116_継暦136年_冬
『矯飾』ガルフと云えば、それなりに知られた名前である。
特に貴族たちの間での名声が顕著だ。
彼は高い背丈に整った鱗、それなりに回る頭の持ち主であるため、貴人の側に立たせれば主の箔になり、
貴族の近習をやらせても最低限以上の働きをする。
『矯飾』とは偽り飾ることを意味するものであるが、それは彼は身なりでは毛並みの良さを見せるも、その実、生まれにおいては親も知らない孤独の身であり、成長の過程で多くの罪を重ねてきたことに由来している。
見た目は立派でも、中身はそれなり以上の悪党なのだ。
血錆と呼ばれる、冒険者ギルドが定めた罪と法を犯したことで抹消処分となったものの一人であるものの、賞金がかかっていないのはガルフを雇い入れる貴人たちが精算したからである。
西方諸領圏のみならず、賞金の帳消しをしてまで雇用しようとする貴族が現れるほどの価値がこの男にはあった。
今の雇い主であるシメオンにおいてもガルフという人物は貴重である。
姿勢としては寛容さを取るシメオンだが、対等ではない人間からの意見に素直に頷かないことも多い。
伝聞にあるような、つまりは民間で語られる貴族らしさ、頑迷とも言える部分があることも否めない。
そうしたシメオンであっても、ガルフの言葉には耳を傾ける。
それほどにガルフのことは信用しているようだった。
「旦那、隷属した連中ばかりじゃあいずれ問題が出てきますぜ」
男爵同盟の会議の前ということもあり多忙を極めているシメオンにいっときの時間をもらい、ガルフは相談を持ちかけていた。
怪我を負うことになった『布だらけ』との戦い。
傷に関してはガルフ自身、自分の至らなさが原因であると認識はしている。
だが、優秀な人員が得られていれば、あのような手合の侵入を防げていたかもしれないし、それが叶わなかったとしてもあの場で捕縛、或いは処分できていたかもしれない。
「問題?
例えば何が予想されるかな、ガルフ」
「そりゃあ今回みたいな奴が来る回数が増える。
旦那だって狙われる理由は一つ二つじゃあないでしょう。
人材商として財を為したオーガスト卿を裏で操っていた人物だってことも、それなりに知られてきた頃合いです」
この時代において、人材商の需要は大きかった。
いや、カルザハリ王国が倒れて以来、安定を知らぬこの大地においてそうなるのは当然であった。
たちの悪い連中はより珍しい隷属させた人材を誇り、見せびらかすことをステータスにするものすら珍しくもない。
男爵同盟のオーガストはカルザハリ王国健在の頃より『四人の男爵』と呼ばれる、現在の男爵同盟の前進でもある頃から家同士の付き合いのある相手であり、
数代に渡って協力関係を結んでいた。
当代においても有益な資金稼ぎの術として人材商のやり方をオーガストにレクチャーしたのはシメオンであった。
オーガストが聖堂騎士たちの反抗に遭って命を落としたあと、
隠しきれず、明るみに出てしまった男爵同盟に関わる情報が幾つか存在する。
その内の一つがオーガストの背景にシメオンがいることであり、
ガルフはあの『布だらけ』はそれらのことに関係しているものではないのかと考えていた。
義心によってシメオンを排除しようとしたものか、別の悪党が利権を奪うために雇った暗殺者の類か、どうあれ隷属によって買った悪名や不義は、シメオンを狙うものの出現を呼び込む。
どれほど上手く立ち回ったとしても時間の問題ではあったのだ。
「俺も、それに俺と古馴染の連中やそれなりの腕があるからと雇い入れた連中はいます。ええ、正気の連中がね。
ただ、その数が足りねえって話しなんですよ。
隷属させられている奴らは眼の前で戦いがあれば反応するが、どうにもそれ以外は鈍くて仕方がねえ」
「問題かな、それは」
「……いや、問題でしょうよ。
命を狙われるんですよ、これからもずっとね。
旦那が商売を畳んでどこかに越すってなら別でしょうが」
「そうだね」
余裕たっぷりの応答にガルフは片方の眼を細める。
「引っ越すんですかい。なら、一体どこに」
「それは──」
言葉が続くより早く、扉がノックされ、会話はそこで途切れてしまう。
「旦那様、お客様です」
「どなたかな」
「ダルハプス様でございます」
「応対する。
……そういうわけだから、ガルフ君。すまないが」
「ええ、わかりました」
重用はされているのは間違いない。
意見を耳に入れてくれるのも事実。
だが、どうにもガルフの話と噛み合わないことがある。
命が狙われているなら、ガルフであればいの一番にその解決策を探る。
シメオンはどうにもいの一番にそれは考えていないようにも思えた。
(自分が殺されないという無闇で無意味な自信があるのか?
……いや、旦那はそういうタイプじゃあない。
何か理由があるんだろう。
殺されない理由が)
退室しながらガルフは思う。
(ダルハプス……。
どこかで聞いた言葉だが、どこだったかな。
そうだ。
ビウモードの旧称がそんなものではなかったか。
本当の名前ではなかろう。であれば、偽名としてその名を使う……。
ビウモードの関係者か?)
廊下をガルフの方へと、正確に云うならばシメオンの待つ部屋へと向かう人物が一つ。
先日の『布だらけ』ではないが、大きな布で全身を隠しているのはある意味で『布だらけ』と表現はできるか。
勿論、別人ではある。
体躯が違うが、そもそも歩いてくるものは表現の難しい不快さがあった。
何がガルフにそう感じさせたかまでは、ガルフ自身表現することはできないでいる。
(あれが客か?
客間で待たず? よほどのせっかちなのかね)
もしくは、とガルフは思う。
(隷属させられている邸の連中よろしくアレも命令通りに動く人形なのか)
すれ違いざまに何かをするわけではない。
ただ、その雰囲気に不気味さ、不快さに加えて、血管に流れる血が冷えるような殺意を感じた。
シメオンに武力を頼まれて雇われているからとは云っても、客人に声をかけるには理由が必要である。
そして、ガルフにはその理由は思いつかなかった。
すれ違ったあとに立ち止まり、そっと背を見やる。
相手はそうはせず、部屋へと進んでいった。
(ここで隷属されている人間特有の歩き方だ。
……それをどう取るべきか)
『矯飾』ガルフはその来歴から悪党と断じて然るべき人間だ。
野を棲家としていないだけで、賊とさして変わらない人間だ。
明確に違うところが一つだけあるとするなら、ガルフは雇われることに一種の名誉を持っていた。
人間は誇りや名誉に寄れば、他に幸福なことが少なくとも生きていけるものだ。
ガルフにとっての名誉は雇い主が彼を雇ったことに満足することである。
(それ込みで雇っている、そう考えさせてもらうとしよう)
彼は高い背丈に整った鱗、それなりに回る頭の持ち主であるため、貴人の側に立たせれば主の箔になり、
仕事の上でも最低限以上の働きをする。
(まずはダルハプスとやらのことを探るとするか。
シメオンの旦那には悪いが、雇用主に不利益が降りかかることを事前に食い止めるってのがガルフ流なんでね)
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ダルハプスとの話し合いが終わった後に、シメオンは一人考えを纏めていた。
近々に起こるであろうトライカでの戦い。
そこに集まってきた連中を後背から叩けと云うのがダルハプスがわざわざ来て告げたことだった。
ダルハプスは既に殆どの分霊を失っている。
今回使ったものは分霊ですらない、その残骸か何か。
ダルハプス本体の代わりにならず、ただ便利に使える連絡係に過ぎない。
それでも、この到来はシメオンにとっては好都合だった。
(ダルハプス様もいよいよ限界か。
トライカでの事件を解決するのが何者であれ、ダルハプス様もろとも潰されるのも具合が悪い)
シメオンとダルハプスの関係性は、ダルハプスからすれば外部に存在する便利な配下でしかない。
シメオンからしてみても、多くの技術を供与してくれた相手であり、配下扱いされることも納得している。
(未然王の器からわかったことは、あれに他人が入り込む余地はない。
ダルハプス様と共に求めた永遠の命などあそこにはない。
彼には伝えていない以上はまだ未然王を付け狙うのだろうが)
だが、そこに忠義や忠誠心といったものは皆無だ。
シメオンという男にそんなものを期待するほうが間違いではあるが、ダルハプスにそうした『人を見る目』というものが備わっているのであればこのような現状に陥ってもいないだろう。
(未然王……『神樹を骨にしたもの』、か。
であればやはり、重要なのは複数ある器ではなく、基礎となっている神樹の方と考えるべきか。
稼働中の器もトライカへと向かう。そうなれば神樹を持つものも現れる可能性は大きい。
ダルハプス様がそのことに気がついていないこの状況、利用させてもらうしかあるまいね)
ただ、人を見る目に関してはシメオンもダルハプス同様であった。
他の人間たちと同様においていたはずのガルフは、シメオンが理解できない忠義や忠誠心の類をやや歪んだ形でありながらも備えていたことを見抜くことができていなかったのだから。
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ガルフは悩んでいた。
手下たちに聞いたところでダルハプスが何かなど出てくるわけもない。
であれば、何から当たるべきか。
難しく考える必要はない。
今回集まっている男爵たちから聞き出せばよかろう。
なにせ男爵同盟はシメオンの号令によって動くものたちであり、表向きは上下関係のないとしているが、実質的にはシメオンを頂点とした組織。
男爵たちからすればシメオンの動き一つで自分たちの首の行方が繋がっているか、果ての空の方向にでも飛んでいくかが決まる。
シメオンの動向に注視していて然るべきのはずだ。
直接聞いて回って、望む答えがもらえるかどうかという問題もあるが、
それ以上に嗅ぎ回っていることで疎まれる可能性がある。
ならば自分が前に出なければよい。
それなりの知恵の働く手下にいくらか掴ませて、それとなく嗅ぎ回るように命じる。
流石にそうしたものたちによって情報がもたらされることには期待はしていない。
むしろそうして動かす連中は囮。
バレて大目玉を食らうようなら庇えばいい。
それなりに大事な仲間ではあるが、それなりに過ぎない。
何より重要なのは雇用主であるシメオンが窮地に追い込まれないようにすることだ。
囮が動いている間に口を滑らせそうで、なおかつ情報を握っている人間を狙い撃ちにすればいい。
ガルフは行動を決めると、早速実行に移した。




