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40. 術者



ゴォォォンと低く低く地響きがした。地下から噴き出るマグマさながら、尋常ならざる魔力を感じる。

これは…

思わず眉根を寄せると、オリバーは風の魔術を身にまとい空を駆けた。




「なんだ、これは」

木々は薙ぎ倒され、地面は所々大きく陥没し、当たり一帯が息苦しいほどの魔力で支配されている。

思わず弟は無事かと目を走らせると、一角に見覚えのある結界とシルエットを認め、ひとまず安堵する。

「アルフォンス」

狙って降りていこうとすると、ヒュッと空気を切り裂く音がして、旋風が襲いかかってきた。

恐ろしいほどの魔力の源、つまり風の発生源を見れば、やはり。

「レーゼン・ザインツ」

やりすぎだ。

ここまで一人で持ち堪えた弟を褒めるべきだな。

「私はオリバー・ルクレール。レイバーン皇国、ルクレール公爵家の長男だ。我々への攻撃の中止を要請する」

「貴殿らは不法侵入、違法入国だ。身分は関係ない。拘束する」

だが、容赦ない冷徹な声とともに更に攻撃が襲い掛かった。




「兄上!」

「心配ない。援護しろ」

「いえ、そうではなく、ソフィア嬢は」

それか。

思わずため息を漏らし、もう一人の弟、アルフォンスへギロリと視線をやる。

「伝えるべきことは伝えた」

「まさか、連れていかないのですか。何のために私が…」

「ソフィア?貴様ら、妹に何をした」

ブツブツ文句を垂れるアルフォンスを遮り、さらに一閃。強力な魔力が降ってきた。

「妹。なるほど、貴殿がソフィア嬢の兄上か。言っておくが彼女は無事だ。傷一つない。我が弟が大事に守っているからね」

ヒラリと刃を交わし、碧眼の男を横から突き出して倒す。

普段、魔獣や聖獣と戦うことの多い私だが、なかなかこれは骨が折れる。

「弟だとぉ??あいつ、今度こそ殺す!」

やれやれ。

ユリウスも大した嫌われようだ。

一瞬、妹のことで隙が生まれたのだろう。今にも飛んでいきそうな男の右腕を瞬時に魔力で拘束し、地面に叩きつけた。

「殺されては困る。我がルクレール家の次代当主だ。我々も将来の親戚として仲良くしたいものだが」

無理だろうな。

最後の言葉を飲み込んで、くつくつと笑うオリバーを見上げ、ギャレットが魔力を目一杯地面に叩きつけた。




「レーゼン、今だ!確実に殺れ!」

ギャレットが有りったけの魔力を地面に叩きつけ、自らの右腕を拘束していたオリバーの魔力を逆に鎖として利用すると、逆に拘束された形のオリバーの喉元に突きつけられる一本の刃。

「ギャレット、無事か」

声の主は背後の友へ言葉をかけつつも、手元の刃と視線だけは前から離さない。

「降参だ」

余裕綽綽で両手を上げたオリバーに向けるレーゼンの目は、すっぽりと感情という感情が抜け落ちていた。

なるほど。これがこの国随一の攻撃力を誇るサラマンダーのトップか。

「さすがだ。この私とアルフォンスを捕らえるなど」

「兄上、私は囚われておりませんが」

まったく、涙が出るよ、我が弟よ。

「お前ら、ソフィアに何をした」

目を血走らせてギャレットが詰め寄ってきた。

「貴殿の腕も大したものだ。さすが次代のローズベルグ辺境伯」

私の言葉にぴくりと眉を動かすと、視線だけで人を殺しそうな目で睨みつけてきた。

「貴様っ!」

「レーゼン・ザインツ大神官。君はソフィア嬢が心配ではないのか?」

チラッと目を動かすと、静かにたたずむ一人の男。

投げかけられた言葉にも反応せず、オリバーの喉に刃を突きつけたまま微動だにしない。

「レーゼン?」

友の異常に気付いたのか、ギャレットが気遣わしげに振り向くと、ぎくりとした顔で固まった。

「………」

ごくりと唾を飲み込む音がやけに暗闇の庭に響く。





「ソフィアはサラマンダーの上級神官。貴殿に心配いただく必要などない」

「……」

地を這うような低い声に、じとりと背中を嫌な汗が伝い落ちた。

「それにしても」

じりっと僅かに距離をつめられただけだが、この威圧感。

静かに佇むこの男がこの場を支配しているのだと、誰もが悟った。

「他国の貴族が我が国で好き勝手に魔力を行使し、あろうことか俺の婚約者にまで手を出そうとは」

淡々とした言葉の裏に、底知れぬ怒りを張り巡らせ、声を低める大神官の様相は異様だった。

「身の程を知れ!」

突然の怒号と同時に、ビシリと地面に巨大な亀裂が走った。

危ないと分かってはいるものの、レーゼンの魔力に暴力的に身体を抑え付けられ身動き一つ取れない。

ヒュッと喉がつまり、一瞬だが気が遠くなった。




「レーゼン、抑えろ!やりすぎだ!屋敷が崩壊する!!」

焦ったギャレットがレーゼンを止めに入るが、レーゼンの猛烈な魔力の前に腕一本上げられない。

「兄上っ!」

「アルフォンス、お前は結界を維持しろ!こちらは心配するな!」

今度こそ兄を心配したらしい弟へ声をかけるものの、状況は最悪だ。

サラマンダーが随一の攻撃力を誇る精霊だということは知っているし、その大神官ともなれば相応の力を持つと理解していた。

が、これほど圧倒的だとは思わなかった。

ビシリと地面を大きく割るほどの魔力を放出してなお、汗一つ掻いていない。これでは、この後の最悪な事態さえも十分予想されようものだ。

背後の屋敷からはパニックになった客の悲鳴やら皿の割れる音、異常を察知した馬の鳴き声が響き渡り、大変な混乱ぶりを呈している。




だが。

「兄弟を代表し、非礼は如何様にも詫びよう。だが、私が名乗りを上げ、姿を現したのには理由がある。レーゼン大神官、貴殿の婚約者の将来にも関わる話だ。聞いてもらいたい」

ここで引くわけにはいかないのだ。

相手がどれほど凶暴な魔獣だったとしても、この身を大幅に削られようとも、交渉のテーブルに乗せてみせる。

「分かった」

数秒の沈黙の後、レーゼンが短く答えた。

ほっと息を吐きそうになるオリバーの横を、ヒュッと鋭い魔力が突き刺した。

ツッと頬から一筋の血が流れる。

「だが、オリバー・ルクレール、警告しておく。二度とこのような真似は許さん」

「このような真似とは、つまり?」

私の返答にぴくりと、レーゼンは眉を上げ、口を開いた。

「我が国への許可なくしての入国と敵対行為だ」

「了承した」

今度こそオリバーが口の端を上げ、深く頷いた。





咎めたのは違法入国と敵対行為か。

「兄上、怪我は?」

そばにやって来た弟に軽く頷き、オリバーはあらためて地面の亀裂を見た。

「思わず、やってしまったってところか」

「ああ。火の大神官が地面を割るなど、聞いたことがない。火のみならず風や土の魔力も桁外れ、ナイフの扱いも素人ではない。先陣を切って闘う将だな」

軍人らしくアルフォンスが述べると、オリバーは曖昧に頷いた。

「そうだな」

違う。

本心は瞬時にそう答えていたが、さすがに声に出しては憚られた。

今、真に注目すべきは、レーゼンがソフィア嬢に思いもよらないほど強く執着しているという事実だ。

2度と許さないのは国への違法入国と敵対行為。つまり、ソフィア嬢への干渉ではない。

それは、ソフィア嬢の意思を尊重するという姿勢の表れであり、また、これほどまでの魔力を爆発させたのも、ソフィア嬢への愛情ゆえだろう。

感情が理性を超えたのだ。

だから、「思わずやってしまった」のだろうと言ったのだ。




いっそ、強引で婚約者の意思など顧みない、そんな婚約者なら良かったのだ。

レーゼン・ザインツはこの婚約に関して、どこまで腹を括っているのだろうか。

「ソフィア嬢の反応はユリウスに軍配が上がっていたと思うのだが」

やれやれとボヤく長兄に、アルフォンスが一言。

「俺が女ならユリウスを捨ててザインツ大神官に奔る」

「……は?」

目が点になる長兄のことなどお構いなしで、アルフォンスは続ける。

「レーゼン・ザインツは戦いは最小限だが、存外、好戦的な男だ。普段女に興味はないって顔をして、手を出すのは誰よりも早い。ああいうタイプは女に不自由はしない。そんな男が婚約者は必ず守るときたら、ま、普通の女なら落ちる」

「……はぁ」

頷くに頷けず、深呼吸をして…、オリバーはため息をついた。

そうだな、我らが弟ユリウスは、女にモテまくっているが、本命には悲しくなるほど不器用なタイプだ。

胡乱な目をした長兄に気付くこともなく、アルフォンスは独りごちる。

「今はユリウスの方が優勢でも、すぐひっくり返される。だから、そうなる前に攫えと言ったのだ。ただでさえ状況は不利だというのに」

「……」

確かに。

ソフィア嬢をさっさと攫うリスクと…

「いや、アルフォンス。言っておくが、ソフィア嬢は簡単に攫われてくれるような令嬢ではないぞ。ユリウスを賊と勘違いして燃やそうとしていた」

思い出してクククっと笑う兄に、アルフォンスも何やら興味を引かれたらしい。

やがてオリバーは弟を促して歩を進めた。

「お前の言わんとすることも分かるが、アルフォンス、今は黙って見ていろ。ユリウスは我ら公爵家の跡取り。今回はその本気が見れるかもしれん。勿論その場合、我々の方も覚悟が必要だがな」

もとより、我々には諦めるという選択肢はない。

が、ユリウスの力は、正直なところ、底が見えないほど強大だ。その弟の本気は、出来れば拝みたくないというのが本音だった。

「あぁ……」

同じように思ったのか、アルフォンスは低く唸ると押し黙った。

それにだ。

レーゼン・ザインツが何を捨て置いても彼女を離さないというなら、仕方ない、最後は攫うしかない。

だが、ヤツはどこか一線を引いていて、ソフィア嬢に選ばせようとしている節がある。

「これだけの情がありながら、な」




暗闇の中、深く亀裂が入って剥き出しになった大地の爪痕を見下ろし、オリバーは重苦しく息をついて踵を返した。




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