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29. 皇国の事情(ユリウス視点)


ソフィアが折伏を受けて眠り続けたまま、丸一日が過ぎた。

今日、我々は帰国する。




この4日の間に、私の世界はすっかり変わってしまった。

ユーフェリア国に来る目的は、建前は視察旅行、裏の建前は皇太子の恋人に会うため。

だが、本当の目的は全く別にあった。




我が国では数年前から一部の土地の魔力が枯渇するという謎の危機に瀕していた。

一度魔力が枯渇してしまうと、その地の生命の営みは絶たれ、死の土地と化してしまう。

今はまだいい。だが積み重ねていけば、いつかは皇国の瓦解に繋がりかねない。事態を重くみた皇帝は秘密裏に国の研究者を集め、原因究明に当たらせた。

いくつかの調査の後、まず、地の魔力が枯渇したキッカケは何らかの魔獣が原因ではないかという結果が出された。さらに、正確には魔力が枯渇したのではなく、呪詛が施されているようだとの見解も出されるに至って、皇国のトップは静かに混乱に陥った。

魔力が枯渇しているだけなら、魔術具を使って何とか取り繕えるのではないかとの目論見が完全に外れたからだ。

地の呪いを解く、つまり解呪には神の意志が必要だ。皇国の古い記録をひっくり返し、古い儀式や伝承まで手当たり次第に調べてみたが、確たることは分からない。当然、神官による古の儀式も試みてみたが、何も得られなかった。




『神の意志とは、つまり何なのだ』

居並ぶ有識者の中で議長を務める神殿長が呻くように言った。が、誰も答えられる者などいない。

『このような事態、聞いたことがない』

魔力については神殿の十八番のはずが、まるで太刀打ちできないのだ。

会議の場は静まり返った。

と、その時。

『神の意志とは、古代獣の可能性はないだろうか』

静かだが威厳漂う発言に、皆が顔を上げハッと目を向けた。

しかし、発言の主である皇太子は訝しむように首を傾げて続ける。

『だが、同様の現象が他国から報告されていないのは解せぬ。何故、我が皇国だけに起こるのだ。隣国ユーフェリア国にも同じように魔獣が出現し、古代獣さえも討伐の対象となっていると聞いているが、土地の魔力が枯渇したなど聞いたことがないな』




『皇太子、古代獣が神の意志ではないかという根拠は何だ』

それまで静かに会議の成り行きを見守っていた皇帝が皇太子に下問する。

『はい。皇帝陛下』

皇太子は皇帝に礼をすると、説明した。

調査により、土地の魔物の死骸が発見されていること。それ自体は珍しくもないが、複数の死骸には討伐された形跡が見られること。

そもそも古代獣の種はすでに絶えているにもかかわらず、未だ出現のシステムさえも解明されないまま、現代にも稀に出現し、その度にその甚大な魔力による被害のため討伐の対象とされている。今回は状況証拠から、原因の一つと推察できると。

『そもそも古代獣には謎が多いため確たることは言えませんが、魔力が通常の魔獣に比べ桁違いに多いことを鑑みれば、そこに神の意思が存在していてもおかしくはないでしょう』

『ふむ』

相槌を打ったまま皇帝は先を促す。




『残念ながら解呪については未だ不明ですが、古代獣が原因だとすれば、それを折伏させることで手がかりが得られるやもしれません』

それはつまり、闇の魔術をもって古代獣を支配下に置くということなのだが。

『闇ならばルクレール公爵家の専売特許だな。皇太子の側近に後継がいたな』

皇帝は即座に頷くと、皇太子の後ろに控える側近に目をやった。

『はい。折伏についてはルクレールに当たらせるとしても、もう一つ。父上、私を隣国ユーフェリア国に視察に行かせてください』

『視察?』

『はい。土地の魔力が枯渇する現象は我が皇国だけの現象です。ならば、我が皇国と隣国とでは何が違うのか、調査を秘密裏に行いたいのです』

『うむ』

調査と聞いて、眉を若干寄せながら、皇帝は深く考えた。

本来ならば皇国から人を遣わして協力を仰ぐべきだろう。隣国とは友好関係を結んでいる仲でもある。

だが…。

『とても漏らせる情報ではないな』

危険すぎる。

そう判断して、皇帝は頷いた。

『許可する』





*************





そうして、我々はやってきた。

途中、古代獣が出現したと報告を受けた時は、なんたる僥倖かと無表情を取り繕うのにも苦労したが、何とか現場に同行することも出来た。

自分が闇の属性であることはレーゼンに察知されている。隠すことはないだろう。早々に折伏してしまっても良い、それが出来なくともユーフェリア国の軍人に討伐させて土地の変化があるかを見てみたい気もしていた。

だが、その私の胸の内を射抜くように、後ろから悲鳴のような声がした。

『ダメです!殺しては!』

淡いブルーの髪に透き通る肌。一部ではクールビューティーと囁かれる清廉な容姿。

ソフィア・ローズベルグ。

私の世界を変えてしまった女性だ。




初めて見た時から、なぜか彼女から目が離せずに、何度もトレバーにからかわれた。アメリアの所に出向く用事で彼女のもとを訪れた私の腕に、彼女が偶然にも倒れ込んで来た時も。

『攫ってもいい?』

紛れもない本心が言葉をついて出てきた。我ながら可笑しくなるほど、私はまさに「ルクレールの男」だったと思う。

父上が千通もの恋文を送り、根負けした母上を妻とした逸話も、あぁなるほどと今なら頷ける。家に引きこもるのが好きな母が、どんなに父との結婚を嫌がったか。おしどり夫婦として有名な両親だが、今でも当時を振り返ると母はなんともいえない顔をする。そして息子たちに言うのだ。「相手の幸せを第一に考えて差し上げなさい」と。実に意味深だ。対する父は「誰かに譲れるようなものは愛ではない」と豪語しているが。

幼い頃から「相手の幸せを」と息子達に言い続けた母は非常に残念であろうが、私は父上と同じ道を辿ろうとしている気がする。




彼女は折伏などしなくとも古代獣との意志疎通が可能だ。それがどれほど貴重な能力なのか、彼女は気付いているのだろうか。

本当は彼女の補佐として自分が共に折伏を受けられたら良かったのだが…。

思い返して、ジリッと胸が妬ける。

目の前で想う女性がほかの男の魔力を受け入れる姿を見ようとは。

通常、魔力を混ぜ合うのは家族か夫婦だけだ。あれで周囲はレーゼンとソフィアが婚約関係にあることを知り、既定路線化してしまったかもしれない。

嫌だ。

誰が何と言おうと、彼女を手放したくない。

脈々と受け継がれ、自らにも流れるルクレールの血が、ざわりと蠢くのを感じた。




ソフィアがただの神官だったならば、人材交流だの何だの理由をつけてレイバーン皇国に取り込むことも可能だった。

だが、あの能力だ。ユーフェリア国が彼女を手放すはずがない。

加えて婚約者の存在だ。

思わず眉が寄ってしまいそうになる。

サラマンダーの大神官でソフィアの上司でもあり、筆頭公爵家の長男でもあるレーゼンという男。眉目秀麗で頭もキレる、実に頭の痛い“完璧な”婚約者殿だ。

あの男から彼女を掻っ攫うのは骨が折れるだろう。





だが。

ルクレールの男が心に決めた女性を手放すことはない。

「婚約していようが、…構うものか」

言葉にして心に刻む。

状況がどうあれ、さらには国の思惑がどうあれ、彼女の気持ちを振り向かせ、妻とする。

この手に降りてきてくれた天使を手放すほど、自分はお人好しではないのだ。

そう決意し、ユリウスはマントを身に纏い、折伏の確認にと約束した場所へと赴いた。




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