130_継暦136年_冬
爵位はカルザハリ王国時代から続く呪いのようなものである。
少なくともシメオンはそう考えていた。
王を名乗ったもの、公爵や侯爵の位を持っていたものは滅び、王同然となった伯爵たちがこの時代の頂点となった。
頂点が一つであれば従う道もあっただろう。
だが、山が幾つもそびえ立つように、王同然の伯爵は多く存在した。
伯爵よりも下のものたち、つまりは子爵や男爵は130余年の間に伯爵に従うものも多く現れた。
安定した生活を得たものも少なくはないが、頼る相手を間違って捨て駒や道具のようにして使い捨てられるケースも珍しくない。
それでも子爵以下の爵位持ちは与えられた爵位に相応しい生き方を親から、父祖より強制されるようにして歩まされる。
シメオン男爵家はそういう点においてはこの群雄割拠たる継暦以前より土地も権威もない男爵たちを取りまとめて秘密裏の同盟を作っていた。
そのおかげでこの時代を生き延びることができていると考えれば幸福だったと言えるかも知れないが、
生きていることそのものが苦痛であるのならばむしろ拷問に近い仕打ちだ。
ただ、彼は後者のように考えていた。
「どうして我ら男爵はその責務ばかりを負わされるのだろうな。まるで呪いのようだ」
その問いに正しく答えられるものは一人としていない。血を呪いと捉えているものがそう多くはないからだ。
彼に侍る同盟者の一人が返した言葉こそが、彼の運命を変えることになる。
「呪いです。言い得て妙かもしれませんな。
であれば、私は呪いの根源をこそ考えます」
「呪いの根源? 出元があると?」
「ええ。あるでしょう。それはこの世そのものですよ。
頂点でもなければ最下層でもない。上から搾取され、下から突かれる。
緩衝材代わりの人生。それこそが呪いそのもの」
そして、と同盟者は続ける。
「であれば、男爵を呪い続けるその座を与えたカルザハリ王……。
何よりそうした仕組みを作り出した人間そのものこそ、呪いの根源では?」
「……仕組みを作り出した人間が未熟であるから操りきれない、それが問題か」
聞きようによっては男爵も未熟であるとも取られかねない言葉であったが、少なくともシメオンはそうは取らなかった。
「であれば、我らに男爵などというものを与えたものが、人間を超えた存在であれば」
立ち上がると熱に浮かされるように、
「我らの支配者が人でなければ」
答えを見つけたように、
「我らは救われるのではないか」
カルザハリ王国時代より以前、寝物語で語られる伝説があった。
神と呼ばれ、エルフたちを生み出した存在がある。
それは絶対的な安寧の時代であった。
知恵と知識、そしてインクの有り様を変えたドラゴンがいた。
それは絶対的な繁栄の時代であった。
魔術を構築し、広めた人ならざるものがいた。
それは絶対的な自由の時代であった。
それらは全て、人々の上に存在し、君臨し、無用な不安を取り除く特効薬じみた存在であった。
数多ある伝説の存在こそが人々の心に安定をもたらし、心を竦ませる呪いをはねのけた。
シメオンが求めてやまないものが『それ』であることを理解した。
「ああ。そうか。かつての時代の神と呼ばれたるものが、それに並び立つ伝説が、
偉大なるものの支配を受けることこそが、我ら男爵の……人間の本懐であったのではないか」
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その日に放たれた歓喜を含む声に同盟者の多くはシメオンの乱心を危惧した。
だが、それからのシメオンの動きは今までにもまして鋭いものだった。
同盟を拡大し、格上である子爵たちすら手玉に取った。
以前より存在した西方諸領圏の枠組みを強化し、伯爵領すら無視できない勢力にまで育て上げた。
当時、シメオンが乱心したかと思うような発言を聞いたものたちは現在では命を落としているか、行方知れずのどちらかだ。
彼が天命だと思い込んだことを深堀りされることを恐れ、手を下したのか。
単純に彼の理想に従い続けることができずに落伍したのかはわからない。
見えない何かを求めるように手を伸ばすように見える、見えざるに関わらず勢力を広げるシメオン。
先代以前のシメオンたちも彼と同様に求めたのか、それとも自らがその人間の法則を超えた支配者になろうとしたのかまでは当代にはわからない。
だが、彼は自らの血を辿るようにして、父祖たちの残した記録を見れば求めるものの存在をより明確化することができるようになった。
造成種。
かつて人が作り出した、完成された人間。シメオンの一族が求めた答えこそがそれであった。
当代は考える。彼らのような存在こそ我らを支配し、管理してくれるはずだと。
探し続けた彼を待ち受けたのはカルザハリ王国の亡霊であったが、それを出し抜いて完成品たるオートマタを得るに至った。
少年の姿を持った人形は美しかった。
勿論、その美貌もだが生物としての(造物としてのというべきか)作りこそ、彼の求めた完璧がそこにあった。
それは老いることもなく、疲労を知ることもないだろうもの。
知性も精神も人間が求める完璧な状態のままに備わるだろう、ヴィルグラムと自らを定めた少年こそが彼の理想の主であった。
今のように奔放に歩き回り、望むように人を助けようとする少年はシメオンにとってお呼びではない。必要なのは人間性を持たぬ彼の確保。
人の心なく支配する絶対の秩序者としての彼を生み出すこと。
どうあれ、現在のヴィルグラムを、ヴィルグラムたちを保持する管理局を打ち破り、奪わねばならない。
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ダルハプスが死ぬでも滅びるでもなく、封印されて現存しているという噂はまことしやかに流れていた。
断片化した情報を集め、幾度となく現地を調べ、やがてそれが真実だと確信する。
そうして、シメオンは一つの決断をした。
ダルハプスとの謁見。
それこそが目的達成の鍵であると考えた。
「封じられているはずの吾に、どのようにして接触を行った」
闇であった。
左右どころか上下すら存在しない闇。
封印と呼ばれる行いは本来、人間に向けられることは殆どない。正確には、受肉したものに向けられることは稀なことだ。
意識だけを切り離されてなおこのように会話できること自体がダルハプスという存在の強さをシメオンに知らせていた。
「儀式ですよ、ダルハプス閣下」
「吾も知らぬ儀式があると」
それには答えない。
手の内を晒す必要もない。
封じられているこのアンデッドはシメオンの理想を叶えるための道具に過ぎない。
ただ、今は
「私の名はシメオン。男爵の爵位を持つ取るに足らぬ人間です」
へりくだるのみ。
ただ、ダルハプスの封印を掻い潜って現れるには相応の苦労があった。
何せ相手は伯爵家が総力を上げて作り上げた封印。
意識のみを切り離し、封印をくぐり抜けることができたのは秘術と呼ばれる技術群の流用と応用の賜物。
シメオン自身が多くの術に適正があり、彼自身が開発した男爵同盟に属するものたちの秘術を束ねる手段を得ていたからこそ可能な例外中の例外による侵入であった。
爵位こそは呪いだと考えるシメオンではあるが、皮肉にも慎重に番を選ぶことができる血統であるからこそ、優れた才能を先天的に宿しており、そのお陰で彼は計画を進める鍵を幾度となく手にすることになる。
さておき、封印を無視したダルハプスとの交信に長く時間をかければ意識は封印に飲み込まれ、二度と肉体に戻ることができなくなる。
それにシメオン自身が置かれた状況もある。
封印の近くでなければ発動できないからこそ、彼は単身でビウモードへと入り込んでいた。
都市に入るだけならば幾らでもやりようがある。
例えば、今回であれば身分を金とコネで作り、誰でもない旅の商人として紛れ込んだ。
やることがやることであるから、シメオン男爵の名を表に出すことはできるわけもない。
盗賊の真似事をするように居城へと入り込み、秘術が行使可能な範囲まで封印へと近づく。
入り込むといっても、封印の間ではなく地上の特定部分で隠れながら術を使えばそれが可能であった。
先に出した状況とは単純な話だ。警備に肉体が見つかって、持ち去られたり、或いは単純に肉体を破壊されてしまえばやはり意識が戻る場所を失ってしまう。
ことを急ぐ必要がシメオンにはあった。
「ダルハプス閣下。どうかこの卑小なる身にお力をお与えください。
そうすれば、閣下の自由を取り戻すお手伝いをさせていただくこともできます」
ダルハプスからしてみれば、これは僥倖そのものであった。
時間をかければ封印を脱することはできる。なにせこの封印は不完全だった。
だが、堪え性のないダルハプスはいっときでも早く封印から逃れたい。
そこに現れた怪しげな人間。平時であれば信頼の置けない存在であっても、今は信じる他ない。
「よかろう、シメオンよ。
まずは吾に何を望む」
計画には多くの賛同者が必要だった。そのために人を操るための魔的な魅力はシメオンに元々備わったもの。
だが、それだけでは足りない。
必要なのは汚れ仕事を厭わずに行い、命じられれば死を以て口をつぐむようなものが多く必要だった。
そんな都合のいい人間はシメオンの魅力であっても早々手に入るものでもない。
ならば効率的に操ることができるものがあればよい。例えば、歴史に語られるビウモード領の支配者が持っていたとされる屍術。それによって作られる好きに動かすことができる死者のような。
計画を動かす上でというだけではない。
やがて同盟が崩壊するとして、たった一人になってでも理想を叶えるための手段。
それらをダルハプスとの協力関係の中で少しずつ奪っていくのが彼の計画であり、それは順調に進む。
シメオンはその手応えを感じていた。
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トライカ。
かつての栄華はダルハプスの作り出した結界によって蓋をされていた。
誰も動かすことができない邪悪の繭と化していた都市。
しかし、邪悪が羽化をする前に結界は崩された。
長い付き合いとなったダルハプスとの関係も終わりになることを察しながら、シメオンはヴィルグラムたちの一団が入ったのとはまた別の入口から進む。
(都市外に出せる兵力は少なくとも、都市内部であれば炉の力を使って、多くのアンデッドたちが侵入者を待ち受けようとしているはず)
この都市に入り込んでいるものの詳細まではシメオンも理解はしていないが、
自領の問題にビウモードの関係者が顔を出さないはずもない。
となれば、その『彼ら』が炉に至るまでの道を空けねばならない。
道を進めば命令を待つ人々たちが並んでいた。動きはない。
ただ、屍術による命令があればすぐさま彼らは動き出し、侵入者の足を止めるための行動を取るだろう。
ダルハプスから下賜された屍術は、彼とシメオンだけでは手が足りない故にその解消手段として与えられたもの。
そういう名目で下賜されたが、それは表向きの名目でしかない。
彼は得た屍術は、今日この場にこそ使うために求めたのだ。
つまりは、
「《欠片の未練と、苦痛を糧に、吾は汝の肉を縛らん》」
屍術は極めて難度の高いものであり、儀式や付与術と併用することで使用を実現化できるものであった。
永くこの屍術を研究したダルハプスであってもそこから抜け出すことはできず、指先一つで屍術によってアンデッドを量産し、操ることはできなかった。
死者の軍勢を作り出すのには都市一つを道具のようにして儀式を伴わせる必要があった。
シメオンにはそのような準備はない。
それでも効果があるのは、シメオンがダルハプスの準備に相乗りしているからだった。
(膨大に必要なインクは炉から引いているのだろうな。
屍術での命令系統は極めて複雑、それを簡略化するための儀式がどこかで起動しているのは間違いないが……。
それに適した場所は)
目を引かれるのは遠目からも見える、建設途中の何か。掲げられたシンボルは冒険者ギルドのものだった。
儀式に関わるものを置くのであれば広さとしては申し分ない。
(屍の手綱を握る感覚からしても、間違いないな。あそこが屍術の本丸だろう)
ダルハプスと対峙するにしろ、ヴィルグラムを捕らえるにしろ、儀式を潰す必要はある。
今こうして操っている屍たちは使えなくなるが、これらはあくまで炉までの移動を邪魔しないために動かしているに過ぎない。
屍がなくとも目的を完了できる自信があった。
それに、全ての屍が使えないわけではない。彼は彼なりに屍術を理解し、歪んだ発展をさせている。
生きながらにして腐り果てるような精神と、他者と繋ぎ合わせることができない人間性を持つシメオンは屍術の天禀があった。
他者の苦痛が未来の礎にと本気で思える異常性が備わっていた。
死者を操るのではなく、ただの肉となった死体に自らの精神を同期し、人形を操るようにして死者を動かす術へと変貌していた。
本来であれば彼が唱えた詠唱はその十倍以上の長さにもなろうものだが、相乗りのお陰もあって短く切り上げる。
死者たちが侵入者たるシメオンへと殺到するも、それらはぴたりと止まった。
土地とダルハプスに結ばれた彼らを制御する見えざる糸は、シメオンの手中へと収まる。
死者と接続することで与えられる膨大な死の記憶や感情、その苦痛。
それらがあるからこそ屍術は稀なる術として流行らず、一部においては禁忌として扱われる。
だが、シメオンはどうあっても他人の痛みに鈍感であった。
膨大な数の死者たちの苦しみと接続し、怨嗟の声が頭と心を叩き割ろうとしてもどこ吹く風。
当然だ。
砕かれるような心など、シメオンは生まれ持っていないものなのだから。
「協力してくれるね、トライカの諸君。
君たちを操るダルハプスを完全に封殺し、我が救い主たるヴィルグラムを完全なる装置にするために。
新たな時代の神の到来のために、進もうじゃないか」
語りかける必要はない。
だが、それでも言葉を尽くすのは彼なりの礼儀であった。
死者たちは緩やかにそれに反応し、シメオンが進もうとする方向へと身を向ける。
そこに声がかかる。
重く、奥底に怒りにも似たものを感じさせる声であった。
「また坊の首を狙っているのか」
言葉を向けたのはかつて雇用した冒険者、ブレンゼン。
混種の殺手は依頼ではなく、自らのエゴでシメオンへと敵意を向けていた。




