102_継暦136年_冬/A08
よお。
文鳥迷路なんてヘンテコな名前の宿に入店するオレ様だ。
外から見た感じも入った感じは『デカい宿』以外の感想はない。
賊三人組が使っていたところだし、賊のオアシスなんて風に云っていたからどれだけ治安が終わっているかと思っていたが、案外客層は真っ当そうだ。
行商、冒険者、傭兵が五割。
それらに分類しにくい旅人風が二割。
ここで商売をしていそうな按摩屋やら何やらが二割。
明らかに賊だろうって連中が一割。
入店しても特にジロジロ見られたり、目立ったりはしない。
店員が案内してどちらにお座りください、みたいなサービスではないようだ。
適当な席に腰を掛けて、オレは注文を出しに行く。
情報収集は店主にって話だったけど、それは後にしておくか。
カウンターで受付をしている中年男性に対して、
「注文いいかな」
「今日はいい魚が入りましてね、焼いたものがおすすめですよ」
「それじゃそれと……素揚げもできるんだね」
毎日更新されているのであろうメニューは大きな板にチョークでアレコレと書かれている。
魚入りました!焼いても揚げても!なんて書いてある。
素揚げならいくら追加だとか、細かいことも。
「フライもできますよ」
老人の胃袋の強さってのがわからないけど、油ものばっかりってわけにもいかないか。
サラダに、焼き魚に、汁物。
脂で揚げたりするのはどこでも食べられるってわけじゃない。
こういう機会に食べておきたい一品だ。
「お飲み物はいかがします?」
「あー、うーん。
酒じゃないもので適当に二つ」
その辺りを聞いていなかったのでとりあえず取るべきは安牌だろう。
よくある荒くれた酒場だったら、
「ミルクでも頼んでな!」
なんて言葉が飛んできそうだが、そういうこともない。
現状だと本当にただ大きな宿でしかないんだよなあ。
「お支払いは」
「何が使える?」
「現金でも、資産金属でもお支払いいただけます。
それ以外でしたら質屋があちらに」
資産金属が使えるのか。
想像以上に、見た目以上にここの設備は整っているってわけだ。
『不思議な空間ですね』
(不思議?何が?)
『この宿には全体的にインクが満ちています。
元々それなりに格のある祭場だったのかもしれませんが、それをコントロールしているものがいるのかもしれません』
(インクが満ちて、コントロールするメリットって?)
『魔術や請願を使うのに必要なコストを軽減できるのが強いですね。
宿として発展したのも、そうした力を利用しているのかも』
(利用って、人を誘導するとか?)
パッとイメージするのはやっぱりそれだ。
怪しいオーラで人を引き付ける、想像上のヤバそうな宗教がやりそうなこと。
実際にそういう怪しいオーラで引き寄せる、なんてのは見たことがないが。
『いえ、もっと運営的の直結しているものだと思います。
汚水処理や巻紙生産をするとか、そういうものですね。
屋内農場などがあるかもしれません』
(色々と物知りだよね、アルタリウスって)
『私の知識の源は基本的に君からなのですけどね』
(記憶がないのに?)
『記憶がないことと、知識がないことは別ですから──品物が来たようです。
受け取りましょう』
───────────────────────
食事の時間は楽しく、時々は旅人の悲哀のようなものを受け取れたりするようなものだった。
その悲哀も会話のスパイスにできるのだからウォルカールさんの話が上手い証拠だろう。
ウォルカールさんは長く長く、旅をしているそうだ。
故郷を失って、戻るべき場所がないゆえの旅。
「故郷がある頃はむしろ気忙しい生活でしたので、今の方が気楽ではありますよ」
ははは、と笑う老紳士。
だが、その表情からは隠しきれない悲哀のようなものが滲んでいた。
故郷は失われたのだろう。恐らくは人為的なこと、つまりは戦争かなにかによって。
「さて、次は若人よ。貴方のことを伺いたい」
「……オレ様のことかあ……。実はあんまり」
「記憶が曖昧ですかな」
「どうして」
「このウォルカール、盲とはいえ、むしろ盲だからこそ他者にない知覚能力を有することになりましてね」
瞼の上から目をなぞるようにして、
「幾つかの色を見分けることができるのですよ。
そして色はそのまま、様々な情報となって儂の知るべきこととなるのです」
これはウォルカール独自のものらしく、学術的な側面によって確定されたことではない。
なのでもしもオレが学者を目指しているようであれば聞き流してほしいと言われた。
学識を深めるための雑音になると思ったのだろう。
曰く、インクは一人一種類。
形状や色によって判断される。
記憶に問題があったり、人格に問題があるものはインクの形状が不揃いになる。
前者であれば格子状やブロック状に見えて、後者であれば風化して砂になってしまった壁のようにも見えるのだとか。
他にもインクは不定形な部分があり、その形状を見ることで次に自分に何をしようとするのかも読めるのだという。
攻撃的な意識、或いは害意を向けているなら銛のような形を、
慈悲や庇護の感情が強ければ大きな布がはためくように、など。
なるほど、オレの感情も読まれている可能性があるってことか。
それをわざわざ教えてくれるというのは、ウォルカールさんなりの信頼を返しているってことなのがわかる。
「そして、そこからわかることは……若人よ。
貴方は困って居られるのですな。
為したいことなのか、為すべきことなのかまでは判断できませんが、その実行をするには欠けているものがあるようだ」
永く生きれば推察する力ってのは付くのかもしれない。
そこにインクから読み取る色々な情報を付加して考えれば、なるほど、心を見通すようなことを言われても驚きはしない。
「……長いけど、あったことを聞いてもらえるかな」
「ええ、勿論ですよ。
この老骨の楽しみといえば、若人の話を聞くことくらいなのですから」
───────────────────────
流石に復活のことは話さない。
それをする代わりに記憶が飛んで、違う場所で目覚めてしまう体質ということにした。
この辺りはオレにとっての命というものが、恐らく普通の人とは違う感覚があるから嘘判定はされないだろう。
むしろ、されたとしたならオレの深層心理が外部から判断されることになり、それはそれで学びになる。
最初に目を覚まし、隷属させられたものたちの話や、
フェリたちと会い、解放できた話。
シェルンたちとの迷宮探索。
ロドリックの魔剣との出会い。
ソクナと進んだ監獄と生命牧場(生命牧場についてはぼかした)。
そして、イセリナを助けられなかったこと。
気がつけば相当長い間喋っていた。
ウォルカールは適宜、質問や相槌を打ってくれる。
聞き役として百点満点花丸付きの対応だ。見習いたいね。
「そのイセリナ嬢をお助けしたい、そう考えてるのだね」
「うん。でも……」
「貴方の話だけではなく、確かにインクの形状を考えてもたった一人で何もかもを変えてしまう無双の豪傑というわけではないのは私にもわかります」
「ホント、そうでありゃ話は早かったんだけどなあ」
「ですが、諦めるのも尚早というもの」
先程、会話の途中でワインを売り込みに来たものから買ったそれを手酌で注ぐウォルカールさんは、ぐびりと飲み干す。
年齢がどうとか考えるのは失礼だったと思うくらいの健啖、酒豪っぷりだ。
ワインは数本開けているし、つまみにとフライも四人前近く平らげている。
「力はおありだ、若人よ」
「矛盾してない?
だってさっきは無双の豪傑でもないんだからって」
「ええ。
ですが、貴方の周りにいた方々は歴史を一人で変えるような無双の豪傑ではないにしても、
人々の運命をひっくり返すくらいは簡単にしてしまえる英傑足り得る力を持っていた。
貴方の言葉がそれを私に伝えていましたよ」
ジョッキを置くと、一拍の後に言葉を再び紡ぐ。
「仲間を求めるのです、若人よ。
一人でできることは少ない。
しかし、貴方には今までの旅で培った絆がある。
それこそが無双の豪傑すら超えうる武器となることでしょう」
そう云った後に照れくさそうに老紳士は
「少々、青臭かったですかな」
などと苦笑して見せた。
「ううん。……ありがとう。
やるべきことが見えたよ」
ウォルカールさんは穏やかな、オレの歩く先を慈しむように微笑んでくれた。
───────────────────────
翌日。
目を覚ますとウォルカールさんの姿がない。
ホールに出ると宿の主がオレを呼び止めた。
「ああ、お客さん。
あの爺さんのツレでしょ。預かってるものがありますよ」
手招かれたのでそちらへ。
主は簡単な朝食を用意して、それをオレの前に出す。
残り物だがよかったら食べときな、と。
ありがたくいただこう。
余り物を大雑把に煮なおしたものとパン。
具だくさんだが、味のバランスが取れているあたり、料理人の細やかな性格と調理技術が光る味わいだ。
「これです」
机に置かれたのは手形だ。
手形といっても、オレが首に下げている金属に似たもので、知識の上ではこういうものを使うのは一部の都市に限られるはずだ。金が無いと技術的に作れないのかもしれない。
「手形?」
「ルルシエット領の手形ですね。
この手形があれば冒険者ギルドには悪いようには扱われないと仰ってましたよ」
「ルルシエット領かあ」
あまり知識がない。
情報収集が必要であろうけど……。
どうやって集めるべきか、そもそもどうやって聞き出したもんかな。
───────────────────────
ヴィルグラムが大雑把に煮直したものを頂戴している一方、
宿からペンゴラへの方角とは違う場所。
獣道同然となっている場所をウォルカールは歩いていた。
ふと、その歩みを止める。
「お久しゅうございます、エセルカティア様」
ウォルカールは膝を負って、気配へとかしずく。
「その名で呼ぶのは貴方だけですよ、ウォルカール。
今はただ、ヘイズと呼ばれるのみです」
「であったとしても、当主を失い、路頭に迷っていた我らウォルカール一族を庇護してくださったのはエセルカティア様でございます。
西方への弾圧に加わっていた我らを助けてくださった広い慈悲心を持つあなたを、どうか今もそう呼ばせていただきたい。
管理局のヘイズ殿ではなく、我らが一族の救い主の名を」
その礼の尽くし方は実に美しい所作であり、ウォルカールのその血統が安いものではないことを端的に表していた。
「何年経っても、頑固な人ですね」
「身も心も頑丈なのが取り柄の一族でしてな」
頑丈なのは胃腸もであるが、それについては流石に付け足したりはしなかった。
「わかりました、お好きにお呼びなさい」
「ありがとうございます。
しかし、エセルカティア様が姿をお見せになるのは随分と久しぶりのことでございますが」
普通であれば、「どうして現れたのか」を聞くだろう。
だが、西方のエルフたちの姫君にして、東西の停戦の立役者ともなったエセルカティア姫。
その姫が信を置く人間であるところのウォルカールの返しは普通とは異なる。
「あの若人、ヴィルグラム殿のことでお越しになられた……違いますかな」
「話が早くて助かるというよりも、いっそ恐ろしいですよ」
特異な視界を持つ老紳士にとって、その視界は最大の武器ではない。
彼の得物は人生経験そのものだった。
それらを動員すれば相手が何故現れたのかを、まるで魔術や請願を使ったかのようにして理解する。
「少しは可愛げを出すべきでしたかな」
かつては覇権を争っていた名門伯爵であるウォルカール。
その一族の生き残りこそが名の通り、この老人であった。
様々な事情から勢力争いの中で消えたものの、その頃の当主ではなかった彼は生き延びて、今もこうして旅をしている。
随分な老齢であるはずだが、今もこうして旅を続けているのは彼の母親がエセルカティアの遠縁にあたるエルフであり、
外見上はわからずとも混種として生を受けたからであるという疑惑もあった。
「ヴィルグラム殿ならルルシエット領へと進み、後にビウモード領はトライカに向かうでしょう。
……という情報は不要でしたかな」
「いえ、助かります。
ですが、世俗と関わり合いになりたくない貴方がどうしてそこまであの少年に?」
ウォルカール領が滅ぼされた日、身分を喪っての放浪の日々。
世界を憎むことはなかったが、今の自分の立場や身分と全てを喪った空っぽの自分は薄皮一枚のところにあると彼は考えている。
そのように歩んできた人生で彼はどこか厭世的な態度にも似たものを取ることが常のスタンスとなっていた。
「彼から懐かしいインクを見たのですよ。
かつて管理局が必死になって作り上げていたものに随分と似ておられたもので」
ウォルカールは同伯爵家のフィクサーとも言われていた。
王国暦末期に戦死した当時のウォルカールが儲けた子らの一人であり、
それからずっと生き続けている彼は、伯爵家から少し距離を置いて生活を続けた。
裏で伯爵家を操っていたとも言われているが、結局は最後の一代は伯爵家同士の戦いを行って負けていることからも、それほど彼自身は伯爵家を操縦してはいなかった。
まだ領地や権力があった頃、エセルカティアの要望があるときに、それをそれとなく伯爵家が受け入れるように促したりはしていたが。
だが、彼はエセルカティアの従僕と自認するところはあったものの、管理局とは線引してもいた。
だからこそ、管理局とヴィルグラムの関係について深い知識を持つことはない。
「作り出されたるものが持つインクの形状は、実に静謐なのですよ。
彼こそが、ライネンタート殿が苦心して作り上げた依代、ということですか」
だが、先程も述べたように彼には人生経験とそこから来る推察の力が存在している。
エセルカティアは何も言わない。
それこそが答えでもあったが。
「邪魔をするつもりはありませぬ。
ただ、この戦いは彼の今までの人生の総決算となるでしょう。
どうかお汚しにならぬよう、伏して伏してお願い申しまする」
「顔を上げてください、ウォルカール。
汚すつもりなどはありません。ただ、彼の生き方を見て、死んだ先を作らねばならないのです。
全ては、未然となっていたものを果たさせるためにも」
管理局は一枚岩ではない。
それぞれが独自の欲望を以て動いている。
『心の欲するところに従え』
それこそが妖物が望んだ今の管理局のあり方であった。




