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2.ロヒガルムの災い

 ロヒガルム地方はその大部分を森林が占めている。一帯の水瓶であるティエル湖にはエルザリータが生まれるずっと前から水竜が棲んでいると言われていた。突然の嵐や一向に動いていくことのない雨雲、延々と降り続く雨などは、加減を知らない水竜が勝手気ままに水を操っているからだと信じられていた。

 家や畑が水に浸かるほどの降雨があると人々は湖畔へ赴き、雨止(あまや)み祈願の供え物をするのが慣わしだった。気休めだということは皆わかっていた。だが何度治水しようと易々超えてくる災害の前に人々はもはや祈るしかなかった。


 その年も何日も雨が降り続いていた。雨止み祈願の儀式が行われることとなり、祈りを捧げる役には街一番の器量好しと謳われるエルザリータに白羽の矢が立った。

 水害は水竜が引き起こすもの、そう語り継がれてはいても竜は伝説上の生き物である。まさか儀式に()()が降臨するなど一体誰が想像しただろう。彼は供え物とエルザリータを引っ掴むと力強く舞い上がり、立ちこめる重苦しい雲の中に突っこんだ。

 どこをどう飛んだのかわからない。強風に煽られているかと思えば突然水の中をくぐり抜け、もはや生きた心地がしなかった。とにかく振り落とされることだけは勘弁と、エルザリータは夢中でしがみついていた。


 連れてこられたのは広い洞穴だった。隅に水の溜まった穴がひとつ。天井には幾つか穴が空いていて陽光が控えめに降り注いでいた。

 目の前にいるのは黒い蛇に似た()()()。頭に二対の角を持ち、背には皮膜に覆われた翼がある。これがあの、まことしやかに噂されてきた水竜というものなのか。とてつもなく大きなそれは圧倒的な存在感を放ってエルザリータの前に鎮座している。


「いいいんんうええええんんんああああ」


 鳴き声がぐあんぐあんと反響する。エルザリータは耳を塞いで小さく縮こまった。

 まさか本当に実在したなんて。しかもこんな間近で見ることになろうとは。

 竜が再び吠えた。恐怖に全身の毛が逆立つ。エルザリータは震える両手を胸の前で固く組み合わせてじっと耐えた。

 音が止み、そろそろと顔を上げれば鋭い青の双眸とぶつかった。ひっと息を呑む。エルザリータは座りこんだまま、力の入らない足でじりじりと後ずさった。ともすれば遠のきそうになる意識をどうにか繋ぎ止めながら。


「あ、雨、を、降らせないで……!」


 必死な叫びはそれが必死すぎたせいか、想像以上にか細かった。竜は微動だにしない。彼女はもう一度勇気をかき集めた。


「雨が、続くのは、困るんです! 街が、」

「おおああああええおおおおああいいいああああ」

「ま、街が、浸かってしまうし、作物も……!」

「いいええいいいいあああああ」

「作物が、だめに……」

「おおいいあああああああおおいいおおお」


 エルザリータは黙りこんだ。竜もぴたりと鳴くのをやめた。まるで合いの手か、それこそ会話でもしているようなタイミングで声が返ってくる。偶然だろうか。

 エルザリータがおもむろに首を傾げると水竜も同じように首をぐぐぐと真横に倒した。


「……わたしの、言葉、わかる……?」


 ゆっくりと、囁くように問いかけた。

 竜はかぱっと口を開いたがすぐに閉じ、しばらく思案げにしていたと思うと小さく口を開いた。


「あー、がー、ううー」


 耳を押さえなくても耐えられるほどの音量だった。紡がれた音も何か意味を持って訴えられたもののような雰囲気さえ感じられた。

 ――もしかして、意思の疎通を図れるのではないかしら。

 するりと忍びこんできたその考えにエルザリータはこくりと喉を鳴らす。


 それからひとりと一匹の奇妙な共同生活が始まった。

 竜は日がな一日のんびりと寝そべっていた。隅の水穴に飛びこむとしばらく帰ってこなかったが、後で聞いたところによれば穴の先がティエル湖に繋がっているらしい。そんなわけで時々のっそり出ていく他はエルザリータの一挙一動を物珍しそうに眺めていた。彼が洞穴内で食事らしい食事を摂るところはついぞ一度も見ることがなかった。

 始めこそ竜の胃の中に収まる危惧を抱いていたエルザリータだったがそれが杞憂に終わると次の気がかりは自らの食事である。幸い水の心配はなく、一緒に運ばれてきた供え物をちびちびと食い繋いでしのいだ。なんと竜自身が食料になりそうなものを取ってきたりもした。

 逃げることを全く考えなかったわけではない。けれど唯一の出入口を通っているときに竜と鉢合わせしないとは限らないし、なんと言ってもエルザリータには使命感があった。水竜が実在するとわかった以上、無闇に嵐を呼ばないよう自分こそが竜を説得しなければならないと。

 エルザリータの思った通り竜は賢く、人間の言葉をちゃんと理解し、会話もできた。あまりに無邪気で無頓着ではあったが望みはあった。


 その後救出に駆けつけた隣国の第四王子テオディールにエルザリータは()()()()()()

 一度は水竜を封じることに成功した王子だったがエルザリータ渾身の説得と交渉の末に渋々封印を解除する。水竜は住処(すみか)を他所に移し、エルザリータは街に連れ戻されて落着となった。彼女が大騒動の最中(さなか)に連れ去られてからおよそ二月後のことである。

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