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第七十二話 運命の必然

 怒り・憎しみ・希望・絶望・憧れ・夢。

 人は心の内に何を抱くかによって、その運命を知らず知らずのうちに決めてしまう。

 もし心というもに運命の全てを支配するだけの力があるのなら、人生で起こる事は全て心が作り出した必然の結果と言えるのではないだろうか。


~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~

「ほぅ、確かにこれはうまい。

 なんというか、落ち着く味じゃのぅ。」


 バンの行きつけの酒場で出された料理をつまんで、その味にべべ王が唸る。


(リラルルの村でララさんの作ってくれた手料理の味に似ておる。

 この味は、できれば東ちゃんにも味わわせてやりたいのぅ。)


 それは野菜に簡単な味を付けて焼いただけの料理であったが、焼き加減がいいのか、野菜そのものが美味いのか、それとも味付けの塩梅が絶妙なのかべべ王には非常に心地のよい味だった。


「宿で出されたサンドイッチ美味かったし、この村は美味いもんがいっぱいじゃ。」


 べべ王は満足げに酒をあおるが、バンはその言葉を聞き不思議そうに首を捻る。


「宿?

 どこに泊ってるんだい?」


「村の東の……ほれ、裏に大きな納屋のあるとこじゃよ。」


「ん……あの宿のコックは特成調味料をバカスカ使うんで、この店の常連達には評判悪いんだがなぁ。」


 べべ王の言葉に対し、バンは返答に困った様子で歯切れ悪く答えた。


「特成調味料?

 さっき食べ物に黒油が混ざっとるとか言うておったが、その話か?

 じゃが、あのサンドイッチは油の味なんぞしなかったぞ。」


「そらぁな……」


 バンはべべ王にどう説明したものかと考えあぐねながら後ろ頭を掻いた。


「黒油ってのは地下に埋まってる燃料に使う油なんだが、これが錬金術で加工すると大した手間もなくいろいろな物に変化させる事ができる。

 特成調味料っていうのは、その黒油から作った調味料さ。

 いろいろな味の種類の物が作れて、使い方次第では思い通りの味を作れて便利なんだが、燃料からできた物を食って体にいい訳がない。

 少量なら身体への影響は殆どなくて済むかもしれないが、だからと言ってあんなもんを毎日のように食ってたらすぐに体調を崩すぜ。

 それに……」


 バンはコップの酒を一口だけ飲んだ。


「……味もどこか不自然で安っぽくてさ、俺は好きじゃないね。」


「宿の連中は、特成調味料の事を知りながら客にそれを食わしとるのか?」


 燃料油を食わされたと知り、べべ王は露骨に嫌な顔をしてバンに尋ねる。


「知らないだろうな。

 あれを作ってるアルゴって商人が、それを秘密にしている。」


「では、お主はなぜ知っておるのじゃ?」


 野菜を刺したフォークをプラプラさせたべべ王が、バンを疑惑の目で見据える。


「特成調味料を作っている店で働いてる連中が、義憤に駆られ内部情報を外に漏らしたのが噂になってるらしい。

 もっともその話自体が証拠もなにもない噂話に過ぎないんだが、俺は運がいいから特成調味料を発明した錬金術師に直接会って話を聞く事ができたよ。」


「ほぅ。」


 べべ王は疑惑の眼差しをバンに向けるのを止めて、フォークの先を野菜をヒゲの間から口中へと運んだ。


「その錬金術師はファルノーっていう変わり者で、この村に住んでいる。

 爺さんは知らないかもしれないが、その才能を買われ秘密結社フレイガーデンへのスカウトまで来たらしいぜ。」


「フレイガーデンじゃと!?」


 口に放り込んだばかりの野菜を慌てて飲みこんだべべ王が、バンに問い返す。


「なんだフレイガーデンを知っているのかよ爺さん、流石だな。

 興味があるならファルノーの家も後で教えてやろうか?

 俺の紹介だと言えば、会ってくれる筈さ。」


「是非頼む。」


 べべ王は即答した。

 フレイガーデンの手がこの村にも伸びているとなれば、潜伏している仲間にもその害が及ぶ可能性を考えねばならない。


「オーケー。

 それともし爺さんさえよければ、あんたの泊まってる宿までここの店の料理を届けさせてもいい。

 この村にいる間、ずっとあの宿の飯を食い続けたらどうにかなっちまうぜ。」


「たしかに、わしもこの店の方があの宿の飯より良いのじゃが、相当に金が掛かるのではないか?

 費用はどのくらいかかる?」


 べべ王の問いに対し、バンは笑顔で掌を自分の顔の前で左右に振った。


「金はいい、俺のおごりだ。」


「おいおい、いくらなんでもそれは……」


 この店のつくりを見ても、料理の丁寧さを見ても、酒の質を見ても良質であり、それを宿に取り寄せるとなれば相当の出費が必要であろう事はべべ王にも想像できた。

 が、バンという男には少しも費用の負担を心配している様子がない。


「今の俺は、人でも物でも必要な時に必要な分だけ集まって来る状態でね。」


「は?どういう状態なんじゃ、それは?」


 「ほら、ツイてる時って都合よく欲しい物が思わぬところから手に入ったりする事があるだろ?

 あれだよあれ。

 あれが最近の俺にはよく起こるんだ。」


 「よくあるって?滅多にないじゃろそんな事。」


 屈託なく笑うバンに、べべ王は呆れ顔で言った。


「ま、とにかく今の俺にはどういう訳かそれが良く起こるんだよ。

 だから金には不自由してないし、その気になれば金なしでも十分生活できる。

 だから費用の事は気にしなくても大丈夫だぜ爺さん。」


「はぁ~~?

 それが本当なら、うらやましいご身分じゃのぅ。」


 べべ王は露骨に嫌そうな顔をする。

 今のべべ王は充分過ぎる程の金を持っていたが、しかしそれはルルタニアにいた頃にクエストを山ほどこなして得たものだ。

 ”何もしなくても金が余る”などというチートプレイヤーが自慢するような話を聞いて、心穏やかである訳もない。


「”うらやましい”だって?

 心の使い方が下手だな爺さん。

 ”うらやましい”だの”妬ましい”だの、そういう負の感情は悪い運を呼び込むから抱かない方がいい。

 そういう時はこう思うんだ、”俺もじきにあんな風になる。”、”次にああなるのは俺の番だ。”ってな。

 ”俺はあんな風にはできない”とういう思い込みは人を幾らでも無能にするし、逆に人のやる事を見て”あいつを真似すれば俺もできる”と思い込む事で不可能も可能にできる。

 心の使い方一つで人生なんて存外なんとでもなるものさ。」


 バンの言い分を聞いてべべ王は益々ふて腐れた顔をする。


「だから、わしにお前さんの真似をしろとでも?

 悪い冗談じゃ。

 しかし、そこまでなんでも可能にする運がお主にあるのなら、その特成調味料とやらの問題も運でなんとか解決できるのではないか?」


 機嫌を損ねたべべ王は、わざとバンに意地の悪い質問をして頬杖をつく。


(こいつの言う事にも一理あるかもしれぬが、だからといってそれで全てが解決できる訳がなかろうが。)


 べべ王はそのまま横目でバンを見たが、悪意ある質問されているにも関わらずバンは口元の笑みを絶やそうとしない。


「もし俺がその問題を解決する必要があるのなら、俺の元にそれを解決できるだけの力を持った人が自然と集まってくる筈さ。」


「さっきの喧嘩の時、わしが偶然お主を助けたように……か?」


 べべ王にしてみれば、あの時バンを助ける気は微塵もなかった。

 たまたまべべ王の銭袋から溢れた金貨があの酔っ払いの前に飛ばなければ、べべ王はバンを見捨てていただろう。

 べべ王にとってそれは偶然が重なった結果に過ぎず、己の考えでした事ではない。

 だが、それをあっさりとバンは否定する。


「さっき爺さんが俺を助けたのは必然だよ。

 運も含めて人生に偶然も無駄も何一つありはしないさ。

 それにあの酔っ払いが俺に喧嘩を売ってきたのも必然であるならば、それは爺さんと俺があのタイミングで出会うよう運命によって決定づけられていたという事になる。」


「気持ち悪い事を言うでないわ、酒が不味くなるわ。」


 べべ王は手元のコップの酒を一気に煽る。

 なにもかもこのバンの思い通りに動いている、自分さえもいつの間にかそう動かされているなどとべべ王は考えたくもなかった。


「ふふ、けれど俺はむしろ爺さんこそが、この村に溢れ返った黒油をどうにかしてくれる人なんじゃないかと期待してるんだぜ。」


 そうほくそ笑むバンを見たべべ王は自分が踊らされている様な感覚を更に強め、疑念すら頭を過り始めていた。


「よもや、お主はそれが狙いでわしに親切をしている訳ではあるまいな。」


「ははは、そこまで本気で期待してる訳じゃないよ。

 あまりにも会ったタイミングが良かったから”もしかしたら”と思っただけさ。

 それに今の俺にとって、人に親切にするのは趣味みたいなもんだから。」


 バンは笑いながらべべ王の空になったコップに、瓶を傾けて酒を注ぐ。


「親切が趣味じゃと?

 感心な事じゃが、聞けば聞くほどお主の事がよくわからなくなるわい。」


 コップに静かに注がれる酒を見ながらべべ王はバンへの疑念を振り払い、一息ついて考えをまとめていた。

 実際べべ王は、村についてもフレイガーデンについても知識のあるバンのような人間が協力者になってくれるならありがたいと思っている。

 不愉快に思っているのは彼の考えがまるで自分と合わない事と、彼の訳のわからぬ運に自分までも動かされていると思えてしまう事だった。

 バンはそんな悩めるべべ王の様子にも構う事なく話を続ける。


「そうか?ごく自然な事だと思うけどな。

 俺はもう充分に幸運で満たされている状態なんだ。

 だからもうこれ以上欲張る必要もないし、自然と他の人々にも俺の幸運を分けてやりたくなったんだよ。

 そしてこれこそが、俺が世界最強を自負する理由でもあるんだぜ。」


「最強のぅ。

 今までの話を聞く限り、わしの考える最強とおまえさんの言う最強はまるで違う物のようにも思えるが?」


「ま、そうだな。

 爺さんは、単純に戦って勝った方が強いって思ってるだろ?」


「当たり前じゃろうが!」


 べべ王は酒を一口飲んでから、そう吐き捨てるように言った。

 オンラインRPGの世界で冒険者としてマスターから生を受けて以来、べべ王には戦って勝つ事のみが求められてきた。

 それはこの世界に来てからも……自分の意志で生きる道を選べる世界に来てからも無意識に自分自身に対しべべ王は求めて続けていた事だった。


「けど、この世界は戦い続けた人間が報われるようには決してできていないんだよ。

 ローズチャーチ家・ロッドヒーラー家・バーヘンレン家について聞いた事はあるかい?」


「バーヘンレン家については全く知らんが、ローズチャーチ家とロッドヒーラー家については知っておる。

 フレイガーデンのトップに位置する家系なんじゃろ?」


 べべ王は目を丸くしてそう答えた。

 東風すら知らないフレイガーデンの派閥の名前を、このいい加減そうな男の口から聞けるとは想像外の事であった。


「バーヘンレン家も同様だよ。

 スレェズを本拠地にして周囲の国に戦争を焚きつけては武器商人として儲けている家で、フレイガーデン内の結社灯火のトップに所属する血筋の一つだ。

 でも今まであらゆる事に勝利し続けて来たこれらの家が、今現在何を最も欲しているか爺さんは知ってるかい?

 ”もっともっと金が欲しい”って思ってるんだよ。

 どの家もみんながみんな金集めに必死になってて、俺のように”自分はもう充分満足したから他の人に分け与えよう”なんて余裕は全くないんだ。」


「呆れた話じゃのう。

 奴等は国の王よりも強い権限をもって富を蓄えておると聞いたが、どこまで財産を増やせば満足できるんじゃ?」


「例え世界中の富を独占したとしても、どんなに大きな勝利を繰り返したとしても彼等は満足なんて永遠にできないよ。

 富を独占して力を蓄えなければライバルの家に追い抜かれて自分達を支配下に置くのではないかと恐れるし、富を奪われた民衆がいつ反乱を起こして自分達を殺しに来ないかとも恐れている。

 連中が秘密結社に籠って正々堂々と表に出ようとしないのも、その恐れがあるからさ。

 これは爺さんが思い描いている最強の者の姿とは程遠いだろ?

 金儲け自体はむしろ良い事だが、何事にも限度ってものがあるのさ。

 溜め込み過ぎた財産を棄てようとしない限り、彼等はずっと恐怖の中でしか生きられない。

 それに俺が彼等を相手にしようとしない限り、彼等は俺に手出しする事だってできない。」


「手出しできない?

 いや、奴らほどの力があれば、お主一人くらい生かすも殺すも容易かろう。」


 べべ王には、どうしてバンがフレイガーデンの力を十分に知りなだらそんなに気楽な事が言えるのかが分からない。


「それ以前の問題なのさ。

 彼等には俺を認識する事すらできない。

 こっちから彼等に縁を繋ぐような事をしない限り、俺の運命が彼等と交差する事はないのさ。

 連中のやる事にイチイチ俺の心が関心を示されなければ、運命に僅かな接点すら生まれようがないんだよ。」


「まーた、お前さんの言う事が良くわからなくなってきたぞ?

 なぜそうなるんじゃ?」


 意味不明な事を口走るバンに対し、べべ王は酒の入ったコップを片手に拗ねたように口を尖らせる。


「全ては自分の心の使い方次第って事だよ爺さん。

 心の使い方次第で、望まない奴を自分の運命から追い出す事もできるのさ。

 この世界は、そういった心の正しい使い方に気付けるかどうかを問うてるだけの単純なゲームの舞台なんだ。

 それさえ気付いてしまえば無敵なんだぜ。

 あんたと話をしていて気づいたんだが、俺には爺さんの心が常に戦いを求めているように見えて仕方がないんだ。

 商人の恰好をしているが、あんたまるでギャングか軍人か、さもなきゃ冒険者のようだ。

 もしあんたも余計な戦いに巻き込まれたくないのなら、まずその心の内に秘めた闘志をどうにかした方が良い。

 敵意や恐れや嫌悪など余計な感情を相手に抱かない限り、戦いは自然と遠ざかっていくもんだぜ。」


 もしバンの言う通りであるならば、べべ王が酔っ払いとバンの喧嘩に巻き込まれたのも、ボイルド=ロッドヒーラー2世に狙われているのも、リラルルの村が襲撃されたのも全てはべべ王の常に戦いを望む闘志が、戦わねばならない運命を引き寄せて必然的に起こったものと言える。

 だか、冒険者としての生き方しか知らぬべべ王は、その理屈を理解するには遠すぎる位置にあった。

 闘志なくして冒険者などやっていられる訳がないのだから。


「それこそ無理な相談じゃよ……お主は言ってる事がでたらめなのに、妙なところだけ鋭いようじゃの。

 それより、親切が趣味というならもう一つ頼みごとをしてもよいか?」


 べべ王はバンの忠告を拒否し、協力のみを求めた。

 それはバンの理想・理論を拒絶し、バンの得体の知れない能力のみを評価した結果だった。


「もちろん。」


「わしの仲間を探して欲しい。

 子供を二人連れたガラの悪い牧師と、両親を連れて旅をしている若い夫婦じゃ。

 この村で合流する筈じゃったが、人が多すぎてとても探し出せそうにない。」


「わかった、俺の仲間に声をかけておくから、もう少し詳しく特徴を教えてくれ。」


 バンはべべ王の頼みを聞き入れ、それ以上彼の持論を展開する事もなかった。

 それはべべ王の心が、彼の自論を拒絶している事にバンもハッキリと気づいたからであった。



         *      *      *



 カイルがやむを得ずロブの反黒油活動に参加する事に対し、最期まで強固に反対したのはジョージだった。

 ジョージはカイルがロブと共に役人に捕まる恐怖を、どうしても振り払う事ができなかったのだ。

 カイルはジョージを、ジョージはカイルを説得するためにメアリの寝込む部屋から出ていき、部屋にはメアリとイザネだけが残っていた。


ギュ~……


 カイル達が出て行ってしまった宿の客室で、イザネは桶の上でタオルを絞り熱に苦しむメアリの額に当てた。


「ありがとう、イザネちゃん。

 冷たくていい塩梅だよ。

 前から思っていたんだけど、看病するのがうまいんだね。」


 メアリは額の上の冷たい濡れタオルが心地よくて、少し目を細めた。


「以前カイルが風をひいた時、俺が看病した事があるんだ。

 リラルルの村で……。」


 イザネは少し悲しそうな顔をしてそう言うと、今度は盆の上の皿からスプーンでスープをすくい上げ、フーフーと息をかけてそれを冷ましている。


(やっぱり、この娘だけはどういしても冒険者には見えないねぇ……。)


 ベッドの上からそんなイザネの姿を見て、メアリは心の中で呟く。

 メアリはイザネが武術の達人である事を知っている。

 イザネが信じられないような力でゴータルートの街の壁に穴を穿ったのも、その眼で目見ている。

 けれどメアリの知っている冒険者像とイザネは全くその姿が重ならない。

 それどころかメアリには自分を親身に看病してくれるこの娘こそが、イザネの本来の姿に思えて仕方がないのだ。

 もしイザネが小さな道場を開いて子供達に武術を教えているというのなら、メアリはそれでも納得できただろう。

 しかし、どう考えても冒険者とは違う……冒険者をやるには、この娘は明らかに欠けているものがあるのだ。


「さ、メアリさん。」


 イザネはベッドの上のメアリの上半身を片手で起こし、スプーンを口の前に運ぶ。

 メアリは自身で食事をする体力の余裕はあったものの、あえてイザネに甘え差し出されたスプーンからスープをすすった。


(心地はいいけど、こんな娘に何時までも世話されっぱなしってのも面目ないね。

 本当ならイザネちゃんの方が、むしろ世話してやらないといけないくらいに見えるのに。)


 先ほどイザネが見せた悲しそうな瞳は、誰かに救いを求めているようにしかメアリには見えなかったのだ。


 メアリは皿からすくった次のスープを息で冷ますイザネを見て、少し微笑む。

 今のメアリは祖父と父が彼女に遺してくれたものの全てを……彼女が安全な街に住めるよう遺してくれたゴータルートの市民権を失った喪失感に苛まれていた。

 それはメアリにとって、祖父と父が遺してくれた彼女への愛情の証でもあし、それを失った彼女は心にポッカリと穴が空いているようにさえ感じていた。

 だが、イザネに看病される内にメアリはその穴が癒され塞がっていく感覚を覚えていた。



         *      *      *



「この仏さんを埋葬してくれ。」


 段はバームの遺体を抱いて、墓場の前までやって来ていた。

 牧師姿の段の抱くバームの顔を覗き込み、墓守の男は一瞬だけホッとしたよう顔をする。

 この男もまた、バームが苦しむ姿をこれ以上見たくはないと考えていたのだろう。


「バームか……医者も匙を投げていたから何時死んでもおかしくないと思っていたよ。

 で、あんたは誰だい?

 ここいらでは見かけない顔だが。」


 墓守は段の顔を見て眉をひそめる。

 筋肉質の段の身体に牧師の衣装はまるで似合わない。

 怪しまれても無理はないだろう。


「ジョーだ。

 旅をしている。

 昨夜バームの家に泊めて貰ったんだが、今朝ベッドの上で冷たくなっていた。」


 その言葉を聞いた墓守の男は何か言いたげに少しの間だけ段の顔を眺めたが、やがて興味を失ったのか、それとも段への疑惑が晴れたのか、顎で自分について来るように段に合図を送ると踵を返した。


「こっちに運んで来てくれ。」


 墓守が段を案内したのは墓場の脇にある小さな小屋だった。

 小屋の中には棺桶が幾つか並べられており、手前の一つの蓋が開いていた。


「ここへ入れてくれ。」


 段は黙って男の言うままにバームを手前の棺桶の中に静かに寝かせた。


「あんた、牧師さんなんだろ?

 良ければバームに祈りを捧げてやってはくれないか?」


「悪いが急ぎの用事があるんだ。

 時間がない。」


 段はそう言って祈りを頼んだ墓守に首を振る。

 ソールスト教の牧師の恰好をしてはいるものの、段はソールスト教の祈りの文言を覚えてはいないのだ。


「これ以上、関わり合いにはなりたくないってか?」


「まぁ、そんなところだ。」


 墓守の言葉を否定しようともせず、段は墓守とバームの棺桶に背を向けた。


(安心して眠ってくれバーム、すぐにアルゴとかいう商人もお前の後を追わせてやるからよ!)


 段の頭の中からは既に自分がお尋ね者である事も、潜伏中の身である事も完全に抜け落ちていた。


「あんたはまだ親切な方だぜ。

 ここまで死体を運んでくれた分だけ、そこいらの腐れ坊主よりマシってもんさ。」


 煮えたぎる段の心中を知らない墓守の声が、小屋を後にした段の後ろから人影のない墓場に響き渡った。



         *      *      *



 村の東の宿の納屋でべべ王の馬車に近づく男がいた。

 男は宿の主人に馬車馬の世話を頼まれていた。

 宿の主には馬車に近づかぬよう注意を受けていたが、その男はべべ王の馬車の荷台に何が積まれているのか興味津々だった。

 なにせこの馬車の持ち主は荷物が心配で仕方ないらしく、飯まで馬車の前で食べるのだ。

 ”近づくな!”、”荷台を覗くな!”と言われれば逆に覗いてみたいと思うのが人情というものだ。

 男は、宿の主人の期待を裏切る事を百も承知で馬車の荷台へと近づいた。


「……?!」


 男の足が、荷台の前で止まる。

 馬車の前の地面に大きな人の足跡らしきものを発見したのだ。


「なんだこれは?」


 男は屈み込んで足跡を確かめる。


(まさか荷台に捕まえた巨人でも繋いでいるんじゃないだろうな?

 もしそうなら、早く旦那様に知らせないと大変な騒ぎになる。

 どんな理由があったにせよ、危険なモンスターをお代官様の許可なく村へ入れたんだからな。)


 小さな老人が宿に4人分の食事を注文した理由も、馬車の停めてある納屋で食事をする理由も巨人にエサをやるためと考えるならば辻褄が合う。

 大義名分を得た男は、今度は迷いなく荷台へと近づきホロに掛けられたカーテンをめくるが……。


シュンッ!


 何かが男の前を過り、パラパラと男の前髪が地面に落ちる。


「……っ!」


 男はホロのカーテンから手を離し、その代わりに何者かによって切断された前髪を掌の上に乗せて少しの間放心していた。


「それ以上荷台に近づくと命の保証はしません。」


 我に返った男は慌てて周囲を見渡すが、声の主がどこにいるのかわからない。

 ホロに掛けられたカーテンは、先ほど男がめくったため隙間ができて荷台の中を覗く事ができるのだが、箱や袋が積まれているのみで何者かがそこに潜んでいる様子もなければ、巨人を閉じ込めた檻がある訳でもなかった。


「誰だ?!

 どこに居るんだ?!」


 叫ぶ男は、既に恐怖で身体が動かなくなっていた。


「約束なさい。

 この馬車の荷台は二度と覗かない。

 この私の声を聞いた事も誰にも言わない。

 ……そう、誓うのです。

 さもなければ、この宿の者を私は皆殺しにする事だってできるのですよ。」


「ひいぃっ!

 分かった!分かったから!!

 誰にも言わないから!た……助けてくれぇ!」


 男は今にも抜けそうな腰を、納屋の壁に手を付いて支えながら声の主に返事をする。


「約束を守れるのなら、もうお行きなさい。

 今後あなたの周囲には、私の眼がある事を覚悟しておくのですよ。」


 その声を聞いた途端、男は弾けるようにして納屋の外へと飛び出して行ってしまった。


「少し、脅かし過ぎましたかね?」


 男の姿が見えなくなると、東風が納屋の床の影からその巨体を現した。

 東風は辺りを見回し人影がない事を軽く確認すると、男が開け放った納屋の戸を静かに閉める。

 閉められた納屋の戸の傍には、男が忘れて行った馬のエサとなる干し草が入った大きなかいば桶が転がっていた。


ヒヒーーーン!ブルルル……


 腹が減っているのだろう、東風の足元にかいば桶があるのを見た馬車馬達が催促するようにいななき出す。


「仕方ないですね、私があの人の代わりにエサをやっておきますか。」


 東風は足元に転がるかいば桶を軽々と持ち上げ、馬達に向かって微笑みかけていた。


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