1.屋上の怪 2
僕の沈黙を彼女は驚きか何かだと取ったのだろう。「冗談じゃないよ」と彼女は言った。
「まあ、高校生にもなってそんな話、信じられないかもしれないけど。残念ながら本当さ。学校や生徒に良くも悪くも影響を与えるモノが居る。ああ、基本的にはみんな平和に暮らしてるよ。でもね。たまに居るんだ。生徒に危害を与えるようなの」
その都度なんとかしてはいるんだけど、と彼女は説明を加える。
それはまるで、新入生への学校案内だ。
いや、新入生が知らない情報を伝える、と言う点では合っているのかもしれないけど。そうじゃない。
次元が違う話をされている。
「だから、君の霊感がないというのは正直なところ嘘か思い込みだと思ってるんだが?」
「そう」
素っ気ない返事をしたけれど、まあ、ある意味では正解だった。
霊感は全くなかった。零感、なんて例えられる事もあるが、その言葉通りだ。そんなの、無縁の生活だったんだ。ああそうさ。過去形だ。
彼女は僕の答えにそれ以上の追求はしなかった。
僕から「それで?」と話の続きを促すと、うん、と頷いた。
「そうだな。私の話をもう少しだけ聞いてもらおう。そんな私は……金曜日が怖くてね」
「週末が?」
「いや。金曜日が、さ」
金曜日が怖いのだ、と彼女は曜日を強調する。
何かあるのか。と僕は聞くが、彼女は余程辛いのか俯いて口を噤みかけ。ううん、と首を横に振った。
「いや、ここで口を閉ざしたら、きっと何も変わらないや」
ぽつりと彼女は言う。
「君はずっとここに居たね」
「うん」
「何かおかしなことはあったかい?」
「? ……いや、何も」
首を横に振ると「そうか」と彼女は頷いた。
「君が何も見てないならそれでいい。できれば今後も見ないことを願うよ」
「……どういうこと?」
「ここには、良くないモノが居てさ」
自分はそれに捕われているんだ、と。彼女はドアに視線を送る。
「毎週金曜日、私は扉の向こうに行くことになってる。それに会う事になっている。集合時間は4時44分から15分間。それを過ぎたらまた来週」
「ふうん……? それが辛いんなら、今週もすっぽかせばいいのに」
そうはいかないんだよ、と彼女は右腕を軽くさする。視線が時折ドアの方を向く。
なんだか落ち着かない様子だけど、言葉は静かだった。
「それじゃあ、学校が大変なことになっちゃうから」
「……?」
どういうこと、と聞くと。彼女は少しだけ考えてぽつりと言った。
「最近、クラスの皆は元気かい?」
「疲れてる人が多いかな。体育祭の練習キツいし。暑いし」
「体育祭は大変だからな。怪我や病気も多いだろう。不意の事故もあるだろう」
「ああ、言われたらそうかも。昨日は突風で看板が倒れてきたりした」
「そう。そういうのだ。それが偶然じゃない。別の理由だとしたらどうする?」
別の理由。
その言葉に出かけた言葉をぐっと飲み込んで、僕は首を横に振る。
「いや、別の理由であっても、僕がここを離れる理由にはならないと思うんだけど」
「そこはほら。――ええと。乙女心ってやつさ?」
分からない。というのが顔に出た。
彼女はにこりと笑って目を伏せた。
「よし、ちょっと回り道をしたからいけそうな気がする。大事なことだ。一度しか言わないからしっかり聞いておくれ」
「うん」
「私、そろそろ死にたいんだよ」
「は?」
一呼吸で告げられた告白に、僕の思考が止まりかけた。
もしかして屋上から身を投げるつもりだったのか。でも、僕が居ると屋上に行けないと。そう言う訳だったのか? 僕をここから追い出したがっていた理由はそれだったのか?
いや。しかし。しかしだ。
学校の怪談と自称した彼女は、命を絶つことなんてできるのか?
ぐるぐると考える僕をよそに、彼女の言葉は続く。
「この屋上には■■■が居る」
ノイズのような音がして、良く聞き取れなかった。この間の夕方と同じような音だ、と思った。
あの時は放送のノイズか何かだと思ったけど、違ったらしい。
何? と聞き返すと、「聞こえないならそのままが良い」と首を横に振られた。
どう返事をしたらいいのか分からない僕に、彼女は目を細めてへらりと笑ってみせた。好奇心に溢れていると思ってた目の色は、無理して笑っているように見えた。さっき右腕をさすっていた手は、ぎゅっと袖を握りしめている。
「さっき少し話した、良くないモノさ。■■■は毎週金曜に遊び相手を求めるんだ。私が相手をするから、それで学校を荒らさないって約束をしてくれる」
「荒らすって……」
「言っただろう? 不慮の事故とか、学校全体が暗い雰囲気になるとか。そんなのさ」
「そういうのって、鎮めたり退治したりできないものなの?」
「できるなら――とうの昔にやってるよ」
冷たく低い声に、僕の言葉が喉に詰まった。
彼女はすぐに「ああ、ごめん」と謝ったけど、その声は小さかった。
屋上に繋がる踊り場は薄暗い。気温も高い日が続いているというのに、まだ肌寒いような気がした。
「ちょっと事情があってね。それは難しいんだ。だから毎週遊ぶことで許してもらってるんだが……君のおかげでもう1ヶ月も放置してしまった。……1ヶ月か。相当怒ってそうだな」
「事情って?」
「君には、関係ないことさ」
「そう。じゃあ、聞かないけど。君が遊ぶとその怒りっていうのは収まるの?」
多分ね、と肯定された。
「でも、君はそれが辛い?」
「まあ……あんまり気が進むもんじゃ、ないかな」
あはは、と腕を触りながら彼女は笑う。
どうして笑うのかちっとも分からなかったけど。きっと彼女なりの強がりなのだろう。
「それじゃあ。なんで“遊び”にいくの?」
「そうだな……」
彼女は少しだけ答えを探すように視線を逸らして。
「私が、この学校で“遊んでいたい”から、かな」
屋上の薄暗さに溶けてしまいそうな儚い顔で、彼女は言った。
それは。自分の願い事が叶わないと知っているような、諦めきった笑顔だった。
「そう。――じゃあ、代わりに僕が行く、って言ったら?」
「……へ?」
僕の提案に、彼女の動きがぴたりと止まった。
彼女は不思議そうな顔で僕を見ている。
その目は「何を言ってるんだ」と言っている。ああ、僕だってそう思ってる。
「いやいやいや、何を言ってるんだい。君を巻き込むわけにはいかないって話だろう!?」
我に返った彼女は慌てて僕を止め始めた。
僕はそれをじっと見返して溜息をつく。
「これで巻き込まれてないとかどうして考えられるかな? それに、1ヶ月放置したのは僕のせいだ。違う?」
「う。いや。そこは」
違わないけど、と彼女はもごもごと言葉を濁す。
「だったらそのくらいは僕が責任取るよ」
「いや、そもそも世界が違うって話だよ!? だ、大体っ、君は知らないからそんな事言えるんだ!」
一通り叫んだ彼女は袖をぎゅっと押さえて。しばらく躊躇った後、僕に向けて腕を差し出した。
なんだろう、と視線を落とした僕に対し、口を僅かに曲げた彼女は不本意そうな表情を隠しもせず袖に手をかける。
「これは最後の手段だからあんまり使いたくなかったんだけど」
「?」
「まあ、……うん。良いから見て欲しい」
ぐっとブラウスの袖が捲られる。
そこにあったのは細い腕だった。
元は色白だったのだろう、というのは指先からなんとなく予想がついた。けれども、その腕にあるのは包帯で。それでも隠しきれない傷と痣が見えた。
大分治ってはいるようだけど、それでも傷があったことは分かる位ひどいものだ。
痛々しい。そんな言葉しか出てこないほど、傷だらけの腕だった。