30. 執着(レーゼン視点)
朝、陽射しが眩しい部屋の中、目の前には部下が座り、俺は目を泳がせている。
「レーゼン様、お話があると伺いましたが…」
一向に話を切り出さない上司に、????と目を瞬かせて部下が言う。
「あぁ」
そうだよな、こんな俺はらしくない。
しかも、これから折伏の具合を確認するという、その直前の隙間時間を使って、わざわざ呼び出したのは俺だ。
言うことは決まっているんだ。ただ、それをどう切り出していいのかが分からないだけで。
「ソフィア」
「はい」
「……」
だがしかし、またしても黙り込むレーゼンに、ソフィアはチラッと窓の外に目をやり、遠い目をする。
分かっている。さっきからこの繰り返しだ。
時間も惜しいが、これは時間を惜しむ話題ではないだろう。
分かっているが、時間がないのも事実。
俺はいささか混乱気味の頭を整理しつつ、とりあえず伝えるべきことを伝えようと口を開いた。
「婚約の件だ」
礼儀正しく膝に手を置いて座っていた部下が、スッと目を戻して頷いた。
「何度も考えたんだが…」
余裕のない俺とは対照的に、ソフィアは至極冷静そのものだ。
「お前、やけに冷静だな」
ポソッと思わずもらした本音に、ソフィアは心外だという顔をする。
「そんなわけ!……そんなワケ…」
言いながら、あれ?という顔をするあたり、図星だな。
「そんなわけ、あるよな?」
「…はい。正直に言うと、レーゼン様のような態度には身に覚えがありすぎて」
過去4回…と。
自分で言っておいて落ち込んでいる。
しまった、傷口に塩を…
「悪かった。そういうつもりじゃなかったんだが」
「いえ、お気になさらないでください」
言葉は冷たいが、淡く笑みを浮かべるソフィアは朝陽を浴びて、文句なしに美しいと思った。
静まり返る部屋の中、時間だけが過ぎていく。
普段の俺だったら、部下を呼んでおいて要件を言い淀むなど絶対にないことだけに、俺の言いたいことはもう分かっている、と。そう言いたげにソフィアは目で促した。
「いや、ソフィア、今回はそっちじゃない」
部下に、いや女性に気を遣わせてどうする、と自らの迷いにケリをつけ、口を開く。
「そっち?…婚約を破棄するのでしょう?」
「逆だ」
「え?」
何と言えばいいのか、俺は必死に考えて考えて、勢いに任せた。
「急な話なんだが」
なんだ、このプレッシャーは!
俺は柄にもなく緊張していた。
「はい?」
ソフィアは相変わらず、不思議そうな顔をしている。
無茶だとは思うが、少しは察してくれ。頼む。
「俺の、妻になってほしい。すまない」
「……」
失敗した。
俺は世界で一番最低なプロポーズをした。
「ええ?」
ソフィアはやはり冷静な顔をしているが、これはかなり混乱しているな。
「それは…。斬新な。いや、えーと。私と政略結婚って…。レーゼン様にメリットはありませんよ?」
「……」
斬新って言ったな、聞こえてるぞ。
俺も大概だが、ソフィアも相当だよな。
「それに、『すまない』って、謝るのは私の方です。私がレーゼン様を巻き込んでしまったのですから」
「いや、そこは俺が悪い。最低なプロポーズだった」
「プロポーズ…!」
今更そこで驚いてくれるなよ、と思うものの、あれがプロポーズだなどと胸を張れるものではないことは分かっているわけで。
政略結婚だが妻になってほしいなど、張り倒されても文句は言えない。しかも、最後に「すまない」とまで。
戻れるものなら5分前に戻りたい!
「ソフィア、この婚約は解消できない」
いや、とにかく体制を立て直さなければと、俺は一から説明した。
この婚約は俺の父である公爵の了承のもと成立したこと。これを解消するには父、またはそれ以上の権力者である王族の許可がいること。そもそも、この婚約を解消すれば、ソフィアには今後王族以外に結婚が望めなくなること。
「さらに、父は俺に爵位を譲り、隠居したいと言い出した」
「爵位って、レーゼン様は公爵家のご長男ですよね?」
さらに大きくなってきた話に、ソフィアは声を詰まらせた。
「正確には筆頭公爵家だ。本来、三男である弟が後継だが、…あれはまだ産まれたばかりで、父がいい加減に引退させろとゴネだした」
筆頭公爵家、という言葉に、ソフィアがサーッと顔色を変えていく。
だろうな。
こいつが目の色を変えて権力にとびつくとは思わない。だとすれば、筆頭公爵家など面倒この上ないに決まってる。
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そもそも、父がこの婚約に呆れるほど乗り気なのが誤算だった。引退など口にもしなかったのに、俺の婚約話を聞いた途端、「ヨシュアと妻と隠居生活を送りたい。領地経営は私がするから、爵位をよろしく」などと言い出した。寝耳に水だ。
だから、この結婚は圧倒的にソフィアの負担が大きすぎるのだ。
俺はまだいい。弟が産まれるまで公爵家の後継として教育を受けてきたし、領地経営は父がやるというなら俺は名目だけの公爵だ。当面は。
だが、ソフィアは違う。
筆頭公爵家は王族に次ぐ地位で、その夫人は王妃と並び社交界を仕切る立場になる。辺境伯家はそれなりに高位の貴族だが、話が違いすぎる。
『父上!冗談はほどほどにと!』
昨日の今日で話が進みすぎだと憤る俺に、父はあっさり言った。
『実際、昨日の今日で状況が一変したからでしょう。キミは次期公爵としての教育を30年弱も受けてきたんだし、今更だよ』
『それについても言いたいことは山ほどあるが、今はそれじゃない。次期公爵になるなら、ソフィアにこの話はしなかった。彼女には…』
『レーゼン』
俺の主張を遮って、父がすっと声を低め、公爵家当主としての顔になった。
『彼女を外に出すわけにはいかないよ。特に死神など論外。あれは面倒なルクレールの血を引いているからね。ソフィア嬢に興味を持たれた今、この結婚は我が国の生命線だ』
『……ソフィアの、あの能力のことですか?』
父がここまで言うなら、それ以外に考えられなかった。
魔獣と意思疎通が図れるなど聞いたこともないが、それが信じられないほど貴重な能力であることは分かっていた。
念のためにとソフィアに付けていたエルフを通して見た時は、驚きよりも、その能力の危険性に肝を冷やし、即座に止めに入ったが。
恐らく死神にはソフィアの能力を知られてしまったに違いない。
『それについては、ソフィア嬢の母君から説明するそうだよ。ソフィア嬢とギャレット君はこの後領地に帰るらしいから、君も一緒に行ってきて辺境伯に挨拶をしてきなさい』
『……』
断れるはずがない。
俺はソフィアの上司であるし、彼女の能力を把握しておかなければならない。それに婚約の件も含め、辺境伯に挨拶もしない訳にはいかなかった。
だが、これで良いのか。
俺の中で腹を決めかねる状況がグルグル回った。
ここで俺が頷けば、ソフィアは公爵夫人として否応無く貴族社会に絡め取られる。
『あれは公爵夫人の地位に興味を示さないでしょう。幸せになれるはずがない』
『レーゼン、それは君の仕事だよ』
『俺は彼女に無理強いするつもりはありません』
『私はね、君にも幸せになってもらいたいんだよ』
やれやれと、父は苦笑いしながら、テーブルをトントン叩く。
『キミ、さっきからソフィアちゃんのことばっかり。あれほど嫌がってた公爵位のこともそっちのけで。父親の私のことは邪険にするくせに、ソフィアちゃんのことは何が何でも守りたいんだねぇ』
父上のジトーッという目が痛い。
邪険にしたつもりはないのだが…まぁ、大筋で間違ってはいない。
『キミが、彼女の価値を分からない訳ないよね?で、キミは根っからの貴族で、結婚はズバリ利害関係の一致でしかなかったでしょ』
ハハッと薄く笑う父上の目は笑わない。いつものことだが、ゆるゆるな感じで急所をついてくる。
『……』
言いたいことは、大体分かる。
俺にとって結婚は愛情でなく、打算に基づく契約でしかなかった。
『ソフィアちゃんも生粋の伯爵令嬢なんだし政略結婚に異存はないよね。なのにキミはそんなモノそっちのけで…。気付いてないの?もの凄い執着』
『……』
『変われば変わるもんだねぇ』
『……』
そして、ハッと気付いたようにテーブルをトントン叩いていた指を止め、思わず。
『もしかして初恋?』
『父上!』
要らぬ一言で息子から更に邪険にされる公爵だった。
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「お前にはすまないと思っている。背負わなくて良かったはずの重荷を背負わせてしまうからな」
「……私に公爵夫人が務まるとは思いません。他にもっと相応しい方がいらっしゃると思いますし」
真っ青になって首を振るソフィアの反応は至極当然だろうと思う。
「レーゼン様が、前回の婚約解消のことで私に責任を感じてくださってのことと分かっていますが、どうか、ご自分の結婚相手には望む女性をお迎えください。せめて、レーゼン様を支えられるお立場の方を」
いつになく早口になるソフィアの顔を探るように見た。
混乱、焦り、それから…あぁ、やはり。
そこには確かに、心配そうな眼差しで俺を案じるソフィアの顔があった。
この縁談で得られる利は計り知れないだろうに。
「嫌か?」
父には「もの凄い執着」などと言われているが、ソフィアが嫌だと言えば、引くつもりだった。
「…い、嫌というか。レーゼン様のことは上司として尊敬しています」
嫌でないと言ってくれるならば…
「ソフィア」
俺が立ち上がると、ソフィアは中腰になって立ち上がろうとする。
それを手で制して、俺を彼女の前で膝を折った。
「俺は他の誰でもない、お前に妻になって欲しい」
ソフィアは息を呑み、固まっている。
俺との婚約話で、ソフィアの将来を一気に狭めてしまったこと、公爵夫人の重荷を背負わせてしまうこと、俺がソフィアに申し訳ないと思う気持ちがどうしても頭を離れず、思わず「すまない」と口にしてしまった。
だが、それだけではない気持ちも、俺の中に確かに存在していて、父上に指摘されずとも、本当は分かっていた。
「レーゼン様は、お嫌ではないのですか?」
ポツリと呟いたソフィアの言葉を、俺は頭の中で反芻する。
公爵家が絡まなければ、跡取りも必要ない。結婚しなくてもいいと思っていた。女嫌いではないが、独り身は楽だし、誰かに執着するのは疲れる。
「お前には幸せになって貰いたい。そして、許されるなら、俺がお前を幸せにしたい」
目を上げると、ソフィアが目を見張り俺を凝視していた。
「レーゼン様は、それで幸せですか?」
囁やくようなソフィアの声に、俺は頷いた。
「ああ」
目の前に座るソフィアを見上げ、自然とその手を取った。
「幸せだ」
ソフィアは「上司として尊敬しています」と言ったが、「お慕いしています」とは言わなかった。本当に正直な娘だ。
それを責めることはできない。俺も「愛している」とは一言も言っていない。
女を籠絡するためなら歯が浮きそうな殺し文句の一つや二つ、言えない訳じゃないが…。
俺もソフィアに対しては嘘が付けないんだなと気付いた。
そうか、あれは俺にとって特別な女なんだ。
そう気付いたのが良かったのか悪かったのか。
初めての経験に、俺は密かに動揺していた。




