第三話
女の腕が人夢に振り下ろされる直前。坂上は体を捻って女の足を払う。突然のことに驚いたのか、女は簡単にバランスを崩し、後ろに倒れそうになる。
その隙を坂上は見逃さなかった。腕を首に巻きつけ、胴体を足で挟み込み、そのまま一緒に倒れる。
「ぐぎゃぁぁぁあああ!!!」
女は必死に両手を振り回すが、坂上は足に力を込めて決して離さない。巻きついた女性の華奢な体をぐいぐい締め付けていく。
そして、坂上は腕を首に巻き付けて締め技を決める。
しばらく坂上が奮闘すると、途端にうめき声がやんだ。そして、坂上も腕を離し横に倒れ込む。
「はぁ、はぁ、そこの君、もう大丈夫だからな」
息を切らしながら坂上は女の子に笑いかける。女の子がまた泣き出した声で人夢はふと冷静に戻った。
人夢は携帯電話を取り出して、急いで救急車を呼んだ。
場所を伝え、携帯を切った時、何もないところから声がした気がした。
小さな声。女性のもののようだ。
気のせいではないかと隣で横になる坂上に問いかける。
「坂上、なんか今小さな声が聞こえなかったか?」
「ごほっ。ごほっ!ラーメン腹一杯食って腹に一撃もらってるんだ。んなもん聞こえるかよ。ごほっ。吐きそう…」
人夢はじっと耳をすます。何もないはずの空間から、イヤホンからの音漏れのようにその声は聞こえる。
「……けて……すけ…て」
幻聴のようにも聞こえるその声は人夢にも、次第に聞こえなくなった。
その後、救急車が来て首を絞められていた女の子や、坂上には何も問題は無いと知って安心できた。
人夢と坂上はその後すぐに事情聴取された。
坂上は自分が女性相手に本気で首を絞めたことに対して、必死だったから仕方がなかったと主張していた。
しかし、警察の人は賢明な判断だったと褒めていた。人夢もあの坂上の勇敢さには驚いた。普段のおちゃらけたイメージとは違う一面を見た。
そして、同時に自分の無力さを痛いくらい思い知った。何が正義の味方だ、馬鹿馬鹿しい。
女一人にビビって女の子一人救えない。いや、救おうともしない。
それがものすごく情けなかった。
幸い、今日は金曜日で明日、学校もない。
人夢と坂上は退院する女の子を見送ってから帰ることにした。
「本当にありがとうございました。何とお礼を言っていいか……」
その子の母親は二人に何度も頭を下げた。
「最後まで守ってくれてありがとう」
最後に、女の子が人夢のもとに駆け寄ってきて、人夢の耳元で何か言った。
女の子は照れ臭そうに手を振るとお母さんと一緒にタクシーに乗り込んだ。二人はそのタクシーが見えなくなるまで眺めていた。
「守ってくれてありがとう、、か。ははっ。俺は何もできてないのに、悪いことしたみたいな気分になるよ」
「そんなことは無いぞ」
坂上は手を振ったまま横を向くこともなく言った。
「お前はずっとあの子の前に立ち塞がっていたじゃないか。俺は、その、なんだ、そう!柔道やってたりしたから、自分で言うのもなんだが力があっただけだ。あの時、俺一人しかいなかったら隙を作れなかった」
坂上は人夢に向かって笑って言った。
「俺たち二人が掴んだ勝利だ」
人夢が坂上と分かれて家に帰るともう時間が遅くなっていた。野上家は母親が人夢がまだ小さい頃に他界。父親は出張に行っているし、一人っ子なので家では大抵一人だ。
風呂に入ってテレビをつけると早速あのニュースをやっていた。
(再び怪奇事件、女性、女児に襲いかかる。)
「女性は意識が無かった……か。仕事帰りに黒い何かに取り押さえられた……と主張……?」
確かに精神状態は明らかにおかしかった。何か薬物をやっていたとか、催眠をかけられていたとか言われても納得できるレベルだった。
ふと、脳裏に放課後の教室での陽菜の声が蘇る。
黒いUMA事件、行方不明事件ともつながる。なら彼らは女の子を誘拐しようとしたのではないか、しかし何のために?
そして。
「微かに聞こえてきたあの声は一体なんだったんだ?どこからか聞こえてきたあの声。まさか、あれは誘拐された子の声!?あの女の子が二人目になるところだった?だとしたら………?」
瞬間フラッと人夢はベッドに倒れ込む。力が入らない。
「まだそんなに遅くないのに。またいきなり眠く………」
人夢の視界が暗くなる。
人夢は夢の中で謎の黒い生物が襲い来る中、剣を振り回して突き進む。
「ぐぎゃああああ!!!!!」 「ぐりゅあああああ!!!!!」
切り倒された生物は次々と倒れていくが、進む程に数を増していく。それでも人夢は一心不乱に前進を続ける。
前進するにつれ増えていく時は大概、やつらの住処がある。しかし、ここまで大人数を相手する機会は初めてだ。
切っても切ってもすぐに黒い影が両手を広げて立ち塞がる。赤い目がその存在感をうざいほどにアピールしている。
(これまでにない数だ……。間違いなくこの先に何かがある。あいつらにとって俺に近づかれたくない何かが!)
仕留める、というよりも押しのけながら進んで、人夢はある物を目にして驚愕した。
大きな岩の表面に鉄の扉があったのだ。立派な出来、間違いなく彼らの、あの生物達が作った物ではないだろう。
(おかしい…この世界に人はいないはず………一体誰がこの扉を?)
人夢が立ち止まったところを狙って黒い影が一気に襲う。それをいち早く察知してすぐに横に回避する。
「お前らにかまってる時間はない!!」
人夢の手を炎がまとう。炎が発生させる光に、生物達は恐怖を感じ一歩後退する。
人夢は目を閉じる。
(俺にとって、ここは夢の世界。魔法や技はイメージさえ掴めれば大概のことはできる)
「爆炎弾!!!!」
人夢が目を開き、腕を振ると手から炎が離れる。その炎は一気に爆発して、粉塵が舞う。その砂埃の中、いたるところから叫び声が響く。
爆炎弾は、文字通り炎が爆発する技、原理や仕組みは人夢にも分からない。頭でイメージしたものを投影しているだけだ。
魔力がもつ限り、人夢は様々な技を何度も放つことができる。
確かにこれだけ聞くとかなり強そうに思えるが、大きなデメリットとして、この技はこれぐらいのエネルギーが必要である等の基準が不明な点だ。
もしガス欠になれば動けなくなるし、大きすぎるエネルギーを一気に使えば体が持たない。不安要素である魔法は出来る限り使わないのが得策なのだ。
「爆炎弾にはそろそろ慣れてきたみたいだな」
人夢は勢いよく手を払って灯した炎を消すと、扉に手をかける。ギギギッと重い音を出しながら押していくと、そこは暗い洞窟になっていた。
奥からかすかに光がこぼれていて、ぐるぐるというあの生物の鳴き声も聞こえる。
「ここにやつらの巣があるって訳か。よし…進んでみるか…」
人夢は手から炎を発生させて明かりを灯す。足元にはあの生物のものと思われる足跡が複数奥へと続いていた。
(あいつらがこんなところを住処にしていたとは…)
周囲を用心しながら進んでいくと、奥から大きな声が聞こえてきた。人夢が驚いたのは、声の大きさではない。日本語。
この世界では聞くことのないはずの聞きなじんだ言語。
人夢はすぐに洞窟のなかを走りだした。声がどんどん鮮明に聞こえてくる。
「誰か助けて!助けて!助けて!!!!!!」
(間違いない!あの時、坂上と女の子を助けた時に聞こえてきた声だ!)
人夢は汗が止まらなかった。あいつらは現実世界を何度か行き来し、人間をさらっている、その事実が判明したのだ。噂程度だと思っていたが、もうすでにやつらの手は現実世界に届いてきている。
そうなると奇妙な女性が女の子を取り押さえているためであり、人夢と坂上が駆けつける前には、もうすでに……
洞窟の奥には下へと続く階段があった。下の方から機械音やあの生物の声が聞こえる。そしてそこから助けを求める声が響いている。
「助けなきゃ…絶対に助けなきゃ…俺は!!!!!!この世界ではヒーローでなくちゃならないんだ!!!!」
確かに、現実じゃ女の子を一人で守ることはできなかったけれど、ここでは強い自分になれる。
何度も、何度も自分に言い聞かせる。
人夢は剣を抜いて光が漏れる階段を一気に駆け下りた。