33.グランチェスター
そして翌日。
ソフィアとギャレット、それからレーゼンの3人は辺境伯領土に降り立った。
「相変わらず出鱈目だな、これ」
レーゼンの生み出した球体の秘術に入ると、神殿からものの数秒で実家のある辺境伯家に帰ってきてしまった。
「本当に一瞬でしたね…」
「本来は軍事利用の秘術だからな。だが、辺境伯からすると領地侵犯に近い行為でもあるし、あまり気がすすまないんだが」
自らも外へ出ると同時に、球体が瞬時に消えた。
ここは辺境伯の城門前。
「行こう」
ギャレットは衛兵に向かって歩きながら、レーゼンとソフィアに来るようにと目配せをした。
「やぁ、お帰り。ギャレット、ソフィアに…レーゼン殿」
「お父様」
「父上、ただいま戻りました」
帰ってきた2人と客人1人を出迎えたのは、辺境伯夫妻だった。
挨拶を交わす2人を後ろから見て、レーゼンはスッと頭を下げて礼を取った。次期公爵としてではない、辺境伯への敬意を示す礼だった。
「ご挨拶に伺うのが遅くなり、申し訳ありませんでした。この度はソフィア嬢との婚約を認めてくださり…」
「いや、レーゼン殿、お気になさらず。まずはこちらへ」
畏まるレーゼンに笑みを浮かべると、後ろに控えていた女性が前へ出た。
「ようこそ辺境伯領へ。妻のルイーズです。お忙しい中、お越しくださり有難う存じます。どうぞこちらへ」
辺境伯夫人だった。
「お母様、ただいま」
「母上、ただいま戻りました」
「はいはい、ソフィアもギャレットも、クッキーを焼いて待っていたわ。着替えて降りていらっしゃい」
ふふふっと笑う姿がソフィアとソックリだ。さすが親子だなと、レーゼンは密かに目を丸くする。
ルイーズはレーゼンに悪戯っぽく微笑みかけると、あぁそうだわ、と思い出したようにポンと手を叩いた。
「ソフィア、あなた、レーゼン様を客間にご案内してちょうだい」
「え?」
「今日はウチに泊まっていかれるでしょう?」
突然の母の言葉に驚きつつ、ちらっと後ろを見ると、レーゼンが苦笑して頷いた。
「では、お言葉に甘えて。今日はいろいろとお話することも多いと思いますので」
「良いのですか?レーゼン様」
大神官として重責を担うレーゼンは、ほとんど神殿から離れることはない。
気遣うように顔を覗き込むソフィアに、レーゼンは安心させるように笑った。
「あぁ。今日は辺境伯夫妻のご厚意に甘えようと思う」
「分かりました。では、こちらへ」
そう言ってレーゼンとソフィアは用意された客間へと向かっていった。
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「母上?」
その2人を後ろから見て、ギャレットがポツリ。
「通常、婚約の挨拶に来た男を家に泊めたりしませんよね」
「まぁ、普通なら」
クスッと笑う母に、ギャレットはチラッと眉をよせる。
「つまり、この結婚はほぼ決まり、ということですか」
まぁ当然そうだろうなと思いつつ、一応聞いてみると、ルイーズはあっさり首を横に振った。
「そうでもないわ」
小さく言うと、あたりを憚るように目を配り、歩き出した。
「そうでもない?ですが、相手は筆頭公爵家ですよ?」
「理由はいろいろあるけれど…。それについては、これから後でお話ししましょう。まずは貴方も着替えていらっしゃい」
「はい」
こういう言い方をする時の母に何を言っても無駄だろう。彼女は普通の貴族の奥方というより、植物学の学者としての一面が強い。フィールドワークを主たる調査とする彼女は行動力も判断力も並大抵ではなく、また聡明だった。
「それにしても、ザインツ公爵家の長男といえば女性との浮いた話もない、無骨な切れ者って噂だったけれど。あそこまで尽くすタイプだったのね」
お父様に似たのかしら、と。
悪戯っぽく笑って、母は曖昧に言葉の端を切った。
「そうですか?」
いい奴だとは思うが、女に尽くすような気の利く奴だったか?と、ギャレットは首を捻った。
「そうよぅ。本人に自覚があるかどうかは分からないけれど、まるで雛を見守る親鳥のように優しいわ、ソフィアを見る目が」
親鳥って。
ついに母親ポジションか。奴も。
「甘いわぁ」
ボソッと呟いて去っていく母上のなんとも言えない表情は、普段の快活さとは違ってどこか翳りを帯びていた。
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そして1時間の後、 全員が揃ったサンルームは、母ルイーズの作ったクッキーと香り高い紅茶を前に、穏やかな雰囲気に包まれていた。
「ザインツ公とは久しぶりにお会いしたのだが、相変わらずのご様子だったね」
「本当に。奥様は産まれたばかりの赤ちゃんを抱いていらして、とても仲睦まじいご様子だったわ」
「はぁ」
レーゼンの父であるザインツ公は愛妻家で知られており、息子としては何とも微妙な気持ちになるのか、レーゼンは曖昧に相槌を打って流した。
「爵位をレーゼン殿に譲ると仰っていたが」
大きな身体をソフィアにゆったりと埋め、辺境伯が切り出した。
「はい、先日そのように父から聞いております」
「なるほど」
頷いて両者は一旦黙った。
「結婚と同時に、爵位を継ぐようにと。ソフィアには大変な負担を強いてしまうことになりますが」
ちらっとソフィアを見て、レーゼンは柳眉を寄せた。
「2人の婚約を正式のものとする前に、君たちに話しておきたいことがある。ルイーズ」
夫に促され、ルイーズは頷いて背筋を伸ばした。
「とても大事な話なの。少し長くなるのだけど、聞いてくれる?」
そう言って、ソフィアの方へと体を向けた。
「ソフィア、ギャレットから話を聞いたわ。古代獣を折伏したと。その際に、あなたが古代獣と意思疎通ができていたと」
間違いない?と問う母に、ソフィアは頷いた。
「そう」
ソフィアの顔を見て、そしてしばらく口をつぐむ。
何から話そうかと迷っているようにも、あまり気がすすまないようにも見えた。
「ソフィアの父親がレオナルドでないことは、レーゼン様はご存知かしら?」
ややあって発される問いに、一拍置いてレーゼンは頷いた。
「存じています。レオナルドは辺境伯の、ソフィアはルイーズ様の連れ子同士での再婚だったと」
「なら、そこから話させていただくわね。私の前の夫フランツは、当時のグランチェスター伯爵と平民の女性との間に産まれた庶子だったの。認知はされていたけれど、後継者としては認められないという立場でね。同じ植物学の専門で、私たちは知り合って結婚したの」
そう言うと、となりに座る夫を気遣うように視線を向け、それを受けてレオナルドも軽く頷いた。大丈夫だと、言い聞かせるように。
「けれど、私の両親は庶子との結婚など絶対に認めないと大反対で、私は結婚と同時に勘当されて。それからはソフィアも覚えているように、どちらの家とも疎遠になってしまったの。…フランツが事故で死んでしまうまでは」
そこで一度言葉を切ると、ルイーズは悲しそうに目を伏せた。
「彼が死んで暫く経った後だったかしら。グランチェスター家から使いがやってきて、ソフィアを渡すようにと言ってきたの」
「え?」
思わずソフィアは声を上げた。そんなことは聞いたこともなかった。
父が存命中も死んでしまってからも、父の実家とは縁遠いままだと思っていたのだ。
「もちろん、私は断ったわ。たった1人の娘だもの。私は万が一のことを考えて、実家に戻って両親に庇護を頼んだの。それからは…もうグランチェスター家との接点はなかったのだけど…」
ほうっとため息をついて、ルイーズは柳眉を寄せた。
「夫が一度、言っていたの。グランチェスター家には不思議な力があって、それは一族の女性の間に、稀に出現するのですって。彼は男だったし、それに当時は彼のお祖母様が能力の発現者でいらしたし、同じ時代に2人の能力者は現れないのだと、そう聞いていたから、私、忘れていたの」
「…それって…」
掠れる声で問うソフィアに、ルイーズは頷いた。
「そのお祖母様がお亡くなりになったと、人伝えに耳にしたのは、つい先日のことよ。今、グランチェスター家の女性の血族は2人。フランツの兄の娘アデルと、あなただけ。そして、あなたに能力が発現した」




