ムサク
「大変っ!申し訳ありませんでしたぁ!!!」
床に頭を擦り付けんばかりに、先程のメイドが土下座している。
メイドの土下座などなかなかシュールだ。
「まぁ、俺からも謝っとくわ」
隣ではレオが頭を下げてくる。
「いえ、特に被害もなかったですから」
さすがに主人に頭を下げさせるわけにはいかない。
「貴婦人もすまなかった、これでうまいものでも食ってくれ。あとくれぐれも他言無用でな」
レオは、婦人の手にいくらか握らせて帰らせた。
さて婦人も帰ったところで、聞きたいことに入ろう。
「レオ様、このメイドさんは?」
「あぁ、こいつか。昨日の魔獣たちから造った」
昨日造ったって、昨日魔獣の死体を集めたのはこのためか…。
「ご主人様から昨夜、生をいただいた、アラクネーのアラクと申します」
メイドがスカートの裾をつまみ、頭を下げる。
「いっ、今なんと?」
ルインが動揺する。
「ですから昨夜、生をいただいたと」
アラクが首を傾げながら繰り返す
「その後」
「アラクネーのアラクと申します」
信じられない…アラクネーといえば蟲の王であり、目撃数があまりに少ないことから、伝説上の生き物とさえされている。
「どうやってこいつを…いや、やめておきます。レオ様はいつも想像を超えてきますから」
木の棒から剣や、土塊から宝石を作り出すような人だ。
我が主人ながら恐ろしい。
どうせ聞いたところでよくわからないだろうし。
「レオ様、本日ですが少しお暇をいただきたいのですが」
「おう、いいぞ」
メイドの淹れた紅茶を飲みながら、レオは即答する。
「ちょうど俺もやらなきゃならんこともあったから、ちょうどいいわ」
「ありがとうございます」
主人の許可を得たので、あとは仕事をムサクに引き継ぐ準備をしなくては
ルインは足早に自宅に戻った。
部屋では、ムサクが髪のセットを続けていた。
家を出てから1時間ほどたったというのに、まだ終わってなかったのか。
「ムサク、そろそろ集会の準備と告知をしなければ」
「余裕余裕。俺、台本使わない派だから」
全く呆れたものだ、事前の準備もなしに良い印象を与えられるはずもないのに
「とにかく!髪のセットは終わりだ。いくぞ」
半ば無理やり、ムサクの腕を掴んで家から出る。
村の広場まで来る。
村のどこからでも視認できるようになっている大広場は、発表者用の木造の高台と、ぐるっと周りを囲む建物。
そしてあいかわらず主人の落下のせいで、空いた大穴があった。
「うおっ!何だこの大穴」
ムサクは地下5mほどの高さまで広がっている大穴を
見て驚愕している。
どうしよう…、真実を話せば空から人が落ちてきたのだが…
しかし国への報告書では、空からの落石ということにしてある。
「少し前に、空から落石があってな」
「うおっ、まじか怖!」
ムサクは大げさにリアクションをしているが無視する。
広場に備え付けられた鐘を鳴らす。
家や畑から村人たちがぞろぞろと集まり、あっという間に広場には30人ほどの村人が集った。
ルインは台に上がり、挨拶をする。
「皆さん!本日はお集まりいただきありがとうございます、皆さんにご報告があります」
村人たちの注目が集まる。
「この度、マユニ村の帝国連絡係が私、ルイン=ザルツバーグからムサク=ドレリオに交代になります。では新しい担当のムサクさんに挨拶をしてもらいます」
ルインが壇上から降り、ムサクにバトンタッチする。
「皆さんどうも!ムサク=ドレリオです。ルインくんとは帝国兵養成学校からの仲でして…」
ムサクは滞りなく挨拶を済ませる。
「最後にマウンテンホースのマネしまーす!ヒヒィィィン!!!」
ムサクの歯茎をむき出しにした全力の1発芸に住人から大笑いが起きる
「ヘヘっ、では今後ともよろしくお願いしまーす!」
ムサクが壇上から降りてくる。
昔からの仲なので知っていたがムサクは人とコミュニケーションを取るのが異常に上手い。
村人たちを解散させて、家に戻る。
「どーよ、俺の挨拶は!」
ムサクは得意げだ。
「完璧だったよ、これであとは仕事の引き継ぎだけかな」
「まぁ、つまらなそうな村だな」
ムサクは頭を掻きながらソファーに座る。
「そう言うな。食べ物は美味しいし、税払いの滞りもここ最近はない。良い村だぞ」
まぁ、税払いの滞りがなくなったのはレオ様が宝石を住人にバラ撒いたからなのだが。
「そういえば可愛い娘がいたなぁ」
ムサクがおもむろに言った一言で動揺する。
「そっ、そうか?」
平静を装って聞き返す。
「あぁ、あの茶髪の娘。名前なんだろうなぁ」
ルインにはムサクの声が体をまとわりつくように感じた。
「どっ、どうでもいいだろそんなこと。まずお前には学園時代から付き合っている婚約者がいるだろ?」
そうだ、婚約者。こいつは学園一の美少女とまで言われた婚約者がいたはずだ。
「あー、カレンか。あいつはいいんだよ、もう飽きたしな。そろそろ新しいセフレ作ってもいいかなと思ってたし」
ふざけるなよ…!
ルインは、内心怒っていた。
カレンといえば養成学校時代に同期の誰もが惚れた女で、天真爛漫な性格と笑顔の似合う女学生だ。
育ちも帝国の侯爵家だからか常に背筋がピンと伸びて、誰に対しても丁寧な言葉遣いを崩さなかった。
ルインもそんなカレンに恋心とまではいかないが、似たような感情を抱いていた。
が、そんな彼女は17の年に学校を辞めた。
妊娠をしたのだ、ムサクの子を。
もちろん醜聞を晒したくないカレンの家は、彼女を家から追放し、またムサクの情報を隠蔽することで地位を保つ形となった。
学校を辞めて、しばらく後ムサクに連れられカレンの住む家に行ったことがある。
養成学校のあった街の郊外にひっそりとたたずむ一軒家。絶縁こそするが、愛娘を不憫に思った両親が数年は暮らせる生活費とともに渡したのだという。
一軒家の外壁にはツタが絡まり、ところどころひび割れもひていた。また川からも遠く不便な立地で、ムサクと共に汗をかきながら向かった。
扉をノックもせずに入ったムサクの後に続いて入ると、薄暗い居間で赤子を抱く赤毛の少女。
母と呼ぶにはあまりに若く美しい少女は、ムサクを見て満面の笑みで駆け寄り、赤子を抱かせ幸せそうな表情を浮かべた。
「ねぇ、学校のみんなは元気?ムサクくんは卒業して兵士になるもんね。卒業したら川の近いところに住みたいな、ここだと水汲みでもすごい時間かかっちゃうから」
しっぽを振る犬のように、ムサクに話しかける
ムサクは「おっ、おう…」と噛みきれないような返事をし
「今日はルインも連れてきたんだ」とカレンの目を見ずに紹介した。
カレンはムサクに向けていた目をルインに向けると
「久しぶり〜!ルインくんは元気だった?そうだ!赤ちゃん抱っこする?」
と明るく振る舞いムサクに赤ちゃんを渡すよう促した。
腕の中でキョトンとした顔でこちらの顔を見つめる赤子は母親譲りの赤毛とまん丸とした愛嬌のある目をしていた。
「名前はミサキ。ムサクくんの名前を両端1文字ずつ上げただけで女の子の名前になるんだよ!」
嬉しそうにカレンは娘の名前を教えてくれた。
ルインはなんだか奇妙な違和感のようなものを感じて、赤子をカレンのもとへ渡しムサクと共にいそいそと家を出ていったのだった。
「ムサク、流石にカレンさんをおいて浮気するなんて言うなよ…」
ルインは思わず拳を強く握っていた。
「あ?何だお前、真面目かよ。だいたいよぉ、俺は堕ろせって言ったんだぜ?」
ムサクは肩をすくめて言う。
「お前…!」
ルインはムサクを睨みつける。
「あっ、わかった。お前、俺がモテるから嫉妬してるんだろ!ハッハッハ」
見当違いな解釈をするムサクに頭痛がしてきたので会話を終わらせる。
「もういいや、とにかく女遊びなんて考えるなよ」
ルインは強くムサクに釘をさして、家と隣接している執務室に向かっていった。
そのルインの後ろ姿を見て、ムサクは「ふぅん…」と下卑た笑みを浮かべるのだった。