2.夕暮れ迷宮の包丁さん 2
「それじゃあ、メンバーも揃ったことだし、今日のミーティングを始めよう」
とはいっても、月に一度の顔合わせがメインだけどね。と部長が話を進めていく。
話の内容はいつもとほとんど変わらない。
先月の活動内容。今月の活動目標。
期末考査中とその一週間前は部活がないこと。「暑くなってくるから体調に気をつけてね」という他愛のない話。
それから。
「ああそうだ。最近学校内でちょっと危ない話を聞くから、気をつけてね」
ノートをめくりながら部長がそんなことを言った。
「危ない話って?」
どんなのですか先輩、と手を挙げたのは2年生の蛇ヶ谷先輩だ。赤みがかった茶色の髪の先が、首をかしげた拍子にパーカーのフードにかかる。
部長はええと、と話しかけて。難しい顔をした。
「最近、校内で怪我が多いらしいんだ」
「怪我かあ」
「それも、どうやら刃物での怪我らしいんだけど、詳細がよくわからなくて」
「ああ。それ、保健室で見たことあるな」
ため息をつくように声をあげたのは、3年生の草部先輩。
オレンジフレームのメガネの奥で、眠そうにも見える垂れた灰色の目が何かを思い返すように上を向いていた。
「保険委員の当番してる時に来たことがあった。腕を結構ざっくりやってたのに、怪我した本人はよく覚えてないって言ってたのが不思議でさ」
「そう、そういうの」
部長はノートに今の話を書き込みながら、憂いたような顔をする。
「目撃者はいないし、怪我した本人もその状況を覚えていないらしい。……原因もわからないのに気をつけて、っていうのも難しいと思うけど、みんな気をつけるようにね」
全員が頷いていると、「それから」と部長が言葉を繋いだ。
「もし、関係ありそうな文献とか、噂とか。そういうのを聞いたらちょっとしたのでもいいから俺に教えて」
□ ■ □
気をつけろ、と言われても何に気をつけたらいいのかわからないまま、一週間ほどが過ぎた。
学校内では期末考査の準備に追われている人が多い。
部活動も来週から休み期間に入る。気の早い人は放課後の教室で勉強会をしたり、図書室で勉強に励んだりして。
各々が来たるべき数日間を見据えている。
そんな校内だけど、意識を向けてみると怪我の話は意外と耳に入ってくる。
とはいえ、どう気をつけたらいいのかわからない話ばっかりだった。
「やあ。今日もここにいた」
今日も今日とて読書をしていると、榎津がひょこりと現れた。
夏用の長袖セーラーに編み上げブーツ。だから先生に見つかっても知らないぞ、とその格好から目を逸らして文庫本に戻す。
「……部活はどうしたの」
「ちゃんと顔は出してきたさ」
その格好で? と思ったが、それ以上何も言わずに「そう」とだけ相槌を打って文面を追う。
「期末考査の準備はどうだい?」
「それなりに」
適当に答える。相手は学年どころか住む世界が微妙に違う。試験なんて関係ないであろう彼女に対して、これ以上広げる話でもない。
向こうも「天気がいいね」程度の話だったのだろう。それ以上何も言わず、僕の隣にぽすんと腰掛けて次の話題を振ってきた。
「そういえば先日の部活で話してたアレだが」
「……ん? ああ、あれ」
ページをめくる。
「話は耳に入ってくるけど、どう気をつけろっていうのか……」
そもそも何の関係があるのかも分からない。
だが、彼女はそんなこと疑問に感じていないらしい。
「ほうほう。いったいどんな話を聞いたんだい?」
先輩に話してみなよ、と彼女は文庫本を袖で押さえてきた。
視線を上げると、彼女はにこりと笑う。
「……はいはい」
僕は読書を諦めて、本を閉じた。
「僕が耳にした限りだけど」
と、話してみたけれど、集めた情報はそんなに多くない。
学校内で怪我人が出ているのは確からしい。クラスの保健委員も言っていた。
詳しい話もそれとなく聞いていたけど、なんとも要領を得ない。
曰く。
気付けば校内が薄暗くなっていて、何か――大体は「黒い影」と言う認識だ――から逃げている。
でも、覚えているのはそれだけで、気付いたら景色は普通に戻っていて、怪我をしている。詳細は思い出せない。
放課後、とあるおまじないをすると「鬼ごっこ」が始まる、というのもあった。黒い影に追いかけられて、捕まったらアウトらしい。
「くらいかなあ」
「ふむ」
「まあ、噂だよね」
「人の話だからな」
彼女は踵を階段の角にこつんと当てて、考える仕草を見せる。
「それじゃあ、私が手に入れた話も披露しよう」
「うん」
そんな彼女の話をまとめると。
生徒を切りつける謎の存在は、包丁を持っていて。放課後、生徒を異空間に連れ込む。
そこに連れ込まれたらある物を見つけないといけない。見つけたら逃げられる。
連れ込まれる人には条件があるようなのだが、今の所人それぞれで、これという確定情報はない。
「ある物、って?」
「さあ、その空間に迷い込んだら分かるらしいが、そこを抜け出すと覚えていないらしいと聞くよ」
「……まるで怪談だね」
「まあ、実際そうだろうな」
さらっと彼女は僕の安直な感想を肯定した。
僕の知る学校の怪談筆頭である榎津がこうもはっきり肯定するんだ。きっとそうなんだろう。思わず眉が寄る。
けど。
「……これ以上怪談に付き合うのはごめんなんだけど」
「あっはっは、何を今更言ってるんだい」
彼女はぱたぱたと袖を振って僕の言葉を笑い飛ばした。
「君はもう、後戻りできないところに居るんだって自覚を持つべきだね」
「ええ……」
表情が顔に出たのだろう。彼女はにやりと笑った。
「君にはその自覚が足りないな」
「そんな自覚いらない……」
「まあまあそう言わずに。と、いうわけで話を戻そう。その包丁を持って追いかけてくる人、なんだが」
条件がわからないんだ。と言いながら彼女は天井を見上げてため息をつく。
「正しくは、その空間に行くための条件、だな。それが分かれば回避のしようもあるし、先手を打つこともできる」
「条件、ねえ……」
話を総合して考えてみるけれど、まあ、これだけで何かが分かる訳もなかった。
「もう少し情報が必要なのかもね」
「そうだな。他の部員も何か見つけてるだろうか……」
「さあ」
僕の返事に彼女は口を尖らせる。
「もっと真面目に考えたまえよ。これは生徒の――ひいては学校の危機なんだよ?」
「危機、って言われても……僕に何かできると思ってるの?」
「思ってるから言ってるのさ」
彼女は当たり前だ、と頷いた。
「アレをアテにしてるって言うんなら、その考えは正した方がいいよ」
アレ、とは僕が持っているお守りのことだ。
先日彼女を助けた時、どうしようもなくて使った透明な刀。
けれども、あれはそうちょくちょく使えるもんじゃない。
ただでさえ前回の後遺症が残ってるんだ。だいぶ薄れてはきたけれど、まだまだ「見えて」しまうこの状況はさっさと抜け出したかった。
「いや、それは別に」
「へえ?」
その答えは少し意外だった。
でも、彼女はそれが当たり前だろう? と首を傾げた。
「気が進まないような物を私が無理に「使え」って言ったところで、十全の結果が出る訳じゃあないだろう?」
「理解が早くて何よりだよ。それじゃあ、君は僕に何を期待してるのさ」
僕の質問に彼女は「そうだな」と少し考える素振りを見せて。
「部員としての自覚」
ぴし、と人差し指を立ててそう言った。
「ええ……」
「と、言うわけで」
どういう訳だ、と言う僕の視線の前で彼女の人差し指が前後に揺れる。
「これから先も情報収集は続行。別に部活に顔を出せとは言わないけどさ、時々私が話を聞きにくるからサボらないようにしたまえよ?」
彼女のにっこりとした笑顔は、なんというか、有無を言わせないもので。
「――はいはい」
僕はため息交じりに頷くしかなかった。