39. 再会
「どうして、こちらに…」
語尾が消えるように擦れ、ソフィアは呆然と長身のユリウスを見上げた。
ここはユーフェリア国の貴族の館で、催されているのはごく私的な夜会。
「皇太子と一緒に帰国されたのでは…」
「あぁ。招待状なら、ここに」
「えっ?」
目を瞬かせるソフィアに、ユリウスは小さく笑うと懐から白いカードを取り出した。まるで手品をするように翻して見せる。
「だから不法侵入じゃない」
「……」
チラリと見えた偽名は、わざとだろう。
黙るソフィアに悪戯っ子のようにニヤリと笑うと、ユリウスは身をかがめ、ソフィアの耳に口を寄せた。
『愛しいあなたに会うために、恋の翼に乗って飛んできました』
「っ!」
耳元で低く囁かれる甘い台詞に、ソフィアは顔を真っ赤にして固まった。
「というセリフがあってね。我が皇国で今、大人気の戯曲の」
「そ、そうなのですか」
すっと身を引いたユリウスに、瞬間持っていかれそうになり、ソフィアは深呼吸をして心を落ち着かせる。
かつてないほど心臓がうるさい。
どうして、この男性の前にいると、こんなに心が乱されるのだろう。
微かに眉を潜めたソフィアの顔に、ユリウスも表情を改めた。
「ごめん、驚かせた?」
「…えぇ、まぁ、かなり」
自分はあまり大袈裟に顔色を変えない分、あまり周囲には気づかれにくいと思っていたが、ユリウスには正確に伝わっていたらしい。
「危うく炎で焼きそうになりました」
「あぁ、あれはなかなか…君が優秀な神官で良かった」
あれがサラマンダーの炎だと、その炎がどんなものか知っているのだろう。
「ソフィアの冷静な判断と正確な魔力操作のおかげで命拾いした」
クスクスと笑うユリウスに、本当に笑い事ではないとソフィアは渋い顔を作ってみせるが、どうせ効かないことはわかっている。
小さく息をつくと、ふっと周囲に耳を澄ませた。
「まさか、さっきの破裂音は?」
多分、当たっていると思いつつ、ソフィアは確認する。
「あぁ、問題ない。あれは私の兄だ。今回の作戦のために協力してくれている」
「お兄様が?」
向かったのはギャレットとレーゼンだ。あの2人を相手にするのは骨が折れるのではないか。
それにしても、お兄様が協力って…
誰も彼もレイバーン皇国の高官ではなかろうか。
どうなってるの今日の警備、いや、うちの国境警備か。
って、ん?うち(実家)じゃないですか…?
「2番目の兄は相当な手練れだ。今回のことで誰も傷つくことのないよう念を押してある。ソフィア、今はそれより君に話したいことがあるんだ」
遠い目をしているソフィアの疑念には敢えて黙秘を貫きつつ、ユリウスはソフィアの顔を覗きこむように腰を折った。
「話?」
おそらく、彼がここに居る理由だろうと踏んで、ソフィアは頷いた。
「わかりました。が、今ここで?」
そろそろお兄様もレーゼン様も帰ってくるだろうし、と庭に目をやるが、そこは相変わらずの静けさが漂うばかり。
「2人なら、暫くの間、兄上が足止めしてくれているはずだ」
「足止めって…」
「何度も言うが、ソフィア。誰も傷付けないように配慮してある。心配ない」
深い落ち着く声で言われ、ソフィアは自然とユリウスは嘘をついていないと信じられた。
「わかりました。ユリウス様を信じます」
にこりと微笑まれ、ユリウスはウッと息を詰まらせる。
「ユリウス様?どこかお加減が?」
思わず手を差し伸べると、ユリウスは小さく頭を振って、その手を取った。
「いや、君が目の前にいると…。………参ったな」
困ったように口元を綻ばせながら、目はまっすぐにソフィアを射抜く。
取られた手から熱が伝わってくる。
「え…?」
声が擦れてうまく言葉にならないが、霞がかかったように頭がボウッとして言葉が出てこない。
「ソフィア、今日は新月だから周りからは見えない」
「……」
なにが、とは言えなかった。
ただ、頭のどこかでユリウスの言わんとすることを理解して、体が動きを止めた。
「唇にはしない、…まだ」
まだって?という疑問は言葉にはならなかった。
すっとユリウスの体が寄せられ、頬に頬を寄せられるとユリウスの香りがした。
「ソフィア、会いたかった」
すぐそばに感じるユリウスの体温と、仄かな香りに酔いしれる。
あぁ、駄目だ。
これは、とても危うい。
頭でそう分かっていても、体は痺れたように動かなかった。
「ソフィア?」
そっと覗き込めば微かに目を潤ませたソフィアがいて、ユリウスは堪らず柳眉をよせた。
右腕をソフィアの腰に回すと、抱き寄せるように首に顔をうずめる。
「ユ、…リウス……様」
時がとまったように、周囲の音が遠く消え去った気がした。
耳がジンジンと鳴り、心臓がバクバクと鳴り、呼吸が苦しい。
「ソフィア」
懇願するように、ユリウスがソフィアの名を呼ぶ。
「……は…い」
腰に回されたユリウスの腕の力がわずかにこもる。
ユリウスが言葉を発するたび、首筋に微かな吐息がかかり、それが更にソフィアの思考を乱した。
「私と…一緒に来てくれないか」
ソフィアは顔を上げ、視線を合わせた。
一緒にって?
本気で?
それはプロポーズ?
言葉が溢れては消えていき、ソフィアは結局どれも口にすることのないまま、じっと瞳をみつめ続けた。
「用意していた言葉はたくさんあった…。なのに、君のまえにすると全部消えてしまった。情けない」
「そ…っ」
そんなこと!という言葉は、ザッと吹き渡る風に中断された。
これは…魔力だ。それも相当な手練れ。
風にのって感じる微量だが油断ならない魔力に、ソフィアは職業柄びくりと反応した。
「まったくだよ。まったく我が弟ながら情けない」
突如背後に現れた気配に、ソフィアは身を翻して構えた。
と、同時にユリウスが息を呑む。
「だが、それでも可愛い我が弟であり、次期ルクレール公爵だ。ソフィア嬢、ザインツ公爵もいいが、とり澄ました男前な神官よりもっとしつこく偏執的に、それこそ死んでも弟は貴女だけを愛することを保証する。少々重いが。」
廊下の影から突如現れたのは、ユリウスによく似た眼差しの、だが燃えるような赤髪の美形男性だった。その眼差しはソフィアに向けられ、実に愉しそうに口の端を上げている。
「オリバー兄上!」
「参考までに、我らの母上は5年にわたり父を拒否し続けたが、結局は根負けし、結婚した後3人の息子に恵まれた。ソフィア嬢、悪いことは言わない。拒否しつづける時間は無駄とは言わないが、受け入れた方が有益に過ごせる。私の研究も…」
「兄上の研究は関係ない」
バッサリ切り捨てるユリウスに、だが目の前の兄は軽く肩をすくめるだけで気にした素振りもない。
「まったく、コレのどこが死神なのだと言いたいね、私は」
「え?」
死神、という言葉に反応するソフィアに、オリバーはひたと目を合わせ、微かに目を細めた。
「私から言わせれば、偶然と必然の産物だよ。弟が精錬潔白な男だとは言わないが」
「兄上?!」
目を剥いて抗議の声を上げるユリウスに、オリバーは相変わらずマイペースに先を続ける。
「筆頭公爵家の跡取りだ。正論だけで生きていける訳がない。だが、弟が人を殺めてもいいと思うほどの相手は、ソフィア嬢、あなただけだ」
「…はっ、えっ!?」
どうしよう。発言内容が凶悪すぎる!
頭を抱え込むソフィアに、オリバーはチラリと庭の奥に目をやると溜息を一つ。
「グランチェスターの巫女はもう一人、いる」
「えっ」
思わぬ発言に、ソフィアは絶句して息を詰めた。
「だから貴女は心置きなく我が公爵家に嫁いでこられると良い。それを阻むものは何人たりとも我が公爵家が排除する。両親、兄弟、一族そろって貴女を歓迎すると約束しよう」
最後は艶然と微笑むと、オリバーは用は済んだとばかりに身を引き、ユリウスにむかって口を開いた。
「私はアルフォンスの加勢に行ってくる。さすがにサラマンダーの大神官相手に陽動は無理だな」
そうして流れるような赤髪をかきあげると、面倒くさそうに、だが一部の隙もなく、立ち去っていった。
うん、過激だけど。
ものすごぉぉく愛を感じたわ、弟への。
これがルクレールの血なのだろうかと、ソフィアは乾いた笑みを漏らした。
更新が遅れ、申し訳ありません。
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