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4.交換条件

 手首をパッと掴まれた。思い切り前に引っ張られて空足を踏んだエルザリータを、手を掴んだ当人が受け止める。ほう、と息をついてようやく彼女の意識は自分を支えてくれた相手に向いた。

 つややかな黒髪の男の子がいた。背の高さはエルザリータの腰くらい。およそ日焼けなどしたことないような白磁の肌は滑らかで、深い青の瞳が印象的な少年だ。中性的でとても綺麗な面立ちをしている。


「えっ……?」


 先ほどまで竜がいた空間と目の前の少年に代わる代わる目をやる。絶対的な存在感を放っていた水竜の姿はどこにもなく、入れ替わるように現れたのがこの彼となればやはり答えはひとつしかない。

 小さな手がそっと離れた。エルザリータが目を丸くしていると少年は「なんだ?」と不思議そうな顔で首を真横に傾けた。


「あなた、イェル……」

「おっ、おい、おまっ、おまえ、なんて格好してるんだ!? おいグランツどうにかしろ!」

「は、」


 男性陣が飛んできた。グランツの背中で少年が見えなくなったと思う間にエルザリータはテオディールに肩を引き寄せられた。まるで盾のごとく庇われるような体勢になってエルザリータはきょとんと目を瞬かせる。なぜ王子はほんのり顔を赤らめているのだろう。それに思いのほか近い。

 エルザリータに遅れることしばし、テオディールもやっと距離の近さに気づいたようだった。赤い顔がますます赤くなり、弾かれたように身体が離れる。


「す、すまない!」

「いえ……」


 あらたまって謝られるとじわじわ顔が熱くなってきて思わず俯く。

 少年はグランツの外套でくるまれていた。そこで初めて彼が裸だったことをエルザリータは知った。あまりに綺麗な目鼻立ちに釘付けになっていて気づかなかった。

 だが問題はもはやそこではない。


「……イェルク、ですか?」


 おもむろに一歩踏み出す。エルザリータを見つめていた少年はこっくり頷いた。


「ニンゲン」

「まあイェルク! すごいわ、本当にイェルクなのね!」

「……信じられん……」


 駆け寄るエルザリータの背後でテオディールが目を眇める。

 エルザリータは膝をついて少年の両手を取った。にっこりと口の端を持ち上げれば彼もつられたように口角を上げた。思わずエルザリータの息が止まる。美少年による笑顔の破壊力たるや凄まじい。

 手は繋いだまま、エルザリータはすっくと立ち上がった。


「イェルク、やっぱりわたしの街に来てください。街に来て、人間のことを知ってください。人々の生活のことや、食べ物のこと……そうだわ、服も作りましょう」

「ふく?」

「人間は裸でうろうろしたりしません。だから人間の格好をするときは服を着なくては。イェルクにはどんな服が似合うかしら」

「エルザリータ! 何を言ってるんだ、そいつは災いだぞ!? 何をしでかすかわからない」

「まあ、殿下」


 エルザリータはあらためて青年の正面に向き直った。身体の横で両手を拳の形に握りこみ、驚きに見開かれた彼の双眸をまっすぐに見上げる。


「わたしはひと月以上イェルクと一緒におりました。イェルクはわたしを傷つけなかったし尊重してくれました。きっと大丈夫です」

「大丈夫なもんか! そいつは人間じゃないんだぞ、善悪の区別もつかないんだ」

「恐れながら申し上げます。人間だからどうの、水竜だからどうのというのはあまり意味がないと存じます。同じ人間でも話が通じない者はおります」


 視線を絡ませたままエルザリータは一歩距離を詰めた。


「無知が原因ならばこれから知ればいいだけのことです。何をしたら困らせて、何が喜ばれるのか。理由がわかればあの子はちゃんと判断できます。殿下、イェルクは賢い子です」

「エルザリータ、だが」

「わたしが責任を持って教えます。ですからお願いします。どうか見守っていただけないでしょうか」

「う……」


 沈黙が支配する長い長い一瞬だった。たっぷり十数秒を数えてから、テオディールは深く息をついた。僅かに視線を逸らし、渋々と言った(てい)で「条件がある」と呟いた。

 エルザリータは背筋を正して言葉の続きを待った。彼から返ってきたのは真剣な眼差しと予想外な言葉だった。


「これから先ずっと、きみが僕の隣にいてくれるなら。それなら考えてやっても、いい」

「……となり、ですか?」

「そうだ」

「それはつまり……殿下もイェルクにいろんなことを教えてくださるということでしょうか? わたしと一緒に」

「ん? あ、ああ……。ううん?」

「まあ!」


 テオディールは訝しげに小首を傾げたが幸か不幸かその表情はエルザリータの目には入らなかった。パンと手を叩くとそのまま手指を組み合わせ、紅潮した頬のまま深々とお辞儀した。


「ありがとうございます! お許しいただけるうえにご教授まで賜れるなんて……。わたしでは至らぬ点もございましょう。ぜひよろしくお願いいたします」

「……それは承諾の意と受け取っていいんだね?」

「もったいないお言葉です」

「そうか!」


 テオディールがエルザリータの両手を取った。きらきら目を輝かせる王子に彼女もまたにっこりと笑みを浮かべ、その手を優しく握り返した。

 よろしく頼む、こちらこそとふたりが和やかに挨拶を交わすかたわらで、グランツはそっと歓喜の涙を拭っていた。少年は心底不思議そうな面持ちで首を真横に倒した。

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