41. 母の願い(ルイーズ視点)
階下で夜会に向かう子たちの賑やかな声が、少しずつ遠ざかっていく。
ルイーズは3人を見送りに出ると、少し早めに部屋に引き上げてきていた。
ドアを開けて飾らせた薔薇の香りに癒され、
「あぁ…」
誰もいない空間に向かって一気に息を吐き出した。
分かっているのだろうか。
ビスマルクの能力は、両親の能力を子供に遺伝させること。
つまり。
「グランチェスターだけじゃない。レーゼン様の、ザインツ公爵家の能力も引き継ぐってこと!ちょっとは気にしてー!」
「ルイーズ、どうした?」
部屋のドアを開けた瞬間に飛びこんできた妻の叫び声に、夫レオナルドはビクッと顔を引きつらせた。
辺境伯である夫は武人としても名君としても名高いが、妻には滅法弱い。そして妻は社交上は完璧な辺境伯の妻であるが、実は研究者タイプの歯に衣着せぬ女性である。
「ねえ、わかってる?」
「…な、何がだ」
その妻の据わった目に、夫はギクリと身を引いた。
「あの2人の子供、ものすごい能力を持って生まれてくるわよ!」
「まぁ、そうだろうな」
クールビューティーと称されるソフィアの母でありながら、なんとも情熱的な我が妻だ。我が家の再婚事情を知らない者からは「お嬢様は御父上に似ておられる」と言われることも多いのだが、果たして自分もたまにそんな気がしてくる。
「今日はハーブティーにするかい?」
だが、妻の剣幕にも慣れているのか、夫は穏やかに椅子に腰を下ろし、侍女を呼んだ。
まったく!
このテンションの差ったら。
「そうだろうな、じゃないわよ。あのね、それも1人だけじゃないの、ソフィアが10人子供を産めば、10人とも個体差はあれど、ものすごぉぉい能力を持って生まれるってこと」
「10人も産むのか?」
ポカンとした夫の顔に、ルイーズは仰天して叫ぶ。
「いや、そこじゃなくて!」
「ふむ」
「それって闇の属性だっていう、あの、なんだったかしら、ええと…」
「ユリウス・ルクレール」
いたって冷静沈着な夫はシレッと侍女に運ばせたお茶に口をつけつつ、優雅に合いの手を入れる。
「そうだったわ。そのユリウス様との婚姻も不安だけど、レーゼン様との婚姻も不安だらけよ!サラマンダーの大神官の能力よ?もっと気にするでしょ、普通!」
「まぁ、そうだな」
まったく、この夫は!と暖簾に腕押しの相槌に、ついにルイーズは脱力してお茶のカップに手を伸ばした。
「うちの息子ほどじゃなくても、ソフィアのことを本当に愛して大切にしてくれる男性じゃないと不安すぎるわ。…それなのに、婚約者が他の男にエスコートされて、お揃いのドレスを着て、ファーストダンスまで一緒にって、それを許すレーゼン様はどうなっているの!?甘いわよ!」
「うーん、甘い、かな?私にはむしろ…」
ゴニョゴニョと言葉を濁す夫に、ルイーズは不審げに目を向ける。
「むしろ、なぁに?」
「……むしろ、レーゼン殿を本気にさせるとソフィアが大変な目にあいそうな気がするよ」
「え?」
夫の意外な言葉に目を丸くする。
「お前も驚いただろう?あの2人の同調具合には」
「…えぇ、まぁ、そうねぇ…」
ルイーズは微妙な顔で黙り込んだ。
あの2人の、まるで夫婦かのような魔力の混ざり具合には、内心で目を丸くしたのだ。
「直接、レーゼン殿から説明を受けたし仕方ないと了承もした。だが、全くその気のない相手と魔力の同調など出来るはずもない。エスコートがどうあれ、夜会では随分と派手な牽制になるはずだ、あれは」
本当に。
やることはしっかりやっているのだ、レーゼン・ザインツという男は。あの澄ました顔で。
「今夜の夜会で、更に2人の間柄が周知されるだろうな」
案外、もう本気にさせてしまっているのかもしれないな。
ぽつりと呟く夫に、妻はなんとも言えない顔で眉根をよせ、ぽつりと一言。
「ただ1人、気付いていない我が娘が、年頃の娘として残念ではあるわね」
「あれは…まぁ、そうだなぁ…」
くくくっと夫妻の笑いが部屋に生まれた。
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「旦那様、失礼いたします」
慌ただしくノック音がし、返事をする間もなく飛びこんできた執事に、2人はさっと表情を改めて目を向けた。
「どうした」
ここは辺境の地。何かあれば即軍事行動もあり得る。
緊迫した辺境伯夫妻の顔を見て、執事はハッと姿勢を正した。
「失礼したしました。ギャレット様から連絡があり、今から至急戻られるそうです」
「もう、か?まだ早いだろう」
「途中でご退席との連絡が入っております。また、お戻りはルクレール家の御子息方3名もご一緒とのことですが」
「は?ルクレール家?」
ポカンとする夫とは対照的に、妻は身を乗り出す。
「3名って?」
「はい。ユリウス・ルクレール様と兄君方2名とのことです。また旦那様と奥方様にもご同席賜りたいとのことですが…」
「訳がわからないが、同席はしよう。準備を頼む」
丁寧に礼をし、機敏な動作で階下へと降りていく執事の足音を確認して、夫妻は目を合わせた。
「あなた、これは…」
「うむ」
難しい顔で黙り込む夫に、妻は力強く頷いた。
「チャンスですわ!」
「え、えっ?何だって?」
妻の発言に目を瞬かせる夫に、妻は笑ってみせた。
「どっちに転んでも大変な道ですわ。ならば、あの娘のことを心から好いてくれている方に嫁がせましょう」
「うーん…」
それでいいのか、辺境伯は曖昧に首を傾げた。
「ソフィアの気持ちはいいのかい?」
それが先なのではないか?という、夫の真っ当な意見は、残念なことに妻により一蹴される。
「ルクレール家の方はお会いしてみないと何とも言えませんが、2人ともスペックは最高レベルです。気持ちなど、後でどうとでもなりますわ」
「…そ、そうか?」
今度こそ夫はハッキリと眉根を寄せた。
女とは、そんなものなのだろうか?
いや、そこはもっと娘の気持ちを大事にするべきではないか?
貴族は政略結婚が当たり前の中、あくまで恋愛結婚を貫いた辺境伯は頑張った。
「気持ちのない結婚は、出来ればさせたくない」
「嫌いでなければ良いのではないですか?」
だが、妻にバッサリ切られた…。
「ただでさえ背負うものの多い娘ですもの。夫にはたくさん愛されて幸せになって欲しいではありませんか」
ルイーズはぽつりと。
だが、母として”より確実な“娘の幸せを望むと言った妻に、夫は暫く黙した後、静かに頷いた。
「まぁ、ダメなら帰ってくればいいからな」
「えっ!?」
「えっ、って…ギャレットも喜んで迎えるだろう?」
「そ、それこそ一番親として望んではダメなことではありませんか…。だいたいギャレットも早く結婚して欲しいっていうのに…!」
この親バカ!と妻は延々と説教をしながら、やはり箱入り娘を嫁に出してやらねばと固く決意するのだった。




