2話:『前編』
汚らしい食器の音が響いていた。バクバクと食事をするメシア君とガブリエルを見て、私たち家族は呆然とする。
「よ、よく食べるね…」
「あ、水おかわり」
軽く引く私を無視して、メシア君が当然のように、空になった食器を母に差し出した。
「は、はい…」
母はそれを受け取ると、水を取りに席を外した。
「…そもそもな話、あなた達、一体、何者なの?」
そう、がつがつと夕飯を食べるメシア君とガブリエルに、私は聞いた。何だろう、食べ方がちょっと汚い。
「もぐもぐ…言っただろう? 俺は神の息子だ。で、こっちの鳩が天使ガブリエル。それ以上でもそれ以下でもない。俺たちがここに来たのは、悪魔から人類を守るためさ」
「悪魔? 悪魔って、あの悪魔?」
「そうっぽ」
ここでガブリエルが口を挟んだ。
「悪魔…それは文字通り、人間を堕落させ、悪の道に引きずり込ませる生物っぽ」
「あ、奥さん、どうも。ごくごくごくっ。ぷは~っ……元は親父…つまりは神の分身として生まれた存在だったんだが、ある日突然、神に反旗を翻してな。堕落して悪魔の王、魔王サタンになって人間界を征服しようとしたんだ」
「「ふぃ~、食った食った」」
食事を終えたメシア君とガブリエルが満足そうに呟いた。そして、解説が再開される。
「十五年前、突如として人間界に現れた悪魔達は、自分達の理想郷を人間界に作るために動き始めたっぽ。それに神様は激怒。で、僕達天使と人類を巻き込んで戦争を始めたっぽ」
「最初は悪魔達が優勢だったんだが、サタンの腹心が裏切ったことにより、状況は逆転。見事に、サタンを封じることができた。その裏切つた悪魔こそが…
おまえの親父、パウロだ」
メシアが真剣な眼差しで父を見た。
「お父さんが…?」
メシアの告白に、ちょうど、全員分の食後の紅茶を持ってきたパウロが無言で全員分を配り終え、席に着いた。
「…すまない、黙っているつもりだったんだ」
「でも、どうして…?」
ルカの疑問に対し、パウロが答えた。
「大事な家族を巻き込みたくなかった。それに、戦いは終わったものと思っていたんだ。だから、人間として生きる選択をした。話す必要もなかった。そう、判断したんだ…」
パウロは無言で紅茶のカップを握りしめ、中の紅茶を見つめていた。
メシアが紅茶をすすりながら口を開く。
「一体、なんであいつらが復活したかは俺にもわからん。だが、復活した以上は、あいつらを倒すか、また封印しなけりゃならない。その為に俺らは遣わされたんだ」
「な、るほど…」
ルカが納得する。
「悪魔を退治できる戦士はパウロしかいない。そう思って、手を借りに来たんだが、さっき、親父に聞いたところ、もう、おまえ(パウロ)は力が弱くなってて戦えないってことを聞かされてな」
「どうしようかと思ってた矢先、ルカが変身して、レギオンを倒しったっぽ。ルカがいれば何とかなるってことが分かったっぽ」
「恐らくは、パウロの血だろうな。だから、変身できたんだろ。ペンテコステは普通の人間の気持ちには反応しないからな。と、いう訳でーー」
「「ーー頼む。俺らに力を欲しい(っぽ)」」
ここでメシアとガブリエルが今までとは違う、真剣なまなざしで私達親子を見た。
それに対し、父と母は何とも言えない表情になる。
それは当然、私もだった。
「そんな。いきなり現れて、いきなり力を貸せって言われても…」
思わず伏し目がちになる私。それに対し、メシア君は真剣な表情を崩さず、畳みかけた。
「ルカ。おまえだってあの豚の化け物共を見ただろう。悪魔(奴等)を野放しにしていたら、それこそ大変なことになる」
「そうっぽ。無論、僕達も手伝うっぽ。だから、一緒に戦ってほしいっぽ」
「でも…」
逡巡する私に耐えかねたのか、父が切り出した。
「メシア様、ルカの代わりに俺が戦います。だから、娘を巻き込まないでくれませんか?」
「お父さん!」
「あなた!」
「おいおい…さっきまで戦えないって自分から言ってたじゃないか」
「それは……しかし! しかし、このまま娘が危険な目に合うのは…」
「う~ん…」
沈黙。腕を組み、目を瞑るメシア君とガブリエル。彼等もまた、どうしたらいいかわからないようだった。それは私達親子もそうだった。針の筵、とまではいかないが、重苦しい、泥のような暗い空気が流れた。
そして、その空気は唐突に破られた。
「……よし、わかった。明日、親父に掛け合ってみる」
それにガブリエルがびっくりした。
「ちょ、メシア様‼」
「仕方がないだろ。無理矢理過ぎるのも目覚めが悪い。おまけにこっちは飯まで喰わせてもらったんだ」
「しかし…」
「最悪、俺、一人で何とかする。悪魔共は最終的には俺の力じゃないと倒せないからな」
「メシア様…」
「ってな訳でだ。とりあえず、この話は保留だ。明日、いい返事が来るのを祈っててくれ」
「はい…」
父が安堵の声を上げた。
しかし、それはあくまでも期待を込めた上での安堵だ。これから先、どう転ぶかはわからない以上、安心はできそうになかった。
それは私も同じで、怖い気持ちの方が少し強めだった。
パチン、と、指を鳴らす音が響いた。すると、夜の街の空に突如として、巨大、とまではいかないものの、大きな“城”が出現した。“城”はゆっくりと地上目掛けて降下し、ズシン、と大きな音を立て、その姿を地につけ、そびえたった。
その城の中は玉座の間でルシファー以外の悪魔達が感嘆の声を上げた。
「あら~、結構、いい感じじゃない。ここが私達の“お城”なのね」
「高貴な我々にはぴったりの“城”ですね」
「良い~、良い~」
ベルゼブブ、ベリアル、レヴィアタンは上機嫌だ。
「さて、と。どうしよっか」
その玉座に座るのは悪魔のリーダー、ルシファーだ。彼もまた上機嫌らしく、笑顔を貼り付けていた。
「どうするも何も、人間共をレギオンにして、マイナスエネルギーを吸い取るのが先決よ」
「そう~そう~」
ベルゼブブとレヴィアタンが口を揃える。
「それもそうか…早速、行動に移しちゃおうか。しっかし、メシアはともかく、ルカって奴が気になるな…」
「なにせ、レギオンをパンチ一発で吹っ飛ばすくらいだもの。確かに脅威ね。邪魔者はとっとと潰すに限るが、何分、情報が足りなさすぎるわ」
「何処に住んでいるのかもわかりませんしね…」
ベルゼブブとベリアルが冷静ながらも苛立ちを含む声で呟いた。
「とりあえず、人間をレギオンにしつつ、あのルカの事を調べよう。何処に住んでいて、何をしているのか…わかり次第、叩く」
「「「わかった」」」
「では、まずは誰が行くか、だが…言い出しっぺである僕が行こう」
ここでルシファー名乗りを上げた。
「…大丈夫ですか? ルシファー」
ベリアルが怪訝そうに聞く。
「なぁに。人間界がどうなっているのかちょいと気になってね。単なる散歩だよ」
ここで、ルシファーは腰を上げた。
「それに、もしかしたら、あのルカにも会えるかもしれない、からね…」
「へぇ~、ここが人間の家か~」
私服ーー赤のテーラードジャケット、白のシャツ、細身のビンテージズボンに茶色の革靴姿に戻ったメシア…君、って呼べばいいのかな? とにかく、メシア君は私の家につくなり、珍し気に家の中をじろじろ眺めていた。
何処にでもある一般家庭の、一軒家のうちの一つだと思うが、そんなに珍しがるっていう事は、やはり、“普通”じゃないのかもしれない。
ガブリエルが言う。すると、メシアは信じられない発言をした。
「メシア様! あまり人様の家をじろじろと眺めては…」
「いいじゃないか。
しばらく、この家に住むんだから」
「「えっ…?」」
私と父の声が重なった。
「え、それってどういう…」
耳を疑った発言に対し、思わず呟くと、メシア君はキョトンとした表情でこちらを見た。
「どうもこうも、親父が言ったんだ。『悪魔共を対峙するまでパウロの家に泊めてもらえ』って」
「「え…えぇぇぇぇぇぇ⁉」」
素っ頓狂な声を上げる私とお父さん。
「なによそれ⁉」
「そうですよ‼ 神様は何も言っていませんでしたよ⁉」
お父さん、いつからメシア君に敬語を使うように…?
「何だって? 本当に何も聞かされていないのか?
おい、親父、どうなっている⁉」
メシア君は気でも触れたのか、突然、天井を見上げ、大声で叫んだ。するとーー
「すまない…後で伝えるつもりだったのだが…」
突然、中性的な声が家中に木霊した。
「「え、え⁉」」
びっくりする私とお父さん。
「何々、何なの? 声が聞こえてくる⁉」
「神様‼」
すると、こっちも気が触れたのか、父もまた、天井見上げて声を上げた。
「ちょ、お父さん⁉」
「パウロよ…」
「うわぁっ! また聞こえてきたぁ⁉」
「突然、押しかけるような形になってしまったのは本当に申し訳ない。だが、事は一刻を争う。その為にはメシアの力が不可欠だ。だから、どうか、しばらく泊めてやってはくれないだろうか?」
いきなりの無理難題だった。それに当然、父は焦りに満ちた顔になる。
「そんな、あまりにいきなりすぎます‼ こちらとしても色々準備がーー」
「ーー代わりに、毎日、恵みを与えてやろう。金と資源、どちらがいい? それとも両方か?」
「ですから、そういう問題ではなくてーー」
ここまで言った瞬間、いきなり、神の声が冷ややかになった。
「パウロ、聖書にはなんて書いてある?」
その発言に、何故か、父はドキリとした。
「た、『旅人をもてなせ』、と書いてあります」
「そう、『そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使をもてなした』とも書いてある。そういうことで、息子と使者をもてなせ」
「しかし、彼等は旅人でもなーー」
「ーーいいから、もてなせ」
「……はい」
いきなりぴしゃりと言い切った神様に対し、がっくりとする父。何なのかはわからないが、言い負かされたようだ。
と、ここで、今度は私に、その声、神様の声が聞こえてきた。
「ルカよ」
「え、あ、はい」
「先程の戦いを見ていたぞ。実にあっぱれな戦いだった」
「は、はぁ…」
「これからも、息子のことをよろしく頼む。では、な」
「え、ちょっと‼」
そこで声は途絶えた。どうやら神様との通信が途絶えたらしい。
呆然とする私達にメシア君はにっと、笑い返した。
「そういうことだ。よろしく」
前編-了-