117_継暦136年_冬
信頼できる部下数名に情報を集めるように命令する。
ただ、それは本筋のものではない。
あくまで今からガルフ自身が探ることに対しての目眩ましのためでしかない。
「ビウモードの古い伝承について、ですか?」
「そうだ。ダルハプスという単語にまつわるものを探してくれ」
客人を多く招いている現在、流石に敷地から出ることは難しい。
そうなれば部下たちの情報獲得のために動く先はその客からになるだろう。
「ただ、派手には動くなよ。
会話の中で匂いわせる程度でも構わん」
明け透けにしすぎて早々に釘を差されても困る。
その塩梅は人を使う以上は制御し切ることはできないが、口に出さねば伝わるものも伝わらない。
部下たちが情報獲得や護衛、見回りの仕事に就くとガルフも動き出した。
話を聞けそうな男爵は四人。
そのいずれも何かしらを知れるか、状況を動かしてくれる相手になるだろう。
(ダルハプスが何者であれ、排除し、シメオンの旦那から離す。
こっちが見てみたい風景がよその手で汚されたくないんでね)
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対象1.パウラス男爵
(旦那に資金を融通してもらったことから傘下に入った男爵だったはずだ。
領の武力を当て込まれていたけど、モンドミークに喧嘩打って散々なことになったんだったか。
肝心の武力もそこで大部分を喪失している現状だと肩身が狭いはずだ)
背丈ほどもある大剣を振るい、雑兵を蹴散らすのはパウラス男爵。
シメオン男爵領に隣接する形で一種の緩衝地帯が存在している。
スラウバンとモンドミークの二つ伯爵家は直接的な対決こそしないものの、睨み合いは長年続いている。
バランスを揺らすことができるものとなれば西方諸領圏での出来事。
男爵を味方につけるにしろ、土地を奪い国力の足しにするにしろ、得られたものは直接的に二者の関係性に影響を与える。
男爵同盟が何かしらの会議をするということも彼らは理解しているだろう。
諜報を完全に防ぐことは難しい。
であれば、それを逆手に取るか、正面から崩すかの二つの道から一つを選び取ることになる。
シメオンが取ったのは後者。
正確には逆手に取って迎撃することにしているので両方と答えるべきところなのかもしれないが。
一度はモンドミークに手痛い敗北を受けたパウラスであるが、以後は男爵とは思えないような荒々しいやり方で研鑽を積み重ねる。
今回挑んできたのはどちらの伯爵かはわからないものの、直接的に支援されたものたちではなく、賊が金を握らされて襲ってきた程度のもの。
「この程度のもので、パウラスの恥辱を晴らせるものか!
賊ども! 雇い主を連れてこいッ!」
怒号が響くと賊は最早勝てぬと悟り、各々の判断で逃げ出す。
「追討は……賊にしても、ですな」
「誉れにもなるまいからな。
いやしかし、付き合ってくれたことに感謝する、ガルフ殿。
やはり貴殿の実力は恐ろしさすら感じるものだ」
ゆったりとしたローブに、東方拵えの剣──刀を帯びる姿。
蜥人の一部は遥か東にある国から渡ってきた旅人か、その子孫であるものがいる。
ガルフは実際のところ、自身の生い立ちに関して語ることもなく、聞かれれば相手が望んでいるであろう答えを察して返している。
少なくとも今握っている刀は彼の血統が代々大切にしていたものでもなければ、故国より大切に持ち込んだ私物というわけでもない。
どこぞの闇市場で手に入れたものに過ぎない。
それでも箔になるだけでなく、そこらの武芸者と一線を画す実力を見せつけるのだからガルフという個人の持つ武力は、鍛え上げられた実力を持つパウラスから見てすらあっぱれなものだった。
「役に立てたなら何よりですよ。
実はこっちも警備の強化を考えていましてね。もちろん、今回のような会議のための特別なものではなく、日常的な業務に必要になりそうでして」
警備に一枚噛むことができれば収入になる。
言外にそれを匂わせるとパウラス男爵はすぐさま食いついた。
何せパウラスの領地は金がない。当人も冒険者で稼いでいた期間も長く、領民の多くも冒険者や傭兵などで領地そのものの糊口をしのいでいる有様である。
警備の強化で誰かを雇っていいなんて話は出ていないが、ガルフ自身誰かを雇うとも云っていない。
あくまで警備の強化を考えているに過ぎない。空想的という意味での『考えている』である。
ガルフは必要な要素さえ拾えればそれでいいと思っていた。
つまりは、ダルハプスというものが内部で悪さをしていて、警備の邪魔になりそうだが、ダルハプスそのものの情報がまるで降りてこないことが困りごとだと。
得てして他人の困りごとを解消すれば『いい目が見れる』と錯覚するのは爵位を持っていても、そうでなくともそうであると錯誤するものだ。
「ダルハプスという男がシメオン卿に口入していると?」
「ああ。どうにも嫌な気配のする人間でさ……。
って、このことは秘密にしてくださいよ、男爵」
「勿論だ。
しかし、ダルハプス……。どこかで聞いた覚えが……」
「あるんですかい」
「そうだ、思い出した。
我が家のどこぞに『ダルハプスと呼ばれるアンデッドとの遭遇』について語られているものがあった。
人間が自らの意思で、その場でアンデッドに成った瞬間に立ち会った……そう書かれていたはずだ。
自らの意思でというのが気になってな。それが可能であるなら人間が人間を超えられる何かがあるのではないかとな」
パウラス男爵はその爵位がなければ求道者、武芸者として各地を渡り歩いているような人物だっただろう。
自己研鑽や進歩に大いに興味を持つようで、この知識もそこから来ているもののようだ。
「アンデッドに、ですか」
「とはいえ、記録自体は百年以上前のもの。信憑性に関してはわからぬなあ」
(アンデッドであれば、あの嫌な気配にも説得力が出る、か……)
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対象2.カンバラ男爵
(狙うべきはシメオン男爵の近くにいる人物だ。
カンバラ男爵は元々シメオン男爵が行う情報収集をアレコレと処理している。
下働き同然のことをしているのはシメオン男爵の血縁者との火遊びが原因だとか……。
よくもまあ、あの恐ろしいお人の家族に手を出そうと思ったもんだな。
愚痴れる相手がいりゃあ、漏らすこともあるだろうよな)
「悪いね、頭数は必要なのに信頼できる人間でなければどうしてもこの作業はできなくて……」
「集まってきた情報を分類ごとにして……地道な作業ですなあ」
「地道な作業が男爵同盟の明日を支えることになると思えばやる気にもなるものだよ」
「その割には疲れた顔をしてらっしゃいますな」
「君こそどうなんだ」
「ああ、顔に出ていましたか」
疲れた顔に見えるようにちょっとした化粧をしておいた。
血色が悪いようなガルフの顔はカンバラ男爵からすればシメオンに仕えるものとしての一種のシンパシーを与えるものである。
「実はシメオン男爵の側に怪しい男がうろついていましてね。
ご存知ですか」
「ああ、もしかしてあの不気味な気配の」
「ええ、そうです。ダルハプス、とか名乗ってるそうですが」
「だ、ダルハプス!?」
大げさと言えるくらいのリアクション。
わざとやっているわけではなく、心底からの反応であるのが顔色の悪さからわかる。
「存じていらっしゃるので」
「ああ。確か……」
カンバラは移動式の書庫を開き、そこに詰め込まれている書類をあれこれと漁りはじめる。
「あった、これだ」とある程度纏められたレポートをガルフに渡す。
内容を要約すると、それはビウモード家に関わるものであった。
多くのものは事実とは異なるビウモード家とダルハプスとの繋がりのもの──例えばダルハプスが守護神であるだとか、彼らに信仰されているだとかという内容だ。
ここにいるものたちが理解し得ないことではあるが、集められた情報の中には正しいものもある。
例えば、生贄を求めること、アンデッドになった祖先であることなどだ。
「ダルハプスは家に取り憑いて、勢力を拡大しようとしている?」
「ああ。ビウモード以前にも別の家に取り憑いていたなんて噂があったらしい」
正確ではないが、間違いでもない。
ダルハプスは生前、マイシングと名乗っていた時代がある。
彼自身はあたかも元々マイシングであると云うために情報を保護していたが、そのあたりのことはドップイネスに知られており、おそらくはそのドップイネスか、同じように調べることになったものから伝わり、形が変わって『家に取り憑く』という話になっていったのだろう。
「……ダルハプスというアンデッドが次に目をつけたのはこの家だということか」
「であれば、カンバラ男爵の奥方も」
「ま、護らねばならない」
「それについては俺も同じです。シメオン様を護らにゃなりません」
「情報、私にはそれを纏めるくらいしか能がない。
それをどうするかは」
「ええ、俺にお任せください。共にシメオン家を守りましょうぜ」
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対象3.タッシェロ男爵
(男爵同盟初期から所属していた男爵の跡取り。
ウログマに攻め寄せて死んだと聞いている。
引き継いだ彼は同盟への協力は消極的だ。
タッシェロ家は代々多くの知識を持っており、先代も当代も多くのことを知っているであろうから、何か聞き出せるかもしれない)
先代タッシェロもお調子者のきらいがあったが、現在のタッシェロは輪をかけて調子に乗りやすい。
酒宴会場にずっと入り浸っていた。
だが、それが彼の本性ではないことはシメオンから聞かされていた。
タッシェロ家は長子に家督を与えたが、本当に才能があるのは現在の彼であるのだと。
昼行灯を地で行く人物というわけだ。
可能であれば今回のような状況で頼るべきではない相手かもしれないが、優秀な人間であればあるほど、必要であるのもまた事実である。
どれほど時間が残されているかもわからないのだから。
「酔いさましの散歩に同道したいとは、いやあ、男と散歩するなんて趣味はないんだがねえ。
つまるところは、何か話したいことがあるということかい」
「話が早いですな」
「戻って酒と女に囲まれたいだけだよ。で?」
こうした相手に下手にはぐらかすのは悪手だと感じたガルフは全てを打ち明ける。
ヘラヘラと笑うような表情と態度のタッシェロは少しだけ表情を引き締める。
「ふぅん。ダルハプス。そうかい。シメオン君も人が悪い」
「ご存知ですか」
「ビウモードに取り憑いているアンデッドさ。
どのように祟っているかまでは知らないが、少なくともあの一族が平和主義でいられず、
思い出したように戦いを仕掛けたりするのはダルハプスに関わることではないかと考えているよ」
「関わること、とは……ダルハプスの命令だとか、そういう?」
「いや、その逆ではないかな」
「逆?」
「反抗しているんじゃないかな。封印をしてやろうとかね。
もしも唯々諾々と従うのならばビウモード領はもっと暗澹としているべきだし、より好戦的になってもおかしくない。
アンデッドを奉じるとなれば生者などエサでしかないだろうし、積極的に戦線を広げて各地を奪うくらいの国力は持っているんだよ、ビウモード伯爵は」
逆に言えば大領主とその土地でもなければ封印し難い存在であるということなのだろうかとガルフは考えながら、
そこで浮上した疑問を素直にぶつけることにした。
「そのダルハプスが何故、シメオン男爵に」
「それもさっき言ったことの補強になる。
ダルハプスは何かしらの手段で逃げ出して、シメオン男爵と協力しようとしているのではないか。
ビウモードとべったりなら男爵と関係する必要はないだろう」
「それは……確かに」
「しかし、そうなれば今までやってきたことは無駄になるが……」
「何か仰られましたか」
「いや、とにかくダルハプスについて思うところはそれくらいだ。
推理の通りであるなら来客のダルハプスは本体ではない、だが、必死に作り上げたファミリアの類ではあろう。
いっそ破壊してしまえばシメオン男爵との繋がりは切れるかもしれないな」
ガルフが去ったあと、タッシェロは思う。
(シメオン君。
一族の秘中の秘である力を調べ上げ、少年の亡骸を集め、各地に謀を巡らせた。
君の理想を果たすために、君が何をしようとも構わない。
だが、兄上が想いを注いでいた男爵同盟そのものを裏切っていたというならば……それはどうあっても許されないことだよ)
不信と疑念の種は、どんな植物よりも育つのが早い。
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対象4.ビッグウォーレン
(今回の集まりで例外的な人物、ビッグウォーレン男爵。
彼の兄弟同然の男爵たちであるリトルウォーレンやミドルウォーレンが男爵同盟の計画によって不利益を被ったことに対する抗議に来たのではないかとは聞いているが……。
であれば、シメオン男爵を味方とは思っていないだろう。
上手く行けば情報を得られるかも知れない)
ビッグウォーレン自身も気がついているだろうが、彼に貸し与えられている迎賓館は彼と、その部下のみが滞在している。
シメオンによってか、それともタッシェロやカンバラが不審を持ってそのように配置したのか。
「当主様のお部屋までご案内させていただきます」
「ん、ああ……頼む」
入口でメイドに応対されたガルフはどこか引っかかるものを覚えた。
なにせそのメイドは先日彼に手傷を与えた相手。
厚底の靴によって背丈も違い、服装もまるで違うからこそ気がつくのは至難ではあるはずだが、それでも引っ掛かりを覚えたのは歴戦の過去から来る直感が与えたものだろう。
ただ、それを活かすことはガルフにはできなかった。
今はビッグウォーレンとの話し合いが上手くいくにはという考えに全てを注いでいるためだ。
メイドが主へと連絡を繋げ、やがてガルフはビッグウォーレンとの会合の場を得ることになった。
「シメオン卿に怪しい人物が?」
「ええ、ダルハプスという名前の……噂じゃあアンデッドだ、なんて話しもありますが何かご存知じゃありませんか」
「すまぬが、何も知らぬな……。
ダルハプスがビウモードの旧称の一つであるとかその程度のことだ。
だが……シメオン男爵に、か」
ビッグウォーレンはシメオンが弟たちを使い潰したような真似を許せないと思う一方で、伯爵のような力を持たない自分たちと同じ男爵であることも理解していた。
「彼に何かあれば男爵同盟は転ぶことになり、そして男爵同盟に依存する西方諸領圏も状況が大きく変わってしまうだろうな」
「ようやく安定してきたところなんですがね、この辺りも」
「いっそ、わしが直接シメオン卿に問うこともできるが、どうする」
「それは──……」
悩ましい提案であった。
同じ男爵であり、少しでもリトル、ミドル両ウォーレンに思うところがあるならばビッグウォーレンに何かを漏らすかも知れない。
しかし、そうなればガルフが嗅ぎ回っていることも露見しかねない。
これまでそれなりにシメオンに仕えてきたガルフであってもダルハプスとの繋がりは先日知ったばかりなのだ。
こうして嗅ぎ回るまで殆どの人間はダルハプスとの繋がりを知ることもなかった。
「いえ、こちらでもう少し何かできるかを考えてみます。
それでダメだったら」
「助力しよう」
(シメオン男爵と違って、本当に甘い人だが……。
こうしたお人に仕えるのは気分がいいのだろうな)
ガルフは心中で苦笑する。
それでもこの血錆は悪党であるシメオンに雇われていることのほうが充足するだろうことを再理解したのだった。
奸智を巡らせるシメオンともう暫しの雇用関係を続けるためにも、何とかダルハプスを遠ざけねばならないことを認識する。
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退室し、廊下を進もうとするガルフの背に声がかかる。
彼を案内したメイドのものであった。
「なんだ?」
「シメオン男爵閣下について、少しよろしいでしょうか」
「わざわざ場所を選んで話しかけるってことは」
「ビッグウォーレン男爵閣下と関係のない、個人的なことです」
メイドを見て思ったことがようやく『引っかかりである』と認識した。
であれば、その引っかかりが何かを知る機会になるかもしれない。
「個人的なことではありますが、ガルフ様がお求めになっているものに直結することになるかもしれません」
その上でシメオンについて進展もするなら最高の展開になる。
何より今のガルフは赤子の手でも、猫の手でも、藁であっても掴みたいほどに情報と展開に飢えていた。
メイド──正確にはメイドに擬態したニチリンがガルフに提示したのは、彼が直感的に危険視しているダルハプスについて、情報を抜いてくるという提案だった。
それはガルフの雇い主でもあるシメオンが秘匿しているものも含めて。
「ありがたい、といいたいが……そっちの見返りはなんだ?」
「シメオン男爵閣下の研究が目的です」
「盗み出す、ってことか?」
「はい」
ガルフはシメオンとの付き合いの上で彼が、或いは男爵同盟が何かしらの研究をしていることは知っている。
流石にその内容までは知らないが、シメオンの命と研究、ガルフが天秤にかけるとするなら傾くのはシメオンの命の方だ。
(研究は命より重いって向きもあるかもしれんが、俺には判断できん。
ここまで素直に目的を吐くメイドは信頼に足る。
俺はこれ以上の行動ができない程度には手詰まっている。
……選択肢は無いな)
「わかった、協力関係と行こうじゃないか」




