15. 抱っこ
無事?歓迎の宴も終わり、神楽舞も終えた。
あとは道中の警備だけだが、その大半は護衛騎士が担うので、神官は魔力的なサポートが主だ。
今回の皇太子の滞在は4日間の予定で、今日は初日。
早速というべきか、皇太子は寸分の時間も惜しむように視察を終えると午後は『休養』に入った。
「午後は1人だけ付いていけばいいそうだよ」
ミハエルが言って、昼食のトレーを下ろした。
食事は交代制で、ソフィア→ミハエル→ネルソンの順で取ることになっていた。
「今回は随分ゆっくりなスケジュールよね。体調が悪いわけでもないみたいだし」
首を傾げるソフィアに、ミハエルはピタリと動きを止めた。
「ソフィア、もしかして知らない訳じゃないよね?今回の視察の目的は、皇太子の女性絡みだってこと」
「え」
ええ!そんな理由?!
「皇太子がユーフェリア国に留学してた頃に知り合った女性らしいよ。相手は男爵令嬢だから正妃には無理だし。愛妾に口説いているんじゃないかな」
なんか、ミハエルの口からすごい言葉がスラスラ出てくる!
愛妾。男爵令嬢。皇太子が国を越えてやってくる!
身分違いの恋はまだしも、皇太子が国を超えてやって来るなんて、側近の苦労がしのばれる。
「視察は…」
「理由はどうあれ、こちらにもメリットがあるから受けているんだし、視察も真面目にやっているし。問題ないんじゃないかな、僕らには」
うーん、まぁ、そうだね。
無言で頷いて、ソフィアは立ち上がった。
「じゃ、ネルソンと交代してくる」
そして、振り返った所だった。
「ソフィア、後ろ!」
ミハエルの声がして、中途半端に振り返ったソフィアは、硬い何かにぶつかった。
目を上げれば、漆黒の詰襟、金の刺繍、肩から見えるシルバーのマント。
「失礼」
低めの声が上から降ってきて、咄嗟に傾いたソフィアの身体を逞しい腕が一本、支えていることに気付いた。
「あっ、ごめんなさい」
視線の先には、ダークブロンドの艶やかな髪から覗く翡翠色の瞳。
彼は…
死神だ。
ソフィアも、おそらく背後にいるミハエルも息を飲んだ。
「怪我はない?」
伏し目がちの睫毛が長くて、色気を纏う。
「は、はい」
あぁ、さすが死神とはいえ神と評されるだけある。整った顔立ち、翳りのある色気、艶やかな声。同じ人間とは思えない。
圧倒されたままのソフィアに、ユリウスは少し困ったように微笑んだ。
「このまま攫っていっても?」
「……っ、え?」
と、抱きかかえられたままの姿勢に気付く。
キャーーーー!公衆の面前で死ねる!!
「君を呼びにきた。連れていってもいい?」
さっとソフィアの膝の後ろに手を入れ、その身を軽々と抱きかかえた。
ちなみにソフィアの心中はギャーーーー!の一択で吹き荒れている。
「あ、歩けます」
慌てて降りようとするけれど、その力は強く、ユリウスはすでに身を翻していた。
「あ、あのっ」
「ルクレール殿。お待ちください」
後ろから鋭い声が上がり、ミハエルがさっと身を滑らせてきた。
「彼女はこちら側の人間。しかも任務の最中です。勝手に連れていかれては困ります」
目に剣呑な光を宿し、ミハエルがユリウスを止めた。ザァッと風が吹き渡る。シルフの魔力を使って牽制しているのだろう。
「その任務のことで彼女に用がある。午後の皇太子の休養に、彼女に付き合って欲しいから」
え、皇太子の休養に付き合う?
どういうこと???
いや、それよりもまず、おろして欲しいんだけど。
「そちらに人事権はない」
冷たい風がユリウスの頬を撫でた。切れそうなほど怜悧な風だ。
「風か。君はシルフの神官だね。神楽舞での君の笛は見事だった。なのに最後は私のせいで乱してしまい申し訳なかった」
すまない、と頭を下げるユリウスに、ミハエルも眉根を寄せた。
「午後の彼女の行動については、貴国の宰相に許可を得ている。もうすぐ出発だから呼びに来たんだ。そういう訳だから、攫っていってもいい?お姫様」
最後はソフィアに尋ねるように、顔を下に向け、甘く微笑む。
い、いやっ、本当、勘弁してほしい。お姫様抱っこなんて、恥ずかしすぎる。
「姫ではありません、ソフィアです」
身分も伯爵令嬢だ。姫は過分すぎると思い、そう訂正した。
「そう、ではソフィア。こちらへどうぞ」
優雅にそっと微笑むと、色香が目元に滲む。
この人、ほんと、危ないかもしれない。
そう思いながら、ソフィアは小さく頷いた。




