「助かるんだがなッ」
だが、それを膂力で解決する。
切れないならば砕き、叩き割ればいい。それでも雲霞の如き敵の群れにいつまでその誤魔化しが通用するかはわからない。
「ここで私が斃れたとしても、彼ならば私のように迷い足掻くものを幸福にしてくれることを確信している。
それでいいかね」
「そりゃあわかったが、その話がなんだ」
「新たな支配者を戴くための犠牲を支払う覚悟はとうにできている」
余りにも冷静に話すものだから、彼が狂っているのではないかという疑念が薄らいでいた。
シメオンにも向けるべき注意が疎かになっていた。
「男爵同盟は私の死を以て終わりとはならない。
男爵同盟の意義は初めから決まっていた。そう、我らに与えられたものは呪いではなかった。
初めから偉大なるものを戴くための鍵だったのだ!」
ブレンゼンは次に気がついたときには空中だった。
視線の先には肥大化した腕を持ったシメオンがいる。状況はすぐに理解した。
彼に投げ飛ばされたのだ。




