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第十八話 三次試験③

(さてと。何色のリモネの花にしようかしら)


 丘の上には色とりどりのリモネの花が咲いていたが、ソフィアは一番好きな色である赤の刺繡糸を手に取ると、慎重に針に通す。布に薄く下書きをしてから、針を進め始めた。

 一刺しするたびに、なにもなかった真っさらなキャンバスに徐々に形が描かれてゆく。ある程度まで外周を刺し終えると、今度は一段薄い色にして花びらのグラデーションを描き出した。


 どれくらいそうしていただろう。夢中になって刺繍をしていたソフィアはスンと鼻を鳴らして顔を上げた。


(あらっ、この香り……)


 ここ数日で何度も嗅いだ、爽やかで心惹かれる香り。

 咄嗟にソフィアが辺りを見渡した。斜め前に座るヴィヴィアンと反対隣にいるミレーは黙々と刺繍を進めているが、周囲のテーブルはざわざわと騒がしかった。よく見ると周りのテーブルにいるご令嬢達は皆一方向を見ている。ソフィアも釣られたようにそちらを見つめた。


(! アーサー殿下だわ!)


 視線の先にいたのは、近衛騎士を引き連れた金色の髪の凛々しい姿。紺色に金糸の刺繍が入ったフロックコートが憎らしいほど決まっている。どうやら、アーサー王子は刺繍をしているご令嬢達の様子を見に来たようだ。時折立ち止まり、ご令嬢達の手元を興味深げに見つめ、二、三言の会話を交わすことを繰り返していた。

 アーサー王子にそばに寄られたご令嬢は皆頬を染め、うっとりとした様子でその姿を見つめている。運よく話しかけられて感激した様子のご令嬢、羨望と妬みの眼差しを向けるご令嬢、彼女達の内心は悲喜こもごもだ。


「ヴィー様、ミレー様、アーサー殿下がいらっしゃいます」

「え? アーティー?」


 ソフィアの小さな声を拾ったヴィヴィアンとミレーも手を止めて顔を上げる。そして、アーサー王子の方を見つめた。


(今、『アーティー』って言ったかしら?)


『アーティー』とは、アーサー王子の愛称だろう。王子殿下を愛称で呼ぶような親しい仲なのだろうかと、ソフィアはヴィヴィアンを見つめた。ヴィヴィアンはまっすぐアーサー王子を見ているので、ソフィアの視線には気付いていないようだ。そうこうするうちにアーサー王子がこちらへと近づいてくる。


「やあ、ヴィー」

「…………。ごきげんよう、アーサー殿下」


 アーサー王子はソフィアのテーブルに来ると、まずヴィヴィアンに声をかけた。ヴィヴィアンはスッと立ち上がると、アーサー王子をじっと見つめてから、優雅にお辞儀をする。

 ソフィアは社交界から距離を置いていたので多くの貴族令嬢の立ち振る舞いを知っているわけではないが、それはとても優雅なように見えた。


「ヴィーはなにを刺繍しているんだ?」

「文鳥ですわ。首に白の首飾りをつけた」

「ああ、なるほど。うん、いいと思うよ。きみらしいね」


 アーサー王子は納得したように頷くと、にこりと笑う。

 その様子から、ソフィアはこの二人だけに通じる何かを感じ取った。そもそも、『ヴィー』と呼びかけるくらいなのだからこの二人はかなり親しい関係なのだろうと想像がつく。


(どういう関係かしら?)


 見る限りは恋人のような甘さはないが、親しいことは間違いない。胸にちょっとしたもやもやを感じながらソフィアは二人を見比べたが、二人はそれ以上『文鳥』に踏み込むことなく会釈をすると会話を終わらせた。

 その後アーサー王子はミレーの方を回って手元を覗く。ミレーはアーサー王子を見上げると、黙礼した。


(ミレーって、見た目の通り緊張しないタイプなのね……)


 ほかのテーブルのご令嬢はアーサー王子が近づいてきただけで、感動して頬を染めていた。けれど、ヴィヴィアンといいミレーといい、全く動じている様子がない。

 アーサー王子はソフィアの近くに立つと、あの香りがより強く漂ってくる。思わずすり寄りたくなるような、魅惑的な香りだ。


「ソフィア嬢は──」


 アーサー王子がこちらを向いてにこりと微笑む。名前を覚えていてくれたことに感動した。その笑顔が、大雨の日の彼の眼差しを彷彿とさせてソフィアの胸はトクンと跳ねた。やっぱりこの人が大雨の日にソフィアを助けてくれた人で間違いない。昨日、面接室で違和感を覚えたのは勘違いだったのだろう。


「なにを刺繍しているの?」

「あのっ、リモネの花を……」


 アーサー王子はひょいとソフィアの手元を覗き込む。その拍子に体が近付き、また心地よいあの香りがスンと鼻孔をくすぐった。本当に、この香りはなんなのだろう。きっと香水だと思うが、とても魅惑的で心地いい。

 ぼーっと見惚れていると、アーサー王子の金糸のような髪がさらりと肩から落ちる。


「ああ、あのときに摘んでいた花だね」

「え! 殿下、覚えていらしたのですか?」


 驚いて目を丸くするソフィアを、アーサー王子は片眉を器用に上げて見返した。そして、にこりと微笑む。


「もちろん覚えているよ。あんな大雨に遭遇して、風邪をひかなくてよかったね。安心した」

「はいっ! 殿下のおかげです。ありがとうございます」


 ソフィアはパッと表情を明るくしてぴょこんとお辞儀する。


「私はたいしたことはしていない。──頑張って」

「はいっ! 頑張ります!」


 胸の前でぎゅっと拳を握ったソフィアを見てアーサー王子はクスクスと笑う。あのときのように優しく目を細め、「じゃあ、私は失礼するよ」と言って、その場を後にする。


(──覚えていてくださったわ!)


 アーサー王子は昨日の面接の際、まるでソフィアのことなど全く覚えていないかの様子だった。だからすっかり忘れられていると思っていたけれど、覚えていてくれたのだ。


(わたくしに『頑張って』って言ってくださったわ)


 そのセリフは社交辞令で、もしかしたら会話を交わした全員に言っているかもしれない。けれど、それでもソフィアは嬉しかった。こらえきれずに口元に笑みを浮かべると、刺しかけの刺繍の続きを始める。


 浮かれていて、その様子を憎々しげに見つめる視線があることには気が付かなかった。


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