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37. 訪問


ジョシュア・アロンソ。

視線の先で見知らぬ女性をエスコートしたまま、礼儀正しく頭を下げる男性は、ソフィアの4回目の元婚約者だった。

「レーゼン殿、ソフィア嬢、ご無沙汰しております。このようにご挨拶できる立場にないことは重々承知しておりますが、どうしても…」

「あら、お二人は話し合いの上で婚約を解消したのではなくて?」

と、そこに話をぶった切って乱入してきた女性一名、ジョシュアの腕に密着して目を光らせていた。




「マルグレータ嬢、突然に失礼ですよ」

たしなめるジョシュアに、女性は不満そうに唇を尖らせ、甘えるように腕を絡ませた。

「あなたのために申し上げたのよ?」

「…挨拶もせずに失礼ではありませんか?」

淡々とした中にもうんざりした口調のジョシュアの言葉に、マルグレータは悪びれる様子もなくソフィアの方を見た。

「ファーガソン公爵の長女、マルグレータと申します。レーゼン様、お久しゅうございますわね。それに、夜会にいらっしゃるなんてお珍しいこと」

ソフィアのことをチラリと見て、そのままレーゼンに向けて愛想の良い笑みを浮かべる。

あぁ、わかりやすい方だわぁ。

心の中で少し笑いながら、ソフィアはカーテシーを取った。

ソフィアは伯爵令嬢、相手は公爵令嬢。身分の差は歴然だ。

「ローズベルグ辺境伯の長女、ソフィアと申します。以後お見…」

「ローズベルグ辺境伯のご子息もお見えなのかしら?」

またしてもソフィアの発言をぶった切っていくマルグレータに、ジョシュアは一瞬目を瞑ると、申し訳ないという風にソフィアに小さく目配せした。





いいんですよ、と。

小さくうなずいて、ソフィアはマルグレータに向き直った。

「はい、兄は外で涼んでくると申しまして」

「まぁ。今日はダンスを踊っていただけるのかしら。ねぇソフィア様、いくらお兄様がお優しいからといって、いつまでも妹の地位を振りかざしてお兄様を独占していてはいけなくてよ?」

意味が分からない。

この方はお兄様と踊りたいの?

エスコートされているジョシュア様は??

なんと答えたものかと戸惑うソフィアを見て、ジョシュアが付け加える。

「私とマルグレータ嬢は婚約する予定です。まだ正式ではありませんが」

こんな形で知られたくなかったと小さく呟いた声は、誰にも届かなかったが、レーゼンだけは同情するように嘆息した。

「そうなのですね…」

微妙な表情で頷く。

その様子をなんと思ったのか、マルグレータはくすりと口の端を釣り上げて笑った。

「未来の大公妃ともなれば、相応の身分の妻が必要でしょう?」

ほほほ、と笑うマルグレータに、ジョシュアは完全に表情を消し、場は気まずい沈黙に静まり返った。




大丈夫かしら、この権謀術数が渦巻く貴族社会でやっていけるのかしら?

他人事ながら心配になるほど、この令嬢の嫌味は分かりやすかった。

と。

もう何も発言すまいと笑みを浮かべて口を噤んだソフィアの頭上から、サァッと冷気が流れる。

「マルグレータ嬢。ソフィアは私の婚約者、次期公爵夫人となる者だ。侮辱は許さん」

瞳に冷たい光を宿したレーゼンが口を挟む。いつもと違って貴公子然とした口調が逆に恐ろしい。

「え…?」

だが、そこには頓着した風でもなく、マルグレータはポカンとして目を見開いた。

「まさか、だって…セーラ様は?」

セーラ様?

初めて聞く名前に、ソフィアはふとレーゼンに目を向ける。

「セーラは、幼馴染だ」

少しの逡巡も見せずにレーゼンが言い切ると、マルグレータは目を丸くし、扇子をパラリと広げ口元を覆った。

「王弟殿下のご息女で、王子の従兄妹でもあられるセーラ様を差し置いて、なぜこのような、伯爵令嬢を婚約者など…!」

「マルグレータ嬢!」

「言葉を慎むように。マルグレータ嬢」

焦ったようなジョシュアの声と同時に、さらに冷え冷えとしたレーゼンの声が響き渡る。気づけば周囲は静まり返り、談笑をやめた人々が興味津々に聞き耳を立てていた。




「マルグレータ嬢。今の発言は辺境伯家を蔑ろにするものだ。いかにファーガソン公爵令嬢でも無礼だよ」

ジョシュアが強い口調で婚約者を咎める。

その強い言葉にマルグレータも少し怯んだように目を彷徨わせ、そして口を尖らせた。

「失礼しました。私、栄誉あるローズベルグ辺境伯家を貶めるつもりはございませんでしたの。ただ…セーラ様はレーゼン様の婚約者としてほぼ内定も同然とお聞きしておりますし…。それに、こちらの方は今までに何度も婚約を解消されているとか。そんな方と…」

心底納得がいかないという顔でマルグレータは、最後はソフィアをみて問いかけた。

「私は…」

過去の婚約解消のことをとやかく言われることには慣れていた。ただ、セーラ嬢がどんな方なのか、レーゼン様との関係は…?などの疑問が頭を駆け巡り、ソフィアは微かに柳眉を寄せた。




「惚れてるんだ」

よく通る声が頭上で響いた。

は?

頭が一瞬フリーズし、ソフィアはポカンと口を開ける。

周囲が一瞬で静まり返ったかと思うと、ご婦人方の高い声が上がり、ついで低いどよめきが会場中に広がっていった。

「……」

レーゼン様の声に聞こえたけど、あれは何?惚れてるって、誰が誰に?

あれ?この婚約にこんなオプションが付いてたっけ?

「妻になって欲しいと膝をついて請うたのは俺だ。家も血筋も過去も関係ない」

「家も血筋も関係ないだなんて…貴族の序列や秩序は…」

「俺にとって、そんなものよりソフィアの方が大事だ。彼女を護るために必要なら何でも、…爵位だって継ぐ」

爵位というくだりで、周囲が騒つく。この場合、筆頭公爵家のことだから当然だろう。

「それは公爵位をあまりに軽んじていらっしゃるように聞こえますわ」

ギリっと歯ぎしりの音が聞こえそうなくらい、マルグレータは顔を歪めた。

「あなたとここで爵位や公爵の務めについて論じるつもりはない。だが、覚えておかれよ。辺境伯家の令嬢でありサラマンダーの上級神官でもある彼女への侮辱や無礼は、俺へのひいてはこの婚約を認めてくださったザインツ公爵当主への侮辱と見做し、容赦はしない。覚悟することだ」

最後は周囲にも聞こえるように眼光鋭く辺りを見回すと、そこにギャレットの姿を認めるや否や、ソフィアの手を引いて腰を抱き寄せた。

「失礼する」





「レーゼン様」

「なんだ?」

喧騒を抜け出したバルコニーで、飲み物を手にしてソフィアは目の前のレーゼンを見上げた。

遠目にギャレットがやって来ようとしているのを視界に捉え、その前にとソフィアは口を開く。

これは一応、擦り合わせておく必要がある気がする。

「先ほどの発言なのですが」

「うん?」

素知らぬ顔でシャンパングラスを無造作に傾けると、ソフィアを流し見た。

「率直に申し上げます。惚れてるって発言は粉飾ですよね」

「粉飾、ねぇ」

ふっと息をついて、レーゼンは小さく口の端を上げた。

「…伊達に」

「は?」

一度言葉を切ると、レーゼンはグラスを手すりに乗せて周囲を見渡し、声を低めた。

「俺と上司部下をやってないな、ソフィア」

「えぇ」

「最終的に責任は持つ。悪いようにはしないしないから許せ」

「分かりました」

あっさり頷くソフィアに、レーゼンは苦笑いしてため息を一つ。

「俺が言うセリフじゃないが、随分と物分かりのいい」

微かに眉根を寄せて、どこか不服そうに。

「レーゼン様のことを上司として尊敬していますから」

今までにも何度かあった。

終着地がどこかすら見えない奇怪なレーゼンの指示は、だが、最終的に絶妙な作戦の上にあったこと。

ソフィアの心は決まっていた。

「信じています」





「簡単にそんな言葉を男に言うんじゃないよ、ソフィア」

どこから見て、聞いていたのだろう。

ギャレットがようやくといった風に2人に追いつくと、やれやれとタイを少しだけ緩める。

「会場中が熱いな。明日はきっと噂の的だ」

「お前はいいのか、アレ」

会場へ目配せして、レーゼンはバルコニーの手すりに腰を寄せた。アレと話を振られたギャレットは、視線すら向けるのも億劫なようで、緩く首を振った。

「無駄だ」

「適当なところで手を打て。さすがにこうも毎回騒動になると厄介ごとが起きかねん」

「お兄様の婚約者候補の方々ですか?」

憂鬱そうに目を閉じる兄の顔に苦笑しながら、ソフィアはハンカチを差し出した。

「ミントの精油を垂らしています。スッキリしますから、どうぞ」

「ありがとう。…あぁ、ソフィーは女神のように優しいね」

お兄様、ただのアロマ付きハンカチですから…。

「不憫なヤツ」

代弁するようにレーゼンが呟き、友人の労をねぎらった。




「お前に分かってたまるか、俺の苦労が。労せず、易々とソフィアと結婚できるお前に…」

ため息が深い。

お兄様、疲れてるのかなぁ、なんだか目つきが怪しい。

「誰かいるだろ、1人くらい」

「いまだ争いの絶えない辺境の地に来て、辺境伯夫人としての矜持を持ち、領民を従え、その上でソフィアのように可愛いらしい女など、居ない」

最後は余計だけど、高いなぁ、理想が…。

ギャレットも分かっているのだろう、頬杖をついて投げやりな態度だ。

「ま、そんな女はいないだろうな」

同じように思ったのか、レーゼンがぶった斬る。

「だから結婚相手を探す無駄を省き、父上と母上にもう1人子供を作っていただき、その子を次々代の辺境伯とすれば良い。または有能な人材を養子にしても良い。血縁でなくとも良い領主となれる」

そこで一度言葉を切り、ギャレットは夜空を仰ぎ見て髪をかき上げた。

「それにだ。下手すれば、あのジョシュアの二の舞だ。なんだ、あのファーガソンの娘は。あんなのと結婚なんてことになってみろ。死んだ方がましだ」





「ファーガソンの件は同意するが…。後継のことは辺境伯はご存知なのか」

「あぁ。親をこき使うなと言われたが、子作りは満更でもな……っ!レーゼン!」

「ソフィア、中に入れ」

突如、庭の奥でパンっと乾いた音がして、レーゼンがソフィアを庇うように抱き寄せ、部屋へと促す。

「ギャレット、俺も行く。深入りするな。ソフィア、警備の者を探し連絡を。その後、部屋全体に結界を張れ。部屋から出るなよ」

「はい」

庭へと向かう2人を見届けて、ソフィアは警備の詰所を目指した。部屋を突っ切っていけば早いが、多くの人を混乱させてしまうかもしれないと、ソフィアは魔力を集め、伝言球を作り出した。

『何者かが屋敷にしんにゅ…』

だがそれは最後まで言葉にならなかった。




後ろから手が伸びてソフィアは腕を強く引かれる。

「きゃっ!」

バランスを崩す寸前で、身を翻し咄嗟に魔力の壁を張り巡らせ手を振り解いた。

「誰っ?!」

詰問しながら伝言球を邪魔され空いた右手を振って杖を出す。

「サラマンダーの炎で焼かれたくなければ出てきなさい」

ゴォォッと低い炎の気配がして、ソフィアの手から炎が大きく揺らめき、周囲を焼き尽くさんばかりに燃え盛った。

回廊の死角に目掛けて杖を振る、その寸前で…

「ソフィア、私だ」

懐かしい声がした。

まさか…。

一瞬、目を見開き、ソフィアは息を詰める。

サラマンダーの炎を避けるように、淡い色のベールをとっさに展開した人は…

「ユリウス様」

「やあ。さすがサラマンダーの上級神官は伊達じゃないね。見事な防御兼攻撃だ」

クスクスと苦笑いしながら、瞳の笑みを深めるのは、別れたばかりのユリウスだった。




台風の影響のため、更新が遅れて申し訳ありません。

いつも読んでいただき、ありがとうございます。

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