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龍虎競食

作者: 武石勝義

 晩秋の、暮れなずむ夕陽に照らし出されて、校舎が茜色の日差しに染め上げられている。


 文芸部の活動の場としてあてがわれている一階の視聴覚準備室からは、赤や黄色の落ち葉に埋め尽くされた中庭が、窓越しに窺えた。徐々に樹形があらわになるけやきの木を目にすると、いよいよ冬の訪れも近いと実感する。


「恋の、季節だな」


 ……また花田はなだが、唐突に訳のわからないことを呟いている。


「ひらひらと舞い落ちる枯れ葉は、生まれながらに寂しん坊な人間の本質をざわめかせる。クリスマスまで一月を切ったことだし、これから人々は、互いに寄り添える相手を捜し求めるんだ」

「相変わらず脈絡もない。普段は女なんて眼中にないみたいな振りしてるくせに」

「それは誤解だぞ、石田いしだ。古今東西、色恋は物語の永遠のテーマだ。文学少年たろうというこの俺が、恋のひとつや二つ、語れずしてどうする」


 そう言って花田は、黒縁眼鏡にかかる程度のサラサラヘアを、そっとした手つきで掻き上げた。なまじ造作の整った顔立ちでそんな仕草を見せると、やけに絵になるところが腹立たしい。


「ふうん。てことは、花田には誰か気になる女子でもいるのか」


 僕がノートパソコンから顔を上げて尋ねると、花田は額に指先を当て、瞼を伏せた。


「それが残念ながら、まだそういう相手には出会えていない。どうやら俺の運命の相手は、よほど恥ずかしがりの照れ屋らしい」


 長い睫毛を震わせて、眉間をひそめる花田は、さすがに芝居がかり過ぎて胡散臭い。


 というか気持ち悪い。


 黙っていれば見目は良いのだから、異性からの人気も出るはずなのに。入学当初は高値のついた花田株は、日を追うごとに最安値を更新し続けている。


「でもまあ、あれか」


 僕はふと思い出して、それをそのまま口にした。


「花田には川島かわしまがいるもんな。あんな可愛い幼馴染みが近くにいたら、目が肥えるのも仕方ないか」


 こっちは彼女いない歴イコール年齢どころか、ろくに女子と縁のない人生を送ってきたというのに。まったく理不尽にもほどがある。


 そういうつもりでため息をついた僕に、花田は険しい顔を見せた。


「待て、待て。お前の言う可愛い幼馴染みってのは、トラのことか? なんてことだ、石田までトラの外見に騙されてしまうとは、嘆かわしい!」

「いや、知らんよ。俺はそもそもクラス違うから、遠目に見たことしかないし。でもそんな裏があるようには見えなかったけどなあ」

「それこそトラの術中に嵌まっている! あれは見た目やら外面そとづらにステータスを全振りした代わりに、中身は最低最悪だ」


 花田はよほどトラ――川島のことを毛嫌いしているらしい。しかし僕の知る川島といえば、男女問わずに人気のある快活な女子という噂を聞くぐらいだ。そして何度か擦れ違う程度に見かけた彼女は、ストレートの長い黒髪とくりくりとした大きな目が目立つ、確かに人目を引く美少女といえた。


 そういう陽の当たる場所を堂々と歩いてきたような美少女は、花田のような残念イケメンとは相性が悪いのだろうか。


「ところでその、トラってなんだよ。川島の名前にトラの字なんて入ってたか」


 川島の下の名前は、確か望子みこというはずだ。多少捻った読み方ではあるが、何処にもトラの要素は見当たらない。


「何を言う。これは奴の父親から直に聞き出した、あの女の由緒正しい綽名だ」


 綽名に由緒もへったくれもないと思うが、なぜか花田は得意げに語り出した。こうなるとこの男の話は長い。


「トラの本名の望子だけどな。奴は『望まれた生まれた子』って意味だとかなんとかほざいてるが、とんでもない。実際には奴の父親の深慮遠謀に基づいて名付けられた、計算された名前なんだ」

「子供の名付けに、そんな深慮遠謀が必要なのか」

「必要さ! なぜならトラの父親は大阪の出身なんだ。大阪と言えば、阪神タイガースファンにあらずんば人に非ずとも言われ、ホームグラウンドの甲子園は高校野球の聖地を兼ねる、西の野球ファンのメッカだ」


 なぜならという言葉の後に続く内容も大概おかしいが、何より「甲子園は兵庫県だろう」と突っ込まざるを得ない。しかし花田は僕の台詞などまるで耳に入らない素振りで、両手を広げたり天を仰いだりとオーバーアクションを加速させる。


「そしてトラの父親もまた生粋の阪神ファン。そんな彼が子供の名前に阪神タイガースへの想いを託したいという誘惑に抗えようか! 阪神タイガース絡みの名前の代表的な漢字といえば、タイガーを意味する『虎』だ。しかし彼にも、娘の名前に『虎』という字を使わないだけの理性はあった。でも阪神タイガースにちなんだ名前をつけたい。苦悩した彼は考えて考えて、そしてついに閃いた!」


 ついに花田は席から立ち上がり、その目は僕の顔すら通り越して、窓の向こうの中庭にそびえる欅の木に向けられている。無駄に通りの良い声は狭い室内によく響く。


 だから花田の後ろで、視聴覚準備室の引き戸がそろそろと音もなく開きかけることに気がついたのは、僕だけだった。


「阪神ファンの心意気を表す言葉に『猛虎魂』がある。この『もうこ』という読みを娘の名前に埋め込むことは出来まいか。そして奴の父親がついに考え出した名前が、『望子』という名前なのさ。『望む』は音読みで『モウ』とも読める。つまり『望子』という名は、阪神タイガースファンにとっての金言である『猛虎』を意味しゲフッ!!」


 花田は最後まで台詞を言い終えることが出来ず、まるで潰れた蛙のような呻き声と共にその場に崩れ落ちた。


 床にへたり込んだ花田の後ろから現れたのは誰あろう。美しい黒髪を翻し、くりくりとした大きな目には冷ややかな眼差しを浮かべた、川島望子その人であった。


 彼女の両手には、たった今花田の脳天に振り下ろされたばかりのデイパックが抱えられている。あの中には教科書やらノートやらが詰め込まれているのだとしたら、花田が受けたダメージは生半可ではない。


「おとなしく聞いてれば、よくもまあそんな口から出任せをペラペラと。本当にこいつは息をするように出鱈目ばかり、この! この!」


 静かな怒りを湛えた美少女が、さらに何度も花田をデイパックで叩きつける様には鬼気迫るものがある。僕はしばらく彼女の迫力に気圧されて口もきけなかったが、やがて花田の手が机の上まで助けを求めるように伸ばされるのを見て、ようやく我に返った。


「ああ、川島さん。どう考えても全面的に花田が悪いけど、そこら辺にしてあげてくれないか。部活中に死人が出たら文芸部が廃部になってしまうし、君もこんな奴のために罪を犯すのは不本意だろう」


 冷静を務めた僕の説得が聞き入れられたのか、川島は無言で睨み返してきたものの、それ以上デイパックを振るうことを止めた。


「……そうね。こいつのせいで私の経歴に傷がつくなんて、それこそ許せない。止めてくれてありがとう」

「どういたしまして。でもどうしてここへ? まさか文芸部に入部希望ってわけでもないだろうし」

「ああ、それは」


 そう言って彼女は背後を振り返る。そこにはドアの陰に隠れて室内を伺う、女子生徒の姿があった。


「友達がどうしてもリュウを紹介してほしいって言うから、仕方なく来たんだけど。こんな奴だけど、どうする?」


 川島の言葉の後半は、ドアの陰の女子生徒に向けられたものだった。おとなしめに見える女子は、そう尋ねられて無言でぶんぶんと首を振っている。すると川島は大袈裟に肩をすくめてから、僕に顔を向けた。


「どうやらもういいみたい。お邪魔しました」

「ああ、いや。こちらこそお構いも出来ませんで」


 なんだか馬鹿丁寧な言葉が口を突いて出てしまったのは、僕も川島を前にして緊張してしまっていたからかもしれない。だって仕方ないだろう。繰り返すことでもないけれど、生まれたこの方、女友達なんていたこともないんだから。


 僕の返事がよほどおかしかったのか、川島はくすりと笑った。ようやくお披露目された美少女の笑顔を残して、そのまま彼女は友人と連れだって去って行く。


 後に残されたのはなんとなく佇むしかない僕と、机の上に這い出して息も絶え絶えな花田の二人。


「……見ただろう、石田。あいつはいつも俺のことを目の敵にしている。まったく凶暴な女だ」


 川島が花田に対して凶暴なのは完全に花田の自業自得とわかったから、憎々しげに語る花田には少しも共感できない。そんなことよりも僕は、彼にひとつ確かめることがあった。


「花田、お前、下の名前はリュウっていうんだな」

「何を今さら言ってるんだ。俺の名前は『流れる』の『りゅう』だ。花田(りゅう)の名前を、ちゃんと覚えておけ」


 花田流と川島望子の間柄が『龍虎の争い』と噂されるほど有名だということを僕が知るのは、もう少し後のことである。


(了)

 






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