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第五十一話 性

トロルを掃討し、街へ戻る冒険者達。

が、彼等を待ち受けるトラブルはその数を増すばかりであった。


~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~

コンッ!


 朝日が差し込む窓から小石が投げ込まれ、ジョージの仕事場に座り込んだ東風の膝の近くを転がる。

 東風が窓の外を見ると、盗賊らしき男が親指で後ろを指して外に出るようにその仕草で指図していた。


(厄介事がまた一つ……といったところですかね。)


 東風はゆっくりと立ち上がって仕事場の扉をくぐる。


「私になにかご用ですか?」


 神妙な顔で話しかける東風に男は口元を歪める。


「東風さんだよな。

 ちょっと話があるんだ、面を貸してくれ。」


「訳あって、ここから動けないんですよ。

 この場で話ては頂けませんか?」


 東風は困ったように頭の後ろに手を当てて男に返事をしたが、カイルの家の周囲に男の仲間が潜んでいる事に既に気づいていた。

 男の目的が東風をこの家から引き離して、仲間にエリルを襲わせようとしている事は明白だった。


「堅い事を言うんじゃねぇよ。

 ちょっとくらい離れたって、どうって事ないだろ?な!?」


 己の企みがバレている事にも気づかず、尚も家から自分を引き離そうとする男に東風は呆れていたが、その素振りを隠したまま気弱な大男を演じ続ける。


「いえ、先輩方に怒られるので勘弁してください。」


「でかい図体して先輩がそんなに怖いのかよ?

 情けねぇ事言ってないで……」


「ご用件はなんでしょうか?

 ここでなら承りますよ。」


 しつこく食い下がる男の言葉を東風は笑顔で遮る。


「チッ!

 おまえのかくまってる女を出しな。

 悪い事は言わねぇからよ。」


 男は先ほどまでの友好的な表情から一変し不愉快そうに言うが、東風は笑顔を崩さない。


「ははは、ご冗談を。

 冒険者ギルドから正式な依頼状を持ってらした方ですよ?」


「んなもん、後で盗賊ギルドに頼んで裏から手を回せば大丈夫だって。

 俺に任せときな。

 冒険者ギルドには初めからあの女の依頼は来なかったって事になるからよ。」


「お話をそれだけですか?」


「なんだと!」


 男は東風に凄むが、背丈が違い過ぎてまるで様になっていない。


「お引き取りを。」


 そう言うと東風は男に背を向けて、再び仕事場の扉をくぐろうとする。


「てめぇ……」


 男は隠し持ったダガーを抜こうとしたが、東風が背中越しに睨み付けている事に気づいて歯ぎしりをしながら構えを解いた。

 男がカイルの家から離れるのを確認してから東風は仕事場の扉をくぐる。


(あの程度の者であれば刺客を退けるのは容易いですが、エリルさんが狙われている理由が分からない限りは根本的な解決はできませんね。

 時間の経過とともに、襲撃がエスカレートするような事がなければいいのですが。)


 仕事場の中を見ると、男と話している最中にやって来たカームが東風を待っていた。


「何やってるんです?」


「エリルさんの泊まってる部屋を覗いたらここに追い出されたんだよ。

 あの人の泊まってる部屋は元々俺の部屋なのにさ。」


 カームはそれがさも自分が正しくそれが当然のように言う。


「覗いちゃ不味いでしょう。

 っていうか、なんで覗く必要があるんですか?」


 仕事場の奥に座り込んだ東風がカームを困ったように見下ろす。


「必要じゃなくて必然だろ?覗きたくなるのは男ならさ。

 でも惜しいよなー、あの人がもう少し若ければ俺の守備範囲なのに。」


「よく分からないですけど、とにかくお客様には迷惑のないようお願いしますよ。

 ……ああ、そういえばあなた、初めて会った時もイザ姐のスカートもめくっていましたよね……」


 自分を見る東風の顔が少し険しくなったのをカームは全く気付かない。


「え?

 いやだってあの子かわいいしさ、ついやりたくなっちゃうじゃない。」


「つい……ですか?

 カーム君、ちょっとお話があるのですが……」


 東風に余計な事を思い出させてしまったのをようやく悟ったカームが慌てだす。


「え?東風さん、ちょっと……」


 東風の大きな手が逃げ出そうとするカームを捉え、長い長い説教がはじまる……。



         *      *      *



『王であるっ!』


「はぁ……」


 ターズの村の門の番をしていたピーターは、村を訪れた奇妙な爺さんに目を丸くする。

 カイルからべべ王の事を聞いていたため、目の前の爺さんとその後ろに控える怪しげな魔法使いが彼の仲間である事は察する事はできたが、しかしピーターが事前に想像していた人物像を遥かに超えていたのだ。


(話を盛っているとばかり思っていたが、カイルの言っていた事は正確だったんだな……)


 こちらを指さしクスクス笑う妙にくだらない爺さんを見て、ピーターは肩を落とした。


「あんた達が、カイルさんの仲間……なんだよな?」


 頭を抱えながらピータが尋ねると、まだ笑っている爺さんを押しのけて怪しげな魔法使いが前へと進み出た。


「そうだ!

 すぐにトロルの巣穴を潰しに行くから、カイル達の所に案内してくれ。」


 怪しげな魔法使いに急かされ、ピーターはカイルの元へ案内すべく村の中へこの奇妙な二人組を招き入れた。



         *      *      *



 招き入れた自分の部屋でタジタジとなっているイザネに対し、キャルは顔を近づけて迫っていた。


「なに赤くなってんのよ、これくらい常識よ。」


「いや、だって……ええぇぇぇっ……ほ、本当に常識なのかよ。

 だってカイルのアレを股の中に入れるなんて……」


 キャルは腰に両手を当てて、尻込みするイザネを見下ろす。


「そうしないと赤ちゃんができないんだから、仕方ないでしょ?

 思いっきりカイルさんのを握った人が、よく言うわねぇ。」


「あ、ああああ赤ちゃんって……ええぇぇぇぇっ!」


「それに子作りって、とーーーっても気持ちいいのよ。

 ただし、相手の意志を無視して無理矢理しても傷つけるだけで、相手が気持ちよくならないみたから、やっちゃダメだけどね!」


 自分で言っていて、キャルはハッと気づく。


(そうかあたし、カイルさんにそれをしようとしちゃってたんだ。

 先にもっとカイルさんの気持ちを確認しとけば良かったかな……)


 キャルは自省をすぐに終えて気持ちを切り替えると、今度は益々赤くなってコクコクと自分の言葉にうなずくイザネの顔を覗き込んだ。


(この態度、どう考えても芝居じゃないわよね……まさかコウノトリが赤ちゃんを運んで来るとでも本気で信じていたのかしら?)


 キャルは想像以上に無知であったイザネに迫るのを止め、ベッドに腰かけて腕を組んだ。


「ねぇ、本当に何も知らなかったの?」


「そりゃ金的が男に有効だって事くらいはマスターから聞いて知ってはいたけど、詳しい理由までは聞いてなかったから……」


「なんでそんな事だけは知ってるのよ?

 ……もういいわ。」


 キャルは心底呆れたように、半笑いの表情を浮かべて言葉を続ける。


「それよりあたしもイザネさんに教えて欲しい事があるんだけど?」


「お、俺に?」


「そ、カイルさんの事を教えて欲しいの。

 イザネさんの知っている事をできれば全部、ね。」


「ま、まぁ、それくらい構わないけどよ。」


 うなずくイザネを見て、キャルは嬉しそうに微笑んだ。



         *      *      *



『王であるっ!』


 べべ王が初対面のキャルの目前で胸を張った。


「すまない、これでも俺達のリーダーなんだよキャルさん。」


 カイルが額に手を当てて、パーティーリーダーの爺さんを見て目を丸くするキャルに紹介した。

 村を訪れたべべ王と段はすぐにピーターの案内でカイルと合流し、キャルと二人でささやかな女子会をしていたイザネを迎えに行ったところだった。

 昨晩の件もありカイルはキャルと会うのがためらわれていたのだが、べべ王のしょーもないギャグのおかげでなんとなく助けられていた。

 もっともべべ王本人はキャルを指さしてクスクスと笑い続けており、明らかに彼女のひんしゅくを買い続けているのだが。


「へえー、村の連中が話していたカイルに助けてもらった女の子ってのはあんたの事か。」


 段がキャルの顔を覗き込んだ。


「え、ええ。

 あなたがジョーダンさんね。

 イザネさんから聞いておりますわ。」


 キャルは隣にいるイザネの方をチラリと見てから段の方に手を伸ばし、段はその手を握った。


「痛っ!」


 段は普通に握手に応じたつもりだったが、キャルは悲鳴を上げる。


「何をするにも力を入れすぎなんだよおめーは!」


 キャルを庇うようにイザネがたしなめると、段は慌ててキャルの手を離した。


「そうかー?

 すまんすまん。」


 あまり反省した様子もなく段は手をさするキャルに謝った。

 イザネはそんな段を腰に手を当てて眺めたあと、カイルの方に向かって少しだけ頭を下げる。


「昨日は悪かったなカイル。

 お、俺、何も知らなかったからさ。

 まだ痛むか?」


 イザネはキャルに男性の体について教えて貰い、自分がカイルにどれだけのダメージを与えたのかをようやく理解したのだ。


「もう大丈夫だって。

 なに顔を赤くしてんだよ?」


 自分もイザネに負けないくらい顔を真っ赤にしてカイルはイザネに答え、キャルは二人の様子を見てクスリと笑みを漏らした。


「さて、みんな揃ったところでトロルの巣穴を潰しに行くとしようか。」


 3人の仲間の様子を見渡し、べべ王が提案する。

 時刻は昼を回っており、日が沈む前に討伐を切り上げる事を考えるならそろそろ出発しないとならない時間だった。


「もういいのかよべべ?

 トロルの頭数を十分に減らしてからって計画だったろ?」


 イザネが少し驚いたように声を上げる。

 当初の予定ではもっとトロル掃討に時間がかかると予測していたし、自分とカイルはまだ10頭もトロルを退治していなかったからだ。


「それは問題ないぜ!

 東の村に攻めて来たトロル共を俺がまとめて吹っ飛ばしてやったからな。

 もう殆ど残っちゃいないぜ!」


「まとめてって……?

 ジョーダン、おまえまた……」


 鼻高々に語る段をカイルは疑うように横目で見る。

 カイルはトロルの軍を殲滅した話を先ほどべべ王達と合流した時に聞いていたのだが、段が魔法をぶっ放した事は初耳だった。


「村にに百匹ものトロルが一度に押し寄せて来たんだ、仕方ねーだろうが!

 今回は目を瞑れよカイル。」


 文句を言おうとしたカイルに対し、逆に詰め寄ろうとした段の服の裾をべべ王が引っ張る。


「一人の手柄にするのはズルいぞジョーダン!

 わしも大活躍だったじゃろーが!」


「お前等の自慢話なんて聞く気ねーよ。

 巣を潰すなら早くやろうぜ。」


 段とじゃれ始めたべべ王に対し、イザネは早くトロル退治に行きたがっているかの様に言うが、心配そうな顔でカイルは彼女に問い返す。


「イザネも行く気なのかよ?」


「当たり前だろ!」


「おまえ臭いのは苦手だろ?

 トロルの巣の臭いもゴブリンの巣に負けてないんだぜ。

 ジョーダンが魔法で100匹近く吹っ飛ばしたなら、どうせあとは残党退治だし無理して着いて来る事ないだろ。」


「んな訳にいくかよ。

 絶対行くからな俺は!」


 カイルにふくれっ面を向けると、イザネは荷物を取りに村の門の傍に停めた馬車へと向かい、べべ王と段もその後に続いた。


「親切で言っただけじゃねーか、ムキになるなよイザネ。」


 そう言いながらふて腐れるイザネを追おうとしたカイルの袖をキャルが引いた。


「あのカイル様……」


 キャルはつま先立ちになると、振り向いたカイルの耳元に口を近づけて囁く。


「昨夜のご無礼はお忘れください。

 私も昨夜の事は忘れますから……」


「あ、うん。」


 カイルは困ったような顔をして頷く。

 カイルは反省していた。

 生まれて初めて女性にモテた事に舞い上がってしまっていた自分に。

 そしてそのせいでキャルを傷つけてしまったのではないか……と心配もしていた。


「そんな顔をなさらないで下さい。

 何があってもあなたは私の命の恩人なんです。

 カイル様。」


 キャルも反省していた。

 キャルはイザネに恋愛や男性について誇張や想像を混じえて教える代わりに、イザネからカイルの話も聞きだしていた。

 そしてその時にキャルは気づいたのだ、自分が等身大のカイルをまるで見ていなかった事に。

 カイルへの憧れが強すぎて視野が狭まっていたキャルは、イザネからカイルの意地っ張りなところ、意外に努力家である事や冒険者としての矜持を持っている事を聞かされて初めて等身大のカイルを意識した。

 イザネの話を聞いてもキャルのカイルへの恋心は冷えてしまったままだったが、カイルへの尊敬の気持ちはむしろ増していった。

 だからキャルは女性経験の無いのを良い事に、そんなカイルを手玉に取ってやろうと企んだ自分を恥じたのだ。


「がんばってくださいねカイル様。」


「ああ、行って来るよ。」


 カイルは照れくさそうにキャルに笑いかけ、キャルはそれに答えるように仲間の元へと駆けて行くカイルの背に手を振った。


(あの夜ベッドに忍び込んだのがあたしではなくイザネさんだったら、あなたはどうなされたのかしらねカイル様?)


 キャルは見送りながら心の中でカイルにそう問いかけていた。



         *      *      *



「性欲?

 知りたいって、……なんでまたいきなりそんな事を?

 っていうか知らないってマジなの?」


 カイルの家の近くのいつもの路地裏で、東風から思わぬ質問をされたソフィアはすっとんきょうな声を上げた。


「元々私達は食欲も睡眠欲もない世界から来たのです。

 ですが、この世界に来てからというものそれ等に振り回されて行動が制限される事ばかりなのです。

 ですから、この世界に来た事で私達にも性欲というものが身についており、それに振り回される可能性があるのではないかと危惧しているのです。」


 東風が真面目に話せば話す程、ソフィアにとってはそれがシュールに感じられて思わず苦笑いが出てしまう。


「そもそも食欲も睡眠欲もない世界なんてあたしには想像もつかないわよ。

 それにしても東風さんがそんな事を聞くなんて……なんか不安になる事でもあったの?」


「カーム君と話していたら……もしかしたら我々も……と。」


 アバター達は恋愛に対して全く知識がないという訳でもない。

 彼等のマスターの中には恋愛沙汰で問題を起こす者もいたし、ドラゴン・ザ・ドゥームのストーリーでも恋愛を語るシナリオが用意されていた。

 が、アバター自身が性欲を抱く事も恋に身を焦がす事もなく、自分達とは程遠い世界のものとしか考えていなかったし、それ故に深く知ろうともしていなかったのだ。

 が、東風はカームのリビドー溢れる話……というか猥談を聞き、自分達もカームのように暴走するのではないかと危惧するようになっていた。


「だったらカームに聞くのが早いんじゃない?性欲について。」


 ソフィアのツッコミに東風は困ったような顔をする。


「それが……カーム君の話は要領を得ないというか、下世話に過ぎるというか……できればソフィアさんに教えて頂きたいのです。」


 カームが東風に何を話したかをここでは詳しく述べないが、おおよそは”イザネのデカい胸が揺れるのを見てるとナニが勃っちやう”とか”清楚系のエリルが派手な下着付けてたらギャップで萌える”とかまぁ、だいたいそんな内容であった。

 とはいえ、そんな話をいきなり振られたらソフィアだって困ってしまう。


「あたしだって、そっち関係は褒められた事をやっちゃいないわよ~~。

 ……でも、確かに妄想一杯のスケベ小僧から教わるよりかはマシかしらね。

 分かったわ、今度暇になった時に色町へ連れて行って勉強させたげるわ。」


 ソフィアは少し迷ったが、すぐに毒を皿まで喰らう覚悟を決めてそう切り替えした。

 荒療治になるかも知れないが、それが一番手っ取り早いと考えたのだ。


「色町?」


「性欲を発散するために殿方が通う場所のことよ。」


「それは助かります!

 是非お願いしますソフィアさん。」


 東風はそう笑顔で応えたが、色町がどういう場所かまるで理解していないであろう事がソフィアには容易に想像できた。


「ただ、お金はそれなりにかかるから出費は覚悟しといてね。

 東風さんが入れる店となると、大きい店を選ばないといけないから。」


 ソフィアはため息交じりにそう言って、微妙な笑みを浮かべた。



         *      *      *



「だから村で待ってろって言ったんだよ。」


 カイルはゴータルートに戻る馬車の荷台で、目の上に自分の腕を乗せて寝るイザネに声をかけた。

 トロルの巣穴掃討は想像以上に簡単に終わった。

 トロルの大部分はその王ごと段の魔法で消し飛んでいたうえに、王を失った混乱により同士討ちすら起こしていたのだ。

 戦意を喪失した僅かに残ったトロル達は、防衛作戦すら立てられぬまま唯々狩られるだけであった。


 イザネもそんな状態のトロルの巣穴に潜り、その悪臭に耐えつつべべ王達と共にトロルを狩っていた。

 しかし、巣穴の臭いにはなんとか耐えられても、巣穴の中に放置されたトロルの犠牲となった村人達の遺体にイザネは耐えられなかった。

 トロルに貪られた犠牲者たちの姿は、イザネの心に新たなトラウマを植え付けて打ちのめしていた。


「うるせーな。」


 イザネはそうカイルに答えると、荷台の上で寝返りをうった。


「カイル!わしとジョーダンはクラン拠点に寄ってから街に戻る。

 東風から追加の資金をねだられておるし、お前も日々のトレーニングで使うマジックポーションの数が心もとないのじゃろう。」


 カイルの隣の馬車を操っていたべべ王が、馬車同士の距離を縮めて話しかけた。


「だったら俺達も一緒に行くよ。」


 べべ王はカイルの申し出に首を振る。


「いや、お前達は早く街に戻って東ちゃんを安心させてやってくれ。

 一人で留守番させとるんじゃしの。」


「わかった。」


 カイルがうなずく。


「それと、クラン拠点から他にも持って来て欲しい物はあるか?」


「特には……いや、白紙のスクロールって道具はまだあるのか?」


 カイルは地図を書き写したスクロールを取り出して、べべ王に向かって振ってみせた。


「山ほどあるぞ。」


 白紙のスクロールは、各種呪文書を作成するための基礎アイテムであり、ルルタニアではそこらの道具屋でも安く買える物であった。


「じゃあ、何本か追加で持って来てくれ。

 あれは役に立ちそうだ。」


「わかった。

 足りなくならぬよう少し多めに持ってくるとしよう。」


「頼む。

 あれなら多めに持ってきても商人に売れそうだし、無駄にはならないよ。」


 カイルの言う通り、この国では羊皮紙ですら希少品であり植物の繊維を使用した紙などまるで流通していなかった。

 商人達に珍しがられる事は請け合いだろう。

 ただそれは、段の魔法と同じく本来この世界にない物であるのだからトラブルの元にもなりかねないのだが、カイルはそこまで気が回らなかった。


 カイルとの話し合いが済んだべべ王は、馬車がぶつからぬように少し距離を開けると、後ろの荷台で話を聞いていた段がホロから顔を出した。


「じじい、クラン拠点へ行くのならついでに……。」


「墓参りか?」


 べべ王は、その髭面を僅かに傾けて段の方を向く。


「ああ。」


「無論、行くつもりじゃよ。」


「そうか。」


 段はホロの中に引きあげながらそう返事をすると、荷台の上に立膝を付いて座り込んだ。


(そんなに時は経っていない筈なのに、リラルルの村での生活が妙に懐かしく思えやがる。)


 段は殺風景な荷台の上を見渡して退屈な馬車の旅と、不意に訪れた寂しさを紛らわすための酒を持ってこなかった事を少し後悔した。



         *      *      *



 カイルは数日ぶりに戻った家から出て来た金髪の女性を見て目を丸くした。


「あなた誰です?」


「ソールスト教ヴォレウカーコ派シスターのエリルと申します。

 それで、あなた方は?

 ジョージさんのお知り合いですか?」


 会釈するエリルを見て、カイルは更に困惑し次の言葉に詰まる。


「なんだ、カイルの知り合いじゃなかったのかよ。

 俺はイザネ、よろしくな。」


「お、俺はカイル。

 ジョージのせがれです。」


 隣で屈託なく挨拶するイザネに釣られてカイルも思わず挨拶をしたが、状況を飲みこめた訳でも混乱が収まった訳でもない。

 エリルは二人の様子をみて微笑む。


「これは失礼しました。

 息子さんと東風さんの仲間の方でしたか。」


「で、なんでシスターが俺の家にいるんです?

 ヴォレウカーコ派からの美術品の注文ですか?」


 カイルはエリルに説明を求めたが、エリルが返事をする前に東風が仕事場のドアから顔だけ外に出して玄関の3人に声をかけた。


「それについては私から説明します。

 イザ姐、カイルさんこちらへ来てください。」


 東風の声を聞いて仕事場に方に3人が歩き始めた瞬間、母屋から飛び出した人影がイザネの後ろから手を伸ばした。


ドタンッ!


「てぇ!

 イザ姉貴、帰って来てからガード固くなってない?」


 イザネの尻を触ろうとしたカームが腕を捻られて地面に倒れる。


「2度とテメーに隙を見せる気はねーよバーカ。」


 イザネはカームに舌を見せてから、地に寝そべる悪ガキのスケベ根性に呆れる2人を追いかけて仕事場に入った。


「べべ王さん達はどうしたんですか?」


 仕事場に入った3人を見渡して東風が尋ねると、最後に入って来たイザネが答える。


「クラン拠点に寄ってから戻るそうだぜ。

 東風に頼まれた追加の資金も取って来るって言ってたぜ。」


「なるほど、とするとここに戻るのは半日後ですね。

 トロル退治は無事に終わったようで安心しました。」


「ジョーダンの自慢話を覚悟しとけよ。

 俺はもう耳にタコができたぜまったく。」


「ハハハ。」


 うんざりしたように言うイザネを見て東風が笑う。


「で、エリルさんはなんでここにいるんです?」


 カイルが改めてエリルを見ながら訪ねる。

 エリルのシスター服は、この貧乏な家に如何にも不釣り合いでここに居るだけで違和感が半端ではなかった。


「私はべべ王さん達に依頼をしに来たんですが、あの……。」


「エリルさんはべべ王さん本人に会って事情を打ち明けたいんだそうです。

 ですので詳しい事はわからないのですが、彼女は命を狙われていますのでこの家にかくまっているんですよ。」


 しどろもどろのエリルを助けるように東風がカイルへの説明を引き継ぐ。


「命を?!」


「まぁ、だいたい事情は分かったけどさ、なんでべべ王なんだ?」


 驚くカイルの横で両手を頭の後ろで組んだイザネが不思議そうに尋ねる。


「それもべべ王さんに会ってからお話します。」


 頑ななエリルの態度を見てカイルは不信感を募らせるが、東風はその空気を察してか二人の間に入るように口を開く。

 東風はここ数日間エリルと共に生活して、彼女の誠実さに信頼を置いていた。


「ひとまずエリルさんの件はここまでにしておきましょう。

 他にも報告すべき事があるんですよ。

 ソフィアさんに調べて貰って分かったのですが、例のピエロの事件は魔術師ギルドも関わっているらしいんです。」


「まーた魔術師ギルドかよ!」


 カイルが露骨に嫌な顔をする。


「ええ、この家を見張りに来たガラさんを見つけて問いただしたところマジックアイテムの所持制限を設けるための芝居なのだとか。」


「おいまてよ!

 それって俺達も……」


 イザネが事の重大さに気づいて顔を青くする。


「ええ、まず間違いなく規制の対象になるでしょうね。

 こないだの芝居はべべ王さんのおかげで失敗に終わりましたが、奴等はまだ芝居を続けてこの規制を意地でも作る気でいるらしいのです。

 マジックアイテムを使った犯罪が起これば、庶民も貴族もこの規制に反対しにくいですからね。

 人々がマジックアイテムを所有する事に恐怖を覚えるまで似たような芝居を彼等は続けますよ。」


「ちょっと待って下さいみなさん!」


 エリルが突然興奮して大声を上げ、驚いた3人はエリルの方に顔を向ける。


「実は私が命を狙われるようになったのも、その事件真相をこの街のみんなに知らせようとしたのが原因なんです。」


2022/07/16 一部シーンを追加

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