127_継暦136年_冬/06
ゴジョの魔術も儀式も万能ではない。
ただ、ゴジョはこの一党で実によく働いた。
彼女が魔術の達人なわけでも、儀式の天才であるわけでもないというのに、大車輪の活躍を見せている。
そのことに彼女は気を良くすることも、鼻を高くすることもない。
自分を上手に扱ってくれる一党に感謝をのみ捧げていた。
自己肯定感の低さは一朝一夕で解決するものでもない。
しかし、彼女の中では劇的な変化が起こっていた。
(自分の持っていた技術がこんな風に使えるなんて……。
冒険者ってやっぱりスゴい!)
かつて一人の冒険者が復活の繰り返しにたゆたう男に憧れと、それに紐づいた生きる理由を与えたように。
冒険者として生き、手札の限りを尽くして戦うその姿にゴジョも憧れと、自らの行動に対する情熱を獲得しつつあった。
駆け巡るのは怨念めいた引継書の記録たち。
手探りを続けた同僚になり得た先達たちの苦労と成果の泉。
(ただインクをチラつかせても意味がない。
メンテナンス用の引継書に似た事例があったはず。
挙動がおかしいアンデッドを動かすためにと試行錯誤した記録だ。思い出せ、思い出せゴジョ。
頭を捻るくらいなら卑職にだってできるはずだ!)
力ある言葉の幾つか思い浮かべる。
正しい順序、そしてインクを鍵として事象発生の鍵穴を回すための準備を始めた。
「《霞む影に、夕立ちに、視界の端に、そぞろ歩け》」
詠唱はインクによって巡り、回り、魔術が行使される。
詠唱の小節の多さは難易度を示すことが多い。
しかし、この場合は独自に生み出され、汎用性を捨て去ったが故のもの。
後任が魔術オンチだったとしても扱えるようにと苦心して作った作品である。
詠唱を長くし、インクの消費量を抑え、しかし的確に動き、アンデッドをまるで魅了するように誘導する。
《亡者誘導試製33号》
真っ当な名前すら与える暇もなかったのか、これすら完成形ではなかったから与えられなかったのか。
いつ頃に作られたかもわからない、作ったものがどうなったかのかもわからないからこそ答えを知ることはないだろう魔術。
それは影を生み出し、確実に、明確にロザリンドの意識を向けさせる。
『ナイスだ、お嬢ちゃん!』
「ナイスだ、社長ちゃん!」
ロドリックの言葉をそのまま伝える。
勿論、ローグラムとて同じ気持ちだ。
掴んだ石の中で最も質のよかったものを掴む。
手を高く、片足を大きく上げ、ぐぐと腰を落とし、全身を捻るようにしながら、
「オオォッホエェッ!」
気合と共に放たれたるは、路傍の石。
かぁんと小気味のいい音と共にロザリンドの手にあった剣が握った手から抜け落ちた。
想定すらしていない方向からの衝撃だ。
魔剣が地面に転がった。
傍目から見れば何の解決にもなっていない一撃だった。
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ゴジョが作り出した影によってロザリンドがローグラムへと半ば背中を向けるような姿勢を取る。
加速した石ころが当たったのは彼女の体ではない。
魔剣。
それも、柄の先端である。
曲芸めいた一投だが、それを可能とするものこそが技巧の本領であった。
魔剣が彼女の手から打ち出されるように飛ばされた。
アンデッドであるが故に驚くようなことはない。
ただ、意図しない挙動により判断するための処理が一拍以上遅れる。
『拾いに行ってくれ!』
『足止めはする!』
二人の言葉に突き動かされるまでもなく、それらの言葉と殆ど同時にローグラムは走り出していた。
彼女に率いられていたはずの兵士たちが突進するようにロザリンドに躍りかかる。
アンデッドとしての性能か、それとも将軍を務めるほどの女傑であった母親に匹敵するようなフィジカルエリートっぷりを発揮しているのか。
ロザリンドは無手であろうと兵士たちを文字通りにちぎっては投げた。
魔剣を争奪するためのレースは距離の不利を抱えたローグラムと、障害物という不利を与えられたロザリンドの戦い。
「おらーッ! 獲ったぞォォッ!」
転がりながら魔剣を掴み、掲げるのはローグラム。
『そいつをロザリンドに投げつけてくれ!
突き刺さるようにだ!』
姪の体にいいのか、などという余裕はまるでない。
『すまぬ、死者は全て砕かれた!』
何せロザリンドはバスカルが操っていたものたちを全て撃退して、余韻に浸ることも当然なく、ローグラムへと迫っていたからだ。
「オッホエェ!」
投げつけんとしたときに、ロドリックの声が頭の中に残響する。
『迷惑ばかりかけたな、███グラム』
投擲の技巧が発揮するのは礫に留まらない。
少しでも投げるのに適した形状や部位や状況があるのならば機能する。
ロドリックのその言葉を最後に、側にあったような気配の一つが失せたことにローグラムは気が付く。
あの魔剣へ意識を乗り換えたのだろうことも。
魔剣は確かにロザリンドへと戻った。
だが、それは彼女の手にではなく、腹を貫くように。
人間であれば致命傷でも、アンデッドたる彼女に刺突というものは無意味と断じてもいいもの。
そのはずであった。
しかし、剣に伸ばした手の動きは急速に緩慢なものへとなっていく。
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「ロザリンド、ロザリンド!!」
上下すらない空間で魂が奔る。
散り散りとなっていたロザリンドの魂は、叔父の必死の声と動きによって繋ぎ合わされていく。
「叔父、様……?」
「ああ、俺だ。……すまん、ロザリンド。
馬鹿だった。俺は心底馬鹿だったよ。
あんなくそったれの言葉を信じるなんて」
「ううん。こうして迎えに来てくれること、わかってたから」
寄り集まったそれは外見にある美女ではない。
欠けて、それでも残ったかすかなロザリンドであったもののカケラ。
ロドリックがよく知る可憐な少女のものとなっていた。
「こんなになっちまって」
「大きくなった姿を叔父様に見てほしかったな。怪物になっちゃった私じゃなくて。
お母様にそっくりだって評判だったんだよ」
「そうか……ロザリーはとびきり美人だった。お前も驚くような美人さんになったんだろうな」
ロドリックの唯一の心残りが消えていく。
願いは果たされた。
「叔父様。
あの怪物を倒さなくちゃ。
でも……」
「ああ、俺もお前もその時間はない。
だが、頼れる奴がいるんだ」
上下もなかった空間が開く。
視界を通して見えるのはローグラムの姿だった。
「ローグラム。
アイツと、アイツの仲間であれば」
「ダルハプスを打ち破れる?」
「ああ、それを信じている」
空間が緩やかに揺れた。
ロザリンドの体を支え、起きるように促すローグラムの姿が見えた。
何かを必死に語りかけている。
「何か云ってるよ、叔父様」
「大丈夫か、姪には会えたのか……だとさ」
「私が操られたままだったなら殺されちゃうかもしれないのに」
「それを考えずに来ちまうのがアイツの良いところさ」
「確かに、いい人」
「……まあ、お前を嫁にやれる程じゃないけどな」
「あ、お父さん面だ!」
どちらともなく笑う。
自らの魂を穢してでも助けたいと思った姪との再会。
それを成し遂げさせたのは自分ではないことをロドリックは知る。
彼よりもよほどちっぽけな力しか持たないはずの男が、望みを叶えてくれた。
「体、動くか?」
「ここじゃなくて、外のだよね」
ロドリックは頷くと、ローグラムへ伝えて欲しいと告げる。
彼女は求めに応じて言葉を話した。
上下のない空間が緩やかに消えていく。
永い時間を超えて再開した二人の魂は穢れに打ち克ち、それ故にこの世界から消えるときが来た。
生者であれば本来は必ず訪れるはずのもの。
真なる死。
ダルハプスによって操られていたロザリンドと、
そのロザリンドを助け出すために足掻いたロドリック。
二人ともに縛っていたものがなくなったが故に、安らかなる終わりのときが訪れる。
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「おい、ロドリック!
姪には会えたか!?」
喪服めいた騎士鎧を纏う女性に突き立ったはずの剣は消えた。
まるで雪が熱されて溶けるかのようにして、ロザリンドの中へと。
それと殆ど同時に彼女が体勢を崩した。
敵であるはずのロザリンドだが、躊躇など一切見せずにローグラムは彼女を抱えた。
「叔父様と、再会できました……。
ダルハプスを……皆様の手で、討ち滅ぼしてくださいませんか。
あの男に運命を凌辱された全ての、犠牲者の、ために……」
「ただの賊に無茶振りしやがって。
……オレができるとは思えないが、全力は尽くすよ。
美人さんのお願い事にゃ頷いておくってのが数少ないオレの流儀だからな」
軽薄なセリフが彼の細やかな強がりであることをロザリンドは理解していた。
確かに彼がダルハプスという巨悪を討ち滅ぼすのは無理かもしれない。
しかし、討ち滅ぼすに至る重要な鍵を持つであろうことを直感していた。
それが女の勘というものなのか、叔父同様に解析の力じみたものがあるのかは当人にもわかっていない。
小さく微笑むと、体の端々がゆっくりと解けて消えていく。
ダルハプスの力によって強引に繋ぎ止められていた肉体が滅びを迎えたのだ。
死を忘れたアンデッドですら、真なる死と呼ばれる現象からは逃げられない。
存在する理由がなくなれば誰しもが滅びるのだ。
「じゃあな、ロドリックの旦那。
今度こそゆっくりと休めよな」
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「逝ったな」
『ああ。寂しくなる』
「……姐御はなんでいるんだよ」
『一人で喋っていると不気味がられるぞ。この忠告自体遅いかもしれんがな』
ゴジョは突然現れ、突然滅んだ女騎士に事態が飲み込めずにぽかんとしている。
とりあえず不気味がられるってことはなさそうだと安堵するローグラムではある。
(そりゃそうか。口に出す必要なんてないもんな、姐御はオレに取り憑いてんだから)
『取り憑いているとは言葉だな。見守っているのだぞ』
(何が違うんですかね)
『受け取り方の解釈とその自由度の違いだな』
(貴族的なお答えですな)
『貴族なのでな。生前は、だが』
などとくだらない雑談を交えているとふと冷静さを取り戻したゴジョが、
「終わった、のですか?」
確認を取る。
「ああ。あいつはダルハプスの戒めから解き放たれたよ」
「そうですか……。ああ、いえ、だとしたなら備えないと」
「備える?」
「どのようなやり方で操っていたであれ、あの騎士を扱うには相当のリソースを食われていたはずだと考えられます。
それが解き放たれたのであれば相手側にも余裕ができたはず。
であれば、おかわりを差し向けるのではと卑職は──」
『聡い少女だ。
だが、少しばかり判断は遅かったな。経験を多く持つ私が気が付き、先導するべきであった。
すまない』
ロザリンドが現れた都市の出入り口から、ゴジョの云うところの『おかわり』が現れる。
強力な個体はなさそうだが、その分を数でごまかそうとしているのか。
(姐御は戦えるかい)
『私自身は問題はないが、貴様こそどうなのだ』
(正直、手持ちがな)
選び抜かれた投擲用の石ころも底が見えてきた。
『であれば、逃げの一手を選ぶべきだろうが……』
(それも難しいよな)
ゴジョは立ち直っているとはいっても、足腰を見るに全力疾走に耐えられるような体ではない。
田舎生まれ田舎育ち迷宮の怪物は大体同僚を地で行く彼女だが、
賊の全力疾走に付いていけるかはまた別問題だ。
『抱きかかえて逃げるか』
(それしかないか。いざとなったら)
『肉壁か。まあ、それはそれで私も慣れた戦術だ。最期まで付き合うさ』
(悪いね、姐御。
ただ、折角集めた石のコレクションだ。底を尽くまで時間も必要ない。やれるところまではやろう)
石を掴む。
「迎撃、しますか」
「ああ。残ってる石を使い切る分くらいはな」
その言葉にゴジョは杖を構え直した。
「オッホエ!」
「草花よ、下生えよ、伸びて掴んで邪魔をしろ!」
杖の石突を地面に叩くのはゴジョ。インクが走り、新たに現れたアンデッドの群れの足元の草を急速に育てた。
魔術によって伸びたそれらはダルハプスの兵士の足を掴むように伸びては移動を阻害する。
所詮は草花。全力で走ろうとするものを掴み続けることはできない。
だが、一瞬であれ一拍分であれ、ローグラムの投擲にとっては十分な時間だった。
次々と激突する石。バスカルも戦えるとは云ったものの消耗はあるようで、衝突した石から『制御』で動かせるものはそう多くはない。
それでも十分に足止めはできている。
しかし、それなり以上の戦闘時間で何も手を打っていないダルハプスでもない。
「わ、わあ! ローグラムさん!
後ろから!!」
息を潜めて、というのは呼吸を必要としないアンデッドには似つかわしくない表現か。
気配を殺し続けて回り込んでいた兵士の一団がローグラムたちの退路を断っていた。
『すまない、感知しきれなかった』
(こいつらの気配を読めねえのはオレのミスだよ、姐御。
ただ、お互いにペコペコ謝るのは後にするべきだよな)
『ああ、冷静な意見に感謝するぞ。
だが、切り抜けるためには、どうするか……』
(女将の約束を果たせないのは悔しいが、オレの命の使い所はここかね)
その言葉、その判断に悔しげな感情の波を出すバスカル。
生身であれば歯を軋ませて表情を歪めていただろう。
(最期まで付き合ってくれよ)
『ああ、……無論だ』




