第四十一話 火種舞う
アバター達はカイルの家族に大きな変化を促し、ジョージはそれに翻弄される。
それは新たな騒動に巻き込まれる前兆でもあった。
~消えゆきし世界とそこに住まう数多のアバター達に捧ぐ~
「なんで買い取ってくれねーんだよ?」
「なんで俺がそれを買い取ると思ってんだよあんたは?
頭がおかしいのか?
客じゃないなら向こうに行ってくれ!
商売の邪魔だ!」
段は菓子売りの屋台でジョージの銅板を売ろうとしていた。
オンラインRPGドラゴン・ザ・ドゥームでは売却可能アイテムは全ての店舗で買い取りをしてくれる。
ユーザー同士で売買を行うバザーにおいては一部出品禁止とされるレアアイテムは存在したものの、通常の店舗で売却制限を受けるアイテムの存在など段は知らない。
まして、売却を一切行えない店の存在など段の想定外であった。
(この銅板は売却制限の掛かった非買品か?
なんでどこの店も買い取ろうとしない?
どっか特別なアイテム交換所でないと使い道のないアイテムなのか?)
そう考えながら、銅板売却に失敗した5軒目の店を立ち去ろうとした段の前に見覚えのあるつばの広い黄色い帽子が目に入る。
「見つけたぞ!
俺の帽子を返しやがれグリム!」
手を伸ばし帽子を奪い返した段は、帽子に隠れていたグリムの上半身を見て驚愕する。
「どうしたんだよ、それ?」
「父ちゃんの部屋にあった金で買った。」
グリムは山ほど菓子を抱え、頬張っていた。
(ジョージの金じゃねーのかそれ?
まぁいいか、元は俺達の金だ。)
段を無視してグリムは先ほど段が銅板を売りつけようとしていた屋台に向かう。
「この店の菓子、一種類ずつ全部頂戴。」
「おい、まだ食うのかよ?!」
呆れて思わず声を出した段をグリムが振り返る。
「父ちゃんには秘密にしとけよ。」
「俺が黙ってたってバレんじゃねーのか、普通は……。
それより、この銅板を売れる場所を知らねーかグリム?」
グリムの注文した菓子を袋に詰めながら、屋台の親父が銅板を手にした段を嘲笑する。
「そんな美術品を買いたがるのは貴族様くらいのもんだ。
下町ではどこへ行ったって売れやしないよ。」
この親父の言う通り下町に美術品の需要はほぼない。
美術品を欲しがる貴族や大商人は貴族街や商人街に居るが、貴族街に下町の庶民・貧民が入る許可は下りないし、大商人は直接貧相な職人達と取引をしようとはしない。
故にロジャーのような貴族街にも入れる許可を持ち大商人とも面識のある商人達が、下町の職人から美術品を買い付けて売りに行くのだ。
つまり、ジョージ達職人は美術品を造る能力はあっても流通をロジャーのような商人達に完全に掌握されてしまっており、言いなりになるしかない状態なのである。
しかし、それでもグリムは自信ありげに胸を張って段に答える。
「俺知ってるよ、売れそうな場所。」
「本当か!」
「あの菓子を持ってくれたら教えたげる。」
「おまえ生意気なガキだな~~~、本当に。」
段に菓子の入った袋を渡す店の親父は、子供にからかわれる大人を哀れむような視線を送っていた。
* * *
イザネは独りリラルルの村の門に向かって走っていた。
まだまだダニーやクリスに教えたい事は山ほどある。
けれども、イザネがいくら走っても門に着かない。
早く二人に会いたいのに、もうとっくに着いていてもおかしくない筈なのにどうしても着かない。
(早く二人を鍛えて強くしてやらないと村が大変な事になるのに、なんで門に着かないんだよ!
なんでっ!)
そして走りながらイザネの視界は白く染まり、イザネの意識は夢の世界からカイルの家のベットの上に戻っていた。
(泣いていたのか、俺は……。)
涙を拭いながらイザネは周囲を見回す。
部屋には寝る前に居たカイルの姿はなく、窓から差し込む光から今が夕方であろう事がわかる。
(なんだよカイルの奴、付いていてくれなかったのか……?)
イザネは慌てて自身の考えを否定するかのように首を振る。
(いや、カイルが俺が寝ている最中ずっと傍を離れないでいられる訳もないし、泣いてるとこをカイルに見られずに済んでむしろ良かったな。)
イザネがベットから降りようとすると、部屋のドアが開いてメアリが部屋を覗き込んだ。
「おや、イザネちゃん起きたのかい。
腹がへったろう。
今スープを温めてやるから、ちょっとまっててね。」
メアリはイザネが返事をする間もなくドアから離れていた。
「俺とした事が、とんだ迷惑をかけちまったみたいだな。
ふあぁっ……」
ベットの上に腰かけてあくびをするイザネの耳に部屋の外の声が聞こえてくる。
「ほらカイル、イザネちゃんが起きたよ。
あんたの恋人なんだから、すぐ傍にいってやりな。」
「うっせーな、違うって言ってんだろ!」
どなり声と共にカイルが部屋に入ってくる。
無論イザネが恋人だからではないし、メアリに急かされたからでもなく、単にイザネの容体が気になったのである。
「よう、大丈夫か。」
「なんで俺がお前の恋人なんだよ?!」
(その様子なら大丈夫そうかな。)
カイルはイザネの悪態を聞いて逆に安心する。
「知らねーよ。」
「お前の母親だろ?」
口をとがらせるイザネに、カイルは困ったような顔で応える。
「親が子の思い通りになんかなる訳ねーだろ。」
「そんなもの……なのか?」
(そうか、イザネ達には家族とかそういうのないんだっけ。)
イザネ達のいたドラゴン・ザ・ドゥームという世界ではNPCと呼ばれる特殊な人達以外は家族を持たない事は、カイルも理解していた。
が、そうなると先ほどべべ王から出された宿題……ルルタニア出身者の性教育に新たな問題が立ち塞がる。
(家族すらよくわかってない連中をどうやって”性教育”すればいいんだよ?
特にイザネにはどう教えていいかわからない……というか、女の事に関しちゃ俺の方が教えて欲しいくらいだってのに。)
「なにを悩んでんだよ?」
黙り込んだカイルをみて、イザネが尋ねる。
「お前等に教えておいた方がいい事があるんだけど、俺も詳しくないからどうしようかって悩んでたんだよ。」
「だったら、それに詳しい奴に教えて貰えばいいんじゃないか?」
「詳しい人ねぇ……。」
イザネに言われてカイルは目ぼしい人物を考え始める。
(お袋はダメだ。
イザネ達が異世界人である事を教える事が前提だし、あのクソババアがイザネになにを吹き込むかわかったものじゃない。
となるとソフィアさんくらいかな?
確か異世界人である事を東風さんが教えたって言ってたし問題はなさそう……いや、あの人も男関係は随分とスレてそうだしイザネが着いて行けるのか?)
「本当になにを悩んでるんだよ?」
「本当になにを悩んでるんだろうね、俺は。」
不思議そうに尋ねるイザネにカイルはそう答えるしかなかった。
* * *
商人のロジャーの心の中には金しかない。
一度結婚した事もあるのだが、彼は妻との間に愛を育む事もなくすぐに別れてしまった。
彼の考えている事は常に金・金・金、金の力で自分の心を満たす事しかない。
金で豪華な食事、酒、美術品、そして美女とありとあらゆる贅を尽くし、愛情が一切得 られず乾ききった自身の心を癒す事しか考えられないのだ。
しかし、愛以外の物で満たした心はすぐにまた渇いてしまう。
ロジャーはいつも心の渇きに苦しみ、それを癒す為に金を貪る餓鬼そのものであった。
そんなロジャーがジョージに対して求める物は主に二つ。
労働力を搾取をさせてロジャーにより多くの金を集める手助けをする事、そして自分より低い立場である事をその態度で示させ”愉悦”を与えて貰う事。
ロジャーはジョージから得られる”愉悦”も心の渇きを潤すのに利用しているのである。
ジョージはそんなロジャーに追いすがり、地に頭を擦り付けて段の無礼を謝ったのだが、ロジャーはジョージをなじるばかりで許そうとはしなかった。
結局、ロジャーは段が直接自分に詫び、東風が目論見通り見世物とならなければ二度とジョージの作った美術品を買わないと脅しジョージを突き放した。
(なんで俺があんな目に……そもそもジョーダンとかいうあのバカがロジャーをあんなに怒らせなければ、丸く収める事だってできたんだ……。)
トボトボと家に帰るジョージの心中は決して穏やかなものではなかった。
自分は悪くない筈なのになんでこんな目に遭うんだという気持ちで一杯だったのだ。
「今帰ったぞ!
ジョーダンはいるか?!」
家に帰るなりジョージは声を張り上げる。
「ジョーダンのおっさんなら出かけてるぜ。
あとグリムもいない。」
「なんだと!」
カームの返事を聞いてジョージは慌ててグリムの部屋に走る。
グリムの部屋にはドアがない。
目を離しているとグリムはなにをしでかすか分からないため、わざわざ部屋のドアを取り外しているのだ。
「あいつめ……どこへ……」
グリムの部屋を覗いて不在を確認したジョージは次に夫婦の寝室に行き、戸棚の奥にしまった箱を取り出し、その錠前を外す。
(銀貨が一枚足りないっ!)
ジョージが何度箱を覗いても4枚あった筈の銀貨が3枚しか残っていなかった。
(確か昨日の夕方から夜寝る前にかけて箱に鍵をかけ忘れていたが……そのを隙を見逃さなかったのかグリムの奴め。
このところ暫くおとなしくしていたから油断したのが間違いだった!)
「なんだよ、またグリムの奴なにかしたのか?」
「うるさい!
お前は黙っていろっ!」
ジョージはイザネの寝ていた部屋から出て来たカイルに語気を荒げて返事をすると再び金の入った箱に鍵をかけて棚の奥にしまった。
「なんだよ、偉く不機嫌じゃねーか親父は。
グリムが余計な事をやらかすくらい、いつもの事じゃねーか。」
「さっきジョーダンがロジャーを追っ払っていたから、それもあるんじゃねーの?」
カームの言葉にカイルの顔が緩む。
「なに?ロジャーになにをしたんだよジョーダンの奴は。」
「作業場に置いてあった汚い皿で酒を飲ませてた。」
「ははははっ!
また酒かよ。
あいつ好きだよな~、そういうの。」
ドアを背にして呑気に笑い合うカイルとカームの後ろからべべ王が家に入ってきた。
「なんじゃ、楽しそうじゃのう。
なにか良い事でもあったんか?」
「楽しい事などあるものかっ!
あんた、あのジョーダンとかいう奴にロジャーに謝るよう命令してくれっ!
あんたの部下なんだろう!」
家に入った途端にジョージに怒鳴られてべべ王は戸惑う。
「いや、わしはリーダーというだけで別に部下とかそういう関係ではないぞ。
それにジョーダンに言いたい事があれば直接言えばいいじゃろう?」
べべ王の指さす窓の外を見ると、段とグリムが話しながら家に向かって歩いてくる姿が覗いていた。
ジョージはそれを見た次の瞬間には、家を飛び出していた。
「ジョーダン!今から俺と一緒にロジャーに謝りに行け!!」
「まだそんな事を言ってんのかよ。」
呆れたように段はジョージにそう言うと、手にしていた革袋をジョージに投げて渡す。
「これは?」
ジョージが袋を開けると、そこには銀貨が10枚入っていた。
「お前の代わりに銅板を売ってきてやったんだぜ。」
「ど、どこで売ったんだ……ここで彫刻家が仕事するにはロジャーに話を通さなければ 商売にはならない筈……しかもこんなに高価で売れる訳がない。」
震える手で銀貨をつまみながらジョージが段に問う。
「教会で売ったんだよ。
天使の彫刻だったから教会で売るには丁度よかったぜ。」
「教会だと……どこのだ?」
「どこだって言われてもな……グリム、あの通りは何番だ?」
「6番だよ。」
菓子の袋を抱いたグリムが答える。
「6番通りっ!
よりによってヴォレウカーコ派の教会じゃないか!」
ジョージはその場に崩れ落ちる。
このゴータルートの街のソールスト教はアノキッツ派とヴォレウカーコ派の2派に分類される。
アーノキッツ派は本来のソールスト教の教義を貴族を迎合する形で歪めて金儲けに走ったため庶民から嫌われ、本来の教義を貫こうとヴォレウカーコ派が立ち上げられた。
貴族達は自分達に都合のいい教えを説くアノキッツ派を支持し、ヴォレウカーコ派を排斥しようとする者が殆どであり、ヴォレウカーコ派を支持する貴族は1割くらいしかいない。
当然、貴族達と付き合いのある大商人達も軒並みアノキッツ派である。
つまり、ヴォレウカーコ派の信者になるということは職人にとって、美術品購入者の9割 を敵に回す事になってしまう。
それにヴォレウカーコ派のレッテルが貼られるだけで商人達はその職人を相手にしなくなり、貴族や大商人に商品を流通させる手段が失われてしまうのだ。
「いいじゃないか、ロジャーなんかと商売するよりヴォレウカーコ派と商売した方が。
金だってこんなに貰えるんだし。」
その声を聞いてジョージは家のドアに寄りかかるカイルを睨む。
「バカを言うなカイル!
この街を治める領主のギャレット様はアノキッツ派なのだぞ!
ヴォレウカーコ派などいつ弾圧されてもおかしくない立場なのだ!
それに商人達もヴォレウカーコ派と商売をしていると知ればどんな嫌がらせをしてくることかっ!」
ジョージの言った事は事実ではあるのだが、それはロジャーが職人達に吹聴していた事でそのままでもあった。
ロジャーは職人達が自分の流通網を見限ってヴォレウカーコ派と直接取引する事を恐れていた。
そのため、下町の職人達がヴォレウカーコ派に接触しないように醜聞を広め、脅しもかけていたのだ。
ジョージの頭の中にあるヴォレウカーコ派に付く事への嫌悪や恐れは全てロジャーから吹き込まれたものなのだが、ジョージにその自覚はない。
ロジャーにとって都合のいい事実のみにすっかり目が向いてしまい、ジョージはそれに気づく事すらできないのだ。
「それについては問題ありませんよ。」
上から降り注ぐ声に驚きジョージが振り返ると、そこにはいつの間にか帰ってきた東風が立っていた。
ジョージを見下ろして東風は言葉を続ける。
「ヴォレウカーコ派は一般的に愚直に進行を守る集団とみられていると聞きますが、その実態は強かです。
詳しくはまだ調べておりませんが、弾圧されぬよう策を張り巡らしているようでしてギャレット候もおいそれと手を出す事はないでしょう。
それに商人達の嫌がらせならば我々が防げば良いだけではありませんか。」
「確かにあなた方ならば、どんな嫌がらせでも跳ね除けてしましそうだが……。」
ジョージは返事を言いよどむ。
この時はじめてジョージは自身を囲んでいる連中のとんでもなさに気づいた。
今まではこの連中によってカイルに悪影響さえなければいいとしか考えていなかったし、それ以上の興味も示していなかったのだが自身の立場をいとも容易く変えられてしまった事により彼等の破天荒ぶりをようやく思い知らされたのだ。
ジョージの中に今渦巻いているのは不安。
ロジャーの支配下での生活は、底辺の扱いながらも最低限の収入は保証されていた。
が、今は段の手によってその保証が強制的に外されてしまった。
そして今自分が手にしている銀貨10枚という金は、ロジャーを裏切った代償の金……もう今から謝ってもロジャーは許しはしない。
もし自分を許したのなら、ロジャーの職人支配の体制は崩れるのだから。
が、東風はジョージが思い悩んでいる事にも気づかず自身の提案を受け入れたものと勘違いして、続けて忠告する。
「ただし、ヴォレウカーコ派との付き合いは商売だけに留めてください。
深入りすれば何に巻き込まれるかわかったものではありませんから。」
「あ、ああ……
そうか……う、うむ注意しよう。
ありがとう。」
ジョージは形ばかりはその提案を受け入れたものの、考えが頭の中でまとまらぬまま立ち尽くす。
もう既に嵐の中に巻き込まれている感覚に飲まれながら。
「母ちゃんただいまーっ!」
ジョージが放心する中で場違いな元気な声が不意に響く。
うなだれるジョージも気にする事なく、声の主であるグリムは菓子の袋を持って家の中に駆けこんでいった。
* * *
「おかえりーっ!」
台所のテーブルにイザネを座らせたメアリはスープの入った皿によそっいながら大声でグリムに返事をする。
「済まないなメアリさん、世話をかけちまって。」
かしこまるイザネの前にメアリは皿を置く。
「いいのよ気にしなくて。
それよりあなた、言葉遣いが変ね。
もっと女の子らしい言葉を使ったらどう?」
「いや、俺はずっとこんなだったし……」
イザネがそう言いかけた時、台所にグリムが駆け込んで来る。
「母ちゃん、お土産~っ!」
グリムの差し出した袋を広げてメアリは目を丸くする。
「おまえ、またこんなに菓子ばかり買って!
どっから金を持って行ったんだい?
だいたい、菓子なら戸棚の中にまだあるじゃないか!」
「あれもう飽きちゃったよ。
それに鍵かかってて箱が開かないし。」
「鍵かけなかったら、おまえが全部食っちまうからじゃないか!
早く父ちゃんに謝ってきな!」
「ふぁ~い。」
不満そうに不真面目な返事とともにグリムは台所を出て行ってしまった。
メアリはグリムに呆気にとられるイザネに話しかける。
「恥ずかしいとこ見せちまったね。
あの子、全然親のいう事聞かないんだよ。
カイルも家を飛び出しちまったが、グリムに比べりゃマシだったかねぇ。」
「いや、そういう事ならうちのべべ王だってたいがいだけどな……。」
「え?あの爺ちゃんも変わり者だとは思ってたけど、なんかあるのかい?」
メアリは机の向かいの椅子に座りながらイザネに問いかける。
「いちいち悪ふざけが過ぎるんだよ。
やたらしつこいし。」
「はははっ、確かに。」
メアリが声に驚いて振り向くと東風が台所に自分の体を畳むようにして座っていた。
「おデブちゃん、あんたどうやってここまで入ってきたんだい?
いきなり入ってきたから驚いちまったよ。
まさか、壁やドアに穴を開けたりしてないだろうね?」
「驚かせて申し訳ありません。
私はこうみえても忍び……いえシーフクラスですので狭い場所に忍び込む術も心得ているのですよ。
それより、ジョージさんが呼んでましたよ。
仕事場にコップを幾つか持ってきて欲しいそうです。」
「コップだって?」
「酒を飲みたいらしいのです。
昨日ジョージさんの仕事場にべべ王さんが、土産に持ってきた酒樽を置き忘れてまして。」
「こんな早い時間から酒を飲む気なのかいあの人は。」
メアリは椅子から立ち上がって戸棚からコップを取り出しながら不審がる。
「ロジャーさんと商売するのを辞めるので、その景気づけだとか。」
「あら、そういう事ならあたしも一杯貰おうかしらね。
あたしも前々からロジャーって商人は気に食わなかったんだよ。
人を見下してばかりいてさ。」
メアリは上機嫌にコップを抱えてイザネの方を振り返る。
「それじゃ、あたしは行って来るけどちゃんと食べて元気になるんだよ。」
イザネにそう告げるとメアリは台所から出て行ってしまった。
「昨日はどこ行ってたんだよ東風?」
台所から出て行くメアリを見送ったイザネがスプーンでスープをすすりながら訪ねる。
「マーガレットさんの息子さんのロバート牧師に会いに行っていました。
べべ王さんからは皆に余計な気を遣わせないよう口止めされていたのですが、イザ姐はマーガレットさんと特に親しかったですし、お話しておきます。」
イザネのスプーンを動かす手が止まった。
「そうか、俺達の冒険者ランクじゃ他の街に入れないから、忍び込めるお前しか会いに行けないのか。」
「はい。
いい人でしたよロバートさんは。
冒険者ランクを上げさえすればロバートさんの住むスレエズの街にも入れるようになりますから、いつか皆で会いに行きましょう。
あの方なら、きっと喜んでくださいますよ。」
東風は今すぐにでもイザネとロバート牧師を会わせたかった。
ロバート牧師ならばイザネの心をも救ってくれるに違いないと考えていたからだった。
「俺は会いたくないな。
だって合わせる顔がないじゃないか。」
イザネの顔が曇るのを見て東風は慌てる。
「いえ、会うべきです。
ロバート牧師はおっしゃっていました、『幾ら力を持っていようが神ならぬ人の身ならば、及ばぬ事があるのは仕方がない』と。
あの方は全てを受け止めて下さっていますよ。」
「そうか……、なるほど牧師さんらしい考え方だな。」
「それにこうもおっしゃっていました『全ては神の思し召しです。
神は私達に苦難を与えられたが、同時になにか贈り物を与えてくださる筈です。』と。
私にとってのその”贈り物”がなんだったのかを上手く言葉にできないのがもどかしいのですが、確かに私は今までより強く成長する事ができました。
きっとイザ姐だって……。」
「ごめん『神の思し召し』なんて言われてもピンと来ないよ俺は。
けど、俺が落ち込んでても何にもならないのは分かるよ。
ありがとう東風。」
イザネはそう言って笑顔を作り、スープを勢いよく食べ始めた。
それがイザネにとって、今自分に見せる事ができる精一杯のカラ元気である事を東風は察していた。




