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3.涙の海

 ふたりの足音が遠くなっていく。

 遅れること数秒、エルザリータはテオディールを追いかけた。前に回りこむと王子の手からランプを奪い取った。驚きに見開かれる彼の藍色の瞳を見据え、エルザリータは息を吸いこんだ。


「わたしはあの子を信じてます。大切な友だちですから!」

「エルザリータ、だが」

「わたしが家に招待したんです。イェルクは遊びにきただけ。だからあの子の行為は絶対に、何か理由があるんです。会って話せばわかるはずです」


 それだけ言って奥へと駆け出す。低い唸り声が響いていても恐ろしさは全く感じなかった。彼は優しい子なのだ。エルザリータに危害を及ぼすはずがない。


「イェールク!」


 ドームのような空間の奥まった部分に黒い塊が嵌りこんでいた。そばに駆け寄ったエルザリータはランプを足元に置くと塊の表面にそうっと両手を伸ばした。形状からして尾の部分のようだ。ゴツゴツした感触の鱗がランプの明かりを弾いてきらきら輝いている。


「遅くなってごめんなさい。イェルク、迎えにきました」

「危ないぞ! 離れてエルザリータ!」

「あの日遊びに来てくれたのに、どうして帰ってしまったの? 教えてください」


 背後から引っ張る手はすげなく振り解いた。エルザリータは遥か上方を仰ぎ、おそらく頭があるであろう場所に当たりをつけ見つめ続けた。


「なんとか言って。黙っていては何もわかりません」


 辛抱強く返事を待っているとやがて黒い山がみしみしと動いた。ああやはり思っていた場所に頭があった――そう思ったのも束の間、エルザリータの頭上に大きな水の塊が落ちてきた。


「きゃあ!」

「わぁっ!」

「ちょっ、ちょっと……待っ……やっ」

「殿下! あまり近づかれては……げほっ」

「……早くこっちへ、エルザリー……ぅぐっ……」

「で、でんか……」


 水竜の目からぼたぼたと大量の水がこぼれ落ちていた。竜のサイズともなれば涙も特大の雫になるらしい。あっという間に全身びしょ濡れになった三人は慌てて竜から離れ、洞窟の壁に張りついた。

 唸り声が腹に響く。洞窟に入ったときから聞こえていたのは泣き声だったのか。濡れた髪の毛を絞り、深呼吸をふたつばかりしてからエルザリータは一歩前に出た。


「イェルク、静かに! 小さな声で話してくれないと、わかりません。前にわたしが言ったこと、覚えていますか?」


 水竜は涙をこぼしつつもこっくりと、いやに人間臭く頷いた。エルザリータはほっと息をつき、一歩、もう一歩と歩いて再び竜の身体に手を添えた。


「教えてください。なぜ帰ったのか。理由があるんでしょう?」

「……リティ、おこってる……オレサマ、かなしい……」


 水竜はゆっくり器用に人間の言葉を喋った。エルザリータによる教育の賜物だ。

 だが彼女は首を傾げるしかなかった。言葉はちゃんと聞き取れたけれど、


「わたしが怒る? それはどういう……」

「……リティおちた。リティ、こわいかおした……おこった。オレサマかなしい」

「まあ。わたしは怒ってません。びっくりはしたけれど、」

「怒っていいんだよエルザリータ。そいつの言うことに価値なんてない。大体僕でさえまだ許してもらってない愛称で呼ぶなんて言語道断……」

「殿下は少し黙っててください」

「エルザリータぁ」


 外野は黙殺し、エルザリータは根気よく水竜に問いかけた。そうしてぽつりぽつりと語られる言葉を繋いでいき、ついに結論を導き出した。


「……つまり、バルコニーにいたわたしを見つけて嬉しくなって、その勢いで突進したら建物ごと壊してしまった。それでわたしが落ちたから、わたしが怒っていると思った。……そういうことですか?」

「なんだそれ! 水竜ってここまでバカなのか」

「殿下!」

「うううああああおおお」


 エルザリータと同時に竜が吠えた。もとい、激しく泣き出した。怒号にも似た轟音に耳を塞ぎ、勢いよくぼたぼた落ちてくる水の塊を三人は必死で避ける羽目になった。

 どうやらここは入口より低くなっているらしい。あたりはすっかり涙の海で、水深はすでにエルザリータのくるぶしを超えている。


「ででで殿下、ここは一旦下がった方がよろしいかと……!」

「そうだな。エルザリータ行くぞ」


 泣き声が反響する中、入口の方へと逃げるグランツがざぶざぶとテオディールを引っ張った。テオディールもまたエルザリータに手を伸ばす。


「しーずーかーに! 泣くのは禁止です!」


 彼女の声が洞窟内に凛と響き渡った。おおおんと声を漏らしていた水竜はぴたりと口を閉じ、止まり切らなかった息は変なしゃっくりになった。


「ではこうしましょう! 今度街に来るときは、イェルクは小さくなりなさい」

「ちいさくぅ?」


 おうむ返しに呟いたのはテオディールだった。彼の顔の真ん中には「そんなことできるのか」と書いてある。エルザリータは思案げに視線を宙に彷徨わせた。


「前にいた洞穴の出入口が湖に繋がる穴だったのは殿下もご存じでしょう? イェルクはあそこを通るとき、身体を縮めていたと思うのです。ね、身体を小さくすることができますよね?」


 前半はテオディールに、後半は水竜に向かって話しかける。振り仰いだ先で水竜は首を真横に傾けていたが、


「オレサマ、ちいさくなる……?」

「そうです。わたしの家は人間用の建物なので、イェルクがそのままの大きさで来れば壊れます。当たり前です」

「ニンゲンのいえにくるとき、ニンゲンになる?」

「そうですね。……え、人間になる? なれるんですか」


 きょとんと目を丸くするエルザリータに水竜はやっぱり人間臭くこっくりと頷く。そうして思い切り息を吸いこんだと思うと、ぼふうううと鼻息を吹き出した。


「きゃあ!」

「エルザリータ!」


 勢いよく吹いてきた突風に思わず目を閉じる。涙の海は一瞬で吹き飛び、エルザリータの身体が重心を失った。大きくよろめいた彼女の手が宙を掻く。


 倒れる――!

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