3. 空に浮かぶ神殿
翌朝、ソフィアはいつものように身支度をして出勤の準備をする。
今日は新しい同僚を迎えるため、いつもより早めだ。
「お嬢様、そろそろお時間でございます」
長年、辺境伯家に仕える執事が呼びにやってきたが、馬車に乗って出勤する訳ではない。
そもそも貴族令嬢たるもの、結婚前に働くなど、はしたないことだとされているご時世だ。ソフィアも例外ではない。
「チョーカーを」
言いながら腰を上げたソフィアに、そばにやってきたメイドが恭しくジュエリーボックスを差し出した。
「ありがとう」
そう言いながらメイドに背を向け、淡い青色の美しい宝石が埋め込まれたチョーカーを首元につけてもらう。
手首と足首まで覆うゆったりとしたシルバーのワンピースには随所に刺繍が施され、ソフィアの淡い水色の髪の毛と相まって、清廉な雰囲気が生まれた。
恭しく下がった使用人を見て、ソフィアは歩みを進める。
「行ってらっしゃいませ」
丁寧にお辞儀をする使用人とその声に柔らかく微笑むと、ソフィアは軽く姿勢を正した。
「行ってきます」
その瞬間。
チョーカーから青い光が放たれ、そこに居る者の視界を奪った。カッと光が閃いたかと思うと、瞬時に光は消える。
そこには既にソフィアの姿はなかった。
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「おはようございます、ローズベルグ様」
声をかけられ、ソフィアは軽く頷いて返した。
「おはよう」
「レーゼン様がお待ちでございます」
目の前でソフィアにお辞儀をするのは神殿の制服を身に纏う、レーゼン付きの従者だった。
その他にも複数の従者や神官が行き交うが、突如現れたソフィアに驚く様子を見せる者はいない。
ここはソフィアの職場、フーフェリア国王都の真上に存在する、唯一無二の大神殿。
空中に浮かぶ巨大な島にそびえ立つ神殿には、いわゆる「玄関」と呼ばれるものはなく、ここには魔法が使えるものしか立ち入れない。
数多の古代魔法の奇蹟と叡智が蓄えられている大神殿は、国民にとって不可侵の聖域とされていた。
その聖域だからこそ、結婚前の伯爵令嬢であるソフィアを含め、多くの貴族が働くことを栄誉として神殿に所属しているのだ。
そして、レーゼンはソフィアの上司であり、4人目の婚約者を紹介してくれた人でもあった。サラマンダーの頂点にあり多忙を極めるレーゼンが、わざわざ従者を寄越してソフィアを待っているというのだ。目的など分かっている。
まずは昨日の残念な結果を報告しないわけには。
零れそうになるため息を堪え、ソフィアは頷いた。
「では、先にレーゼン様の元に伺います」
先触れを頼むと、目の前の従者は一礼するなり、するりと音もなく消えた。魔力を使って移動したのだろう。
ソフィアも、すっと前を向いてかすかに目を細める。
瞬間、ブワッと青の炎が揺らめいてソフィアの全身を包み、その姿を飲み込んで消えた。
魔法の聖地たる神殿では、その移動も全て魔力によるものだ。どんな下級でも、新米でも、神籍にない騎士とて魔力に長けていない者はここには所属できない。
ましてやソフィアは由緒正しい貴族の娘。魔力も属性も十分に兼ね備えていた。
それ故の青のチョーカーである。
チョーカーは所属部署と階級により色と宝石が厳密に区別されているが、ソフィアの身につけている青のチョーカーは、サラマンダーの上位の者に限られる。
青はサラマンダーの炎の色であり、また高貴な色とされ、その威力を扱えるのは高位の魔法使いのみ。
故に、23歳で青を纏うソフィアは事あるごとに注目を集めるのだが、当の本人にとっては、その視線の元は己の実力によるものか、はたまた、度重なる婚約解消によるものなのか、悩ましいものだと感じていた。




