101_継暦136年_冬/A08
よお。
懲りずにインク切れで死んだオレ様だ。
クソったれダルハプスを倒せたなら、価値がゼロってわけでもない。
『無茶をなさいます』
(アルタリウスも無事でよかったよ)
『先回りしたことを言っておきますと、私も君の覚醒以前の記憶はありません。
どうして再び目を覚ませたかについては不明です』
話が早くて助かるというべきかのか、見透かされているようで恥ずかしく思うべきなのか。
(ここはどこだろう?)
『森……いえ、街道沿いでしょうか。
強力なインクであれば察知も可能ですが、周辺にそうしたものはありません。
人間が潜んでいる程度では感知できないので、私の察知はお守り程度にお考えください』
つまりは賊が潜んでいてもわからないってことだ。
警戒は怠らないようにしないとならない。
こそこそと街道沿いの森から離れ、沿いではなく街道そのものへと到達する。
周りを見渡す。ひと気のない通りだ。
目についた通行人は一人。杖を付いた老紳士だけだ。
いや、一人ではなかった。
老紳士はあるべき視界を持たないのか、それを狙った賊がこっそりと囲もうとしていた。
このまま見逃せばこっちの自由は担保される。
(……見逃せないよなあ)
『間違いなく争いになるかと思います』
(装備の点検だけするか)
点検と言っても、身につけているのはいつもどおり。
武器になりそうなものはない。
いや、ベーコンが一つ。いや、武器になりそうにはない。
ま、ないものねだりをしても仕方ないよね。
「よう、兄弟たち」
どうにでもなれというほかない。
ただ、勝算がないわけでもない。
まずは声掛け運動から。
「チッ、この爺のツレか?」
「めんどくせえ、こいつごとやっちまうか?」
「メンチ切ってわからせてやるぜ」
賊は三人。
実力は……、大したことはなさそうだが。
「ある人に頼まれて、そこの爺さんを迎えに来たんだ。
アドハシュのアレックって賊なんだが、知ってるか?」
アレックのことは流石に知らないだろうけど、アドハシュ原野の名前は賊なら知っていてもおかしくない。
賊の密集地ならそれなりに言葉の威力があるならいいんだが。
さて、反応はどうかな。
「アドハシュって、あのアドハシュ原野かよ……」
「噂じゃ賊と貴族が結びついているとか……」
「こいつもアドハシュから来たのか?
いや、アドハシュの人間と知り合いなのかよ」
「……」「……」「……」
三人がひそひそと話した後に老人とオレを交互に見る。
「いやあ! 人が悪いぜ兄弟!」
「お、俺たちはちょーっと道案内をしようとしただけなんだ。な、なあ?」
「そうそうそうそう、そうだぜ。脅そうなんてちっとも考えてねえよ」
アドハシュ原野から来たってだけで箔になるようだった。
アレックが『爺さんの代から賊をやってきた由緒ある賊』だとか言ってたし、
あの辺りの悪名(賊にとっての名声かもしれないが)は木っ端の賊には通用したようだ。
「そこの紳士が彼らを赦すってならお開きにするけど、どうかな」
「さて……私は何もされておりませんで。
しかし、お助けくださった……いやいや、見かねて声をかけてくださったお若い声の方に判断を委ねたいと思いますよ。
望めるのなら、平和的に終わりたいものですが」
少し考える。
このまま賊を逃してやってもいいが、この辺りの情報が欲しくもある。
「案内しようとしてたって云ったよな?」
「へ? え、ええ……言いましたねえ」
「それじゃ、悪いけどそこの紳士と一緒にオレも案内しちゃもらえないか。
できればここの近くの街に」
「街、ですか……。ないですよ。この近くに、徒歩で行けるようなところは。
ああ、でも休むだけってなら」
「文鳥迷路ならあるよな」「あそこならちょっと歩けばいいな」
といった具合に彼らは知恵を出す。
彼らのお陰でこの辺りの地理と、旅籠のことを聞き出すことができた。
「あー、紳士」
「ウォルカールと申します、お若い人」
見た目からすると六十、いやもっといっているかも?
『ヒト種のようですね』
(お年寄りなのに旅をしてるなんて大変そうだな……って思うのは失礼かな)
『状況に対して素直な受け取り方では?
ですが目上相手であればまずはご挨拶からがよろしいかと思いますが』
(そりゃそうだね)
「オレ様はヴィルグラム、特に何者かって言えるような立場はないかな。
気ままな冒険者、旅人、まあそんなところかな」
実際、オレは何と名乗るべきなのだろうか。
青色位階だし、冒険者なのか?
自分で努力して獲得した記憶もないものをそんな自信満々に掲げるべきなのかは、どうなんだろう。
「その割には高貴な響きのお名前ですな」
「名前だけでも王様気分ってやつさ。
ウォルカールさんはどこへ行こうとしてたの」
ズケズケと踏み込みすぎた聞き方だろうか。
若造にありがちな無遠慮さだと思って許してもらおう。
「旅の目的はありませんよ。故郷もないので、死ぬその日まで触れたことのない土地の空気に触れたいと思っておりましてね。
そろそろどこかで足休めをしたいとは思っておりました」
「それなら旅籠まで一緒に、ってのはどうかな」
靴のすり減り具合を見るに、かなりの長旅をしているようだった。
そうなれば色々な話を聞けそうだ。
目下の目的はイセリナ救出だが、仮に脱出させられたとしても世間のことを調べきれてなければまた同じ目に遭いそうでもある。
であれば、世の中の情報ってのは集めておいて損はない。
「随分長く旅をしてきたんでしょ?
旅籠で休みながら、旅の話を聞きたいな」
「助けてもらった恩を少しでも返せるなら、ええ、是非お話させていただきたい」
そういうことになった。
目指すは文鳥迷路。……妙な名前だ。安心できる宿ならいいんだけど。
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「で、お前らはなんで賊やってんの」
「ぞぞぞ、賊だなんてそんな」
「ウォルカールさんも気にしてないみたいだし、怒らないからさ」
三人が顔を見合わせてから、
「なんつうか、賊子供なんすよ、俺たち。
賊子供は街に入れないじゃないっすか、当然ですけど。
外じゃあ真っ当な働き口もないし」
悲しいことだが、それは事実だ。
都市でなければどうかと言えば、農村部なんかはむしろ人手が過剰なほどであったりするし、
主要な交易路から外れている村や集落なんかは人手がイマイチだとしても、むしろ閉鎖的だからこそ外部の人間を中に入れることはない。
賊子供が真っ当に生きるには難しい時代すぎる。
ただ、彼らはそうした立場でありながら無闇に武器を抜いて襲ってこなかった辺り、珍しい善性を少しでも備えている賊子供であるのかもしれない。
「俺らがいた群れは守衛騎士にふっとばされちまって」
「なんとか逃げ出したら、次はビウモード軍の見回り強化だもんな」
「影のバケモンがトライカを支配しているんだろ?
そんで、そのトライカに迂闊に近づいて被害者を増やさないように──」
「ビウモード軍ががっちりと警備を敷いているんだよな」
呑気に語る、とまでは言わないが、『影のバケモン』などと聞いて冷静ではいられない。
「影のバケモンってなんだ?
犠牲になった人がいるのか?」
「い、いや、わからねえっすよ。トライカの人間じゃねえから。
でも、この前ちょっと脅しをかけた行商から聞いた話だと逃げ出せたものもいるとかって。
中はまるで時間が止まったようになってたとかなんとか」
賊の言葉に対して老紳士が引き継ぐ。
「私も旅の空で聞いたのですが、影が支配したトライカではそこにいた多くの住民は眠りに付いているのだとか。
中核には一人の少女があるとか、なんとか……」
嫌な予感が加速度的に増す。
「影の怪物は己をダルハプスと名乗っていたと聞きますよ」
そう続けたウォルカールさんの言葉が決定的だった。
『理解されていると思いますが、君が焦って行動しても解決には至れません。
情報収集と準備、それが解決までの最短距離を進む術です』
(わかってる、って言いたいけど……ありがとう、アルタリウス。
人に言われると冷静になれるね。
けど……)
『目的がはっきりしたことを喜ぶとしましょう。
私も消し飛ばせるものがわざわざ立場を公表してくれたことを喜んでいますから』
アルタリウスの声はいつも冷静そうに聞こえるが、あくまで声質がそうなだけだ。
声のトーン以外の、どこかからか伝わってくる感情からはバッチバチに怒りが受け取ることができた。
怒りに任せそうになって、もっと怒っている人間を見ると冷静になる。
人間じゃないかもしれないし、見たわけでもないけど、それはそれ。
「ヴィルグラムさんって云ったっけ。
怖い顔してるけど、トライカに何かあるんですかい」
「……ああ。知り合いがいるかもしれないんだ」
「だったら今向かってる旅籠には行商やら旅人が多いですし、情報収集には持って来いっすよ」
「詳しいな」
「まあ、なんていうか……」
ああ。なるほど。
そこで獲物を物色してるってことか。
「いや、言わなくていい」
「へ、へへへ……。
情報集めするんだったら店主に聞くといいですぜ」
「ギャンブルに誘うのがおすすめですな。アイツは弱いくせにギャンブル狂いでしてねえ。
負けの分を情報でって言えば喜んで喋うと思いますぜ」
こんな世の中だからそういう手合がいるのも理解はできる。
できるが……
(職業倫理ってなんだろうね)
『都市部の表通りにしかない概念かもしれませんね』
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道中の旅籠といえば、イセリナと共に世話になった羽根折り蜥蜴亭を思い出す。
が、到着したそこはあの旅籠の何倍もあるようなものであり、
単に宿となる建物が一つあるというより、いくつかの建物が植物や菌類のように伸びて一つになったような代物だった。
「でっかいなあ」
オレがぼんやりとした感想を述べると三人が、
「村とか街ってわけじゃねえけど、規模的にはそれくらいの利便性があるんすよ」
「武器でも道具でも、それこそ情報も手に入る。
寝泊まりするのにも身分の保証も要らないですし、俺ら賊にとってのオアシスってヤツです」
「そのうち領主様の逆鱗に触れてぶっ壊されそうだけどな」「違いねえ」
口々に話をする。
こういう雑談めいたことでも話してくれることは、細々とした情報収集の手間が少しでも減るから助かるんだよね。
それにしても、文鳥なんて名前が付いているから小さめの宿かと思ったけど。
「名前に文鳥なんてあるんだから小さいかと思ったんすよ。
最初はその通りだったらしいんですけど」
「文鳥宿だか文鳥亭だかそんな名前だったんだっけ?」
「そうそう。で、広くなって飼っていた文鳥が逃げて、結局室内のどこにいったかもわからなくなって、
それで文鳥迷路って名前にしたんだとか……」
「ん? 宿の人間が迷って、文鳥が飛んできた方向に進んだら脱出できたからじゃなかったか?」
どうやら宿の名前の成り立ちも迷宮に入ってしまっているらしい。
「お前らはこれからどうすんの?」
「あー……そうすねえ……」
「賊に戻るのか」
「い、いやあ!人聞きの悪い!俺たちは道案内を」
焦る彼らに対して、
「よろしいですかな」
ウォルカールが切り出した。
「な、なんでしょうかね。へへへ……」
「私の知り合いがこの辺りに詳しい人間を探していましてね。
斥候や探索の仕事になると思いますが、皆様の頑張り次第で身分の保証を得られるかもしれません。
どうでしょう、話を聞きに行ってみては」
その言葉に三人が顔を見合わせる。
癖なのだろう。血が繋がっているのかはわからないが、家族であることは間違いなさそうだ。
「俺たちは爺さんを……」
「旅籠に案内してくれた、そうでしょう」
「……」
再び顔を見合わせ、同時に頷く。
「紹介してください!
俺たち賊子供上がりでしかねえけど、やれることは命掛けるんで!」
「お願いします!」「お願いします!」
「わかりました。
では──」
場所などのやり取りをしている。
『人格者、ということでしょうか』
(手を伸ばせる範囲で助けられるなら助けてやろうって人なのかな)
『なるほど……。
君と同じ人種ということですか?』
(オレ様はそこまでできた人間じゃないよ、手を伸ばす相手を選んでいるもの)
『……ふむ。
君がそう仰るなら、そういうことにしておきましょう』
(なにさ)
『主観と客観は異なるもの、ということですね』
などと、アルタリウスと会話をしていると一人と三人の話し合いも終わったらしい。
「では、またいずれお会いしましょう」
別れの挨拶をするウォルカールさんに三人は何度も頭を下げ、ついでにオレにまで頭を下げていた。
「では入りましょうか」というウォルカールさんの声にオレは頷く。
大きくも妙な施設──『文鳥迷路』へと足を踏み入れた。




