38. 兄たち(ユリウス視点)
時は遡る。
「で。帰ってきた、と?」
相変わらず目も上げない、大きな机に膨大な量の資料を積み上げ、彼にとっては至福の時間を過ごす中、現れた弟は意識の上ではどうでも良い存在なのだろうが。
「兄上。今はその話ではなく…」
「父上も母上も、家中が期待して待っていたというのに」
まったく。
そう呟いて、だが手だけは別の試料に手を伸ばす。
器用なことだ。
「そもそも、なぜこの件をご存知なのですか」
「愚問だな。お前も知っているだろう、あの地獄耳」
「あぁ」
辛うじて無表情を貫く。
思い切りため息をつく弟を尻目に、兄はついにニヤリと笑みを浮かべた。
肉食獣というか、実に不吉な匂いのする笑みだ。
「ユリウス、お前の女神は実に興味深い」
そう言って、兄はようやく顔を上げた。
オリバー・ルクレール。私の兄であり、ルクレール家の長男だ。
私が産まれたことにより後継の重責から解放されるや否や、母の遺伝子を受け継いだのか引きこもりのようなオタクのようなことをしていると思っていたら、いつのまにか以前からの趣味であった古代獣の研究者となっていた。
滅多に外出することはないが、唯一、遺跡や古代獣の骨を発掘する時だけは嬉々として出掛けては音信不通になる。
だが、今や彼は我が皇国きっての古代獣研究の第一人者。
「なにが、ですか」
興味深いとはなんだとか、女神とはなんだとは言わない。言質はとられない。
「会いたいな」
「だから誰に」
「お前の女神、わがルクレール家の未来の公爵夫人に」
にやりと笑う顔は実に厄介な瞳を爛々と輝かせており、さらに不吉な予感が増す。
「彼女は自国に婚約者がいる身。公にはそのような発言は控えてください」
「公には、ね。分かっているよ。で、いつ会える?」
「……」
話が通じているようで通じていない。ユリウスはため息をついて頭を抱え込んだ。
そもそもユリウスが帰国早々に兄を訪ねたのは、今回の折伏について意見を求めるためだ。それなのに兄は弟の顔を見るや否や一言。「彼女は?」と。ソフィアのことを言っていることは明白だった。当然いっしょに連れ帰ってくるものだと思ったよ、ルクレール家の跡取りとして情けない、などと抜かす。
とにかく話を古代獣に戻そうとソフィアの折伏と聖獣について話をすると、今度は部屋中から資料をかき集め、ブツブツ呟いたまま会話もままならない。いい加減、帰って寝ようかと思い始めていたころに、これだ。
「ユリウス。私はルクレールの長男として我が家の男の性をよく理解しているつもりだよ。父上が母上に執着したように、私のソレは古代獣。そしてお前はソフィア嬢だろう」
「は」
兄のソレは古代獣なのか。やはりというか、それでいいのか。
「目の前にこれほどの被験体がいるというのに、手をこまねいている場合ではない。一刻を争う事態だ。そもそも、私はそこまでお人好しでもない」
兄の不穏な発言にギョッとする。
「兄上!被験体とは失礼です。それに…」
「あぁ、すまない。まぁ有り体に言えばそういうことだが。つまり、私はソフィア嬢に会いたい。ユリウス、お前が連れ帰って来ないのなら、私が出向くまでだ」
「は?」
なんと言った?このオタクは?
「だが、お前もルクレールの男だろう。お前が手に入れてくるんだ」
「……。簡単なことではないのですよ、兄上」
数秒の深い沈黙の後、絞り出すように言った弟を、だがしかし、兄はまったく顧みる様子などない。
「なら私が行くだけだ。穏便に済ませようと思ったからこそ、お前に譲ったのだが」
「兄上、彼女はモノではない!彼女を傷つけるようなことは許さない!」
この研究バカが動けば、彼女は必ず捕らえられ、そして兄の研究の被験体となるだろう。そこに彼女の意思などない。最悪だ。
「ならば、お前が行け」
「なっ!」
「私の研究は必ずや皇国の為になる。それはお前の仕事でもあるだろう」
絶句するユリウスの背後からドアが開く音がした。
「ユリウス、居るのか」
「アルフォンス兄上」
振り向いた先にスラリと騎士服を身に纏う銀髪の男が部屋に入ってきた。2番目の兄、アルフォンス・ルクレール。
「久しいな」
「えぇ」
この兄は近衛騎士団に所属しており、家にはほとんど帰ってこない。最後に会ったのはいつだったか。もちろん、仕事先で兄の姿を見ることは頻繁にあるので疎遠ではないが。
「オリバー兄上が興奮している声が外にまで漏れていた」
「抑えられるはずないだろう、この僥倖を逃す手はない」
「ですから、オリバー兄上、その件は…」
「私もオリバー兄上と同意見だ、ユリウス。私だけでなく父上も」
「…父上も?」
困惑してユリウスは眉根を寄せた。
父上とは公爵その人のこと。父とはいえ…
「必要ならば私もお前に同行しよう」
「…何故ですか」
冴え冴えとしたアルフォンスの眼差しに不吉な予感は確証へと変わっていく。
「ソフィア嬢を迎えに行くのだろう」
「そのつもりではいますが…」
彼女には婚約者が居るのだと…言っても無駄な気がしてきた。我が家はなんとも恐ろしいほどの嫁フィーバーに沸いているのだと、今更ながら気付く。
もちろん、自分とてソフィアを諦める気はサラサラない。外堀が埋められる前に何とか、と思っていた。
が。
この勢いは何なんだ。
「何故、アルフォンス兄上が同行するのですか」
硬い声で警戒する弟に肩をすくめ、次兄はこともなげに言った。
「攫うなら手は多い方がいい」
「攫わない!」
どこまで物騒なんだ、この兄たちは!
付き合いの長い自分には分かるが、これは全く冗談ではない、本気なのだ。
「彼女はモノではない。我が家に迎え入れるなら正当な手順を踏んで…」
「踏んでいたら結婚してしまうだろう、相手はザインツ公爵の長男だ、悠長にしていたら式を挙げられてしまうぞ」
「…っ!」
「まぁ、式を挙げていても問題ないといえばないがな」
「……!」
「というわけだ。ユリウス、準備を整え、明日には出立する」
「兄上!」
とんでもない事態になってきた。
この次兄は口数は少ないが有言実行の権化だ。攫うといえば間違いなく攫うに違いない。そして明日といえば、それは絶対に明日出立なのだ。
「オリバー兄上、なんとか言ってください」
いくらなんでも帰ってきて早々、外交問題を引き起こすわけにはいかない。
「ユリウス、私はアルフォンスに賛成だ。とにかくお前は優しくて仕方ない。相手の気持ちを確かめて尊重して、想いを交わし契りを結び。それも良いが、今は緊急事態だ。のんびりしていたら我が家は断絶だ。そして私も研究人生を全うできない」
めちゃくちゃだ。
そもそも私の子がいなければ兄たちの子に後を継いで貰えばいいだけだ。オリバー兄上は…難しくとも、アルフォンス兄上なら…?
と、アルフォンス兄を見上げると、
「まずはお前が妻を娶ることが先だ。我々は子が産まれなかった場合のスペアにすぎん」
ユリウスの考えを読んだかのように言い放った。
嗚呼。
しばらく目を瞑って、おもむろに目を上げると、そこには涼しい顔をした兄が2人。頭の中は犯罪まがいのことでいっぱいだろう。どこまで傍若無人なのか、なぜ主導権を握られているのか、腹が立つのだが。
言っても聞くような兄たちではない。ならば自分のとる道は一つ。
「分かりました。今から出立します」
たしかに、どんな手を踏んだとしても、ユーフェリア国は彼女を手放さないだろうし、どっちにしろ結果は同じ気がする。ならば周りを固められる前に、今すぐ行動する方が良い。
「父上にも知らせてこよう」
満足げに言ってアルフォンス兄は出て行った。
「せっかくだ。私も同行しよう」
「オリバー兄上まで?!」
ギョッと目を剥くも、目の前の長兄は研究のことで興奮し目が血走っている。
言っても無駄だな。
なぜ2人もの兄を連れて行かねばならないのか、頭の痛い事態ではあるが、ユリウスには分かっていた。
自分は闇の属性の上、死神と呼ばれる縁起の悪さ。ソフィアを諦めるつもりはないが、過去の影が積極的に彼女に手を伸ばすことを妨げる。
万が一、彼女の身に何かあれば。
万が一、彼女を失うことがあれば。
頭のどこかにそういう想いがあって、まるで呪いのようにユリウスの心と身体を縛る。
だから2人の兄はこうも強引にユリウスを追い詰めるのだ。
本当に不器用な兄たちだ。
ユリウスは心中で盛大に溜め息を零した。
どうやって彼女の安全を確保するか。
考え込むユリウスに、オリバーがポツリ。
「お前のジンクス、気になるなら、手を貸してやろうか」
「…兄上?」
まさかという想いで、ユリウスは息を詰めた。
「なにを…」
「婚約しなければいい」
「は」
待て待て。
絶句する弟をチラ見して、長兄は事もなげに言う。
「即結婚すればいい。我がルクレールの力を今使わずして、いつ使うのだ?婚姻に必要な許可証も届出も、何とでもなる。婚約しなければ解消もあり得ない。お前のジンクスも関係ない」
「………」
もちろん、手段を選んでいる場合でないことは分かっているが。
「それではまるで駆け落ちですね」
隣国の公爵家の跡取りと辺境伯家の一人娘が。
大醜聞には違いなかった。
「事実、ソフィア嬢には婚約者がいる。それを横から掻っ攫えば外聞も何もあったものじゃない。ユリウス、お前の覚悟次第だ。醜聞からソフィア嬢を守り抜くと腹を括れるか」
突き付ける長兄にユリウスは思わず顔をしかめる。
この兄たちは、話し合いでソフィアの婚約をどうこうしようなど考えてもいないのだ。ただ、ソフィアを奪うことだけ。
これが自分にも流れるルクレールの血なのだろうか。
まったく。母上ではないが、なんと厄介な。
だがソフィアを手にするためには、結局はそれを是としてしまう自分も同じ穴の狢。
「ソフィアが頷いてくれるなら、私は彼女を愛し、守り抜きます。生涯にわたって」
彼女がこの手を取ってくれるなら。
彼女が私を選んでくれるなら、自分は何でもしよう。
そう覚悟を決めた。




