遺書
この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。
死ぬことにしました。十五年ぶり二度目です。
理由は素晴らしい小説に出会ったからです。
暖かい日にしようと思っています。五月が良いかな。
そのために仕事を辞めて、東京の部屋を引き払うつもりです。
嘘です。仕事を辞めたのは飽きたからで、これ以上続けると嫌いな人と嫌いな会社ばかりになってしまうと思ったからです。
そもそもあの小説と出会ったのは仕事を辞めると決めてからです。
考えてみれば遺書でまで嘘をつく必要はありませんね。
どうしてついたんだろう? 分かりませんね?
こんな嘘ばかりついているとどうせ死ぬのも嘘だろうと思われてしまうかも。
中学を卒業して、高校生になってから、近所の川で入水自殺をしようとしましたが、失敗しました。
理由は死ぬ直前に恐ろしくなったことと、学校帰りで明るかったので、橋の上から人に見られていることに気付いたからです。
川から上がった私に「ちょっと落とし物しちゃって」という言い訳をさせたあのおじさんは誇りを持っていいと思います。あなたはあの時、確かに人を救いました。
ずぶ濡れで家に帰った私は親に叱られながら、なぜ死ぬのが怖かったのだろうと考えていました。それは希望があったからではないでしょうか。もう一度彼女に会う機会があるのではないか、という。それは今でも少し残っています。
死に自ら近づき、拒否した(あるいは拒否された?)私は、その時から自分のこの想いを出力することが出来たら、死ぬのを恐れる理由が無くなるのではないかと考え始めました。希望の外部化です。
だからこの思いを言葉にすべく、小説を書き始めました。私は死ぬために小説を書いていました。
でもなかなかうまくいきませんね。高校・大学を無為に過ごし、社会人になってから改めて筆を執りました。二〇一五年のことです。
ちんたらやっているうちに、私は去年三十歳になりました。私を殺してくれる小説を書くことが出来ないまま。
挙句の果てに小説賞に向けた小説なんか書き始めました。小説賞! 馬鹿馬鹿しい! 小説は権威につばを吐きかけてなんぼでしょう! それが自らを権威付けするだなんて、本末が転倒しています。
あの小説に出会ったのは、その賞のためのアイデアになるかと思い、構想中のお話しに似た要素を持つ小説を調べ、注文したのがきっかけです。
小説の名前も、著者の名前も伏せます。私の死をもたらしたなどと思われてほしくないので。
素晴らしい小説でした。私の思いついた言葉が書いてありました。
私が思いつけなかった言葉が書いてありました。
私が書かなければならなかった言葉はすでにこの世界にありました。
女性同士の恋愛を書いたものでした。
かつて友人同士だった彼女たちが恋人になり、やがて破局し、大人になってから再度心を通わせるお話し。
私は肉体も性自認も男性ですが、あの小説を読んで以来、私は自分を女性として、彼女の事を想っていたのではないだろうかと考えています。単純だから影響を受けやすいのでしょう。
小説賞のための小説、誰かに認められるため小説を書いていた自分が恥ずかしくなりました。同時にこの傑作を前にして同じテーマで何か書くことなどあるのだろうか、とも思いました。
特に運命の相手に出会うのが早すぎたのだと思う気持ちと、どれだけ距離と時間が離れ、もう二度と会うことが無いと分かっていてもなお、どこにいるかも知らない彼女の頭上にたくさんの幸福がありますようにと願う気持ち。
私が書こうと、書けると信じていたお話しに出会ってしまって、今はもう本当に死なないでいる理由が無くなったと思えるくらいに満たされているのです。
かつてある少女に恋をしました。
昔のことです。初めて死のうと決めた時よりも前のこと。
小学校で同じクラスで、同じ委員会でした。
字の綺麗な子でした。初めて彼女の字を見た時、彼女の名前だけ、あらかじめ紙に印刷されていたのではないかと疑ったくらいです。そんな綺麗な字を書く人を、大人を含めて初めて見ました。
私は生まれて初めて、人を尊敬しました。
習字を習っていたから、と照れた顔が最初の思い出です。
中学校に上がって、彼女への好意を自覚しても、私は彼女に自分の思いを告げることはありませんでした。
友人として知り合い、言葉を交わしてきて、思いを告げることでそれが壊れてしまうことが怖かったのだと思います。
中学校の卒業式の後、わざわざ後を追いかけてきてくれた君の顔を見もしないで、「じゃあな」としか言わなかったことが、いまだに恥ずかしくて、情けない。でも振り返ったら口に出してしまうという確信があったので、振り向くことは出来ませんでした。
君が泣いていたと分かっていたのに。
書き起こしてみて分かりましたが、なんて平凡な失恋なのでしょう。
こんなのじゃ、投稿サイトのランキングには載れません。
彼女の声を思い出せなくなったから死ぬことにして、失敗して、小説を書き始めて、今に至るまで、私はそれ以外の恋を知りません。
操を立てたつもりもないのですが、たぶん燃料のようなものを使い果たしてしまったのだと思います。
ならなぜ生きているのでしょう。使い果たしたなら、そこで止まれば良かったのに。分かりませんね?
私はいつも死にたいと思っていました。それはいつだか消えたいに変わり、生まれて来なければ良かった、という言葉に変わりました。
その考えは今も私の中に確かにあります。
これが治った私は、私ではないと言えるくらいには長く親しみました。
私の人生は後悔だけのつもりでいました。
でも違った。違うと教えてくれたのはあの小説です。
きっともう二度と会うことの無い誰かの幸福を願うことを愛と呼んでいいのだと教えてくれました。
私の人生には後悔よりも前に愛があった。
かつてあれだけ、陳腐だと、何の情熱も、狂おしさも表せていないと鼻で笑った「愛」という言葉に、私は救われてしまった。
もはや私に小説を書く理由はありません。
誰かに認められる必要は無いから。私の中にはすでに誰かを愛し、きっと誰かに愛されていたと信じられる遺跡があるからです。
私は何度もそこを訪れていたのに、その遺跡の名前を知らなかっただけなのです。
私がこれまで愛と呼んでいたものは、彼女を傷つけるかもしれないと、一歩を踏み出さなかった臆病の言い訳でした。私が女性だったなら、友達のまま、今でも時々会ったりできたのだろうかという夢想のことでした。
でも違います。性別なんて関係がありません。
きっと逆だったら私は自分が男だったら、君と結婚出来たのにと言っているに違いないからです。
今後の話をしておきましょう。(死ぬのに?)
最初に書いた通り、私は五月に死ぬつもりでいます。
幸福なまま、愛に満たされた確信をもって死ぬでしょう。
その前に身辺の整理をするつもりです。
借りていた部屋の引き払いの他、大量の蔵書を処分しなくては。
あの小説だけは最後の瞬間まで持っているつもりです。でもその前に燃やしてしまうかもしれません。私の火葬に先立って。
『私に力をくれたものは、私が連れていく』
そういえばあれも女の子同士のお話しでしたね。割と好きなシーンです。
利用していた小説投稿サイトのアカウントについては、その前までに削除しようと思っています。私にはもう必要の無い物です。
私が生きていた証は、私の中にある愛より他に残さないつもりです。
小説を書いてきたことに後悔があるわけではありません。
書かなければあの小説には出会えなかったでしょうから。
一度目の自殺に失敗して以来、私はあの時死んでおくべきだったと折に触れて考えてきました。
でも、今ではそれが間違いだったと分かります。
あの時の己への失望の後に、私は素晴らしい小説に、音楽に出会いました。己の内に愛があったのだと今更理解できたのは、それらのおかげです。
今度は私は愛を持ったまま、川に入るでしょう。この生が幸福だったと確信し、満足とともに。
最後に、見ることは無いだろうけど、君に。
いや、私の目を通して君も見るのかな?
私は実在する君に語りかけているわけではなくて、思い出の君に語りかけているわけだから。
思えば君には貰ってばかりな気がするな。
いつか君に街でふと出会った時に、というのが私の行動指針だった気がする。
君の隣にいても恥ずかしく無いような、君を愛し、君に愛されるのにふさわしい人間になりたい、というのが、私の抱いた最初の夢だった。
私はいつも、離れてからもずっと、君に背中を正されていた。
君は私の神様だった。
死ぬと決めて、やっと君のことが書けた。
かつて君が私を人間にしてくれたように、またも、この一時だけ、君が私を小説家にしてくれた。
ありがとう。
君に出会えて良かったと、今ならそう言うことが出来ます。
ありがとう。真希子ちゃん。俺は君のことが好きでした。
いつまでも君に、たくさんの幸せがありますように。