25. 誓い
古代獣は言った。自分を殺せば、この地は未来永劫、生命の燈らぬ地となろう、と。
目の前ではユリウスが古代獣の魔力を手に留め、何事かを呟いていた。呪文だろうか。聞いたことのない文言だ。
『我らの力を見縊るでないわ』
ぐぉぉぉっ!と強烈な咆哮と地響きのような鳴動がする。衝撃波と突風が突如巻き起こった。
これは…想像以上だわ。
身を屈めてあたりを見回すと、同じように身を伏せて衝撃をかわす者、剣を構える者、それから…
『其方ごとき人の子に折伏するなど片腹痛いわ』
ゾッとする声がして、その正面に立つユリウスのやや青白い横顔。
力が拮抗しているのか、ユリウスが不利なのか。
「っ!」
忘れていた!
古代獣にはソフィアがかけた守護の結界があるのだ。何をするにしても、あれはこちら側にしては邪魔だろう。
ソフィアは意を決して上体を起こすと、古代獣に向かって声をあげた。
「私の名はソフィア。ソフィア・ローズベルグ。あなたは…何とお呼びしたらいいですか?」
一世一代の勇気を振り絞った。
「…」
お前は何をしているんだと言いたげな周囲の視線が痛い。
「あなたを殺せばこの地の魔力はサイラス神にお返しせねばならないと。それは本当ですか?」
「…なに」
ユリウスが顔だけを動かし、信じられないとでも言いたげにソフィアを見た。
「それなら、私たちはあなたを殺しません。ただ、お話を…キャッ!」
突如、ソフィアの周囲に青白い炎が燃え盛り、一瞬にして消えた。
否、炎は形を変えた。
「ソフィア、今はそこまででやめておけ」
艶やかの声がした。
目の前に、青白い炎の形をした小人が羽を動かして飛んでいる。
これは…。
「エルフ」
ソフィアと、他2名の上級神官にしか分からないであろう、神殿の秘術。
目を見張るソフィアの前で、エルフが炎とともに揺らめいた。
「ルクレール殿。貴殿の力は概ね承知している。殺すことなく折伏させてくれ。ギャレット、バックアップを頼む」
間違いない。これはサラマンダーの長たるレーゼンの操るエルフだ。
「ソフィア?」
ギャレットの問うような視線を受け、ソフィアは頷いた。
「レーゼン様です。お兄様、お願いします」
「…承知した」
その手を魔法陣から離すと、ミハエルに目を向けた。
「シルフ殿。風を相殺してくれ。私がルクレール殿の助力をする。ルクレール殿、折伏とやらに時間はどれほどかかる?」
「分からない。無理にやると死なせる可能性がある。ここまでダメージを受けていると」
「ウンディーネ殿。敵に水で囲いの結界を。折伏する間のダメージを減らしたい」
「承知した」
「ソフィア。先ほどの守護の結界を解け」
「はい」
ギャレットは、さすが有能で次々と指示を出していくが、その間もユリウスの横顔は歪んでいく。
ユリウスの負担をなんとかしたい。けれど、何も出来ないでいる自分が情けなかった。
「ソフィア?」
気遣うようなユリウスの声に、ハッと顔を上げる。
「大丈夫?」
「はい。私は…」
「そう」
ユリウスの目が複雑な色を浮かべ、思案するようにソフィアの顔を見つめていた。
「君に頼みがある」
感情の欠如したような低い声で。
周囲に気取られぬよう吐息に乗せて。
「古代獣に折伏の説得をしてもらえないか」
「…私が?」
「このままだと危険だ。命は奪わないと約束する。説得して欲しい。ソフィアは、声が聞こえるのだろう?」
「それは…」
何故、知っているのだろう。ソフィアもはじめてのことで動転しているというのに。
あの声は本当に古代獣のものなのか。
なぜソフィアにだけ聞こえるのか。
言い澱むソフィアに、ユリウスが手を差し伸べた。
「君にも約束する。何があっても、私は君の味方だ」
それは、ソフィアの心にジンと染み渡った。
もしかして自分は異端なのかもしれないと。そう考えると誰にも言えそうにないほどの恐怖を感じていたから。
黙ってユリウスの顔を見た。
縋りたくなる気持ちを必死に抑えつけ、表情を殺して声を圧し殺して。
「本当に?」
「名誉にかけて」
騎士独特の誓いを立てる時の仕草で、胸に手を当て、跪いた。
「私、ユリウス・ルクレールは、ソフィア・ローズベルグの忠実な味方たらんことを誓う」
そっと翡翠色の目を上げると、ソフィアと目があった。
「本当はここで誓いの口づけでも、と」
「そ、そこまでは!」
慌てて頭をふるソフィアに、ユリウスは妖艶に笑った。
「ダメだよ。騎士の誓いは神聖なものだから」
「で、でもっ」
「真実、生涯にわたりこの身を縛る誓いを君に捧げたつもりだよ」
「…っ」
なんだか、とんでもなく壮大な話になっている。お兄様もビックリの…。
やっぱり、何となく思っていたけれど、この2人は似た者同士なのかもしれない。
「だが今は、折伏の方が先かな」
ユリウスの視線の先には、ミハエルが真空空間を生み出し、そこへネルソンが水で古代獣を囲ったばかりの姿。ついでにギャレットは剣を持ったままズブ濡れだ。
しまった。
完全に2人の世界だったことを彼らの視線から感じとり、恥ずかしさが込み上げてくる。
「無理はしないで。私もいることを忘れないで」
そっと背を押されて、ソフィアは足を踏み出した。




