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第九話 感謝の祈り

PCとNPCとモンスターと環境生物。

それだけで構成された世界が他の世界から見た時に如何に歪に見えるものなのか、異世界に迷い込んだアバター達はまだ知らない。


続・冒険譚~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~

「やぁ、これは酷い。」


 東風さんは池に写る自分の顔を見て言った。

 手で髪を整えようとするが、東風さんは指が太すぎてうまくいかないようだ。


「せめて鏡があれば便利なんですが、あとでクラフトルームで製作しておきましょうか。」


「鏡も制作できるんですか?」


 東風さんの言葉は本当だろうか、鏡はガラス職人しか作成できないと聞いていたのだが。


「大抵の物は製作できるぞ。

 素材も倉庫に大量に溜めておるしのぉ。」


 隣で髪を整えていたべべ王が答えた。


「じゃあ櫛も作れます?

 持ってくれば良かったんですが、忘れちゃって。」


「櫛ってなんです?」


 櫛を知らないのか?

 寝る必要のない世界の住人だったらしいし、朝に髪型を整えた経験がないからかな?


「こういう道具なんですが……。」


 俺は地面に櫛の絵を画いてみせた。


「これって頭に付けるアクセサリーじゃねえか?

 確かルルタニアでも似たようなの見た事あったぞ。」


 顔を洗い終えて、手持ち無沙汰にしていた段が答える。


「確かにアクセサリーとして使える飾りの付いた物もあるけど、本来は髪を整える道具だよ。」


 ハゲには関係ない事だろうが……


「他にも必要な道具はあるかの?

 もしあるのなら、あとでまとめてクラフトで製作するとしよう。」


 べべ王の質問に俺は少し考えてから答えた。


「そうだね。

 とりあえず思いつくのはフォークやナイフなどの食器の類と、これかな……」


 俺は三人に歯ブラシを見せる?


「小型のブラシですか?

 いったい、なんに使うのですか?」


「これはですね……」


 俺は歯ブラシを口に突っ込んで、実際に使ってみせる。


「ギャハハハハハッ!

 こいつ、ブラシを口の中に突っ込みやがったぞバカじゃねーの!」


「ぷ~クックックックッ」


 例によって、ハゲとジジイが俺をからかおうとする。

 歯磨きを知らないのは仕方ないにしても、イチイチ会話がこの流れになるのはどうにかして欲しい。


「歯を磨かないと、歯が痛むんだよ!

 虫歯になっても知らねーぞおまえら。」


「虫歯って、もしかして歯に虫が湧くのかよ?」


「そうだよ、目に見えないほど小さな虫がね。」


「ひいいいぃぃぃ~~~っ!」


 俺と段の会話を聞いていたべべ王が頬を抑えて大きな悲鳴を上げた。


「は、歯ブラシだけは急いで作ろうぜ……」


 段が青ざめた顔で言う。

 少し大げさな反応な気もするが、なにはともあれ早く歯磨きの大切さに気づいて貰えてよかった。


(今のうちに合言葉の登録を済ませておくか。)


 おれはカバンからイザネに貰った魔導弓を取り出し、弓の中心に設置された魔石の波動を探る。

 魔石からは激しい波動が伝わってくるが、周囲に配置された小さな四つの魔石がその激しさを一定以下に抑える働きをしてくれているようだ。

 俺にも魔力を制御しやすいように、イザネが工夫を加えてくれたのだろうか。


『ガラハィウムハーレェ!戻れ我が弓よ。』


「なにやってんだおめー?」


 思った通り、段が食いついてきた。



         *      *      *



『ロドゥムエィガリル!我が杖よ我が元へ来たれ!』


 クラン拠点の庭で段が覚えたての魔法を連発してはしゃぎまわり、なぜか一緒になってべべ王もはしゃいでいる。


(ジジイはともかく段は結構渋い顔してるんだから、もう少し落ち着けばいいのに……。)


 段の魔法の習得はイザネの時の半分以下の時間しかかからなかた。

 流石は魔法のエキスパートジョブといったところだが、それを習得するのに半日かかった俺としては自信を削がれる思いだった。


「バカやってないで、そろそろ朝食の準備をしようぜ。」


 俺はそう言ってカバンに魔導弓をしまうと昨日食事をした広間に向かおうとしたが、東風さんが心配そうに呼び止めてきた。


「ちょっと聞いてもいいでしょうか?

 カイルさんはその弓を貰ってもあまり喜んでいないように見えるのですが、なぜなのでしょう。

 なにか気になる事でも?」


「イザネさんがこれを作ってくれた事には感謝してますし、嬉しいですよ。

 俺のために使いやすく作っているのもわかりますし。

 でもこの魔導弓がどのくらい強いのか使ってみるまで俺にはわかりませんし……力を得た実感がまだないというか……うまく表現できないのでずが。」


 例えば伝説の剣を苦労の末に強敵を倒しやっと手に入れたのならば、それは嬉しいだろう。

 しかし、散歩の途中で道端に伝説の剣が落ちていたならばどうだろうか?

 ”やった!”という気持ちより”こんな簡単に手に入れていいのか?””俺がこれを手に入れていいのか?”という疑問が勝るのが普通だろう。

 今の俺が丁度その状態だった。

 力が与えられた事は確かに嬉しいが、しかしそれ以上にその事について納得がいかないのだ。

 俺は何もせずにこの魔導弓を手に入れたのだから。


(こんな事なら、この世界にも装備レベル制限っていうのがあったらよかったのにな……)


 楽して強くなりたいと心のどこかで思っていた過去の自分が滑稽に思えた。


「なら心配ないですよ。

 使ってみればその弓の凄さはすぐにわかりますから。」


 東風さんは安心したように、広間に続くドアに向かって歩き出した。


「飯は昨日と同じ料理でいいよな。

 あれなら倉庫にたくさん余ってるし。」


 ようやく杖を投げるのに飽きてくれたのか段も東風さんの後に続くが、俺はその不穏な一言を聞き逃さなかった。


(”あれなら倉庫にたくさん余ってる”……だと……)


「そういえば、あの料理って何時、誰が作ったもんなの?

 どうやればあんなに同じ形の肉が揃えられるんだ?」


 べべ王が答える


「あれは去年のクリスマスイベントの時に集めたクリスマスチキンじゃよ。」


「きょっ!……きょきょきょきょっ去年の料理ぃぃぃ~~~~っ!」


 俺の声は裏返っていた。

 貴族の館には稀に魔道具とを応用して食べ物を低温で長期間保存する装置があると聞いた事があるが、ここにそれがあるとは思えない。


「今すぐ俺を倉庫に案内しろっ!

 今すぐにだぁっ!」


 一体どんな保存状態になっている事やら……

 俺は湧き上がる不安を抑えられなかった。



         *      *      *



 思ったとおり案内された倉庫は冷却などされていなかった。

 せめて地下であれば少しは室温も抑えられるのだがここはこの建物の一階、こんなところに生ものを保存したら一溜りもない。

 鉱石や砂、モンスターの爪や牙等々、無数の素材の並べられた棚の一角に無造作にその料理は並べられていた。


(食糧を補完するには最悪の環境じゃないか……)


 鼻を近づけると、相変わらずハーブのいい匂いもするが据えた臭いがハッキリと混ざり始めているのにもすぐに気づいた。


(思ったとおり食べられる状態じゃないが、去年の料理である筈なのに腐敗はあまり進んでいないな。

 昨日この世界にこの建物がやって来た時から腐敗が始まったのだろうか?)


「大丈夫でしょうか?」


 心配そうにのぞき込んできた東風さんに、俺は料理の皿を差し出した。


「ちょっと臭いを嗅いでみてください。」


 東風さんとその隣にいたべべ王が顔を近づけて、臭いを嗅ぐ。


「妙な臭いが混ざっとるのぉ」


「そうですね、ゾンビの居るの毒沼に行った時に嗅いだような臭いがかすかに混ざってますね。

 でも、まだ食べても大丈夫そうな気もするんですが……」


 料理をもったいなさそうに見つめる東風さんに俺は警告する。


「物が腐るとそういう臭いがするんですよ。

 無理して食べるとお腹を壊してしまいますよ。」


「腹を壊すとどうなるんだ?」


 興味なさげに近くの棚を弄っていた段が尋ねる。


「長時間トイレにこもってウンコを垂れ流すはめになるだろうね。

 棄てるしかないよこれは。」


「そ、それは勘弁して欲しいですね。

 もったいないですが諦めましょう。」


 下痢に怯えた東風さんはやっと料理を諦めてくれたようだ。


「他に食料はないの?

 日持ちのする物ならまだ大丈夫だと思うけど。」


「これも去年にハロウィンイベントで集めた物だがどうだ?

 ここにある食べ物はもうこれしかないぞ。」


 そう言うと段はさっきから弄っていた棚から小袋を取り出し俺に投げてよこす。


パシッ……


 小袋は勢いよく飛んできたが、思ったよりずっと軽く簡単にキャッチする事ができた。


「朝食にはちょっと物足りないけど、まぁこれでもいいかな。」


 袋の中身はカボチャの形クッキーだった。



         *      *      *



『天におられし偉大なる神よ。

 あなたの恵みに感謝します。

 与えられし糧を我らの光とする事を許し給え。』


「これが食前の祈りなのか?……ちょっと変な祈りだな。」


 クッキーを摘まみながら段がぼやく。


「食料を得られた幸運を神に感謝するって理屈もあるだろうが、それなら俺は食料そのものにこそ感謝すべきだと思うぜ。」


「それはドルゥード教の考え方だね。

 彼等は万物に神が宿るって考え方だから、当然食物にも神が宿るって考え方なんだ。

 だから食前に食べ物に感謝を伝える。

 ただ、その考え方はあまりこの国では口にしない方がいいよ。

 この国ではソールスト教が国教になって以来、ドルゥード教とその教義は敵対視されてるから。」


「この世界のNGワードは随分と難しいんじゃのう。」


 そのべべ王の言葉に俺は違和感を覚えていた。

 ドルゥード教が排斥される日常が、俺にとって当たり前になっていたからかもしれない。


「祈りの最後の”糧を我らの光とする”とはどういう意味なのでしょうか?」


 東風さんの質問に俺はクッキーを指二本でつまんで持ちながら答える。


「例えばこのクッキーにも、我々の元に届くまでに神が光をその内に与えて下さっていると考えられているんです。

 我々はそれを頂く事で神の光をその身に宿す事ができるという、そういう教えです。」


「では、このクッキーを我らに与えた運営にも神の光が宿っていたという事になるのかのう。」


 べべ王の質問に少し笑いながら俺は答える。


「たぶんそういう事になるんじゃないかな。

 その食料を育てた環境や調理した者が多くの光を宿していると、それを食べた時に宿す事のできる光も大きくなると言われてるから。

 逆にそれを育み形作る過程で光がまるで与えられない、光を逆に奪われかねない環境にあった食べ物を食べると、それが如何に美味しくとも災厄に通じるとされてるんだけどね。」


「じゃあ、このクッキーは呪われてんじゃねーか?

 あの運営に神の光が宿ってるとは思えなかったからな。」


 食べ終えた段が、空になった皿の上で手をはたいてクッキーの粉を落としながら言う。


「さぁ、飯も食ったし冒険にいこうぜ。」


「その前に皿洗いくらい手伝えよ。

 昨日その皿を洗ったの俺なんだぜ。」


「なんでそんな事する必要があるんだよ?」


 不服そうな段に俺は言い聞かせる。


「この世界じゃ食べ物を消費しても皿は消えないし、昼飯の時にも皿を使うからさ。

 だいたい、昼飯はどうするつもりなんだ?

 まさか昼もクッキーとは言わないよな。」


「確かに昼もこれでは腹がもつ気がしませんね。」


 東風さんが同意する。


「では報酬に食料が貰えるクエストを回して蓄えておくとするかの。

 カイルはそういうクエストに心当たりがあるんじゃろ?」


 べべ王の問いに俺は首を振る。

 彼等の言うクエストとは冒険者への依頼の事なのだろうが、食糧現物支給が条件の依頼など聞いた事もない。


「そんな事するより、自分たちで食料調達しちゃえばいいだろ。」


 提案の意味が理解できない様子の三人の説得を俺は開始した。



         *      *      *



「なぁ、要するに環境生物だったらなんでもいいんだろ?」


 段が俺に問いかける。

 俺と段は狩りを、東風さんは木の実や茸などの採取を、べべ王はクラフトで櫛・食器・歯ブラシの制作を担当している。

 あの爺さんが裏方の仕事を率先してやるのは意外だったが、普段はふざけていてもこういう時にクランメンバーを支える仕事をこなすからこそクランマスターとして皆をまとめていられるのかもしれない。


「環境生物というか、動物だけどね。

 十分に食べられる大きさなら、大抵は問題ないよ。」


 俺と段は今、クラン拠点から少し離れた地点の森に来ていた。

 当初の俺の目論見ではレンジャーの技術を活用して獣の足跡を追跡する筈であったが、まだ肝心の足跡を発見できないでいた。


「なら、あそこを飛んでる鳥でも構わないわけだ。

 『おん きりきりばさら うんはった!』」


シュゴオオオォォォォッ!


 段が聞いた事もないような呪文を唱えると掌から炎が勢いよく飛び出し、遠くを飛んでいた鳥を直撃し瞬時に消し炭に変えてしまった。


「よし!

 いっちょあがりぃ!」


 は?何言ってやがる!

 得意げな段に俺は怒鳴った。


「なにが”いっちょあがり”だよ!

 炭になった鳥をどうやって食うつもりだ!?」


 初めて見た段の魔法は確かに凄いものだった。

 もしモンスターを相手にしていたら、とても心強かったに違いない。

 だが、狩りをするには火力が強すぎてなんの役にも立たないのだ。


「あぁそうかそうか、うっかりしてたぜ。

 でもドロップアイテムくらいは落ちないのか?」


「ないから!ドロップアイテムとかここの世界には!

 今度は俺がやるよ。」


 遠くに鳥が飛んでいるのを見つけた俺は、魔導弓を構えながら言った。

 宙ににルーン文字を描きサンダーアローを生成し、魔導弓の中心の魔石にセットするとサンダーアロが一回り大きく成長した。


(新しい魔導弓でりサンダーアローがパワーアップしているようだが、多少威力が上がろうともサンダーアローならば獲物を感電させるだけで済む筈だ。)


シュ…………バチバチバチバチィッ!


 俺の放ったサンダーアローは、今まで見た事がないような速度で飛び鳥に命中した。

 だが、俺の想定と違い鳥は火花を激しく散らし黒く焦げていく。


「ギャハハハハッ!

お前だって同じじゃねーか!」


「嘘だろ…」


 俺は呆然としてその光景を見つめ、段が爆笑する。

 電圧だけで黒焦げにしてしまう程の電力なら、獲物が炭になるどころか火花が元で森が火事になる可能性すら警戒せねばならない。


「なら、アイスアローで!」


 俺は今度はアイスアローを生成し再び魔導弓つがえ、鳥に放つ。

 幾ら魔導弓がパワーアップしていようが、これで獲物が黒焦げになる事だけはない筈だ。


シュ…………カチーンッ…………ドッ


 アイスアローが命中した鳥は大きな氷塊と化して森に落ちた。


「バカな……」


 俺は慌てて落下地点に走り、地面にめり込んだ氷塊の前に立ち尽くす。

 氷塊は大き過ぎて、焚火で溶かすにも、力で割るにも難しいのは一目で察する事ができた。


ガンッ!ガンッ!


 段がその辺に落ちていた石を拾い氷に叩きつけたが、ひびが入っただけで割れるまでには少し時間が掛かりそうだ。


「面倒くせぇなぁ……

 『おん きりきりばさら うんはった!』」


 おい、やめろバカ!

 俺がそれを口にするより早く段の手から炎がほとばしり氷を消し、その中の鳥を炭に変え、周囲の森に火が燃え広がる。


「バカかてめぇ!」


 俺は必死で周囲にアイスアローを放ち火が燃え広がるのを防いだ。


「悪い悪い。

 地形に破壊判定があるのを忘れてたぜ。」


 笑顔で謝る段を俺は恨めしい目で睨む。


「なんで消化を手伝ってくれないんだよ……。」


「氷とか水の魔法を覚えてないんだ。

 俺は派手な魔法が好みだからな!」


 おかげで火事を消し止めた時、俺の魔力はアイスアローの撃ちすぎで枯渇寸前だった。

 森の中の焦げた箇所を中心にして円を描くように氷塊が転がっている。

 鳥を狩るどころか、森に地獄のような場所を作り出してしまった。

 俺は手に持った魔導弓を改めて眺める。


(この魔導弓は威力がありすぎて狩りには使えないな……)


 クラン拠点に帰ったらイザネに以前の魔導弓を返してもらわなければ。


「どうしたんですかこれは?」


 東風さんが、こちらの騒ぎを聞きつけて採取を中段してやって来たようだ。


「ジョーダン(大上=段)がバカやったんですよ。」


「バカやったのはお前も同じだろーが。」


 くやしいが段の反撃に言い返す事はできない。

 はたから見れば俺のやった事もバカとしか表現できないだろう。


「ま、まぁお二人とも気を付けてくださいね。

 カイルさん、採取したものを袋に集めておきましたので食べられるかどうか後で教えてください。」


 東風さんは俺に程よく膨らんだ袋を手渡す。


「それから、あちらの方に環境生物の足跡らしき物を発見したので来ていただけますか。

 確かレンジャーのスキルをお持ちのカイルさんなら追跡が可能なのですよね。」


「でかした東風!

 さっさと行こうぜカイル。」


 東風さんの報告を聞くや否や段が俺の手を元気よく、そして強引に引っぱる。

 さっきあんな騒ぎを起こしたのに、まるで気にしている様子はなかった。



         *      *      *



「イノシシを見つけても、さっきみたいに魔法で黒焦げにすんなよジョーダン。

 ちゃんと獲物を解体しないと料理もできないんだからな。」


 俺はイノシシの足跡を追いながら後ろから付いてくる段に声をかける。


「お前だって、さっき黒焦げにしてたじゃねーか。」


「あ、いや確かにそうだけどよ……気を付けろよとにかく。」


 くそっ、弱みを握られたくない奴に弱みを握られてしまった。

 東風さんはレンジャーの技術に興味があるらしく、俺が足跡の追跡するさまを熱心に観察している。


「あ、イノシシがいましたよ。」


 俺のすぐ後ろを付いて来てた東風さんが遠くの茂みを指をさすと同時に段が全速力で駆け出す。


「よし!俺にまかせろぉ!」


「まてよジョーダン!」


 俺は叫んだが段は既にとんでもない速さで茂みの中に消えていた。

 確かにあれだけ早く走れるのなら獣に追い付く事もできたのかもしれないが、森で獣を捕まえるのはそれでも無謀な事だった。

 段はすぐに手ぶらで戻ってきた。


「なにやってんだよ?」


「あいつ汚ねーんだよ。

 狭いとこばかり逃げ込みやがって。

 せめて範囲マップさえあれば、逃がさねーんだが。」


 段は服のあちこちに細かい木の枝や葉っぱをつけていた。


「この世界の環境生物は随分手ごわいんですね、驚きました。」


 東風さんが本当に驚いたように言うが、野生動物が用心深く逃げ足が速いのは当たり前の事だ。

 やはり東風さん達が言う環境生物とは、この世界の動物とは根本的に違う物なのだろうか。


「音とか臭いとか、とにかく感覚が鋭くてこちらの気配を察知したらすぐに逃げてしまいますから、そう簡単には掴まらないですよ。

 罠を仕掛けるか、気づかれないように遠くから狙って仕留めるしかないですね。」


「でも遠くから魔法で吹っ飛ばすのも駄目なんだろ。

 いっそ毒霧の魔法を試してみるか?

 獲物は吹っ飛ばないし毒耐性の指輪があれば食ってもなんとかなるだろ。」


 また段の奴が無謀な事を言う。

 とはいえ今の俺と段の魔法では威力があり過ぎて、まともにやっては狩りにならない。


(アイスアローをイノシシの足元の地面に命中させて動けなくするしかないかな。)


 魔力残量が残り少ないのが不安ではあるが、他にイノシシを狩る方法を俺は思いつく事ができなかった。


「次にイノシシを見つけたら私に任せてくれませんか、ちょっと考えがあるのです。」


 東風さんがイノシシの足跡の形を確認しながら言った。

 考えなしの出たとこ勝負の段と違い、東風さんにはなにか考えがあるのだろう。

 反対する必要はないだろう。


「ええ、ちゃんとした作戦があるなら構いませんが、そっちの足跡は古いのでこっちの足跡を追いましょう。」


 俺は東風さんの追おうとした足跡とは違う方向の足跡を指した。


「なんでそっちのが新しい足跡だってわかるんだよ?」


「足跡の上に新しい葉が積もってないからさ。」


 俺は足跡の続く方向に歩き始めながら段に答える。


「葉っぱが?」


 段は俺の言った事がまるでわかっていなかったが、隣で聞いていた東風さんは完璧に理解をしていた。


「なるほど足跡が付いた後に葉が落ちたから、葉は踏まれていない状態で足跡の上に積もってたんですね。

 それに比べてこちらの足跡の上には葉がまだ積もっていない。」


「そのとおりです。

 慣れた人なら足跡の深さから獲物の体重も正確に測れるし、健康状態まである程度わかる人もいると聞くんですが、俺にはまだそこまでは無理ですね。」


「そこまでわかる物なのですか!?

 ドラゴン・ザ・ドゥームには足跡システムなんてなかったから、新鮮ですよこういうのは。」


 その時突然に段が杖で俺達の前進を制し前方の木を顎で指した。

 木の影からイノシシの足が僅かに覗いているのがわかる。

 東風さんは黙って頷き覆面を被ると、胸の前で手を数回組んでから静かに地面に沈んでいく。


むぐっ!


 驚いて声を上げそうになった俺の口を段が塞ぐ。

 よく見ると東風さんは地面ではなく自分の影に吸い込まれていた。

 完全に影だけになってしまった東風さんは、音もなくそして高速でイノシシの方に向かっていった。


プギィッ!


 イノシシの悲鳴とともに木の影から覗いていた足から力が抜け、イノシシを肩に担いだ東風さんが姿を現した。


「肝心なとこで声を出そうとしやがって、世話のやける奴だな。」


 俺の口を塞いでいた段が俺を開放する。


「おい、さっきのあれなんだったんだ?」


 驚きを隠せない俺に段が落ち着いて答える。


「忍術だよ。

お前は見るのが初めてだったのか?」


「ああ、初めて見たよあんなの。

そもそも忍術って魔法の一種の事?」


「魔法とはちょっと違いますね。

先ほどの技は臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前の九つの印を決まった順に組み合わせチャクラを利用して行う術の一種ですよ。」


 東風さんがこちらに向かって歩きながら答える。

 肩にかついだイノシシは首があらぬ方向に向いていた。

 恐らく影の中から近づいて組み付き、首をへし折ったのだろう。


「気配に敏感ですぐに逃げてしまうのならば、気配を完全に殺して近づけばよいと考えたのですが大正解でししたよ。」


 確かにいくら野生動物の勘がいくら優れていようとも、影の中から大男に突然襲ってこられてはどうしようもあるまい。

 十分な獲物を得た俺達はクラン拠点へ戻る事にした。


「あの東風さんのクラスってなんなんですか?」


 クラン拠点への帰路で俺は東風さんに質問した。

 戦力の詳細を知らずとも彼等が強すぎて苦戦をする事もなさそうだし、クラスくらいそのうちにわかるだろうと高を括っていたのだが、東風さんはその技術を見てなお想像がつかなかった。


「忍者だよ。

 忍術って聞いてわからなかったのか?

 盗賊の上級ジョブだ。

 ちなみに俺は密教僧な。」


「ジョーダンさんの密教僧は自称じゃないですか。

 本当は魔術師でしょう。」


 段のボケを東風さんがツッコミで返す。

 それにしても、東風さんがシーフとは想像もつかなかった。

 常識的にあんな大きな体の人にシーフなど務まらないと思っていたのだが、先ほどの影に潜む術を使えるのなら確かに忍び込むのには不便はなさそうだ。


「おや、今日は大漁のようですね。」


 東風さんが足を止め肩に担いだイノシシをドサリと地面に降ろした。

 視線の先を追うと、イノシシが餌を探しているのが見える。

 かなり飢えているのだろうか、こちらにまるで気づく様子もない。


「もう一度行って参ります。」


 東風さんは小声でそういうと再び影に潜りイノシシの方へ向かう。

 俺と段は息を潜めて東風さんの帰りを待ったが、東風さんは何事もなかったかのようにすぐに影の中から出て来てきてしまった。

 イノシシは相変わらずこちらに気づかずに餌を探している。


「らしくねぇな東風。

 術をしくじったか?」


 段の問いに東風は首を振って、いつもよりずっと静かな声で答える。


「いえ、あのイノシシを狩るのは止めました。

 あのイノシシには子がおりましたので。」


「環境生物に家族がいるのかよ!?

 ありえないだろ!」


 東風の言葉に段が目を丸くする。

 イノシシの方をよく見ると、小さなうり坊達が母親の足元で遊んでいるのが見えた。


「私も驚きました。

 家族がいるのはNPCだけだと思っておりましたから。」


 先ほど地面に置いたイノシシを東風さんは抱き抱えるように丁寧に持ち上げた。


「私にもなぜこの世界では食前に感謝の祈りを捧げるのかがわかったような気が致します。

 カイルさん、クラン拠点に戻ったらイノシシの解体の仕方を教えて下さい。

 このイノシシは最期まで私が面倒をみるべきだと思うのです。」


 俺は先ほど黒焦げにしてしまった鳥達を思い出し、いたたまれない気持ちになった。


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