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28. 本心


「ソフィア」

耳元で囁かれる声に、ぼんやり頭が覚醒していく。

どこか甘くて、胸が詰まるような、低い声。

誰だろう。

目を開けたくても、瞼が重くて怠い。

高い天井は霞んで見えるけれど、指一本動かすこともできずに、ソフィアはまた意識を失った。




折伏を受けてから丸1日。堪えきれずに森で倒れてから、こんこんと眠り続けたらしい。

目覚めたら翌日の夜だった。

私の目覚めにまず気付いたのはお兄様。相変わらず私に影を付けていたらしい。

それからレーゼン様やユリウス様、皇太子殿下にネルソンとミハエル達が次々と私の様子を見にやって来てくれた。

「体に異常はないか?」

「少し怠い程度です」

大丈夫と微笑んでみせると、レーゼン様が私の手を取った。

途端に身体の中の魔力が勢いよく巡りだして、身体が暖かくなる。

「これは…魔力が動いてる?」

こんな風に外から、他人から魔力を動かされるのは初めてで戸惑う。

「異常は感じないが、折伏の影響は分からない。何かあればすぐに言え」

「はい」

レーゼン様の言葉に頷くと、ユリウス様がベッドの傍にやってきた。

「ソフィア、落ち着いたら、明日にでも、折伏が正常に行われているかを確認したい」

「正常に行われているか?」

首を傾げる私に、ユリウスは頷いた。

「そうだ。折伏が行われていれば、聖獣の名を呼べば召喚できる。また、主従関係が滞りなく結ばれているかも確認したい。…君が疲れているのは分かっているが、我々が帰る前に」

ダークブロンドの髪から覗く瞳が心配そうにソフィアを見つめる。

そっか。帰るんだ。

今日は皇太子滞在の3日目。

ユリウス達は明日、ここを発つ。

途端に心細いような、不安な気持ちが込み上げてきた。

どうして…?

「分かりました。お願いします」

自分の気持ちに戸惑いながら、ソフィアはぎこちなく頷いた。

何故か、この気持ちは隠さなければいけないような気がして。




皆が退出した後、私とお兄様の2人きりになった。お兄様がどうしても私が寝付くまで見守るといって聞かなかったためだ。

『お前は…いい加減にしろよ』

遠い目をして諌めるレーゼン様の声に力はなく、

『他の誰でもない、家族の私が見守るのが一番だろう』

『そうか』

諦めたように首を振ってレーゼン様を筆頭に退出していった。

そして今に至る。





*************





「ソフィア、体を楽にして聞いて欲しい。この任務が終わり次第、僕と一緒に領地に戻ろう。父上と母上が会いたいと仰っている」

「お父様とお母様が?」

この「父上」とはギャレットの実父で、「母上」はソフィアの実母のことだ。二人はお互い連れ子で再婚し、4人家族となった。

ソフィアとギャレットの血が繋がっていないのは、その為だ。

辺境伯の父と妻である母は領地で大半を過ごし、ソフィアとギャレットは王都の屋敷に住んでいる。家族が揃うのは一年で数日ほど。こんな風に呼び出されることなど初めてのことで、ソフィアは戸惑った。

「今回のことでお前にお話があるそうだよ」

安心させるように頭をポンポンと柔らかく撫でる。

「それは…古代獣の声が、聞こえたことでしょうか」

もしかして、と。

どこか確信めいた気持ちが生まれた。

「そうだろうね、恐らく。特に母上がお前に話があるとお急ぎのようだった」

「お母様が…」

ソフィアの母は植物学者で、普段はフィールドワークに没頭して野山を駆け回っている人だ。今回の呼び出しは益々、らしくない。

「お母様は、何かご存知なのでしょうか」

「あぁ、そうだと思う」

そして、一度言葉を切って、再び口を開いた。

「父上も話があるそうだよ。こちらは婚約の件かな」

苦笑いで留めたギャレットは珍しい。もっと、錯乱するかと思っていたのに。





「死神と…、ユリウス・ルクレールとは、何か約束を交わしたのか?」

酷く静かな声だった。

月光が逆光となり、ギャレットの顔がよく見えない。

「いいえ」

ドキッとした。

思わず俯いたソフィアを見て、ギャレットは微かに苦笑いする。

「そう」

そして、静かに優しく、頭を撫でた。

「レーゼンのことは、どう思う?」

「レーゼン様は、上司です」

「それだけ?」

答えられずに、ソフィアは黙り込んだ。

ギャレットは多分、婚約のことをソフィアがどう考えているのかを聞きたいのだろう。

「お兄様、この婚約のことで、私はレーゼン様に大変なご迷惑をお掛けしてしまいました。これは完全に成り行きで、頃合いを見て、婚約を解消していただくよう、レーゼン様にお願いしています」

無言で、息を詰めるギャレットの気配がした。





「お兄様、ごめんなさい」

ポツリと謝るソフィアに、ギャレットは表情を解いて微笑む。

「どうしてソフィアが謝るの?ソフィア、普通は婚約した女性にはおめでとうと声をかけるものなのに」

しかも相手が筆頭公爵家の長男であり、サラマンダーの大神官なら、間違いなく慶事だろうに。

「…久しぶりに思い出しました」

クスクス笑いだす。

婚約をして嬉しくなる心境なんて、とっくに忘れていた。

いつもどこか緊張していて。

「私は、結局、誰とも縁を結べないのかもしれないと、ずっと思ってきました」

スルッと出てきた言葉だったが、それがソフィアの心にずっと燻り続けてきた本心なのだと思った。

仕方ない、諦めよう。

何度も自分に言い聞かせてきた気持ちを、今はじめて口にしているのだと。

「ですから、心のどこかで、レーゼン様とも、いつか道を違えるのだろうと思っています。

または、ご迷惑をお掛けした分、私のジンクスに倣って素敵な女性と幸せになってくだされば良いのですが」

私は『天使』らしいし。

こみ上げる想いを溜息で誤魔化した。




「お前はずっと悲しそうな顔をしているね。僕はてっきり…」

「…てっきり?」

「いや、何でもない」

口を噤んでしまった兄は、結局何も語ることはなく、沈黙が続いた。

ずっと悲しそうな顔をしているのだろうか、私は。

いや、そうかもしれない。

だって、思ってしまったから。

本当に好きな人が出来ても、その人は自分以外の女性と幸せになるのかもしれない。

いつのまにか恋愛や結婚に執着しなくなった心の一部が、微かだが、確実に軋んで音を立てる。




これが『天使』?

決して相手と結ばれないのに?

幸せを信じられないのに?

なんて呪いなんだろう。




滲んだ視界から隠れるように、ソフィアはベッドに潜り込んだ。



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