013_継暦141年_春/08
よっす。
寝呆け続けていたオレだぜ。
そう、寝た。
死ぬほど寝た。
死んでしまったのではないかと思われるほどに寝た。
贅沢な時間だった。
オレにとって、日を跨いで生きるということだけでも贅沢だというのに、
こんな素晴らしい寝床まで与えられるとは……カグナットに感謝をしてもしきれない。
ああ、そうだ。
カグナットだ。
話を先日に戻そう。
報酬を受け取り、さて、どしたものかと思っているとカグナットが声をかけてきた。
改めてお礼をしたいと。
イセリナもギルドからも報酬という形だけではなく礼を尽くさせてほしいと言われた。
先代マスターは随分と慕われていたようだ。
どうせやることもないのでそれに同意する。
傍から見れば今の状況はギルドのアイドルと噂でしか聞かない幽霊役員の少女を侍らせているようにしか見えず、
他の冒険者たちの視線がぐさぐさと刺さっている。
ロームは「暫くは大人しくしとけっつったのに」と言いたげに額を押さえていた。
目立ってしまったものは取り返しはつかない。
諦めだけは一流の自覚がある。
───────────────────────
現在のギルドマスターは不在ということで、引き続き状況の責任者としてイセリナ。
そして役員のカグナット。
名目上、功労者のオレ。
以上三名による面談が始まった。
挨拶もそこそこに端的な質問が飛んでくる。
「欲しいものはないですか?」と。
不意に出される質問としては頭を抱える類のもの。
「追加報酬までもらってるしこれ以上は」
「ギルドとしては、ですよね。
ウチはまだお礼をできてないです」
「ううむ……本当に思いつかないんだけど」
欲がないわけじゃない。
質のいい装備だって欲しいし、面白そうな依頼だって受けたい、キレイな女を侍らしたい気持ちも当然ある。
が、そのいずれも自分で手に入れてなんぼのものだ。
これはもしかしたら長きに渡る賊生活と賊根性が身に沁みすぎているだけかもしれないが、この染みばかりは抜けそうにない。
「あー、でも……寝泊まりする場所を決めてないんだった。
それなりの値段でぐっすりと休めそうな宿の紹介とかはできないかな」
「それなら──」
カグナットに提案されたのは、役員の権利の一つとして与えられるギルド内の私室、その権利そのものをオレに移譲するというものだった。
ただ、流石に移譲そのものはギルドマスターとの相談やら、色々な手続きが必要だということで、
ひとまずはカグナットから借り受けるという形で落ち着く。
そして部屋に通されたオレは、死人でももう少し活発だろうと言えるほどに寝た。
寝呆けた。
数日間寝た。
ついに心配になったイセリナとフェリがオレを起こしに来て、
寝すぎてよぼついた足取りでギルドのホールへと向かうことになった。
もっと寝ていたいが、流石に食事を摂らなさすぎてふらふらもする。
冬の森の中で眠る動物のように、オレも冬眠がしたい。
もう季節も春になるというのにオレはそんな願いを心に浮かべていた。
───────────────────────
流石に数日も寝ていたからか、冒険者たちのオレを見る目が刺すようなものではなくなっていた。
平穏は破られなかったわけだ。
オレは安心しながら豆のスープとパンを頼み、それを朝食とした。
このホール内で最も安い食事。
別に節制しているわけじゃない。
どうにも賊として生きている時間が長いせいか、貧相な食事が舌に合うようになっている。
勿論、ここで出されている豆のスープとパンは賊のアジトで出されるような、
『ほぼ豆を煮ただけの液体~塩分の風味を添えて~』とか、
『かつてパンと呼ばれたもの~カビはちょっとしたスパイス~』などとは比べようもない。
最早、これは美食といっても過言ではない。
「よお、新入りィ。
ショボいメシ食ってんなあ」
「大金星上げて懐が温かいんじゃねえのかあ」
わあ、ギルドにこんな賊めいた奴がいるのかよ。
オイオイ、親近感湧いちゃうだろ。
話しかけて来たのは二人組の青年。
やや赤色が混じった髪の青年と、少し太り気味の茶髪中分け青年。
匂いは……酸っぱい臭いがしねえ。お前は賊じゃねえよ!
いや、賊じゃないよな。
冒険者だもんな。
身なりに気を使ってるんだな……うん、偉いよ……。
その紳士としての心遣いについ微笑みが溢れるというもの。
そう考えるとオレはどうだろう。
数日寝ていたし、そもそも身綺麗にすることなんて寝る前に体を軽く拭いたくらいだ。
自分を臭ってみるが、特に感じない。感じないが……。
───────────────────────
『ああ、やべえ奴に絡んじまった』
黄色位階の冒険者の青年たち、ナスダとその友であるトマスはドン引きしていた。
最初は我らがアイドル、イセリナに目をかけられていたのが気に入らなかった。
ちょっとビビらせてやろうと思って近づいた。
金があるはずなのに、食べていたのは豆のスープとパン。
しかし、そのパンは通称『余りパン』と呼ばれているもので、作られて日が経っているから味が著しく落ちているもの。
仕事に失敗した緑色位階が食いつなぐために用意されているだけの一品。
豆のスープもそうだ、殆ど捨てるべきであろう野菜くずやら何やらを煮込んで作ったもので、これをパンと共に頼むことを『ザコ定食』などとあだなされていた。
味は勿論、最底辺。
だというのに、あの少年はうまそうに食べていた。
一口一口を噛みしめるように。
正直、そこらの浮浪者ですらもう少し美味しいものを食べているであろうものを。
彼らは諦めなかった。
とりあえず煽らねば引き下がれないという気持ちで、食事の話を持ち出した。
ショボいもの食べているな、と。
しかし、何故か彼は突然鼻をすんすんと鳴らしてナスダとトマスを臭ってきた。
(なんだ、臭いのか?
いや、臭いわけがない。
オレもトマスも毎日風呂屋で身綺麗にしている。
そう、愛すべき我らがルルシエット冒険者ギルドの看板を汚さないためにも)
(いや、まさかこいつ……。オレたちを食べられるか見ているとか?
まさかな。
いや、しかし噂ではガドバル兄貴たちが森で拾ってきたとかって話じゃなかったか?
つまり野生児なのか?
だとしたら、森では獣だけじゃなくて人までも……いや……いや、そんなわけが)
その後に、にたりと彼は笑った。
意味がわからない。
鼻を鳴らして臭いを嗅いで、不敵に笑う意味がわからない。
そして、少年──ヴィルグラムは自分の臭いを嗅ぐ。
その様子はまるで自分の精神を落ち着かせるために慣れた臭いで鎮静しているかのように二人は見えた。
『ああ、やべえ奴に絡んじまった』
二人は人を喰らう可能性すらある野生児(だと勘違いしている)にどうして当たりに行ってしまったのか、後悔していた。
───────────────────────
「ねえ」
「な、な、なんだ?」
「オレってさ、臭い?」
「いや、全然だ、ノースメルだぜ」
ううむ、気を使わせただろうか。
二人とも何故か妙によそよそしいというか、最初に話しかけてきたのとは態度が違う。
やはりオレは臭いのか。
「二人は臭いがしないね」
「ああ、そ、そりゃあ風呂屋に毎日行ってるからな」
「へえ、いいなあ」
ううむ。
しかし同じ風呂屋に行くのは嫌がられるだろうか。
縄張り意識とかがあるかもしれない。
一応、彼らの様子を伺おう。
「おススメだぜえ、ほら、こ、ここ、これ。
割引券だ、持っていくといいぜ」
「いいの?」
「おいおい、オレたちは冒険者仲間、家族みたいなもんだろ。
なあトマス」
「お、おうよナスダ。
割引券でよけりゃいくらでもやるよ」
おいおい、泣かせるじゃないか。
もしかして最初にメシのことを言ってきたのもオレの栄養状態を気遣ってくれたんじゃないのか?
だとしたら賊みたいだ、なんて思うのも失礼だったな。
「ありがとう、食べ終わったら早速行ってみるよ」
「是非楽しんでくれ、それじゃあオレたちは仕事探さないとならねえから」
「じゃ、じゃあな新入り」
小走りで去っていく二人。
忙しいのにわざわざ目を掛けてくれたのか。
賊社会にいすぎてこういうのにとんと疎いのはヤバいことを自覚できた。
これからずっとソロでいようとも思っていたが対人関係の技術を得るために多少はパーティプレイも視野に入れないと駄目かもしれない。
───────────────────────
さっぱりした。
風呂は最高だ。
フェリに掛けてもらった請願──払拭だったか──も便利でいいが、風呂ってのは汚れを落とすだけじゃないんだよな。
なんていうか、こう……心の悪いものまで落ちていきそうな。
賊だったオレの悪いものが溶けるって何もかも消えてしまいそうだとか、そういうのは言いっこナシだ。
清く正しいでいられるかの自信はないが、それでも賊よりかは真っ当な道を進みたい。
今の仮宿であるギルドへと入ると、出ていくときよりも騒々しさが強かった。
そしてそれは賑やかな酒場の喧騒のようなものではない。
「か、勘弁してくれよ、ギネセスの旦那!」
「オレたちは黄色だぜ!?
依頼を達成できるはずねえって!」
風呂の割引券をくれた二人組。
確かナスダ、トマスと言ったか。
泣きそうな顔になっている。
大の大人にそんな顔をさせているのはギネセスと呼ばれた男。
細面で、しかし繊細や病弱といったネガティブなイメージはなく、抜き身の剣めいた気配を備えている。
オレが賊だったらまず狙わない手合だ。
「……付いてくるだけでよいと言った。
それにお前たちには貸しがある、違うか」
ギネセスが懐から取り出したのは二枚の紙切れ。
「見覚えはあるだろう」
「……ああ、パーティ捜索のときに旦那に払えなかった分の……」
「そうだ、請願によって保護を受けている証書だ。
一度だけパーティを組む約束をしている、それが今来たということ」
なるほど、ギルドがこんなギスギス空間になっても誰も止めないのは契約があるからってことか。
「けどよお、ギネセスの旦那……あんたが受けたい依頼は最低人数が四人からだぜ。
オレと、トマスと、それに旦那を入れたって一人足りねえよ!」
「あのとき助けたパーティメンバーがいるだろう」
「引退したよ、オレたち以外な!
ズノイとポールは故郷の村で農家、シャーロットは定食屋で給仕をしてる!」
「給仕か、ならばこの街にいるのだろう。
証書の力はお前たち当時のパーティ全体に影響する、言いたいことはわかるな」
「アイツはもう冒険者じゃないんだ!勘弁してやってくれ、旦那!」
「知ったことか」
いよいよ二人は泣き始めている。
かつてのパーティメンバーが巻き込まれることが悲しいのか、自分たちの未熟さを嘆いているのか。
確かに、もしも賊の仲間が足抜けして身分を隠して陽の当たるところを歩いています。
そんな奴に再び賊に戻れ。戻らないなら殺すぞ、なんて言われたらたまったもんじゃあない。
オレだったら死を選ぶね。
だが、普通はそんな選択肢を取らないことだって知っている。
だから泣いて許しを乞うしかない。
「頼むよ、旦那あ!」
「シャーロットを巻き込まないでやってくれ!」
「断る、人数を足りさせる必要があるのだ」
いよいよギネセスも怒りを見せ、二人を睨む。
「待ってよ、えーと……ギネセス、だっけ」
竦む二人、言葉を切るギネセス。
丁度よさそうなタイミングなのでオレがそこで口を挟むことにした。
「お前は?」
「ヴィルグラム、駆け出しの冒険者だよ。
定食屋でお給仕している人を戦場に借り出すのも、駆け出しの冒険者を連れて行くのも変わらないと思わない?」
一瞬だけ思案をするも、「そうだな」とギネセスは同意した。
それに焦ったのはナスダとトマスだ。
「な、何を言い出すんだよ!?」
「死ぬかもしれないんだぞ!」
「あー、わかった。いや、わかってるって。
二人の形相を見れば、十分に伝わるよ。
でも、そんな顔になるくらいに元の仲間が大事なんでしょ」
呆気に取られるのはナスダとトマス。
ギネセスも訝しむような表情を浮かべた。
「だからさ、代わりになるよ。
二人の大切な仲間の代わりに」
あーあ、きっとまたイセリナに怒られるんだろうなあ。
大見得を切りながら、オレはこの後のことを考えて少しばかり憂鬱になった。
それでも、こうするべきだと思った心に蓋ができなかった。




