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百 万 回 は 死 ん だ ザ コ  作者: yononaka
却説:王報未然

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124/200

124_継暦136年_冬/A08_06

 よお。


 出発準備を整えているオレ様だ。


 話し合いが終わって、ローグラム次第で出発をどうするかを決めようということになったが、翌朝にはケロッとした感じで彼は合流した。

 頑丈な人だよな。

 正直、二日三日は動けないだろうと思ってたんだけど。


 彼の武勇伝は酒場でそこかしこで語られていたから、状況は全て……それこそ彼よりも詳しいと言えるほどに理解していた。


 全く、びっくりするほどの善人だ。

 だからこそ、本当は動けない彼を置いて行ってしまいたかった。

 何せ今から進む先は間違いなく地獄だからだ。


 ダルハプスと対峙したことのあるオレだからこそ、状況がわかる。

 トライカは想像通りなら酷いことになっているだろう。

 その想像以上を予想するなら、市民全員がアンデッドになっていて、アイツの手下になっていること。

 ただ、アンデッドを作り、手下に加える力があるならもっと活用していそうだとは考えている。


 だからこそ、想像以上。向こう側まで最悪の想像を伸ばしておけばいざってときも「ああ、そのパターンね」と納得できる。足が竦まずに済む。


「いやー、ご一同申し訳ない。オレがついつい出しゃばっちまって」


 ケロリとした感じでのご挨拶。

 ローグラムの側には女将さんがついてあれこれと世話を焼いている。


 下世話な話もそりゃあ耳に入ってしまう。

 頼りにしていた亭主はトライカの騒動で命を落としたと思われている。

 あんな風に助けられたら惚れちまっても仕方ない。

 ──そういう話だ。


 だが、実態としては少し違ったようだった。


「女将。ちゃんと旦那さんは探してくるから待っていてくれよ」

「……はい」


 淡く、優しげに微笑む女将。


 心からの信頼を感じる。


『昨夜の噂話を統合すると二人は仲を深めているのだということでしたが』

(弱みに付け込んでってタイプじゃないでしょ、ローグラムは)

『そういう人物でしたら、そもそもあの状況で我々を助けるために動いたりもしないでしょうからね』


 評価に関してはオレも、アルタリウスも、そしてブレンゼンやシェルンも同様だった。

 ゴジョもブレンゼンたちから今までの状況を聞いているからこそ、同じ理解でいるようだ。


 宿を出るとルルシエットが用意したであろう馬車があることを待っていた騎士から告げられる。

 やはり彼らの状況は変わらず、協力できないことを申し訳なく思っていたようだった。


「閣下から、困ったことや問題が発生したならすぐにペンゴラに戻ってきてくれとのお言葉です。

 貴重な外部の協力者を失うわけには行かないからと」


 何にせよ、逃げ場があるのはありがたいね。


 ───────────────────────


(……うーん)

『馬車を貸していただけたのはありがたいですね』

(足があるなら寄りたいところがあるんだよね)


 お互いに特別に意識しない限りは大体の思考は双方向的に理解してしまえる。

 ヴィルグラムはそれを不快と思わないからこそ関係性が成り立っている。

 話は早いが、早すぎることもある。

 それはときに本来はたしなめたり、止めようとする説得をするというタイミングを置いてきぼりになる。


『次も目を覚ます保証はありませんよ』

(わかってるよ。でも、手を取り合って目的を達するためにはやっぱり必要だと思う)


「……どうしたでや?」

「あー……うん。

 ちょっとだけ寄り道しようと思うんだ」


 ───────────────────────


 寄り道を終え、トライカの近くまで来たあたり。

 都市を一望できるそこは目に見えて『結界』が存在していた。


「あれが結界……」


 ゴジョは見たこともないスケールの結界に凄絶であるという感想を言葉よりも態度で伝えていた。

 ただ、圧倒された。

 切れ目やつなぎ目のない黒が都市と外界を区切っている。


「聞いた話からすりゃあ、怪物どもでも闊歩するアンデッドの巷にでもなっているかと思っていたが……」


 風が吹くと、草木が揺れる。

 鼻をくすぐるのは新緑の芽吹かんとする香りだった。

 春の訪れの近さを感じさせる風景はうららかそのもの。


「あの向こう側にとんでもない怪物がいるなんて思えないくらい、キレイな風景でや」

「平穏さがむしろ不気味に映りますけどねえ」


 シェルンの言葉に苦笑いをしながらローグラムは返した。


「儀式によさそうな場所はどこだろうな」

「ええと……」


 周りを見渡すゴジョ、自ら非才の身などと云う彼女ではあるが、高度ではなく折り重なるように積み重ねた魔術などの蓄積によって、その瞳が移す風景は他のものと違うことを視る。


「正門でしょうか」


 ゴジョが指した方を見やる一同。地図と照らし合わせればたしかにそこは正門であった場所であった。

 もっとも、結界がある以上は入口ではなく、門の形状をした建築物があるに過ぎないが。


「正門をまっすぐに見据えられる場所で儀式を行いたいです」

「わかったでや」


 シェルンはゴジョと共に儀式の準備やリハーサルをはじめる。


「長くなるかもって馬車で云ってたし、テントの設営をしておくかね」

「手伝うぜ、旦那」

「あー、いや、お前はあっち(ヴィルグラム)を見ていてやってくれ」

「少年はアレを掴んだっきり眠っちまっているもんな。そもそも止めなくてもよかったのかね」

「止めたところで聞くタマじゃあないだろ、アイツは」

「そりゃあまあ、短い期間でも伝わっては来るもんがありますな」


 実はこの周回(サイクル)では遭遇回数もあるから言葉通りよりも少しだけ一緒にいた時間はある。

 それでも長い付き合いでもない。

 だが、十分に少年の頑固さをローグラムは理解していた。

 どうにも、彼は他人とは思えない部分があり、その点において共感を得ていたからだ。


 野営の準備がほどほどに進んだ辺りで馬蹄が響いてきた。

 ブレンゼンは近くに投げ置いていた大剣に手を伸ばそうとするも、

 『敵ってわけじゃあなさそうです』とローグラムによって制止された。


 現れた騎士は青年と壮年の二人組だった。


「お偉いさんみたいだな」


 ローグラムの言葉の通り、馬上の人物は身なりがよい。

 単純な顔つきや髪の毛の手入れ具合もそうだが、鎧や馬具なども十分に金が掛かっているようだ。

 壮年の騎士が一歩、馬を前に進ませる。


「貴兄らはペンゴラから来た冒険者か」


 その言葉をすぐにブレンゼンは返さなかった。

 自身が特異な混種であることは今までの人生でそれなり以上の苦境を持ち込んできたようだ。

 彼らへの対応をローグラムへと任せたいと目配せをする。


「アー……」


 全てを汲んだかはさておいても、ローグラムは口を開く。

 素直にそうだと頷くべきか、それとも踏み込んでルルシエットの名を出すべきか、

 そのいずれもを伏せるべきかを少し悩む。

 といった考えを読んだのか、壮年騎士は「すまぬ、言葉が足りなかったようだ」と言葉を続ける。


「こちらに有らせられるは、ビウモード伯爵領が当代伯爵であるビウモード閣下である。

 私は閣下に従う行動騎士のドワイト。

 トライカでの──」

「ドワイト、私から話そう。そうするべきだ」

「は、では……」


(騙りにしちゃ雰囲気がありすぎるが、大領主がお供も一人でここまで?

 ……どういう事情にしろ、相手から話してくれりゃいいんだが)


 下馬をする伯爵を見て、すぐに壮年も倣う。

 それは一種の礼節であった。馬上から見下ろすのは貴族にとって当然の行いであり大領主ともなればただの冒険者と目線を同じ高さにわざわざ合わせるなどする必要のないこと。

 それをあえて行うことそのものこそが誠意であり、ローグラムたちは少し驚きはするものの、ひとまずはそれに付いては小さくこうべを垂れて感謝を示すに留めることにした。


「改めて、私の名はビウモード。

 ルル……いや、ルルシエット卿とは旧知の中で、彼女が我が領に力添えをしようとしていることは理解している。

 個人の感情だけではいかんともできぬことを、見込んだものに頼むこともまたわかっていた」

「聞いていた、ではなく?」


 表情の堅そうなビウモードはほんの少し口角を緩めた。

 ローグラムもブレンゼンもその表情の意味がまるでわからないわけではなかった。

 きっと、二人の間には信頼やそうした感情で結ばれているのだろう


「伯爵閣下とあろう方が軍を引き連れずに現れるとは、それも俺のような身分も定かならんものと……大丈夫なんでしょうかね」

「誰にでも噛みつく狂犬ではないことくらいは知っているぞ、冒険者ブレンゼン」


 一介の冒険者の名をどこで知ったのか。

 男爵同盟に雇われていたからか、アドハシュ原野が彼らの監視対象だったからか、

 或いは今まで殺してきた人間にビウモードにゆかりのある人間がいたのか。

 考えても答えは出ないだろう。

 ブレンゼンはそのことについてはひとまず諦めることにした。


「とりあえず、ご飯にでもしない?」


 それなりに長めの眠りから覚めたヴィルグラムが馬車から降りつつ声を掛ける。

 儀式の準備で疲弊して戻って来る二人のために食事を出したい旨を提案していた。

 食卓を囲めば気心もしれようものだろうと、一同も頷く。


 ───────────────────────


「馬車に十分過ぎる食料が積まれているのには驚きましたが、お陰でよいディナーをこしらえることができました」


 ドワイトはまるで名うての料理人のように見事なものだった。

 限られた食材と種類で、大量消費もせずに心を砕いたメニューは儀式の準備でへとへとになっていたゴジョとシェルンを十二分に癒やしてくれる。

 それだけでなく、野営での美食は初対面同士の関係性をこなれさせてもくれた。


「爵位持ちの家で出された美食に劣らない味だ、野営でここまでとは」


 西方諸領圏で雇われていた頃にあれやこれやと食事につきあわされた経験のあるブレンゼン。

 美食も幾つも味わってきた彼の舌はなかなかに肥えていたが、それでもドワイトの作る料理の味はそれらに匹敵した。


「だが、味の向こう側から家庭的なものも感じるねえ。

 んー……。ドワイトさん、案外ご自宅で料理を嗜んでおられるのかな」


 ローグラムは味わいながらもただ着飾った味ではないところを推察する。


「ははは、実は家庭での料理番は私でして。

 最初は行動騎士が料理などと給仕にも言われていたのですが、

 趣味と実益を兼ねたものだと説得して調理場に足を踏み入ることを許されておりましてね」


 和やかな食事風景の一方、ゴジョはその引っ込み思案な性質を何とか組み伏せている。

 或いは、頼られることで芽生えたプロ意識がそうさせたのか。


「す、すいません閣下。お話が」

「儀式の中核にある術士だったな。なんだ」


 ビウモードは口中を葡萄酒で湿らせてから対応する。

 大伯爵であろうとも、眼前に父の仇でもある存在を感じれば緊張もする。


「その……、おそらくデリケートな話題でありまして……」

「俺たちがいないほうがいいか」

「構わん。

 ルルが頼みにしたものたちだ、ここにいてもらうのも信頼を示すやり方の一つになると私は考える」


 行動騎士はどのようなことがあろうとも主の選択を止める気はないようだった。


「卑職がルルシエット伯爵閣下から預かったものには、その……」


 取り出したのは一枚の紙。

 学があったとしても読むことのできない文字が刻まれている。


「『契約』ですかな」


 ドワイトは騎士として、伯爵付きの近習として数多の経験と知恵を持っている。

 契約は貴人たちのなかでは時折出てくる代物だ。

 出てくる、といってもそもそも『契約』とは魔術や請願ともまた違う系統の技術であり、幾つかの系統にまたがって成立する面で言うのであれば儀式にも近い。


 契約によって他者を縛る効果を持つこともあり、多くの隷属についての祖たる技術であるとも考えられている。


「はい。卑職はインク的契約を見るのは初めてで」

「なんて書いているの?」


 ヴィルグラムの疑問は一同の代弁でもあった。


「書面にある文字のようなものは実質的には意味がないものと言いますか、意味そのものは契約(これ)に少しばかりインクを流せば理解ができました。

 ……そのう。それが……」

「ああ、オレ様たちがいないほうがいいかもって内容なんだ」

「伯爵閣下のお許しもいただいたので卑職から掻い摘んで内容を伝えても?」


 頼んだ、とビウモードは頷く。


「ダルハプスの結界を破ることについてでした。

 トライカにある炉の本来の持ち主であるルルシエット伯爵と、土地の主であるビウモード伯爵の、

 血による契約を成就させることで結界を破砕することができる……とあります」


 既にルルシエット側からの準備は終わっていることも合わせて告げる。

 ゴジョが言い淀んだのは炉のことはどんな些細なことであっても基本的には伏せられてしかるべきであるからとされているから。


 炉がどのような働きをしているかは持ち主によって様々であるし、この契約から知れることなど大したものではないにしても、

 『些細でも秘密は秘密、死して黙してもらおうか』となることも考えられるからである。

 とはいえ、この状況でそうなるはずもないし、ビウモードやドワイトはそのようなことをする気もなかった。


「どうすればいい」

「刃物は用意しましたので、こちらの紙の上に血を落としてくだされば」


 躊躇なく伯爵は刃を掴むと自らの掌を切り裂く。

 ぼたた、と血が落ちるがそれは自然的に落ちるではなく、まるで契約の紙に引っ張られるかのように吸い上げられていく。


 苦痛があるのか、表情を少し歪めるが苦悶を示すような声を上げることはなかった。

 一同はそこに大丈夫(だいじょうふ)と呼ぶに相応しい姿を見た。

 相当量の血が奪われたのを自覚しながらも、

「いまので足りるか」そうゴジョへと告げた。


「は、はい。ご立派でした。

 こちらはルルシエット伯爵閣下がビウモード伯爵閣下にと用意されたポーションです、どうかお飲みを」

「ああ」


 ポーションにはラベルが貼ってあり、

 『がんばってえらい!』

 ルルからの労いの言葉と小さな自画像が描かれていた。

 ビウモードはつい小さな笑みをこぼした。昔から自分を弟のように甘やかす女であったし、

 こうして甘やかしてくれる人間がいたからこそ彼は折れずにここまで来ることができたと自覚していた。


「これで必要なものは揃いました。

 今夜はしっかり休んで、明日の朝に結界を破ろうと思いますが、いかがでしょうか」


 ゴジョの提案に異を唱えるものは一人としてその場にはいなかった。


 ───────────────────────


 トライカの地図を開き、どのように進むかの相談をする。

 ダルハプスを打ち破りたいのはヴィルグラムも、ビウモードも共通した目的ではある。


「ただ、簡単にはいかないでしょうな」


 行動騎士は地図に目を向けながら、後ろ向きとも取れることを言う。


「どこにダルハプスとやらがいるかもわからんものな」

「それもありますが、炉を確保する必要があるのが大きいのです」

「炉を?」

「いかに強大なアンデッドであるダルハプスと言えども、都市一つをあれほど強固に

 区切るようなことはできないというのが当家の見解です」


 その言葉に対してゴジョも頷いていた。


「炉ってのは簡単にゃたどり着けない場所だの封印だのがあると聞いているが」

「ええ。

 閣下であれば、そこに関しては問題はありません。そこに関しては、ですが」

「他の問題があるんでや?

 敵がいたって皆で行けばいいしょや」

「そちらにはそちらで目的がお有りでしょうから」


 ドワイトが視線をヴィルグラムへと向ける。


「炉を狙うとなれば街中じゃどんな動きがあるかもわからない……。

 オレ様はオレ様でいかないダメなんだ」


 覚悟を決めている表情を見せる少年を見てから大領主は「ドワイト、地図を」と求める。

 置かれた地図はトライカのものである。


「炉は動かせるようなものではない。

 間違いなくここに存在している」


 指し示されたのは『ルル家』と書かれていた。

 ダミーとしての屋敷に、ルルシエットから送られた炉が置かれている。

 敷地面積から見ても十分な警備がなされていたことだろう。勿論、トライカがこのような状況になるまでは。


「少年が探しているものは……ここであろう」


 ビウモードとて状況はしっかりと調べている。

 ヴィルグラムがなぜ、誰のために戦いに赴こうとしているのかも。


「トライカ市長邸。炉がこの儀式の心臓部であるなら、邸は頭脳である可能性は高い」

「つまりダルハプスがいるなら」

「……そうだ」


 伯爵の顔色はあまりよろしくない。厳しい顔立ちから余人では想像できないが、人を思う心があり、自らを責める心もまた強くあった。

 自身の立場を考えれば炉も邸も自らが行くべきであり、

 ダルハプスとの直接的な対決は自分がするべきであるはずだとも考えていた。

 彼のアンデッドは土地を奪った罪人というだけではない、父の仇でもある。


「伯爵様、ダルハプスはオレ様に任せておいてよ。

 きっちりふっとばしてくるからさ」


 自分も共にそちらに行くと言えたならビウモードもどれほど救われたか。

 それができないからこそ、彼はどこまでも伯爵として立つことができる。

 私情ではなく、実利を。

 ダルハプスを倒すことは不可能でもヴィルグラムはそれなり以上に足止めをしてくれるだろう。

 炉さえ奪還すればダルハプスを再度封印するにしても、ここで打ち取るにしても道が見える。

 自らの人間性めいたものが血を流しているのを感じていた。


「犠牲になるわけじゃないんだ、暗い顔しないでよ」


 自分よりも随分と若い、いや、幼いとすら言えるヴィルグラムの声音は取り繕ったものではなかった。

『因縁とかあるのかもしれないけど、そっちの都合無視でダルハプス倒しちゃうけどいいよね』

 そんな気楽な声であった。


「お互いにいい仕事しよう、伯爵」


 握手を求めて手を差し伸べるヴィルグラム。

 それは握手ではなく、救いの御手の如く。

 ビウモードは彼の言葉と態度に、どれほど救われたかを知るものはいない。


 ───────────────────────


 翌日、早朝。


 ゴジョは誰より早く起きて儀式の準備を進めていた。

 自信がないからこそ過剰に準備を行う。

 失敗が恐ろしいから万全を、完全に期する。


 彼女自身は気がついていないが、それこそが彼女の才能であった。

 取るに足らない魔術や儀式の力を束ね、強大な一つの結果をもたらすことは天才であっても難しい。

 小心にして自らを非才の身であると評する彼女だからこそ獲得した『些細を編む』という特異なインク的才能。


「これで……よし。

 風向、風速確認……。地の気も……。季節……。

 シェルンさんとのインク的接続(パス)も……。あとはー……」


 馬車で作ったアンチョコ(手製の手引)とルルシエット家からもたらされた引継書。

 膨大な手順を仕上げつつあった。


「ゴジョ、手伝うことはある?」

「ヴィルグラムさん。おはようございます。

 いえ、概ね終わったところです。

 あとはシェルンさんのお力を借りれば儀式を起動できます」

「顔色が優れないよ、ゴジョ」


 ゴジョは憂いのある表情を浮かべる。


「あはは……、わかっちゃうんですね」

「それでも迷宮の管理している頃に比べたらちょっとはマシだけど」

「あのときはずーっと胃が痛かったです」

「今からでもウログマの親分でも殴りに行こうか、気が晴れるかも」

「それも面白そうではありますけど、今は」


 やるべきことがある、そう言いたげに目を向けた先にある黒に区切られたトライカ。


 ヴィルグラムがどこまで本気かもわからない。

 確かに自分をこき使ったウログマの迷宮主をぶん殴れば少しは気も晴れるかもしれない。

 ただ、今の気持ちとは別の話。


「そういう話じゃないんだろうね」

「……ヴィルグラムさん、その……」


 周りを見渡す。

 演技がかっているのではなく、本当に言いにくいからこその態度であろうことは少年にも伝わる。


「何をなさるつもりなのですか?」


 ゴジョは理解していた。

 都市一つを結界で包み、誰も立ち入れず、逃げ出すことすらできない空間を作る相手が敵であること。


 炉という膨大なリソースがあろうとも、儀式を編めるかどうかは別問題だ。

 たとえ炉があったとしても、あれほど大規模な儀式だ。

 ゴジョは同じ立場にあったとしても実行できるとは思えない。つまりは今のトライカを支配しているのは埒外の怪物であることがゴジョは直接退治したヴィルグラムやビウモードとは異なる視点から理解に及んでいた。


 その強大であろうものと敵対し、打ち倒すことが困難なことであろうことも、余すことなく理解している。


「ダルハプスに借りを返しに行く、それだけだよ」

「そのために支払うものはなんですか?

 ……卑職はわかっています、ヴィルグラムさんが拾ってきたものがなにかを」

「返すからには支払うものが必要だからね」

「命をお使いになられるのですか?」


 咎めるような言い方ではない。

 ただ、それを確認するためだけの言葉。

 彼女とてそうであると云うならば止めたくても止められないだろう。


 ヴィルグラムは曖昧に微笑む。

 それは雄弁に語る以上の答えだった。


「卑職は卑職がやるべきことをします。

 ですから……」


 どうか生き残って、そう言いたい。

 だが、他人の生き死にの覚悟へと踏み込むなど他人がやるべきではない。

 言葉を続ける前に他のものたちもゆっくりと起きはじめていた。


「ゴジョ、大丈夫。

 これっきりじゃないことだけは約束するから」

挿絵(By みてみん)

ヒゲで威厳をかもそうとする男。

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― 新着の感想 ―
[一言] ぐへへへっ、よう!兄弟!今回もきっちりと無事に戻って来れたみてぇだなぁ!ほら、そっちに座りな!くっそまずいエールと、つまみを用意しておいたぜぇ! なんだか、決戦間近って雰囲気だぜぇ!まぁ、…
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