3話:『前編』
「結婚式?」
放課後。下校途中の私に親友の、やや水色がかかったショートカットウルフヘアのマルコが話しかけてきた。
「そうなの。石田先生覚えている? 幼稚園の。先生、今度、結婚するんだって」
「へぇ…あの頼りない石田先生がね…」
そう言って、私は石田先生を思い出す。
石田先生は小学校の時、お世話になった男性教諭だ。メガネをかけた、そこそこイケメンで、優しくて真面目が取り柄の先生だったけど、とにかく、気弱で、「この人、本当に大丈夫なんだろうか」と、心配になる位の情けない先生だった。
「とてもじゃないけど、結婚なんてできるような人には見えなかったな」
「そう。その先生が今度結婚するのよ。で、私が呼ばれたってわけ」
「ちょっと待ってよ。なんでマルコが呼ばれてるの?」
「そりゃ、石田先生が私の近所に住んでいて、私の家族と家族ぐるみの付き合いをしているからに決まってるじゃん」
「あ、そう言えば確か、そんな設定だったな」
「設定って何よ」
そうそう。石田先生はマルコの近所に住んでいたんだっけ。で、彼女はよく、遊んでもらったり、勉強を教えてもらったりしてたんだった。
「ねぇ。一緒に石田先生の結婚式に行かない?」
「え? なんで?」
「なんでって、仮にも恩師の結婚式だよ? おまけにお呼ばれしてるんだから、一緒に行ってお祝いしようよ」
「まぁ、なんだかんだでお世話になったからね…でも、私、招待状貰ってないけど大丈夫かな?」
「大丈夫、大丈夫。連絡すればきっと、オッケー出してくれるって!」
まぁ、悪い先生じゃないし、マルコがそう言うなら行こうかな。
ここで自己紹介。私の名前は長谷川路加。皆からルカって呼ばれている中学二年生。それが私。
「どうしました? ルシファー」
「なぁに。まだマイナスエネルギーが足りないな、と思ってね」
玉座に座るはルシファーと呼ばれた悪魔のリーダーだ。十五歳の見た目をする、黒髪に黒のスーツ、赤い瞳に赤いネクタイをした美少年は、どす黒いクリスタルを見つめながら呟いて見せた。どうも、その顔は浮かない顔をしている。
それに話しかけたのはベリアルという悪魔だ。同じくスーツ姿の、メガネをかけた、スポーツ刈りの青年だ。手には分厚い法律書を持っている。
「確かに、前回、前々回とあまり集まりませんでしたからね」
「足りない~、足りない~」
のんびりとした口調でしゃべるのはレヴィアタンという悪魔だ。全長が十メートルはあろう、半透明の大蛇で、ドラゴンの頭蓋骨を被ってる。
「さて…次はどうやって集めようかな」
そう、ルシファーが呟いた時だった。
「私が行くわ」
と、美女が名乗りを上げた。彼女の名前はベルゼブブという悪魔だ。ウエーブがかかったロングヘアでかなりのグラマラスな体型をしており、茶色いシャツワンピースを黒いトレンチコートで身を包んでいる。
それに残った二人と一匹は顔を見合わせ、感嘆の声を上げた。
「珍しいな。君が自ら名乗りを上げるなんて」
「私も人間界を見てみたくなったのよ。今、どんな感じになっているのかな~って」
「なるほど」
とルシファー。
「良いだろう。行って色々見てくるといいさ。ついでに、マイナスエネルギーと、ルカの情報の獲得も頼む」
「そうね。せいぜい楽しんでくるわ」
ルシファーの言葉に、ベルゼブブは薄く笑って答えて見せた。
結婚式会場は喧騒が響いていた。
皆々、スーツにパーティドレスに身を包み、世間話や主役達の過去の話に花を咲かせている。
そんな中に、私は赤の、マルコは青のパーティドレス、マルコの両親は正装を着用して足を踏み入れていた。
「へぇ~、結婚式ってこんな感じなんだ」
「なかなか、こういうところには入れないからね」
私とマルコはがなかなかお目にかかれない光景に興味津々だった。
「それだけ、先生の人望あるってことだな」
「先生、皆に人気だったからね」
マルコの両親も優しい笑顔を向けた。
会場の中の一角、人の塊の中に色々な人達に挨拶をする今回の主役を見つけた。
「あ! 先生だ‼」
「ホントだ。行ってみよう」
そう言うと、二人は塊へと走っていく。
「石田せんせーい!」
私の声に気づいたスーツ姿の先生は驚きと感嘆の声を上げた。
「長谷川! 天日!」
先生は満面の笑顔を向ける。
「先生! お久しぶり~‼」
「純ちゃん、おめでとう~」
「いやぁ~ありがとう!」
純ちゃんというのは石田先生のマルコの呼び名だ。石田純一郎。それが先生の本名だ。
「純ちゃんもやっと春が来たね!」
「あはは」
「先生、本当におめでとう!」
「ありがとうな、皆!」
気弱な先生の照れ顔なんて初めて見た。
「ところで、どんな人なの? お嫁さんって」
「ちょっと、マルコ!」
マルコの突然の、それも、ややぶしつけな質問に私はちょっと焦る。
「えっと、だね…」
「純」
背後から声が聞こえた。振り向くと、そこにはロングヘアの、ドレスを着用した女性がいた。
「茉奈!」
「挨拶終わった?」
その会話から、どうやらこの人がもう一人の主役らしい。
「この人が?」
「そうだよ。鈴木茉奈さん。まぁ、今日で石田茉奈さんになるんだけどね」
と、石田先生。
「初めまして。石田先生の元生徒の、長谷川路加です」
「初めまして! 天日馬可です!」
挨拶する私達。
でーーあれ? 私は茉奈さんを見て妙な違和感を覚えた。デジャヴってやつだ。なんだろう、どこかでこの人見たことがあるような…
「ママ~」
そこにやって来たのは、パーティドレスを着た四歳くらいの女の子だ。そして、この子を見た時、デジャヴの正体がハッキリした。
「あっ! あの時の‼」
それに気づいた女の子も驚きの声を上げる。
「あ! あの時のお姉ちゃんだ‼」
そう、それはこの間、駅で迷子になっていたところを助けた女の子だ。と、いうことはーー
「あら? かなの事、知ってるの?」
茉奈さんが私の事を覗き込む。
「覚えていませんか? 私、先日、駅で迷子になっていたカナちゃんを助けたんですよ」
「う~ん…ごめんなさい、覚えていないわ」
「あらら…」
「なんだ、長谷川の知り合いか」
「純ちゃん…既婚者と…?」
「んな訳ないだろ…彼女はシングルマザーなんだ」
「ママ、これで二度目の結婚なんだよね」
「ええ」
そう言うと、茉奈さんとかなちゃんは困った感じの笑みを浮かべた。
確かに、今の世の中、彼女のような人は珍しくないよね。
「今度こそ、幸せになるんだもんね! ママ」
「こら、かな」
「パパも、ママを幸せにしてよね!」
「は、ははは…はぁ…」
無邪気なかなちゃんの発言に何故だろう、石田先生はやや、落ち込んだ様子を見せた。
何だろう、さっきまで元気だった石田先生がややしょぼくれて、昔の先生に戻ってしまった。
「それより…そろそろ時間だ」
「そうね。かな、行こうか」
「うん!」
そう言うと、三人はその場を後にした。
「シングルマザーか~、今の世の中、珍しくないよね」
「そうだよね。でも…今の、『幸せに』って…やっぱり、茉奈さん、過去に何かあったのかな?」
三人を見送るマルコに対し、私は首をかしげた。
私は妙にこの「幸せに」という単語がちょっと気になってしまった。その好奇心、否、不安が後に的中することになる。
「さて、と…何か楽しいことはないかしら」
そう言いながら、人間界に姿を現したベルゼブブは空中で滞空しながら足下をきょろきょろと見回していた。
そして、視線の一角、チャペルの存在に気づいた。
「ああ、嫌だ。こんな所にも“神”の建物があるのね…虫唾が走る。うん? あれは…人間共の結婚式か…」
そう、しばらく考えると、にんまりと笑って見せた。
「そうだわ。あの結婚式を滅茶苦茶にしてやろうじゃないの。そうすれば、人間共からマイナスエネルギーを思う存分、吸い取れるわ」
そう思いつくと、すぐさま、チャペルの方に飛んでいった。
「『幸せにしてよね』…か…荷が重いな…」
ここは控室。スーツ姿から白のタキシードに着替えた石田純一郎は、化粧台の前に座り、うなだれていた。
そこには先程までの幸せに満ちたが故の、しっかりとした自分から、昔の、情けなくて頼りない自分に一瞬で戻ってしまっていた。
重い。実に重い。プレッシャーに弱い自分にこの言葉は重すぎた。相手は一度、結婚に失敗していて、しかも、その原因が旦那さんお浮気が原因だという。確かに、自分はそれを知っていて彼女を選んだから、その点について「絶対に浮気だけはしない」という覚悟を持っていたのだ。そう、覚悟していた。だから、浮気についての心配は無い、ここだけは断言できるが、その他の、相手を幸せにできるのか、という確証については急に自信がなくなってしまった。
マリッジブルー。これは女性に多いことだが、男性でもなる時はなる。
それを乗り越えたはずなのに、この局面でぶり返すとは…
「ああ…変われたと思ったのに、まだ、自分は情けない男だったんだな…」
独り言のように純一郎は呟いた。
「僕に彼女を『幸せ』にすることができるのか…」
そう言った直後だった。
「無理に決まってるじゃない。こんな直前になってそんな気持ちになる男に」
突然、声が響いた。
「誰だ⁉」
純一郎が声のする方に振り向くと、そこには壁に背を預け、ニヤつくベルゼブブの姿があった。
当然、彼と彼女には面識はない。
「清々しい位の情けなさ…良いわね、あなた最高よ」
「なんだ、君はここは関係者以外は立ち入り禁止だぞ⁉」
「まぁ、そう、かっかしなーーん?」
ここで、ベルゼブブが何かに気づいた。聴覚のいい悪魔の耳が遠くからの足音を捉えたのだ。そして、その足音はこちらに近付いてくる。足音はどうやら女性と子供のもの…恐らくは。
「ふふっ。良いこと思いついた。よっと」
音の正体に気づくや否や、ベルゼブブは素早く黒のトレンチコートを脱ぎ捨て、純一郎に駆け寄ると、思い切り、部屋のドアが開くタイミングと重なるように抱き着き、来訪者に見せつけるように、自分ごと相手の身体を向けた。
「な、なにをーー」
「ーー純、まだーー」
ウエディングドレスに着替えた茉奈とかながドアを明けるや否や、目に飛び込んできたのは、ウェーブがかかったロングヘアの美女と抱き合う純一郎の姿だった。おまけに、ベルゼブブはキスをするかしないかの寸前の距離まで顔を近づけていたものだから、余計に誤解に拍車がかかった。
恐ろしい沈黙がその場を支配した。空気は一瞬で凍り付き、ベルゼブブ以外の三人の背筋を凍らせた。
茉奈とかなは絶句し、目の前の“夫”は美女と“妻”をせわしなく交互に見ていた。
「誰…その人…?」
絞り出すような茉奈の声。
「違う、これは違うんだ…」
金魚のように口をパクパクと動かしながらも、同じく絞り出すように言う純一郎。
それを見ながらニヤニヤするベルゼブブ。
最悪。ひたすらに最悪な状況だった。
時間にして数秒だったのだが、それは永遠に続くかのようにも思えた沈黙だった。
やがて…沈黙は、
「信じてたのに…信じてたのに‼」
茉奈の悲痛な叫びと共に打ち破られた。茉奈は叫ぶや否や、その場から走り去った。
「ママ!」
それに続き、かなも母の後を追う。
「待ってくれ! 茉奈‼ 茉奈‼」
走り去る“妻”と“娘”を追わんと、純一郎はベルゼブブを突き飛ばし、部屋から飛び出した。
「おっとっと…ふふ。付いてっちゃおーっと」
跳ね飛ばされたベルゼブブは素早く体勢を立て直すと、その場からふっと消え去った。
「そろそろ時間だね」
「そうだね。お父さんたちと合流ーーん? あれって…」
披露宴会場の外を回っていた私とマルコは、窓の外、視界の端から見えたその人物に気づいた。
それはウエディングドレスを着用した茉奈さんとかなちゃんだ。それに続くように、今度は白のタキシードを着用した石田先生が二人を追いかけて行く。庭を駆ける三人に他の参加者も気づいたようで、何事かと外に目を向けた。それを合図に、一人、また一人と外の三人に目を向ける。
やがて、逃げる新婦に追いついた新郎は、彼女の腕をつかむと、向き直らせた。そして、端から見てもわかる位の口論が始まる。何を言っているかはわからないが、あの様子から、ただ事ではない事が見て取れた。
「何かあったのかな?」
「行ってみよう!」
マルコに言われるがままに私は彼女と駆けだした。
「離して! 離してよ‼」
「誤解だ! 誤解なんだ! 茉奈‼」
泣きながら暴れる茉奈を無理矢理向き直らせると、あたふたあせりながら純一郎は叫んだ。こんな時に彼の気弱な焦りっぷりが露見しているもんだから、余計に事態は悪化をたどった。
「何が誤解よ! あんな美人と抱き合っておきながら! それも結婚式で‼」
「違うんだ茉奈! 僕はあんな女、知らないんだって‼」
彼女は彼女で事情が事情だけに、彼の焦りっぷりが余計に彼女の癪に触ることとなり、暴走に歯止めが利かなくなってきていた。
「僕が愛しているのは君だけだ! 信じてくれ‼」
「嘘つかないでよ! 言い訳なんて聞きたくない‼」
「ママ、ママ~」
かなに至ってはどうしたらいいかわからず、涙目になりながらあたふたしている。こんな修羅場に遭遇したら、大人だってどうしていいかわからないだろう。
「信じてたのに! 今度こそ裏切らないって信じてたのに‼ やっと『同じ苗字になれるね』って信じてたのに‼」
「本当なんだ! 僕は嘘なんてつかない! 僕が愛しているのは君だけなんだ‼」
「噓、嘘、嘘‼ 聞きたくない‼」
そう、茉奈がありったけの声で叫んだ直後だった。
「そうそう。男なんてみ~んな嘘つきなんだから」
突然、三人の間に割って入るようにベルゼブブが何もないところから姿を現した。その突然の出現に一瞬、三人はぎょっとした。
「あなたはさっきの…!」
「な、なんなんだおまえは⁉」
思わず叫ぶ純一郎と茉奈の事なぞお構いなしに、ベルゼブブは両手を二人に突きつけた。
「私? 私は悪魔よ‼
『心の闇よ、顕現せよ! 出でよ、レギオン‼』」
ベルゼブブがありったけの大声で叫ぶと同時に、彼女の両手から黒い光が放たれ、二人を包み込んだ。
「「うわああああああ(きゃああああああ)⁉」」
光を浴びた新郎と新婦は一瞬でその姿を変えた。
両者共に身長は五メートルはあろう、頭部が豚の豚人間になった。片方の豚人間は真っ白なタキシードを着用し、もう片方の豚人間は純白のウエディングドレスを着用していた。
そして、
「「レ~ギオ~ン‼」」
変わり果てた姿になった新郎と新婦、もとい、夫婦は、醜い姿をさらけ出すと、結婚式場全体に響き渡る大声で叫んだ。
-前半了-






