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第三十三話 先客

 ソフィアがここに来て一週間が経つが、王宮での生活は穏やかだった。食事は王宮お抱えの料理人が作った一流品が用意されているし、部屋の設備も快適だ。


 花嫁選考の一環として毎日ひとつずつ何かしらの課題──例えば音楽であったり、ダンスであったり、特定の状況下での受け答えの試験が出されるが、それ以外は自由に過ごしていいのでソフィアは思いのほか快適な時間を過ごしていた。ヴィーやミレーとお茶をしたり、メルと一緒に王宮内にある図書室で本を読んだりした。

 その間にもアーサー王子は何人かのご令嬢の元を訪れたようで、ソフィアが滞在している一角はにわかに浮き立っていた。ただ、情報通のメルによると、アーサー王子が滞在したのはどのご令嬢の元にも十分程度で、少し会話を交わすと早々に戻ってしまうようだ。そして、今のところ二回目の訪問を受けたご令嬢はいないらしい。


「ふーん、そうなの」


 メルの話を聞いていたソフィアは、今もクローゼットにしまわれたままの雨よけに目を向ける。アーサー王子は、残念ながら今のところソフィアの元を訪れてはいない。雨よけコートも返せないままだ。


「今日もわたくしの元にはいらっしゃらないかしら?」


 ソフィアはふうっと息を吐き、独りごちる。

 ソフィアはここに滞在し始めてから、何度かアーサー王子の姿を目にする機会に恵まれた。ただ、その度にちょっとずつ違和感を覚えるのだ。

 例えば、ソフィアへの態度。穏やかな笑みを湛えて気さくに声を掛けてくれたかと思えば、まるでいないかのように振る舞う日もある。

 先日、廊下ですれ違ったアーサー王子は立ち止まってソフィアに声をかけてくれた。かと思えば、次に会ったときには軽く会釈を返されるのみで素通りされてしまった。

 その態度の違いに、ソフィアは混乱した。

 そして、そんなときはいつも香りにも違和感を覚える。

 初めて出会ったときも、三次選考で声をかけてくれたときも、アーサー王子は魅惑的な柑橘系の香水を付けていた。

 しかし、日によっては全く違うムスク系の香水をつけている。そして、そんな日はいつもと態度が違うのだ。日毎に香水を変えるのはその人の自由だが、それ以前に本人が持つ元々の香りまで違う気がした。


 それに、違和感は他にもある。

 例えば昨晩、ここに滞在するご令嬢全員がアーサー王子を囲んで食事をする機会があり、最後に紅茶を出された。既に訪問を受けた他のご令嬢からアーサー王子はヒムカ商会の『マリアージュ』をストレートで飲むのがお好みだと聞いていたのに、アーサー王子は『ロイヤルブレンド』に大量の砂糖とミルクを入れて飲んでいた。


 それは本当に些細なことで、恐らくソフィア以外のご令嬢は気が付いていない。けれど、いったん気になりだすととても気になってしまう。

 ソフィアは読んでいた本を閉じると、窓から外を眺めた。日は最も高い位置にあり、雲一つない晴天だ。


「また庭の散歩に行こうかしら」


 ソフィアが王宮にきて以来、一番のお気に入りの場所はあの庭園だった。特に、あの柵の向こうの庭園が好きだ。ちなみに『王家の園』なる場所は未だに発見できずにいる。きっと、王家専用だけに普通には目に付かない場所にあるのだろう。


「メル、お散歩に行ってくるわ」

「かしこまりましたわ。ソフィア様はここの庭園が本当にお気に入りですわね」


 メルは部屋の片づけをしながら、くすくすと笑う。

 庭園では何人かの王太子妃候補のご令嬢が散策を楽しんでおり、ところどころに近衛騎士が立っていた。ソフィアはその人達の横をすり抜け、庭園の外れのアーチへと向かう。

 緑と花のトンネルを抜けると、鉄柵の扉が見えた。ソフィアはその柵越しに、向こうを眺める。


「やっぱり素晴らしいわ」


 ソフィアは小道の両側を眺めながら、ほうっと息を吐く。


「ボブ?」


 ソフィアはそっと呼びかける。鉄柵の扉には鍵がかかっているので、ボブがいつも開けてくれる。どうやってボブを呼ぶのかというと、ただ単に名前を呼んでいる。彼がそうやって呼べばいいと言ったから。

 ボブによると、彼には『聴覚』のギフトがありとても耳がよいそうだ。ソフィアはそれを聞き、だからボブはあんなに早く雷に気が付いたのだと合点した。


「フィー、呼んだ?」


 暫くすると、いつものようにボブが現れる。ソフィアはその姿を見て表情を綻ばせた。


「お仕事の邪魔ではなかった?」

「いや、大丈夫。たとえ仕事中でもよっぽどのことがない限り、フィーが呼べば来るよ」

「まあ、お上手ね」


 ソフィアはくすくすと笑う。ボブはそんなソフィアを見下ろし、柔らかく微笑むとリモネの花束を差し出した。


「これは?」

「フィーへのプレゼント。リモネが好きだろ?」


 ソフィアは差し出されたリモネの花をみつめる。ピンク色と白色のそれは今まさに咲き頃で、きっと摘みたてに違いない。プレゼントにリモネの花など、まるで毎年ソフィアの誕生日にリモネの花を贈ってくる見知らぬ求婚者のようだ。ソフィアは思わず笑みを漏らした。


「ありがとう」


 リモネの花に顔を寄せると、より一層甘い香りが全身を包む。ちょっとしたことなのに、とても嬉しく感じる。


「行こうか」


 優しく握られた手が温かく、ふんわりとあの魅惑的な香りが鼻孔をくすぐり心地いい。

 ソフィアはチラリとボブを窺い見る。ソフィアの手を引いて前を歩くボブの柔らかそうな髪がふわりふわりと風に揺れている。

 ソフィアは手を伸ばし、指を一本伸ばしてその髪に触れる。ふわふわした髪は予想通り柔らかく、実家のマリオット伯爵邸にいる猫のような触り心地がした。


「どうしたの?」


 ボブがくるりと振り返る。ソフィアは慌てて伸ばしていた手を引っ込めた。


「なにか付いていたかな? ありがとう」


 ボブは自分の髪を手で触れると、ソフィアを見下ろしてにこりと笑う。ソフィアが突然髪の毛に触れたので、ごみを取ってくれたのだと勘違いしたようだ。


(わたくし、なに気安く男の人の髪の毛を触っているの!)


 ソフィアは自分のした行動に思わず赤面し、赤くなった顔を隠すために俯く。胸の音が煩くて、隣にいるボブに聞こえてしまうのではないかと思った。


「きゃっ!」


 俯いて歩いていたせいで、前をしっかりと見ていなかった。突然柔らかいものにぶつかり、ソフィアは小さな悲鳴を上げる。その瞬間あの魅惑的な香りが強く漂い、体を優しく包まれた。突然立ち止まって振り返ったボブの胸に、正面衝突したのだ。


「フィー、悪い。今日は先客がいるから戻ろう」

「先客?」


 ソフィアはボブの肩越しにチラリと庭園の奥を覗いた。


(あれは……アーサー王子。それに、一緒にいるのは──)


 ボブがソフィアの視界を塞ぐように立ち、ソフィアの視界が白い騎士服一色になる。


「午後、空いている?」

「午後? 空いているわ」

「なら、三時頃に、またここの前で待ち合わせしよう」


 ボブはそう言うと、ソフィアの肩を抱いてすぐにその場を後にした。

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